「死の宣告」から脱出までの3日間-① ― 2026年05月21日 16時05分
久しぶりにブログを書く。
静かな雨が降っている。いま入院中で、ベッドの上。ここに至るまでの18日(月)から20日(水)までの3日間は、予期せぬ「死の宣告」から脱出までのわが人生最大の危機だった。
オレもここで、もうすぐ死ぬのか、癌で死ぬって、こういうことかとおもった。会わずに終わるいろんな人が頭のなかをかけめぐった。整理してご報告しよう。
■18日(月曜日)
病院に行く日(抗がん剤の点滴の日)
頭がふらついている。この前のように車椅子が使えたらいいなと思ったので、仕事から帰ったカミさんが同行してくれることになった。座っているときは大丈夫だから、いつものように車のスピードを落として行く。4、5分で到着。
10:30。採血、採尿、体重、血圧、酸素量測定の後、MRI(今回は頭だけ)、薬剤師、糖尿科へ。糖尿科は2か月に1回のペース。女医の話を聴く。特に問題なし。
13:00 やっと外科。医師の診察。MRIは異常なし。癌細胞の転移もなし。安心した。今度はこちらの希望を医師に言う。今日のいちばんの目的である。
内容は、「何度も、何度も言ってきたように、副作用がきつくて、このままではからだが持たない。もう耐えられない。だから、今日の点滴は止めてほしい。いまの抗がん剤もできれば変えてほしい」。その一点に絞った。
結果はOK。今週、来週は休みにして、次の抗がん剤を考えますで決着。その際、休養は入院するか、自宅がいいか問われたが、もちろん自宅を選択。
「何かあったら、いつでも連絡して」と医者も顔見知りの看護師さんも言ってくれた。
すべて、こちらの思い通りに進んだ。これで元気になれるぞとうれしかった。
ところが、その夕方から、からだがまたきつくなってきた。だんだんひどくなってきて、夕食もとらず、7時ごろにはふとんの中へ。ひと眠りすればよくなるはずだった。
■19日(火曜日)
緊急入院の日。
朝からからだのきつさが尋常ではない。カミさんは早くから仕事へ。9時過ぎに戻って来たときもぼくはふとんの中。きつくて、きつくて、起き上がれないのだ。
心配症のカミさんは、しきりに病院に行こう、救急車を呼ぼうかと言う。ぼくは「きつくて動けないんだよ」と答える。そのまま眠りに落ちた。
そのうち、彼女は「〇〇さんが車を出してくれるんだって、病院に電話するよ」と言う。気持ちはよくわかる。だが、こちらは動きたくても動けないのだ。
救急車の選択は最初から捨てていた。人から見られたくなかった。
いまおもえば、ぼくには見栄があった。団地の人たちの目を気にしていた。判断力がどうかしていたとおもう。
今度は、「△△(長男)が車を出してくれるんだって。近くのクリニックに行ってみる? 電話するね」ときた。「起きあがれるようになったら頼むから」とも言っていたのに。あまりのしつこさにとうとう怒りが爆発。「動けないといっているだろ!」と怒鳴りつけてしまった。一度ならず、二度までも。
やっと起き上がれるようになったのは午後3時。いつもの病院がいいのはわかっていたが、すぐ近くの方で、応急対策がとれればいいと甘い判断をした。
息子の車に乗って、目的のクリニックに到着(今までのクリニックは3月いっぱいで廃業)。
結果は、やはりお手上げだった。結局、昨日行ったばかりのいつもの病院へ。息子は仕事で戻って行った。確かにきつくてたまらなかった。しかし、まさか、これが「死の宣告」につながるとは。
「死の宣告」から脱出までの3日間 ①
■写真はチリアヤメ。団地の中を歩いていて、カミさんが見つけた。球根で、花は3センチぐらいの大きさ。朝咲いて夕方にはしぼむ一日花です。
実はこの原稿、昨夜はなぜか興奮状態で、さらに部屋においてある機械が音を出して、何度も看護師さんがやって来て、とうとう一睡もできませんでした。若いころ、平気で徹夜で記事を書いていたころを思い出しました。(笑い)
