何も知らないままだった ― 2022年11月23日 10時50分

入院生活のことを書く気はなかったが、これだけは書いておいた方がいいとおもうことが出てきた。それは「話ことば」について、である。話し方とか、説明能力と言ってもいい。
なぜ、こんなことを書く気になったのか言えば、かかりつけの開業医の言うことを信じていたら、とんでもないことになっていたという話をいくつか耳にしたからだ。それは、ぼく自身にも思い当たることだった。
ある74歳の男性は某大病院で診察を受けたとき、すでに目に映る景色は黒いカーテンが降りたように暗くなっていて、2mはなれた人の顔がよく見えなかったそうだ。
信じられないことだが、視力はだんだん悪くなっていて、そんな差し迫った深刻な事態になっても、10年間も通っていた田舎の開業医はいつもと同じように薬を出すだけだったとか。
「自分が儲かるためでしょ。何も知らん、つまらん医者ですよ」
60歳を過ぎて、毎日毎日が恐ろしくなって、別の医者に診てもらったら、あわてて福岡市内の大学病院を紹介されたというのだ。
そこで初めて、自分のからだの異変を知ることになった。糖尿病が限界近くまで悪化していた。眼の網膜の細い血管はボロボロになって、眼球の奥はほぼいちめん出血していたのだ。まちがいなく失明する寸前だった。
さいわいアメリカから最新の治療機器が導入されたばかりで、網膜に広がっていた微細な180個もの出血をひとつ一つレーザーで治療してもらい、1日2時間の治療を半年間つづけて、真っ暗闇の生活にならずにすんだという。以前のようには見えないけれど。
もうひとりの71歳の男性は10年ほど近所の開業医に通い続けていた。処方は投薬だけで、血糖値はいつまで経っても下がらなかった。
医者はいつも「あまり変わらないねぇ。食事に気をつけて、運動をして」の繰り返し。専門医でないのは明らかで、この医者で本当に大丈夫かと不安になって、別のクリニックを訪ねた。すると「こりゃあ、大変だ」と驚かれて、この総合病院に入院したという。ちなみに、彼の血糖値はぼくと同じぐらいだった。
そこを乗り越えてきた彼らはみな精神力が強い。同世代のぼくを「大丈夫ですよ」と励ましてくれる。
自分のことも言っておく。
実は10年ほど前、かかりつけの医者から糖尿病と診断された。通院すること半年間。血糖値は少しばかり改善したが、おもうほどではなかった。医者から精密検査を受けるように紹介されて別の中規模の病院でも検査を受けた。そこで言われたのは、「糖尿病でも、そんなに深刻ではありませんよ」
人のせいにするわけではないが、それで気がゆるんでしまったのは事実である。医者に診てもらっても変わり映えしないなと自分に都合よく解釈して、それまで通り、酒は飲む、メシは食う、運動はしない、の三拍子そろった生活を続けていた。それで何ごともなかった。
糖尿病がここまで悪くなっていたのがわかったのは、先日、同じ医院にインフルエンザの予防接種に行き、自分から病歴の欄に「糖尿病」と書き込んだからである。そこで無料の高齢者向けの簡単な検査を受けて、いまの入院となったわけだ。
入院して数日後、ぼくはあることを知って驚くことになる。
この総合病院には2週間入院して糖尿病を改善する教室がある。それに参加している人たちは、いずれも開業医の紹介で来たのだが、その人たちの血糖値を聞いて、少なからずショックを受けた。
彼らは10年前のぼくのそれよりも低かったのだ。どうしてもそのときの時点まで時間を戻して、立ち止まってしまう。
自業自得と言えば、その通り。だが、医者によって、判断はこうも違う。
長くなってしまったが、ここからが書いておきたいことである。
ぜんぶがそうだとは言わないが、医者は話し方が下手くそ、ということだ。その裏側には、自分は専門家ではない、よく知らない、という自信のなさが隠されている。
