「会いたかったんです」に勇気をもらう ― 2025年04月14日 16時57分

昨日の午前中に退院できて、自宅でゆっくりしている。やっぱり、朝の目覚めがちがった。
今回の短い入院生活でも、こころが温かくなることもあった。
「△△さん! わたしのこと覚えていますか? 会いたかったんです!」
入院した翌日の夜の8時すぎ、病室から70メートルほど先の談話室で、カミさんにビデオ電話をかけようとしていたときに、後を追ってきたらしい若い女性から声をかけられた。
部屋のなかはふたりっきり。ぼくの人生のなかで、このような男女物語のシーンがいくつあっただろうか。
半袖の白衣の制服、長い髪の毛を後ろに束ねた若い看護師さんだった。白いマスクでぜんたいの表情は見えなくても、かわいらしくて、親しげな話しぶりとやさしそうな目元には見覚えがある。
「Yoさん。柳川三姉妹の次女でしょ」
「うれしい! そうです! 覚えていてくれたんですね! わたし、△△さんにとっても会いたかったんですよ。会えてよかったあ。うれしいです!」
手術から3年目に入っての再会だった。この病棟の看護師さんたちはみなさん若くて、とても頑張り屋さんぞろいだが、とりわけYoさんは明るい人柄で、面倒見のよい娘さんである。感じのよさがそのまま表に出ている。
歳のころはそろそろ20代後半ごろか。夜勤明けの休みの日ぐらい、人並みに遊びにでも出かけたいだろうに、「疲れをとるのが精いっぱいです。たいてい夕方まで、ふとんのなかで寝ています」と聞いていた。
もし、こんな彼女たちがいなければ、この総合病院の医療体制は1分も持ちこたえられないとおもう。親切に支えてもらったし、仕事の話を聞いて、こちらからも励ました記憶がある。
話し相手がいないところで、思いがけず、「会いたかったです。うれしいです」と言われた身としては、こころがやすまる寄る辺をみつけたようで、それはそれですごくうれしかったけれど、内心はやや複雑であった。
「病院の外で会えたら、よかったのになぁ。こんなふうになってしまって、またここに舞い戻って来て」
「そうですね……。わたしの父は肝臓がんで危なかったんですよ。でも、いまは医学が進歩して、いいお薬もどんどん出ているし、がんになっても長生きしている人はいますよ。△△さん、がんばってくださいね。今夜は夜勤なんです。何でも言ってくださいね」
立ち話は4、5分間で終わった。「会えてよかった。よし、やってやるぞ」とおもった。
この夜、Yoさんの夜勤はたいへんだった。
午前3時ごろから明け方ちかくまで、ぼくと同室のからだの大きなお年寄りを何度も車椅子に乗せて、トイレに通うはめになった。暗い照明の下で、できるだけ音を立てないように濡れた紙オムツを取り替えている。
40度の熱がでたお年寄りは幻覚症状を引き起こしたようで、訳のわからないことを叫び、不意に立ち上がろうとする。もうひとり看護師さんが駆けつけて、必死になって転倒を防ぐ気配がありありと伝わってくる。腕も動かすので、応急処理の点滴をするのもままならないらしい。
それでも彼女たちは一度も患者を叱らない。ただただ「動かないでください。じっとしていてください」と声を抑えて、お願いするばかりであった。
さらにまたほかの病室でも異変が起きたらしく、別のフロアのいる看護士さんたちにも緊急集合を告げる符丁のアナウンスがあった。
こちらも眠れなかったが、朝の定期検診のとき、Yoさんは「眠れなかったでしょ。ごめんなさいね」とぼくたちにひたすら頭を下げていた。
夜中じゅう、人のために働いている、こんな若い人たちもいる。
「会いたかったんですよ!」は、ぼくにこれから先への勇気をくれる言葉になった。
■今しがた、突然、雷鳴が響いて、はげしい勢いで、大粒の雹(ひょう)が落ちてきた。春の嵐を浴びて、桜の花は来年までお預けになった。
写真は病院の窓からの景色。右斜め下には、鯉のぼりの群れが泳いでいる。