静かな雨が降っている。いま入院中で、ベッドの上。ここに至るまでの18日(月)から20日(水)までの3日間は、予期せぬ「死の宣告」から脱出までのわが人生最大の危機だった。
オレもここで、もうすぐ死ぬのか、癌で死ぬって、こういうことかとおもった。会わずに終わるいろんな人が頭のなかをかけめぐった。整理してご報告しよう。
■18日(月曜日)
病院に行く日(抗がん剤の点滴の日)
頭がふらついている。この前のように車椅子が使えたらいいなと思ったので、仕事から帰ったカミさんが同行してくれることになった。座っているときは大丈夫だから、いつものように車のスピードを落として行く。4、5分で到着。
10:30。採血、採尿、体重、血圧、酸素量測定の後、MRI(今回は頭だけ)、薬剤師、糖尿科へ。糖尿科は2か月に1回のペース。女医の話を聴く。特に問題なし。
13:00 やっと外科。医師の診察。MRIは異常なし。癌細胞の転移もなし。安心した。今度はこちらの希望を医師に言う。今日のいちばんの目的である。
内容は、「何度も、何度も言ってきたように、副作用がきつくて、このままではからだが持たない。もう耐えられない。だから、今日の点滴は止めてほしい。いまの抗がん剤もできれば変えてほしい」。その一点に絞った。
結果はOK。今週、来週は休みにして、次の抗がん剤を考えますで決着。その際、休養は入院するか、自宅がいいか問われたが、もちろん自宅を選択。
「何かあったら、いつでも連絡して」と医者も顔見知りの看護師さんも言ってくれた。
すべて、こちらの思い通りに進んだ。これで元気になれるぞとうれしかった。
ところが、その夕方から、からだがまたきつくなってきた。だんだんひどくなってきて、夕食もとらず、7時ごろにはふとんの中へ。ひと眠りすればよくなるはずだった。
■19日(火曜日)
緊急入院の日。
朝からからだのきつさが尋常ではない。カミさんは早くから仕事へ。9時過ぎに戻って来たときもぼくはふとんの中。きつくて、きつくて、起き上がれないのだ。
心配症のカミさんは、しきりに病院に行こう、救急車を呼ぼうかと言う。ぼくは「きつくて動けないんだよ」と答える。そのまま眠りに落ちた。
そのうち、彼女は「〇〇さんが車を出してくれるんだって、病院に電話するよ」と言う。気持ちはよくわかる。だが、こちらは動きたくても動けないのだ。
救急車の選択は最初から捨てていた。人から見られたくなかった。
いまおもえば、ぼくには見栄があった。団地の人たちの目を気にしていた。判断力がどうかしていたとおもう。
今度は、「△△(長男)が車を出してくれるんだって。近くのクリニックに行ってみる? 電話するね」ときた。「起きあがれるようになったら頼むから」とも言っていたのに。あまりのしつこさにとうとう怒りが爆発。「動けないといっているだろ!」と怒鳴りつけてしまった。一度ならず、二度までも。
やっと起き上がれるようになったのは午後3時。いつもの病院がいいのはわかっていたが、すぐ近くの方で、応急対策がとれればいいと甘い判断をした。
息子の車に乗って、目的のクリニックに到着(今までのクリニックは3月いっぱいで廃業)。
結果は、やはりお手上げだった。結局、昨日行ったばかりのいつもの病院へ。息子は仕事で戻って行った。確かにきつくてたまらなかった。しかし、まさか、これが「死の宣告」につながるとは。
「死の宣告」から脱出までの3日間 ①
■写真はチリアヤメ。団地の中を歩いていて、カミさんが見つけた。球根で、花は3センチぐらいの大きさ。朝咲いて夕方にはしぼむ一日花です。
実はこの原稿、昨夜はなぜか興奮状態で、さらに部屋においてある機械が音を出して、何度も看護師さんがやって来て、とうとう一睡もできませんでした。若いころ、平気で徹夜で記事を書いていたころを思い出しました。(笑い)
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