10月は、ぼくの月2025年10月01日 13時30分

 昨日に続いて4時過ぎ、起床。
 5時40分。カミさんは歩いて7分ほどの福祉施設に出勤。ベランダに出て、薄暗いなかを歩いて行くちいさな姿を見送る。彼女には馴染みのなかった人間ドラマが待っている。
 いい知らせのあった月曜日の夜は目がさえて、昨日は完全な睡眠不足だった。そこで、昨夜は処方された軽い睡眠導入剤を1錠飲んだ。効果あり。顔を洗って、マグカップにペッボトルのコーヒーを水で薄めて、すぐパソコンを開く。
 寝ている間に潜在意識が働いて、悩んでいた原稿の壁を打破してくれることがある。
 それが起きた。とんでもない夢を見て、目が覚めた。あろうことか、すでに投函した短編がその対象だった。
 なんと、いまごろになって、考えてもみなかった東大卒の兄貴が登場した。短編の主人公は勉強嫌いで、成績はよくなくて、男の子はひとりきりの家庭の少年していた。とんだ横ヤリが入って、完成した筋書きはもう滅茶苦茶である。
 きっと潜在意識のなかで、もうひとリの編集者のぼくが出て来て、「お前な、自分の都合で、登場人物を減らして、書きやすくしただろう。こすいことをやりやがって。まだまだ構成力も、それを描き切る筆力も足りん!」。そう喝を入れられた気がした。
 思い当たる節がある。でも、こういうことがあるから、おもしろい。
 これからも短編に挑戦するめに、先月から新聞の切り抜きを再開した。仕事をしているときのパターンが戻って来た。
 切り抜いた紙片を納めるクリアホルダーは3つだけ。それぞれに「見る眼」、「宝箱」、「団地」と書いた見出しのシートを張って、机の上の本棚に立てた。
 もちろん、インターネットはおおいに活用する。だが、新聞の読者の投稿のページや社会面のベタ記事にも興味がある。これらは手元の新聞で見つけるしかない。
 新聞を切り抜く道具は、その方法について一文を残してくれている、あの立花隆さんを見習って、アルミ製の定規を愛用している。
 癌はちいさくなってきたし、前を向いてチャレンジする仕事もできた。
 今日から10月。今月の化学療法は1回だけの予定。人にも会えるだろう。飲む約束もある。
 自作の『2025年10月進行表』(A4サイズのペーパー)には、「10月は、ぼくの月」と鉛筆で書き込んである

■こんもりとした小さな植物はツツジの木。そのあたりの草はぜんぶ抜かれて、ただの地面になっている。よく見ると野草のスミレの株は残っている。
 こんなことをするのは、あの有名な「草取り婆さん」しかいない。昨日の病院帰り、草取り中のところに、ちょこっと声をかけたら、ニコニコ顔でやって来て、20分以上もつかまってしまった。

