ミツバチが思い出を連れてきた2022年11月28日 16時30分

 自転車で学校へ急ぐ高校生たちには目もくれずに、ミツバチが朝っぱらから一心不乱に働いている。
 室見川河川の遊歩道(このあたりでは人気のウォーキング、ジョギング、サイクリングコース)を歩いていたら、植樹された木の小さな白い花にミツバチが集まっていた。
 ブーンとかすかな羽音を立てて、花の房にとまっては蜜を吸っている。その様子がかわいらしくて、しばらく観察した。
 いったいどれぐらいはなれたところから飛んで来たのだろうか。ここには遠い北の国からやって来たコガモの群れもいる。そういうぼくも宮崎の山奥から鹿児島の田舎の港町、小倉、東京と渡り歩いて、ここまでたどり着いた。
 それは線路の旅だった。子どものころから線路が好きだった。
 コールタールの匂いが染みついた枕木の上に腹ばいになって、ひんやりした鋼鉄のレールに耳をぺたりとくっつける。じっと耳をすませていると、かすかにカタン、カタン、カタン、という音が聴こえはじめる。列車の重い鉄の車輪がレールとレールの継ぎ目をたたきながら近づいて来る。
 タカン、カタカタン、カタカタカタン。
 音はだんだん大きくなる。それにつれてぼくの心臓もドクン、ドクン、ドクン、と速くなるのだった。
 あれはずっと向こうの未来からの音だった。いつかきっとこの町を出て行くときが来る、子どもごころにそうおもっていた。そして、めぐりめぐって、いまこの地に立っている。
 錦江湾にのぞむ港町から旧小倉市の小学校に転校したとき、担任だったT先生から一枚の絵が送られてきた。
 おおきな画用紙に、絵の得意な先生が描いた水彩画で、手前の下の方には赤やピンクのレンゲ畑、右側にはなつかしい山の稜線が遠近法でスケッチされていた。その山並みの麓には国鉄職員の父たちが建設した線路が海岸線に沿って伸びている。そして、画面の左の奥には噴煙たなびく桜島が小さく描かれていた。
 先生からの「忘れないでな、元気でがんばれ」という声が聞こえてくるようだった。
 大好きだった港町を去るとき、ぼくは父、母、姉と家族そろって、始発の上り線ホームに停まっていた二両編成のディーゼル列車のなかにいた。ホームにはT先生と同級生たちがおおぜい来てくれた。クラスの半分以上の20人ほどもいただろうか。
 ブオォーン。
 発車の合図の汽笛が鳴って、オレンジ色の車体はぶるん、ぶるんと小刻みに震えながら、そろりと動き出した。いっぱいに開いた窓は一緒に遊びまわった友だちの顔だらけだった。くりくり坊主頭やぼっちゃん刈り、おかっぱに三つ編み。みんな一緒に動きはじめた。
 列車の速度が歩く速さから急ぎ足になる。窓際にいる顔や顔がついて来る。
「××くーん」、「××くーん」
 ぼくの名前を叫ぶ声が青い空に吸い込まれて行く。あっという間に列車は短いホームをはなれた。
 あぁ、みんなともお別れだとおもったそのとき、いちばんの仲良しだったK君がホームから飛び降りた。T先生も、男子も女子も波頭が崩れ落ちるように次から次に飛んで降りた。赤や白や青の服が線路の上をいっぱいに広がって、手をふりながら追いかけて来る。
「また来いよぉー、××くーん」
 60年以上も前に、そんなことがあった。
 人は未来を想像しながら、過去と一緒に暮らしている。いままでのすべてが昨日のことのようである。
 歩く途中に出会ったミツバチはT先生がくれた、あの絵のレンゲ畑と楽しかった日々を思い出させてくれた。
 絵のなかのレンゲ畑でもよく遊んだ。ピンク色の花のじゅうたんのなかに寝っ転がった耳元で、ブーンという音がした。いまは見かけることもない、まるっこいからだのニホンミツバチである。
 ミツバチたちはおとなしい性格で、手でつかまえても、ほとんど刺されることはなかった。何度つかまえても、なにごともなかったように、そのへんの花の蜜を集めていた。
 ぼくにとってはごくありふれたことだったけれど、ニホンミツバチもいなくなって、もう同じ体験はできそうもない。