20余年のヨーグルトがつなぐ言葉 ― 2021年01月30日 11時31分

昨夜の酒のせいか、頭の方もお腹の調子もすっきりしない。朝食後、冷蔵庫からヨーグルトを取り出し、蜂蜜をかけまわして食す。
このヨーグルト菌はもう20年以上も生き続けている。高校を卒業した後、東京で親しくなった同窓生の高橋邦敏君が、ぼくの引っ越し先の福岡のアパートに泊まったときに、ほんの少量を手土産に持ってきてくれたものだ。
なんでもヨーグルト研究の第一人者の人が、ヨーロッパの、確か東欧の国から持ち帰った、すごくいいヨーグルトという話だった。
高橋君のことを、「友人だった」と書くのが辛い。彼がインフルエンザから肝炎を発症し、平塚市の病院で急死してから20年余りになる。だから、このヨーグルトは彼が残してくれた貴重な遺産なのである。
高橋君は当時、音楽映画のジャンルでは日本のトップランナーのひとりだった。憂歌団、矢沢永吉、岡林信康から佐渡島の鼓童、売れないころの吉川晃司などの話をよく聞かしてくれた。
沖縄を舞台にした映画「ティンク・ティンク」もプロデュース。沖縄言葉の翻訳を岩谷時子さんがやってくれたとよろこんでいた。ハイビジョンを使った日本初のCMも高橋君がやった。
カネがなくても、いつも大きな構想を抱いていて、年下の者たちをかわいがっていたから、彼のことを覚えている人もあちこちにいるだろう。
資金もないのに、カネのかかる映画にはまり、借金を重ねても、我が道を歩き続ける男だった。奥さんから愚痴ともつかぬ電話が来るたびに「何万人に一人いるかどうかの男と結婚したんだから、あなたもすごいよ」と柄にもなく励ましたことを思い出す。
彼に言われて、気になりながら果たせなかった夢がある。
「脚本を書いてくれ。俺と映画を作ろう。スピルバーグの『激突』のように、映画には主な登場人物は二人だけという、二人連れの旅モノがある。それなら、そんなにカネをかけずに作れる」というものだった。
そのころのぼくは東京で、ある週刊誌のフリーランスの記者をしていて、政治や事件、ときにはスポーツの取材をしていた。
音楽や映画の世界と縁はなかったが、時代を読み取る眼や感性の大切さ、取材と編集のノウハウは映画やシナリオと重なるところがあって、彼と話すのは本当に楽しかった。高橋君とぼくは互いの歩く方向が噛み合っていた。いいコンビだった、そのことを仕事でも証明してみたかった。
昨今のテレビドラマは小説やマンガを映像化したものや再放送があふれている。高橋君が生きていたら、どう言うだろうか。
「書いてくれよ」と言われたことは、彼からの友情と応援の言葉として、いまもぼくの中にある。
■このヨーグルトの作り方は簡単。牛乳のパックを開けて、大さじ2杯分のヨーグルトを入れる。キッチンペーパーで蓋をして、暗いところに置いておくだけでいい。丸一日もすれば、真っ白で、滑らかな舌触りの、出来立てのヨーグルトになっている。
このヨーグルト菌はもう20年以上も生き続けている。高校を卒業した後、東京で親しくなった同窓生の高橋邦敏君が、ぼくの引っ越し先の福岡のアパートに泊まったときに、ほんの少量を手土産に持ってきてくれたものだ。
なんでもヨーグルト研究の第一人者の人が、ヨーロッパの、確か東欧の国から持ち帰った、すごくいいヨーグルトという話だった。
高橋君のことを、「友人だった」と書くのが辛い。彼がインフルエンザから肝炎を発症し、平塚市の病院で急死してから20年余りになる。だから、このヨーグルトは彼が残してくれた貴重な遺産なのである。
高橋君は当時、音楽映画のジャンルでは日本のトップランナーのひとりだった。憂歌団、矢沢永吉、岡林信康から佐渡島の鼓童、売れないころの吉川晃司などの話をよく聞かしてくれた。
沖縄を舞台にした映画「ティンク・ティンク」もプロデュース。沖縄言葉の翻訳を岩谷時子さんがやってくれたとよろこんでいた。ハイビジョンを使った日本初のCMも高橋君がやった。
カネがなくても、いつも大きな構想を抱いていて、年下の者たちをかわいがっていたから、彼のことを覚えている人もあちこちにいるだろう。
資金もないのに、カネのかかる映画にはまり、借金を重ねても、我が道を歩き続ける男だった。奥さんから愚痴ともつかぬ電話が来るたびに「何万人に一人いるかどうかの男と結婚したんだから、あなたもすごいよ」と柄にもなく励ましたことを思い出す。
彼に言われて、気になりながら果たせなかった夢がある。
「脚本を書いてくれ。俺と映画を作ろう。スピルバーグの『激突』のように、映画には主な登場人物は二人だけという、二人連れの旅モノがある。それなら、そんなにカネをかけずに作れる」というものだった。
そのころのぼくは東京で、ある週刊誌のフリーランスの記者をしていて、政治や事件、ときにはスポーツの取材をしていた。
音楽や映画の世界と縁はなかったが、時代を読み取る眼や感性の大切さ、取材と編集のノウハウは映画やシナリオと重なるところがあって、彼と話すのは本当に楽しかった。高橋君とぼくは互いの歩く方向が噛み合っていた。いいコンビだった、そのことを仕事でも証明してみたかった。
昨今のテレビドラマは小説やマンガを映像化したものや再放送があふれている。高橋君が生きていたら、どう言うだろうか。
「書いてくれよ」と言われたことは、彼からの友情と応援の言葉として、いまもぼくの中にある。
■このヨーグルトの作り方は簡単。牛乳のパックを開けて、大さじ2杯分のヨーグルトを入れる。キッチンペーパーで蓋をして、暗いところに置いておくだけでいい。丸一日もすれば、真っ白で、滑らかな舌触りの、出来立てのヨーグルトになっている。
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