女性初の総裁・高市の「負けん気」2025年10月06日 17時23分

 きつい日が続いている。きょうは昨日よりも、ほんの少し体調がいい。これから上り調子になって、だんだん元気が出てくる。ここまで来れば、もう大丈夫。
 今朝は4時半に起床。寝不足で、いまもボーッとしている。少し頭の体操をしよう。
 4日の土曜日、自民党の総裁選で高市早苗が勝利して、女性初の首相誕生が確定した。国政史上、画期的なことが起きた。彼女が数多くの自民党の党員から、こんなに高く評価されていたのかと正直、驚いた。最後の決め手は、唯一派閥を保持している麻生太郎の支持だった。やっぱりなぁ。
 さっそく高市は麻生に会い、焦点の幹事長には彼の義弟の鈴木俊一の起用を早々と決めた。その麻生は、あの森友学園問題で、財務省がときの首相の安倍晋三に忖度して、公文書改ざんの疑惑が表面化したときの担当大臣である。
 高市は党内に向かって、「全世代総力結集」と声を張り上げている。だが、その言葉とは裏腹に、どうしても最高権力者ならではの孤独な不安を感じてしまう。無派閥で、一匹オオカミ的なイメージが強い彼女の本当の味方は、永田町にどれだけいるのだろうか。
 「あいつは女だから」と男たちがバカにするのは、政治の世界がいちばん遅れている。そのうえ政治家は「ものすごい嫉妬の動物」なのだ。女性初の首相になる高市の「負けん気」が見ものである。
 「全世代総力結集」は、彼女の本音に違いあるまい。だが、望み通りの賛同が得られるかどうかはおおいに疑問だ。権力欲、名誉欲、プライドが幾重もぶつかる権力闘争(ポスト争い)はまた別の話である。
 ぼくが29歳(1979年)のときだから、だいぶ古い話になるが、自民党が分裂の危機に陥った「40日抗争」が起きた。大平政権の倒閣運動で、実態は「福田赳夫vs田中角栄」の番外編。その心労で大平は衆院選のさなかに急死した。あとを継いだのが、当時の社会党から自民党に移って、大平派(宏池会)の番頭格だった鈴木善幸。俊一の父である。
 そのとき鈴木首相が打ち出した党内融和のスローガンは「和の政治」だった。高市の「全世代総力結集」と比べると、その穏やかな人柄がわかるだろう。
 ところが、この「和の政治」は評判がよくなかった。以心伝心ではないが、具体的にどういう政治なのか、意味がよくわからないのだ。
 そのころ、ぼくは「人事の佐藤」と言われていた佐藤内閣の名官房長官だった木村俊夫(元外相)にときどき会っていた。取材をして集めた情報をどう判断するかについて、広い見識を持ち、政界屈指のスポークスマンだった彼の意見を聞くのが目的だった。
 彼は「和の政治」について、こう言っていた。
「善幸さんの言う『和の政治』とは、言葉を変えて言えば、オーケストラのような政治でしょう。自民党は個性がいろいろな政治家の集団だから、首相はオーケストラの指揮者ですよ。違う音色をそれぞれ活かしながら、ひとつの交響楽にまとめる。『和』ではありません。善幸さんにそれができるだろうか。無理でしょう」
 「全世代総結集」、「和の政治」、「オーケストラの政治」。党内融和の呼びかけも、政治家によって、言葉の使い方も、意味も、組織運営の哲学も、これほど違う。
 老年学が盛んなアメリカ流に言えば、当選10回、64歳の高市はヤングシニアの働き盛り。やりたいことはいろいろあるだろうが、まずは苦しんでいる人々の現実に向き合って、だれもが人並みの暮らしができて、明るい希望が持てる国、戦争に巻き込まれない平和な国にしてもらいたい。
 強気に出がちな高市早苗も冷ややかな目線で距離を置いてきた石破茂のように、いや、もっと苦労するだろうな。
 
■土曜日はアビスパ福岡vs横浜FCがホームであった。はげしい雷雨に遭い、早くから出かけたカミさんは、いつもの友だちとスタンドで1時間半も待ち時間。結果は1-0で、なんと8試合ぶりにアビスパの勝ち。夜は夫婦で久々の勝利の美酒にひたる。
 われらが期待の星・安藤智哉もさすがの活躍ぶりを見せた。先日、彼は予想した通り、ケガのために辞退した日本代表に再度、選ばれた。アビスパも長いトンネルを抜けて、いい風が吹いてきた。

