春の香を摘む2021年02月27日 16時20分

 読書に疲れて、午前中、気分転換に室見川へ出た。風を通さないスポーツウェアのポケットには小ぶりのカッターナイフとビニール袋を突っ込んで。
 上流へ向かって、川沿いの遊歩道を歩く。ツクシを採っている人がいる。背中の腰のあたりが真っ白なアマツバメたちも飛びまわっている。また遠い南の国から元気に帰って来てくれた。
 小さな橋をわたって、さらに上流へ。自宅から約2キロ。このへんまで来ると人家も、歩いている人も少なくなる。代わりに畑や竹やぶが多くなる。川岸にはとげのような若葉で全身を飾りたて、枝先からいくつも飛び出しているピーナッツほどの小房に、黄色いおしべをいっぱいつけたタチヤナギの木立も見える。
 だれもいない。それがうれしい。俄然、田舎育ちの「野遊びの虫」が騒ぎ出す。
 遊歩道を外れて、高さ5、6メートルのタチヤナギの根元に降りて行く。期待を込めて、枯れた草やぶに目をこらす。
 ありました! 
 茶色い枯草のなかに、鮮やかな緑色の葉が萌え出ていた。ということは、このあたりに群生しているはず。さらに足を踏み込むと、ここにも、そこにも、あそこにも。
 カッターナイフを取り出して、ギサギサ模様の葉のついたやわらかい茎を根元から刈り取る。たちまち、あの特有の春の香りがひろがった。
 今夜の酒のアテは、朝採りのセリのおひたしで決まり。
 カツオの削り節に醤油をほんの少しかけるのがちょうどいい。そいつを少し残しておいて、温かいご飯に混ぜて、白ゴマをふりかけると、アッという間にさわやかな春の味覚のセリご飯ができあがる。
 小さな仏壇にも供えてあげよう。両親、ご先祖様と並んで、ぼくたち夫婦の初めての子の位牌がある。
 「水子之霊位」と書かれた背面には、妻のお腹にいたころから、ぼくがつけていた名前が書いてある。
 もうすぐ誕生日のはずだった。誕生日が命日になってしまった。
 「春香」という名前の、たったひとりの娘である。
 
 個人的な悲しい体験を、こうして人サマの目にふれるところに書くのは抵抗があった。しかし、ぼくたちの子どもに変わりはない。だから、どんな形であれ、書き残すのは、親の務めだとおもうようになった。