だんだん「モノ知り」になる ― 2023年02月04日 19時24分

昨日は「検査の日」だった。朝の10時過ぎに車を運転して、約5分で病院着。受付専用の機械に診察券のカードを差し込む。10数秒後、氏名、年齢、行き先を順番ごとに印刷したA4サイズの緑色のペーパー(受付票)が出てくる。
次はどこに行けばいいのか、ひと目でわかる。フロアの配置図も載っているから、迷うことはない。
同じ緑色のペーパーを持った人があちこちのベンチに座っている。みなさんじっと押し黙ったまま。医者や看護師さんたちは忙しそうに働いているが、ふつうの職場のように、ここでは笑い声を聞いたことがない。
「病(やまい)は気から」という。6階建ての建物は新しくて、内部も明るく清潔で、歩行のスペースも広々している。けれども、待ち合いコーナーの空気はいつも重たく沈んでいる。
そんな雰囲気に同調するのは、精神衛生上もよろしくない。そこで、ぼくは初対面の医師や看護師さんに気兼ねすることなく、こちらから気軽に声をかけるようにしている。
「この点滴の針は太いね」、「新人のときは、注射を打つのは怖かっただろうね」、「あの点滴の袋の中身はなに?」、「大変な仕事だね。みなさん、がんばってるなぁ」。
こんなふうに声をかけると、看護師さんはたちまち打ち解けてくれる。もともとこころ根のやさしい人が多いのだろう。そして、ほとんど同じ答えが返ってくる。
「こうやって、私たちの仕事に関心を持ってもらえるのはうれしいです」
そうするうちに、こちらもだんだん「モノ知り」になる。こんなこともあった。
つい先日、担当の若い男性医師がコロナに感染して、38度以上の高熱がつづき、1週間ダウンしていたと本人の口から知った。プライベートの話をはじめて聞いた。
化学療法室の女性の看護師は、最初に小学生の長男が感染して、5人家族のうち、たちまち自分を含めて3人が感染したことをしゃべりはじめた。ふたりとも自宅で完全隔離の生活に耐えたという。
医者や看護師でも、職業柄どんなに気をつけていても、知らないうちにコロナに罹(かか)ってしまうのだ。感染は減少傾向にあるという政府筋の報道がもっぱらだが、コロナウィルスの怖さの本質は、何も変わっていないのである。
このように取材のタネは目の前にもかくれているものだ。
いかん、また悪い癖が出た。話がどんどん別の方向に走ってしまった。書こうとしていたのは、緑色のペーパーの話だった。
あの1枚の受付票で、ぼくはIT技術の導入がどんなに医療現場の生産性の向上に役立っているかをわが身で体験した。
受付票には、患者それぞれに決められたバーコードも印刷されてある。このバーコードは患者のすべての情報とつながっている。
採血、外科、眼科、歯科、放射線科、化学療法室など、病院内の行く先々で、患者のバーコードは光線を当てて読み取られる。それらの行く先々で得られる検査や診察の記録、さらに患者の自覚症状の訴えなども、新しいデータとして加えられ、情報量の厚みが増していく。
それに比例して、医師が判断する根拠も強化され、診察の精度も高くなっていくわけだ。そして、患者個人のこれらのデータはいつでも、どこでも医者や看護師たちのパソコン画面に呼び出せる、という仕組みである。
点滴を打ってくれる看護師さんも、ぼくの病気のことはもちろん、飲んでいる薬の種類や量、次の通院日、手術の予定日まで、ちゃんとお見通しなのだ。それだけ数多くの専門の人たちがこのぼくのことをチェックしてくれている。この安心感が大きい。
なんだ、そんなことも知らなかったのか、遅れているな、と笑われるかもしれないが、病院が嫌いで、できるだけ病院に寄りつかなかったぼくは、IT技術が医療現場にもたらしている情報と業務改革の威力につくづく感心してしまった。
医療の水準も、地域間の格差がものすごくある。先進的な医療体制が充実していないところでは、助かる命も、助からないことだってあるのだ。もう一度会いたかった、あの人、この人の顔をおもいだす。
福岡市に住んでいて、よかった。
よかった、とおもえることがうれしい。
■冬の室見川の向こう岸にわたり、河畔を上流に向かって歩く。