■写真は、5時40分過ぎの東の空。気温23度、快晴。カミさんは暗いなかを歩いてパートに。きょうも予想外のことが起きたという

限りある元気な1週間2025年10月10日 18時07分

 日本政府から後期高齢者に仕分けされてしまった。
 「後期」とは何ぞや?
 手元の辞書によれば、「ある期間を二つ、あるいは三つに分けたときの、最後の時期」とある。ということは。「あなたは(高齢者の)最後の時期ですよ」ということだ。
 バカバカしい。なんて人のこころに対するセンスがないんだろう。
 からだの調子がよくなってきて、頭はふらふら、脚の力も頼りないけれど、澄みわたる青空の下、外に出かけたくてむずむずしている。
 昨日の夜は同じ団地族の仲良しさんから、ご主人が釣って来たクロダイ(九州での呼び名。一般にはメジナ)2匹をさっそく煮魚にして、おいしく頂戴した。
 いまは秋ハゼのシーズン。室見川の河口で、そちらの方の釣りもやっていたけれど、もっとおもしろいのは、だれもいない海の磯場で潜ることだった。水の透明度が増していて、これから海藻が新芽を出すころで、サザエやウニたちにとって新鮮なエサが豊富になる。
 陸上からではわからない、そんな秋の海のきれいな光景のなかを、魚を狙う銛(もり)を持って、ひとりで自由に泳ぐのはたのしかった。いまでも、ふと行きたくなる。
 来週は予定をいくつか入れている。翌週はまた点滴が待っている。その間の「限りある元気な1週間」なのだ。
 そろそろ次の短編に取りかからなければ。ネットで小説公募を検索して、ずらりと並んでいる△△△文学賞のリストから、けっして高望みなんかしないで、隅っこにある、なんとか書けそうなところを選んだ。投稿者には同年配の人たちが増えている傾向だから、横一線のお仲間が大勢いて、こちらも気持ちが楽である。
 だれしも人には言えない秘密を持っている。その蓋を開けて、小説のネタにする作家はウジャウジャいる。オレダッテ、とおもうときがある。そんなところに読者の共感が潜んでいる。事件の報道もそうだった。もしかしたら、取材記事タッチの小説が書けるかな、ともおもう。こんなプラス思考が働くのも、元気になった証拠だ。
 最後にカミさんからのネタをひとつ。
 先日パート先で、小柄なカミさんは何気なく、「さぁ、サッカーに行かなくちゃ」と言った。そこには、「アビスパ福岡の観戦」の意味が入っている。
 すると、目の前にいたパート仲間の女性はまじめな顔をして、こう訊いた。
「サッカーで、なにをするんですか? 審判ですか?」
 なんというセンスの持ち主だろうか。

■夜の10時半過ぎ、出張帰りの次男がやって来た。漢方の追加とおおきなナス2つ、ヘベスをくれた。紫色のナスは「砂土原ナス」という。砂土原は宮崎市の北にある町。
「砂土原ナス」は1980年初頭に姿を消した宮崎の伝統野菜で、保管していた種を20年ぶりに撒いた。結果、たったの4粒だけが発芽した。そういうナスである。次男は、焼きナスがおすすめという。

ちっちゃな太陽がやって来た2025年10月12日 17時04分

 昨日の正午過ぎ、かわいいお客さまが来た。たったひとりの孫のKo君。御年1歳9月になった。車で10分の近くにいるのだが、ぼくの体調がブレーキになっていて、顔をみるのは3か月ぶり。
 前回もためらうことなく、いちばんにぼくの方にまっすぐ歩いて来て、胡坐(あぐら)のなかにちょこんと座った。今回もすぐに抱っこをせがんできた。ちっちゃな太陽がやって来たようだった。
 4時間後、長男の家族が帰ったあと、テレビの画面のちいさな手形の跡をふいたり、ドアノブなど、ベタベタするものを洗ったり、拭きとったり、赤や青のクレヨンの線を消したりして、あちこち片付けに追われる。
「きょうはいい日だったなぁ」
「かわいかったね」
 カミさんは晩飯後の居眠りもはやかった。
 秋は人が恋しくなるのだろうか。
 高校時代の友・Yo君から、「飲み会をやろう」という電話があった。
「よし、わかった。参加する」
 きっぱりと、そう言い切れないところがせつない。
 彼は、ぼくがすい臓がんの手術に成功して、元気だったころを知っている。いまのぼくの状況はまったく知らない。そこで、「実は、再発してな」から説明することになる。
 やさしいYo君は、「参加できそうな日を教えて。その方が日程を決めやすいから」と言ってくれた。4、5人の飲み会になる予定という。ありがたい言葉だが、自分が希望する日になっても、100%参加できるかどうか自信はない。「みんなの希望を最優先して」と返答した。
 こころならずも、先々の約束事はすべてがあいまいな補足付きの条件になってしまう。
 でも、必ず、この壁を破ってみせる。思い通りにいかないことが、逆のバネになっている。
 最後に、お嫁さんから仕入れた新ネタをひとつ。
 知り合いの女性の夫は家事の手伝いをいっさいしないという。子育ても手を貸さない。あるとき、その女性は、「せめて洗濯したタオルぐらい干してよ」と夫に頼んで、パートに出た。そして、帰宅した彼女が見たものは、
「もう、びっくりした。物干し竿にね、ぜんぶのタオルがヒモみたいに結んで、ぶら下がっていたのよ。信じられる?」
 信じられません。世のなかには、どう理解していいのかわからない人もいる。