だれでも知っている常識的な話はどうでもいい。生活習慣病という厄介な病気を抱えている自分の、いまの病状の進行はどの程度なのか。血糖値が下がらないね、とかではなく、それまでの検査で得られたデータを分析して、自分にはわからないけれども、いまどんなことがからだで起きているのか。
具体的に、たとえば医者として血管がどうなっているとおもっているのか。すい臓から出ているインスリンの量はどれぐらいと判断できて、それは取り返しのつかないレベルなのか。このままでいたら、半年後、1年後にはどうなるのか。
つまり、自分では気がつかないからだの兆候や変化について、わかりやすい根拠や症例をあげながら説明してくれることを、ぼくたちは求めているのだ。「変わったことはないかね。ちゃんと食事に気をつけて、運動もしてね」ではないのである。
自信がなければ、さっさと専門医のいるころへバトンタッチすればいい。そういう地域医療のシステムになっているのだから。
ぼくは、たまにしか行っていない主治医を非難する気はない。ただ、これ以上、悪くなることを防げる可能性があったのに、自分の知らないうちに、その可能性の芽を摘んでしまわれたことを後から知る。そんなことの無いように願って、今日のブログを書いている。
多くの開業医はサラリーマンや自営業者のように実社会でもまれたことがないのではあるまいか。相手の気持ちを汲み取りながら、わかりやすく、きちんと説明するコミュニケーションの訓練が不足しているのかもしれない。持ち時間に制約はあるだろうが、診察で費やす言葉の数も、説明の仕方も、ぼくには不十分に感じられてならない。
専門医師のチームをはじめ看護師や医療器具、設備も充実している、このきれいな総合病院でお世話になって、そのことがよくわかった。
糖尿病の医師たち、これから世話になる外科医について、ここの若い女性の看護士さんは「最強のチームですね」と言っていた。
■今日は待ちに待ったワールドカップの初戦。相手は優勝候補の西ドイツ。観たいなぁ。でも、試合開始はちょうど消灯時刻の午後10時。カーテンで仕切られた暗い部屋で、イヤホンを耳につけて、レンタルの小型テレビにかじりつく人もいるんだろうな。写真は談話室の壁掛けテレビ。
なぜ、こんなことを書く気になったのか言えば、かかりつけの開業医の言うことを信じていたら、とんでもないことになっていたという話をいくつか耳にしたからだ。それは、ぼく自身にも思い当たることだった。
ある74歳の男性は某大病院で診察を受けたとき、すでに目に映る景色は黒いカーテンが降りたように暗くなっていて、2mはなれた人の顔がよく見えなかったそうだ。
信じられないことだが、視力はだんだん悪くなっていて、そんな差し迫った深刻な事態になっても、10年間も通っていた田舎の開業医はいつもと同じように薬を出すだけだったとか。
「自分が儲かるためでしょ。何も知らん、つまらん医者ですよ」
60歳を過ぎて、毎日毎日が恐ろしくなって、別の医者に診てもらったら、あわてて福岡市内の大学病院を紹介されたというのだ。
そこで初めて、自分のからだの異変を知ることになった。糖尿病が限界近くまで悪化していた。眼の網膜の細い血管はボロボロになって、眼球の奥はほぼいちめん出血していたのだ。まちがいなく失明する寸前だった。
さいわいアメリカから最新の治療機器が導入されたばかりで、網膜に広がっていた微細な180個もの出血をひとつ一つレーザーで治療してもらい、1日2時間の治療を半年間つづけて、真っ暗闇の生活にならずにすんだという。以前のようには見えないけれど。
もうひとりの71歳の男性は10年ほど近所の開業医に通い続けていた。処方は投薬だけで、血糖値はいつまで経っても下がらなかった。
医者はいつも「あまり変わらないねぇ。食事に気をつけて、運動をして」の繰り返し。専門医でないのは明らかで、この医者で本当に大丈夫かと不安になって、別のクリニックを訪ねた。すると「こりゃあ、大変だ」と驚かれて、この総合病院に入院したという。ちなみに、彼の血糖値はぼくと同じぐらいだった。
そこを乗り越えてきた彼らはみな精神力が強い。同世代のぼくを「大丈夫ですよ」と励ましてくれる。