今回の短い入院生活でも、こころが温かくなることもあった。
「△△さん! わたしのこと覚えていますか? 会いたかったんです!」
入院した翌日の夜の8時すぎ、病室から70メートルほど先の談話室で、カミさんにビデオ電話をかけようとしていたときに、後を追ってきたらしい若い女性から声をかけられた。
部屋のなかはふたりっきり。ぼくの人生のなかで、このような男女物語のシーンがいくつあっただろうか。
半袖の白衣の制服、長い髪の毛を後ろに束ねた若い看護師さんだった。白いマスクでぜんたいの表情は見えなくても、かわいらしくて、親しげな話しぶりとやさしそうな目元には見覚えがある。
「Yoさん。柳川三姉妹の次女でしょ」
「うれしい! そうです! 覚えていてくれたんですね! わたし、△△さんにとっても会いたかったんですよ。会えてよかったあ。うれしいです!」
手術から3年目に入っての再会だった。この病棟の看護師さんたちはみなさん若くて、とても頑張り屋さんぞろいだが、とりわけYoさんは明るい人柄で、面倒見のよい娘さんである。感じのよさがそのまま表に出ている。
歳のころはそろそろ20代後半ごろか。夜勤明けの休みの日ぐらい、人並みに遊びにでも出かけたいだろうに、「疲れをとるのが精いっぱいです。たいてい夕方まで、ふとんのなかで寝ています」と聞いていた。
もし、こんな彼女たちがいなければ、この総合病院の医療体制は1分も持ちこたえられないとおもう。親切に支えてもらったし、仕事の話を聞いて、こちらからも励ました記憶がある。
話し相手がいないところで、思いがけず、「会いたかったです。うれしいです」と言われた身としては、こころがやすまる寄る辺をみつけたようで、それはそれですごくうれしかったけれど、内心はやや複雑であった。
「病院の外で会えたら、よかったのになぁ。こんなふうになってしまって、またここに舞い戻って来て」
「そうですね……。わたしの父は肝臓がんで危なかったんですよ。でも、いまは医学が進歩して、いいお薬もどんどん出ているし、がんになっても長生きしている人はいますよ。△△さん、がんばってくださいね。今夜は夜勤なんです。何でも言ってくださいね」
立ち話は4、5分間で終わった。「会えてよかった。よし、やってやるぞ」とおもった。
この夜、Yoさんの夜勤はたいへんだった。
午前3時ごろから明け方ちかくまで、ぼくと同室のからだの大きなお年寄りを何度も車椅子に乗せて、トイレに通うはめになった。暗い照明の下で、できるだけ音を立てないように濡れた紙オムツを取り替えている。
40度の熱がでたお年寄りは幻覚症状を引き起こしたようで、訳のわからないことを叫び、不意に立ち上がろうとする。もうひとり看護師さんが駆けつけて、必死になって転倒を防ぐ気配がありありと伝わってくる。腕も動かすので、応急処理の点滴をするのもままならないらしい。
それでも彼女たちは一度も患者を叱らない。ただただ「動かないでください。じっとしていてください」と声を抑えて、お願いするばかりであった。
さらにまたほかの病室でも異変が起きたらしく、別のフロアのいる看護士さんたちにも緊急集合を告げる符丁のアナウンスがあった。
こちらも眠れなかったが、朝の定期検診のとき、Yoさんは「眠れなかったでしょ。ごめんなさいね」とぼくたちにひたすら頭を下げていた。
夜中じゅう、人のために働いている、こんな若い人たちもいる。
「会いたかったんですよ!」は、ぼくにこれから先への勇気をくれる言葉になった。
■今しがた、突然、雷鳴が響いて、はげしい勢いで、大粒の雹(ひょう)が落ちてきた。春の嵐を浴びて、桜の花は来年までお預けになった。
写真は病院の窓からの景色。右斜め下には、鯉のぼりの群れが泳いでいる。
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