■写真は、長男のお嫁さんがぼくの誕生祝いにプレゼントしてくれたもの。有田焼の酒器に日本酒が入っている。縁起のいい蛸唐草模様の酒器は高級品で、晩酌のたのしみが増えた。

国東半島で恩師の墓を探す2025年10月14日 08時44分

 消化不良の恩師の墓参りに終わった。
 昨日の朝9時半、仕事から帰宅したカミさんと一緒に国東半島へ向かった。大分自動車道を西から東に横断して、杵築市から半島の中心にある山頂への道を登る。最後は車がやっと通れるような急こう配の坂道。その行き止まりに静かな禅宗の寺がある。
「先生、会いに来ました」
 こころのなかで声をかけた。
 お墓の場所を教えてもらうために住職さんに挨拶した。頭をきれいにそり上げた若いお坊さんだった。
「福岡から来ました。ここの出身で、法務大臣を務められた田原先生のお墓の場所を教えてください」
 このひと言で話は通じるものとおもっていた。確かな筋から、この寺だと教えてもらったので間違いないはずだ。
 だが、若い住職は首をひねるばかり。それでも寺の裏の墓地に案内してくれた。どのお墓もきれいに手入れされている。「田原家の墓」が3つほどある。お坊さんは「ちょっとパソコンで調べて来ます」と自宅に戻って行った。
 待つことしばし。彼の返事は思いもよらないものだった。
「その方のこと、母が覚えていました。葬儀はうちでしましたが、ここにお骨はありません。中津の方じゃないですか」
 気が抜けた。無駄足だったのか。
 若いお坊さんは感じのいい青年で、何度も「お茶でもどうぞ」と誘ってくれた。お断りすると冷たいペットボトルの麦茶を2本、持たせてくれた。ここは仏教が盛んな「六郷満山」の郷なのだ。
 仕方がない。せっかくここまで来たのに帰るしかない。
 納得がいかずに、情報をくれた女性に確認の電話をした。その夫から連絡が来たときは、すでに寺からかなり離れたところだった。そこで、初めて事実を知った。
 田原先生のお墓は、あの寺から車で8分のところにあって、寺の墓地ではないという。現地の写真もスマホで送ってくれた。
 それは石垣の上にある、ちいさな森の山だった。墓標もない、墓石もない、なんの目印もない、その全体がお墓だという。生前、先生はこの場所をきれいにしていたとか。
 ああ、ここは「六郷満山」の聖地であった。わが師はこの地に還ったのだ。悠久の土と森と一体になって。
 帰りの道は宇佐神宮の横を通って、中津インターから東九州自動車道を北上した。かつて、この道路は椎田道路とも、北大道路とも呼ばれていた。着工当時は現在の東九州自動車道に認定されていなかった。
 田原先生はそれを見越したうえで、この有料道路の建設を主導した。完成したら、そのまま東九州自動車道に格上げになるという頭脳作戦だった。この種の話はたくさんある。
 こんな思い出話をカミさんにしながら、九州の北半分をぐるりとまわって、午後5時過ぎ、無事に帰り着いた。
「田原先生はわかってくれるよ。お父さんの気持ちはきっと通じたとおもうよ」
 会いたかった。かならず元気になって、また行こうとおもっている。