自分のことも言っておく。
実は10年ほど前、かかりつけの医者から糖尿病と診断された。通院すること半年間。血糖値は少しばかり改善したが、おもうほどではなかった。医者から精密検査を受けるように紹介されて別の中規模の病院でも検査を受けた。そこで言われたのは、「糖尿病でも、そんなに深刻ではありませんよ」
人のせいにするわけではないが、それで気がゆるんでしまったのは事実である。医者に診てもらっても変わり映えしないなと自分に都合よく解釈して、それまで通り、酒は飲む、メシは食う、運動はしない、の三拍子そろった生活を続けていた。それで何ごともなかった。
糖尿病がここまで悪くなっていたのがわかったのは、先日、同じ医院にインフルエンザの予防接種に行き、自分から病歴の欄に「糖尿病」と書き込んだからである。そこで無料の高齢者向けの簡単な検査を受けて、いまの入院となったわけだ。
入院して数日後、ぼくはあることを知って驚くことになる。
この総合病院には2週間入院して糖尿病を改善する教室がある。それに参加している人たちは、いずれも開業医の紹介で来たのだが、その人たちの血糖値を聞いて、少なからずショックを受けた。
彼らは10年前のぼくのそれよりも低かったのだ。どうしてもそのときの時点まで時間を戻して、立ち止まってしまう。
自業自得と言えば、その通り。だが、医者によって、判断はこうも違う。
長くなってしまったが、ここからが書いておきたいことである。
ぜんぶがそうだとは言わないが、医者は話し方が下手くそ、ということだ。その裏側には、自分は専門家ではない、よく知らない、という自信のなさが隠されている。
だれでも知っている常識的な話はどうでもいい。生活習慣病という厄介な病気を抱えている自分の、いまの病状の進行はどの程度なのか。血糖値が下がらないね、とかではなく、それまでの検査で得られたデータを分析して、自分にはわからないけれども、いまどんなことがからだで起きているのか。
具体的に、たとえば医者として血管がどうなっているとおもっているのか。すい臓から出ているインスリンの量はどれぐらいと判断できて、それは取り返しのつかないレベルなのか。このままでいたら、半年後、1年後にはどうなるのか。
つまり、自分では気がつかないからだの兆候や変化について、わかりやすい根拠や症例をあげながら説明してくれることを、ぼくたちは求めているのだ。「変わったことはないかね。ちゃんと食事に気をつけて、運動もしてね」ではないのである。
自信がなければ、さっさと専門医のいるころへバトンタッチすればいい。そういう地域医療のシステムになっているのだから。
ぼくは、たまにしか行っていない主治医を非難する気はない。ただ、これ以上、悪くなることを防げる可能性があったのに、自分の知らないうちに、その可能性の芽を摘んでしまわれたことを後から知る。そんなことの無いように願って、今日のブログを書いている。
多くの開業医はサラリーマンや自営業者のように実社会でもまれたことがないのではあるまいか。相手の気持ちを汲み取りながら、わかりやすく、きちんと説明するコミュニケーションの訓練が不足しているのかもしれない。持ち時間に制約はあるだろうが、診察で費やす言葉の数も、説明の仕方も、ぼくには不十分に感じられてならない。
専門医師のチームをはじめ看護師や医療器具、設備も充実している、このきれいな総合病院でお世話になって、そのことがよくわかった。
糖尿病の医師たち、これから世話になる外科医について、ここの若い女性の看護士さんは「最強のチームですね」と言っていた。
■今日は待ちに待ったワールドカップの初戦。相手は優勝候補の西ドイツ。観たいなぁ。でも、試合開始はちょうど消灯時刻の午後10時。カーテンで仕切られた暗い部屋で、イヤホンを耳につけて、レンタルの小型テレビにかじりつく人もいるんだろうな。写真は談話室の壁掛けテレビ。
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