ベランダの幸せ・桑の実 ― 2021年04月27日 12時19分

「あーっ、おしいかった。三つ、食べちゃった」
狭いベランダから、カミさんの明るい声が聞こえた。ペタペタとサンダルの音がして、「ほら、お父さんもどうぞ」と手の平を差し出した。
黒いつぶつぶの実が五つ、のっかっている。桑の実である。ことしは実のつくのが早かった。
ぶどうの実を何十分の一も縮小したように、黒い真珠みたいな小さな玉がぎっしりくっついている。定規ではかってみると、サイズは16ミリ×11ミリだった。五個を一度にまとめて食べても、イチゴ一個分にもならない。
だが、ぼくにとって桑の実の価値は、イチゴの何倍も大きい。それは思い出の値打ちである。
桑の実が色づくころ、ぼくがいた鹿児島の田舎町では、よく近所の兄ちゃんたちと相撲をとっていた。遊び仲間の小学生たちが集まって、地元の祭りの六月灯(ロッガッドーと呼んでいた)のビッグイベントだった相撲大会の練習をするのだ。
町中の人たちが待ちわびていた六月灯の日、ぼくたちは大人が萱(かや)を刈り取って、手づくりしてくれたひと抱えもある重たい綱を曳いて、ワッショイ、ワッショイと通りを練り歩き、錦江湾に面した浜辺まで運んで行った。萱の太い綱は砂でこしらえた土俵を円(まる)くかこむ俵になった。
まわりにはイカを焼く匂い、綿菓子の甘い香り、セルロイドでできた月光仮面やハリマオの面、ヨーヨー釣りなどの出店が立ち並び、あたりいったいは煌々と照らされて、昼間のようだった。
両親や町内の人、同級生の女の子たちも注目するなかで、ぼくたち男の子は、かごんま(鹿児島)の男のメンツを賭けて、勝ち抜き戦の相撲をとるのだ。優勝賞品はノートと鉛筆だった。
ぼくたちの年齢で優勝するのは、下駄屋の次男坊の「とっどん」に決まっていた。いちばんの仲良しで、ふたりで山に入って遊んでいたとき、彼は足を踏み外して、ゴロゴロ転がり落ちて、右腕を折ったことがある。
成績もクラスで一番だった。高校三年のとき、合格間違いなしと言われた東大が学園紛争で入試中止となり、「とっどん」はそのことで新聞に載ったことがある。日本の端っこの田舎町にも、あんなスターがいた。
桑の実から話は脱線してしまったが、日暮れまで夢中で相撲をとって、おやつ代わりに食べたのが、すぐ近くにあった桑の実だった。口の中が真っ黒になって、みんなで見せ合い、大笑いしたことがなつかしい。
「新潟では桑の実のことを、桑イチゴと言ってた。わたしが子どもころ、うちの家は蚕を飼っていたから、よく桑の葉をあげたね。雨が降っているような音をたてて、ムシャムシャ食べるのよね」
こちらはカミさんの子ども時代の思い出。働き者だったひいおばあちゃんは「かいこおんな」と呼ばれていたという。桑の木も、桑の実も、いろんな思い出のある人が全国各地に大勢いるのだろう。
ベランダの桑の木は高さ80センチほど。四方に伸びた枝が邪魔になったので、以前、カミさんは新潟の姉に、「なつかしいでしょ。車で持って行こうか」と提案したことがあった。
返事は「桑の木なんて、珍しくもない。この間、伐ったばっかりだよ。そんなもの要らないよ」だった。
黒い宝石のような実を口に入れると、野イチゴのような香りと甘く濃い味が広がる。鉄筋コンクリート造りの公団住宅にいるぼくの気持ちは決まっている。
絶対に、やらんもんね。
狭いベランダから、カミさんの明るい声が聞こえた。ペタペタとサンダルの音がして、「ほら、お父さんもどうぞ」と手の平を差し出した。
黒いつぶつぶの実が五つ、のっかっている。桑の実である。ことしは実のつくのが早かった。
ぶどうの実を何十分の一も縮小したように、黒い真珠みたいな小さな玉がぎっしりくっついている。定規ではかってみると、サイズは16ミリ×11ミリだった。五個を一度にまとめて食べても、イチゴ一個分にもならない。
だが、ぼくにとって桑の実の価値は、イチゴの何倍も大きい。それは思い出の値打ちである。
桑の実が色づくころ、ぼくがいた鹿児島の田舎町では、よく近所の兄ちゃんたちと相撲をとっていた。遊び仲間の小学生たちが集まって、地元の祭りの六月灯(ロッガッドーと呼んでいた)のビッグイベントだった相撲大会の練習をするのだ。
町中の人たちが待ちわびていた六月灯の日、ぼくたちは大人が萱(かや)を刈り取って、手づくりしてくれたひと抱えもある重たい綱を曳いて、ワッショイ、ワッショイと通りを練り歩き、錦江湾に面した浜辺まで運んで行った。萱の太い綱は砂でこしらえた土俵を円(まる)くかこむ俵になった。
まわりにはイカを焼く匂い、綿菓子の甘い香り、セルロイドでできた月光仮面やハリマオの面、ヨーヨー釣りなどの出店が立ち並び、あたりいったいは煌々と照らされて、昼間のようだった。
両親や町内の人、同級生の女の子たちも注目するなかで、ぼくたち男の子は、かごんま(鹿児島)の男のメンツを賭けて、勝ち抜き戦の相撲をとるのだ。優勝賞品はノートと鉛筆だった。
ぼくたちの年齢で優勝するのは、下駄屋の次男坊の「とっどん」に決まっていた。いちばんの仲良しで、ふたりで山に入って遊んでいたとき、彼は足を踏み外して、ゴロゴロ転がり落ちて、右腕を折ったことがある。
成績もクラスで一番だった。高校三年のとき、合格間違いなしと言われた東大が学園紛争で入試中止となり、「とっどん」はそのことで新聞に載ったことがある。日本の端っこの田舎町にも、あんなスターがいた。
桑の実から話は脱線してしまったが、日暮れまで夢中で相撲をとって、おやつ代わりに食べたのが、すぐ近くにあった桑の実だった。口の中が真っ黒になって、みんなで見せ合い、大笑いしたことがなつかしい。
「新潟では桑の実のことを、桑イチゴと言ってた。わたしが子どもころ、うちの家は蚕を飼っていたから、よく桑の葉をあげたね。雨が降っているような音をたてて、ムシャムシャ食べるのよね」
こちらはカミさんの子ども時代の思い出。働き者だったひいおばあちゃんは「かいこおんな」と呼ばれていたという。桑の木も、桑の実も、いろんな思い出のある人が全国各地に大勢いるのだろう。
ベランダの桑の木は高さ80センチほど。四方に伸びた枝が邪魔になったので、以前、カミさんは新潟の姉に、「なつかしいでしょ。車で持って行こうか」と提案したことがあった。
返事は「桑の木なんて、珍しくもない。この間、伐ったばっかりだよ。そんなもの要らないよ」だった。
黒い宝石のような実を口に入れると、野イチゴのような香りと甘く濃い味が広がる。鉄筋コンクリート造りの公団住宅にいるぼくの気持ちは決まっている。
絶対に、やらんもんね。
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