90歳の「怪物」に会いに行く2025年10月15日 07時26分

 元気なときは、過度に自分を制約しないことにしている。昨日もいい日だった。午後3時ごろのバスに乗って、市内のにぎやかな街なかに出て、数年ぶりに会いたい人に会った。
 ちょうとエレベーターに乗り込むときに、そのKaさんと一緒になった。
 地元の著名な銀行マンだった、この人生の大先輩が経営のノウハウをまとめた2冊の本の出版を手伝ったこと。彼の事務所の設立のメンバーにも呼ばれて、さまざまなことを経験したことはこのブログに書いた。
 久しぶりになじみ深いオフィスで、Kaさんと向き合う。本をつくったときは何時間もかけて、ここでも、彼の自宅でも取材をしたものだ。半年かけて納得のいくまで、妥協はいっさいなしで、どちらも徹底的に付き合った。あの本を読んで、見も知らない経営者がはるばるお礼を言いに来たこともあるという。
 Kaさんは90歳。からだは少しちいさくなったけれど、とてもそんな歳には見えない。中州のクラブでは、70代に見えるとか、100歳まで生きるわよ、と言われているらしい。
 ゴルフでは70代、80代でエイジシュートを達成して、いまはスイングを改造中。「90のスコアなら、ボギーでまわればいいですから」と90代での3度目のエイジシュートは軽く射程距離のようだ。
 頭はバツグンに切れるし、話はおもしろくて、ためになる。マイクを持てば圧倒的な歌唱力で、レパートリーは若い人の歌から演歌まで、なんでもごされ。仲間の経営者たちとCDも出した。とんでもない人脈の持ち主で、中州では「怪物」と愛されている。
 だが、いつも明るくて、おだやかで、人を会社の規模や職業、年齢、性別等で区別しない。そして、訪ねて来る人にはだれでも会って、知っていることは出し惜しみしないKaさんにも、胸のなかにすっぽりおおきな空洞があるという。
 そのことは知っていた。知っていたけど、なにもしなかった。
「奥さんが亡くなったこと、ずいぶん後から知ったので、たいへん失礼しました」
 奥さんはKaさんに輪をかけたような明るい行動派だった。癌が見つかったときは、すでにステージ5で、自宅で療養していたという。
「亡くなったときは、好きなジャスをかけて、機嫌よく歌を歌って、家族に向かって、ハイ、サヨナラという感じですよ。出張先で土産のひとつぐらい買って帰るのは簡単なことだったのに、なにもして来なかった。いまもここにすっぽりおおきな穴が開いていて、風がすー,すー、通り抜けています。自分が死んだ後のことも、ちゃんと考えていて、亡くなる前に、子犬を3匹、買って来ました。健康のために散歩しろということですよ」
 ぼくもからだのことを打ち明けた。最初からそのつもりである。締めの言葉も用意していた。
「抗がん剤治療中で、癌は小さくなっています。まだ死ぬ予定はありませんから」
「顔色はいいし、言わなければ癌だとわかりせんね」
 Kaさんの前では、暗い話やマイナス志向はまったく似合わない。
「やっぱり、なにをやっても、生きがいがないと駄目になりますね」
 90歳にして、この若々しい言葉である。
「健康寿命というけれど、もうひとつ、いまは生きがい寿命の時代でしょう。気がついたら、100歳はすぐそこにあるんですね。こりゃあ、100まで行けそうだと」
「生きがい寿命ですか。いい言葉ですね。絶対に100歳をオーバーしますよ。ぼくは75になったばかりだから、まだ若造みたいなもんです。後を追っかけます。この歳になって、ぼくも有言実行に切り替えて、自分がやらざるを得ない状況をつくることにしました。時間があるので、やったことのない短編小説を書いて、応募することに挑戦中です」
「△△さんには、まだやる役割があるということですよ。ちいさなことでもいいから、書き残すのは大事なことです。書けるのだから、書いてください。私たちは世のなかの一隅を照らせばいいじゃないですか」
 30分の予定が1時間半を過ぎても話は尽きなかった。
 こんな人がまわりにいなくなってしまった。だれしもいつかはいなくなる。だからこそ、書こうとおもう。
 今朝は4時半に起床。すぐにこのブログを書いた。