ときどき想像する。あの山はどうしてできたのだろうか。最初はどんな形をしていたのだろうか。あの山も海の底だったのかなぁ。
次はどこに行けばいいのか、ひと目でわかる。フロアの配置図も載っているから、迷うことはない。
同じ緑色のペーパーを持った人があちこちのベンチに座っている。みなさんじっと押し黙ったまま。医者や看護師さんたちは忙しそうに働いているが、ふつうの職場のように、ここでは笑い声を聞いたことがない。
「病(やまい)は気から」という。6階建ての建物は新しくて、内部も明るく清潔で、歩行のスペースも広々している。けれども、待ち合いコーナーの空気はいつも重たく沈んでいる。
そんな雰囲気に同調するのは、精神衛生上もよろしくない。そこで、ぼくは初対面の医師や看護師さんに気兼ねすることなく、こちらから気軽に声をかけるようにしている。
「この点滴の針は太いね」、「新人のときは、注射を打つのは怖かっただろうね」、「あの点滴の袋の中身はなに?」、「大変な仕事だね。みなさん、がんばってるなぁ」。
こんなふうに声をかけると、看護師さんはたちまち打ち解けてくれる。もともとこころ根のやさしい人が多いのだろう。そして、ほとんど同じ答えが返ってくる。
「こうやって、私たちの仕事に関心を持ってもらえるのはうれしいです」
そうするうちに、こちらもだんだん「モノ知り」になる。こんなこともあった。
つい先日、担当の若い男性医師がコロナに感染して、38度以上の高熱がつづき、1週間ダウンしていたと本人の口から知った。プライベートの話をはじめて聞いた。
化学療法室の女性の看護師は、最初に小学生の長男が感染して、5人家族のうち、たちまち自分を含めて3人が感染したことをしゃべりはじめた。ふたりとも自宅で完全隔離の生活に耐えたという。
医者や看護師でも、職業柄どんなに気をつけていても、知らないうちにコロナに罹(かか)ってしまうのだ。感染は減少傾向にあるという政府筋の報道がもっぱらだが、コロナウィルスの怖さの本質は、何も変わっていないのである。
このように取材のタネは目の前にもかくれているものだ。
いかん、また悪い癖が出た。話がどんどん別の方向に走ってしまった。書こうとしていたのは、緑色のペーパーの話だった。
あの1枚の受付票で、ぼくはIT技術の導入がどんなに医療現場の生産性の向上に役立っているかをわが身で体験した。
受付票には、患者それぞれに決められたバーコードも印刷されてある。このバーコードは患者のすべての情報とつながっている。
採血、外科、眼科、歯科、放射線科、化学療法室など、病院内の行く先々で、患者のバーコードは光線を当てて読み取られる。それらの行く先々で得られる検査や診察の記録、さらに患者の自覚症状の訴えなども、新しいデータとして加えられ、情報量の厚みが増していく。
それに比例して、医師が判断する根拠も強化され、診察の精度も高くなっていくわけだ。そして、患者個人のこれらのデータはいつでも、どこでも医者や看護師たちのパソコン画面に呼び出せる、という仕組みである。
点滴を打ってくれる看護師さんも、ぼくの病気のことはもちろん、飲んでいる薬の種類や量、次の通院日、手術の予定日まで、ちゃんとお見通しなのだ。それだけ数多くの専門の人たちがこのぼくのことをチェックしてくれている。この安心感が大きい。
なんだ、そんなことも知らなかったのか、遅れているな、と笑われるかもしれないが、病院が嫌いで、できるだけ病院に寄りつかなかったぼくは、IT技術が医療現場にもたらしている情報と業務改革の威力につくづく感心してしまった。
医療の水準も、地域間の格差がものすごくある。先進的な医療体制が充実していないところでは、助かる命も、助からないことだってあるのだ。もう一度会いたかった、あの人、この人の顔をおもいだす。
福岡市に住んでいて、よかった。
よかった、とおもえることがうれしい。
■冬の室見川の向こう岸にわたり、河畔を上流に向かって歩く。
ときどき想像する。あの山はどうしてできたのだろうか。最初はどんな形をしていたのだろうか。あの山も海の底だったのかなぁ。
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