「がんばれよ」のエールが聞こえる2025年06月27日 16時24分

 いつまでも記憶のあせない先生がいる。小学、中学、高校、大学のそれぞれにいて、なぜか男ばかり。
 母が保管しておいてくれたこの絵の裏側には、黒のインクで、「S36.5.17 古江新線開通 Teturo Taniguti」のサインがある。大好きだった谷口哲郎先生が描いたもので、64年も前になる。
 この絵は、ぼくが小学1年生から4年生の終わりまで住んでいた鹿児島県古江町の浜辺からの眺めで、コンクリートの鉄橋やトンネルは父たちがつくった。線路は少しずつ桜島の方へ延びていき、敷設されたばかりのレールの上を蒸気機関車が貨車の隊列を率いて、黒い煙を吐きながら走っていく。貨車にはレールや枕木、バラスなどが積んである。
 小学生のぼくはときどき蒸気機関車の運転手さんの横や平たい貨車の上に乗せてもらい、浜辺で遊んでいる同級生たちに手をふった。青い空には家で飼っていたトンビのタロウがおおきな円を描きながら、ぼくのあとをついてくる。
 鹿児島の思い出話は何度も書いたが、まだまだ足りない。
 谷口哲郎先生は30歳になるかどうかの若さで、3年と4年のときの担任の先生だった。父の転勤で、ぼくたち一家が北九州の小倉に発った3月中には、古江線はまだ全面開通していなかった。
 開通は2か月後の昭和36年5月17日。
 谷口先生は「線路はぜんぶ開通したよ。小倉でも元気にやれよ」のエールをこの絵に託してくれたのである。
 ぼくのために全体の構図を鉄橋の力強い直線とその先にあるトンネルを入れて、描いてくださったのだ。それはこの町の人々が長いあいだ待ち望んでいた夢が実現した景色でもあった。
 この絵のなかの一つひとつに思い出がつまっている。黄色いおおきな箱は薄くそいだモウソウダケの板で編んだ生け簀で、これを海に漬けて、生きたカタクチイワシを生かしておくもの。その小魚を熱いお湯で茹でて、ゴザの上にひろげて、この浜辺で天日干しをする。
 新鮮な生干しのイリコはやわらかくて、カラカラに乾いたそれよりも断然おいしい。その場で調達できる、ぼくたちのオヤツだった。1本食べるとまた1本食べたくなる。好きなだけ食べても、だれからも叱られなかった。
 暑い日は友だちと海に飛び込んだ。遊びに忙しくて、宿題なんかするものか。毎日がおもしろかったなぁ。
 小倉は都会で、古江との「落差」はあまりにも大きかった。ぼくの人生が狂ったのはあのときからだ。いままで何度そうおもったことか。
 谷口先生は下宿していた部屋に呼んでくれて、もうすぐ5年生になるぼくがみたこともない勉強の本をくれて、いろいろ教えてもらった。いまにして思えば、鹿児島の田舎で遊びほうけていたぼくが都会の大きな小学校に転校するのを案じていたのだろう。
 こうして書いているうちに、いままでみえていなかった「宝もの」がいっぱい隠れていることに気がつく。