福岡マラソンをめぐって2025年10月16日 14時43分

 自転車置き場の前で、1階の部屋に住んでいるOさんに会った。ぼくと同じ寅年生まれ。髪は短く、小柄でがっちりした体格で、いつも明るく話す人である。
「今年の福岡マラソンには参加するんですか」
「いや、ちょっとお尻の方を痛めてですね。娘たちも、もう歳だから止めた方がいいよ、と言うものですから、去年に続いて参加は見送ることにしました」
「残念ですね。でも、出たくて、うずうずしているんじゃないですか」
「ええ。来年は出ようとおもっています」
 Oさんは高校時代から陸上の長距離選手で、あの九州一周駅伝の常連ランナーだった。現役を引退した後も、ある実業団の有力チームの監督までやった人なのだ。室見川の河畔をジョギングしている市民ランナーたちとは走力、持久力、ペース配分や地形や風の変化などへの対応力とも次元が違うはず。福岡マラソンに参加したら、年齢別のベスト10に入るとおもう。
 ぼくらが10代のころ、わが九州は長距離王国だった。日本長距離界の育ての親とも言われ、メキシコ五輪の男子マラソンで銀メダルを獲得した君原健二を鍛えた高橋進(八幡製鉄陸上部監督)もいて、日本のマラソン界を引っ張っていた。そのなかにOさんもいたわけだ。
「高橋進さんは雲の上の人ですよ。あれをやれ、手伝えとよく声をかけられました。こちらは下っ端ですから、いろいろ教えてもらいました」
「広島の中国電力も、福岡の九電工も強かったですね」
 ちいさな声でしか言えないが、なにを血迷ったか、ぼくも高校時代は陸上部にいた時期がある。クラスのなかでは短距離も、長距離も速い方だった。1年生ときのクラスマッチでは、まだ背丈は低かったけれど、走り高跳びで、ベリーロールの飛び方に初挑戦して、1年生ぜんたいの一番になったこともある。中学3年のときは体育委員長もやった。
 だが、どれもこれも小さな世界の低レベルのことで、こうしてもったいをつけて書くのもはずかしくて、自慢話にもならない。選手としてはぜんぜん駄目だった。
 同期の桜のOさんは、ぼくなんか足元にも及ばない存在なのだ。身近にいる人にもいろんな顔がある。そこがまたおもしろい。
 さて、話は変わって、先月、書き上げた短編を読んでくれた高校時代の友・Sa君から読後のメールが届いた。「数度読みました」という。彼の率直な感想も書いてあった。気をつかって適当に持ち上げてくれるよりも、こちらの聞きたい本音の声がありがたい。ズバリの指摘は、いい参考になった。
「次回作、楽しみにしています。どんどん書いてね」と尻をたたかれた。「やります」と返信した。
 Oさんのようには走れないけれど、パソコンに向かって、自分のマラソンをやるか。

