ガンの先輩・安藤忠雄さんの強さに驚く2026年04月01日 17時47分

 4月になった。できれば青空いっぱいに晴れてほしかったが、静かな雨のスタートである。
 つい先日、横浜のKa君から衝撃的な新聞の切り抜きがメールで届いた。尊敬している建築家の安藤忠雄さんのコラムで、学生時代のクラブの後輩が「読んでください」と送ってくれたものという。
 不覚にもまったく知らなかったが、安藤さんも癌が見つかって、68歳(2009年)と73歳(2014年)のときに手術をしている。その結果、胆のう、胆管、十二指腸、膵臓、脾臓の5つの臓器を全摘したそうだ。最初は十二指腸の癌から始まって、命がけの大手術をやった。それから5年後、癌細胞は膵臓で息を吹き返したのだ。
 5つも臓器が無くなって、ふつうなら絶望的になってもおかしくないのに、いまも仕事を続けている。よく生きているなぁと驚いた。Ka君からのメールには、「まだまだ我々はガン患者のひよっ子ですね」とあった。
 安藤さんの生きる執念、そして、いったん決めたことをやりぬく意思の強さには頭が下がる。彼はぼくより9つ年上の84歳。マネができるところは採り入れて、少しでも近づきたいとおもった。
 彼のコラムにはこんなことが書いてある。

 毎月、検査を受ける。膵臓がないので日に6回血糖値を測り、食前にインスリン注射を自分で打つ。1日に1万歩歩き、昼食は1時間かけて食べ、直後は休息する。決めたら貫く。一日も欠かさずに生活リズムを整えている。

 膵臓の一部しか残っていないぼくは毎日4回、自分でインスリン注射を打っている。膵臓に癌が見つかったときも、再発したときも、安藤さんと同じように、絶望しなかった。なったことは仕方がない、オレは運が強いんだ、負けるものか、絶対に生きてやると強くおもった。
 ひと筋の望みを、必死になって探し求める。多くの癌患者のみなさんがそうだろう。
 では、安藤さんとぼくとの違いはどこにあるのか。
 気持ちの持ちようの強弱はあるにしろ、「決めたら貫く。一日も欠かさずに生活のリズムを整えている」ところだとおもった。そこで、コラムを何度も読み返して、彼がやっていることで、ぼくにもマネのできそうなところを探した。
「毎日1万歩歩く」。
 これだ。すぐやれるし、目標としてもシンプルでわかりやすい。
 でも、杖をついて、よたよた歩きしかできないわが身には少しハードルが高い。スタートはちょうどキリのいい4月から始めることにして、当面の目標は、外歩きを7,000歩で妥協することにした。昨日、そう決めた。
 今日はその初日である。だが、わが意に反して、あいにくの雨。杖と傘で両手がふさがって、すべって転んで、頭を地面にぶつけて、救急車の出動騒ぎにでもなったらオオゴトだ。
「ま、しようがないな。こんなこともあるさ」
 窓の外はだんだん薄暗くなってきた。明日はカミさんも仕事は休みだし、ここは気持ちを切り替えて、酒でも飲むか。
 やれやれ、4月1日、エイプリルフールの日でよかった。

手のかからない患者なのかな2026年04月07日 16時12分

 月曜日は点滴の日。朝9時、病院着。診察室に呼ばれたのは11時近く。担当の医師との会話は約2、3分だった。
「お待たせしてすみません。どう調子は。(採血の)血液データは問題ないから、今日は予定通りにやりましょう。(手元にある)薬(の在庫)は大丈夫だよね。△△△だけ出しておくから。えーと、次回は20日かな……」
 自分の順番が来るまで、じいっとガマンの子で、いい加減くたびれた。まわりの年寄り患者たちも辛抱強い。だが、外科部長の相手さんはもっと疲れが溜まっているはず。この職場はこんな日が1年中、毎日続くのだ。
 それにしても、もう少しどうにかならないものか。医者は懸命にやってくれている。医療、特に外科の最前線が崩壊の危機に直面していることは承知している。でも、先日のぼくはバイオリズム(懐かしい言葉だなぁ!)がよくなかったのか、今までとは明らかに違って、あまり口を開かなかった。
 不機嫌そうな印象を残したまま、杖をついて、ドアを開けたとき、ふと気がついた。
 そうか。それだけ自分は手のかからない患者ということだ。悪いサインじゃない。化学療法室に向かうとき、黒の帽子で隠したハゲの頭のなかは早々と切り替わっていた。
 ヨシッ、また一歩前進。
 今日はカミさんが休み。点滴の影響が出るのはだいたい週の後半で、いまの体調はいい。食欲も出てきた。
 朝の10時開店にあわせて、カミさんと一緒に地元のJAが運営している「博多じょうもんさん」に行ってきた。
 狙いは、少し出遅れてしまったが、今季初の筍である。開店と同時に直行する客が多い。杖を手放せないぼくはとても近づけない。カミさんは2個を確保した。
「タケノコも高くなったね。ほら、これが600円よ」
 かごの中に、きれいな円錐形を縦半分に切り分けた手の平サイズ(245g)が置かれている。
「高いから1個だけにしようかな」
「そうだな、じきに安くなるからね」
 ちなみに福岡県のタケノコの生産量は日本一。それだけ孟宗竹の竹林が多いところである。
 だが、そのほとんどが放置されたまま。いくらタケノコを食っても追いつくものじゃない。枯れた竹が倒れて、荒れ放題の竹林は広がる一方だ。子どもたちの歓声が聞こえた楽しい遊び場は、怖くてだれも近づかない暗い闇に変わってしまった。
 多大なエネルギーを費やして植林した檜や杉の林にいったん竹が進出したら、もう止められない。それを防ぐための戦いは、あの阿蘇山の広大な牧草地を守る野焼きとも通じている。
 タケノコだけじゃない。なんでもかんでも値上げ、値上げの暮らしにくいご時勢である。芋焼酎もポーンと高くなっていた。
 ささやかな庶民のシアワセを大切にしなくては。今夜はカミさんの手料理のシンプルな筍の煮物と芋焼酎のお湯割りで、ゆっくり一杯やるか。

■一昨日の日曜日の室見川の光景。
 なんだか物足りないなぁ。ン十年前は足の踏み場もないほど花見客でごった返していた。バーベキューの煙もすごかった。一部にマナーを守らない人がいて、あれもダメ、これもダメの規制、規制の結果がこれである。
 迷惑行為を取り締まる規制にも、プラスとマイナスの両面がある。年に一度の野外で大騒ぎする楽しみや、お互いの笑顔から生まれる人情味まで失くしてしまった。ちょっと話が大げさかな。