自転車を、放置自転車の撤去に出す2025年10月17日 17時10分

 明日から放置自転車の撤去作業が始まる。ずっと置きっぱなしの自転車のハンドルに目印の札がつけられ、1週間後にはトラックの荷台いっぱいに積み上げられて、どこかへ運び出される。この団地では、毎回かなりの台数が集まる。
 これにかかる費用は約194,000円。
 参考までに、この団地の樹木と芝生等の手入費(草刈り)の年間費用は、それぞれ1,000万円余り。これらの支払いはすべて共益費から。お陰で団地のなかは四季の変化が楽しめる快適な空間になっている。
 話がそれた。長男がプレゼントしてくれた自転車をついに手放すことにした。ここ2年ほど乗っていない。前輪、後輪ともタイヤはぺちゃんこだし、黒い車体はホコリをかぶって、あちこち錆びが出ている。もう修理の仕様がない。
 自転車置き場から少しはなれたところに停めた。こうしておけば不要になった放置自転車だとわかるだろう。
 なかにはまだまだ十分に使える、きれいなものもある。だが、集められた自転車は持ち帰り厳禁だ。
 あるとき6段変速で、オートライト機能付きのもったいないほどきれいな自転車を見つけた。ちょうど自転車が欲しかったので、持って帰ろうかとさんざん迷ったことがあった。だが、持ち帰りは厳禁なのだ。違反したら、法律で罰せられるという。
 うーん。でもなぁ、これって、どこかおかしくないか。
 いまも自転車ドロボーはいるんだよ。ドロボーさんは、持ち主さんから無断で自転車を盗むのだよ。一方の放置自転車は持ち主さんがいないんだよ。被害者はゼロじゃないか。
 ま、いいか。きっとそれなりの筋道の立った理由があるのだろう。
 たとえば、ゴミ回収に出したアルミ缶を横取りして、それを業者に転売して、カネ儲けをすることを防ぐためにとか。おそらく、そんなことだろう。
 ことほどさように、団地から出るゴミは金目(かねめ)のモノ探しに結び付くことが多い。さきの廃品回収の日にはこんなものが捨てられていた。
 あのブリタニカの大百科事典だった。ハードカバーの分厚い事典がそれこそ山のように積まれていた。
 ぼくが小・中学生のころのステイタスシンボルで、友だちの家の応接間にデカデカと並んでいた。見たところ、あまり使っていないようだった。
 だが、それも昔々の話。現在の売価は数百円という。まるでカネにならない。時代は変わったのだ。いっそのこと、まとめてゴミに出したくなる気持ちもわかる。
 放置自転車から、また話がそれた。
 では、このブログの最新のニュースを。この文章はアサヒネットの「アサブロ」に載っている。「アサブロ」は毎日、アクセスランキングのトップから100位までを発表している。そして、今日、「一畳一夢」は初めて100位になった。皆様のお陰です。

こんなに長く続く人は珍しい2025年10月20日 21時15分

 化学療法室のベッドの上で、点滴を受けている。外科の担当医の診察時間はほんの5、6分で終わった。
「血液データもいいので、今日も(抗がん剤の点滴を)やりましょう」
 医者の反応には慣れている。彼の口から「気になるなぁ」もひと言が出なければいいのだ。
 化学療法室の看護師さんは、「何か気になることはありませんか?」としきりに訊いてくる。自分では気がつかなかったけれど、この部屋に入ったとき、ぼくはため息をついたらしい。
「ため息をついていたから、ああ、きついんだろうなと心配しました」
「大丈夫ですよ。ただ体調がまた谷底に落ちるのがゆううつでね。でも、治療なんだから、ここに来るときは完全に闘いのモードに切り替わっているので、心配しなくていいですよ」
「△△さんは、きょうで11回目ですね。よく続くなぁ、よく耐えられるなぁと感心しているんですよ。こんなに長く続いている人は本当に珍しいんですよ。抗がん剤を3日続けて、3種類も打つんですから、副作用がきつくて、止めてしまう人が多いんです」
 知らなかった。同じ抗がん剤治療を続けている人が何人もいるとおもっていた。
 そうか、ぼくは珍しいのか。だが、実感として、そんに耐えられないほどではない。回復するのはわかっている。なんだか自信が出てきた。
 いま15時。点滴開始から4時間余が過ぎた。胸のあたりに副作用の汗が滲んできた。ときおり腹の奥がギリギリギリッと刺し込むように痛む。
 11回目の癌細胞への総攻撃がはじまったのだ。やれ、やれ、もっとやれ、と応援する。

(ここでいったん、書くのを止める)

 このブログ、短いけれど、そろそろアップしようかなとパソコンに向かっていたら、ソフトバンクホークスの日本シリーズ出場決定が決まった。
 ぼくは日本ハムからいいようにやられて、ホークスの連敗ムードが色濃く漂っていたころ、「どうして小久保は今期、大活躍した若手を使わないんだろう。川瀬を使えばいいのに」と今夜も何度も川瀬の名前を出していた(途中から試合を観たので先発したとは知らなかった)。
 その川瀬が決勝打を放った。やっぱりゴールデンボーイだった。予想が当たって、気分がいい。
 きょうもいいことがあった。いい日だった。

■団地の生け垣に、晩秋から春先に赤い花を咲かせる山茶花(さざんか)がいっぱい蕾をつけている。

50時間30分の長丁場を終えて2025年10月22日 18時59分

 きょうは化学療法について、少し記録しておこう。
 午後1時過ぎ。カミさんに右胸上部の皮膚の下に埋め込んでいる10円玉ほどの大きさのポートに突き刺していた特性の針を抜いてもらった。
 この針は抗がん剤の点滴が入っている小さな専用容器とつながっている。抗がん剤は決められた分量が自動的に細いパイプのなかを通って、心臓ちかくの静脈に送られる仕組みだ。便利なことに、この専用容器とパイプを納める紺色のポシェットも付いている。ポシェットを肩から下げていても、まさか点滴中とは気づかれない。外出しても平気である。
 さかのぼって、点滴はまず吐き気止めが30分。最初の抗がん剤に120分。次も120分。このふたつ目が始まって30分後には、抗がん剤の働きを増加させ、副作用を軽減する90分間の点滴も加わる。その両方が同時に終わるまでがひと区切り。ここまで4時間半が経過。
 それから自宅用の点滴をセットしてもらったら、ようやく帰れる。自宅でやる3つ目が長くて46時間もかかる。合計50時間30分の長丁場である。
 これを通常は2週間置きにやるのだが、さすがにそれはきつかった。血液データにもはっきり無理だと表れた。いまの3週間なら続けられる。
 副作用が本当にきついのは明日からの3日間で、今週はそれを軽減する策がある。化学療法室の看護師さんの発案で、彼女は薬剤師および外科と糖尿病の担当の医師にも連絡をとって、副作用を抑えるきつめの錠剤を2日分、増やしてくれた。これで土曜日まで副作用を抑えることができたら、万々歳だ。
 患者のつらいところを正確に聞き取って、看護師さんがこんなことまでやってくれるのだ。チームの機動力のありがたさを何度、感じたことか。絶対に負けられない理由はここにもある。
 さて、今日はいつもより体調がいい。これなら締め切りが今月末に迫っている短編も書けそうだ。今度は小学校低学年を対象としたもので、400字詰めで20~30枚。高学年向けは60~120枚もある。こちらは考えたくもないのでパス。
 ただ書くだけの20枚なら、その気になれば1日で書ける。それが応募先を選んだ理由である。とにかくチャレンジを重ねることだ。そう決めている。こんな初心者レベルで入選するなんて、最初からおもってもいない。
 児童文学とはどんなものか知りたくて、以前、読んだ坪田譲二のほかに、小川未明、重松清、それに息子たちが小学生のときに、何度も読み返していたミヒャエル・エンデの『モモ』も机の上の本棚に並べた。
 実は、仕事のときもよく使った手で、ここはノンフィクション作家の柳田邦男の調子で書くか、漫画家の東海林さだおで行くか、論文調にするかなどの参考にしていた。まぁ、敵を知り、ではないが、準備運動のようなものである。
 そんなことを思い出すのもたのしいものだ。まだ何を書くのか、はっきり決まっていないけれど、明日あたりから、また(書いて)遊ぼうとおもう。

■愛車のホンダN1。デザイン、走りのよさ、乗り心地、ブルーの車体が気に入っている。同年配の人で免許を返上する人もいるし、これが最後の車になるのかな。まだまだ遠くまで走りまわりたいな。