マテ貝をいただく2021年06月12日 10時28分

 昨日の昼過ぎ、息子が「パートのおばちゃんがくれた」とマテ貝を持って帰った。
 おばちゃんはマテ貝がたくさんいる浜を知っている。そして、海を見ながら、この鞘(さや)のような貝をとるのが大好きという。
 鍬を片手に潮が引いた砂浜の表面を削り取って、マテ貝のいる小さな穴を見つける。そこにひとつまみの塩を落とす。すると、穴の中からピョコンとかわいい頭が出てくる。それがおもしろくて、次から次に穴を探して、とても食べきれない量をとる。そこで、息子が働いている和食の店に持ち込んで、「はい。おすそわけよ。好きなだけとって」となるのだ。
 夜、大量のマテ貝をフライパンに並べて、たっぷりのバターで焼いた。貝殻の形とおなじように細長い身がふっくらとして、弾力もあって、ビールのつまみに最高である。ムシャムシャ食べながら、ふと、こんなシーンがあったなと、おもった。
 このマテ貝は海から拾ってきたので、タダである。出かけて行くガソリン代などは別にして、そのもの自体のお代は無料だ。そこから昔はタダの食べ物があふれていたことをおもいだした。
 ぼくが生まれた宮崎県延岡市から五ヶ瀬川を遡った山あいの小さな町にはダムがあった。星山ダムという。町の名前は八戸。「星山」と「八戸」。このふたつの名称から、どんなところだったのか、おおよその見当がつくだろう。
 ここには小学校にあがる前まで住んでいたが、とんでもない田舎だった。その代わり、五ヶ瀬川には大きなアユやウナギがいっぱいいた。父は漁の名人で、わが家ではアユとウナギはいつもタダだった。それこそ、いやになるぐらい食べて育った。山に行けば、いたるところにクリの木があって、クリの実もタダだった。
 鹿児島でも、アユとウナギはタダだった。家の下を流れている幅4、5メートルほどの川には、体長3センチから10センチぐらいのウナギの子どもがウジャウジャいた。木の葉や草がちぎれて、川辺にチリのように積もったのを、手ですくって砂地に移すと、ウナギのあかちゃんが何匹もチョロチョロと動いて、早く大きくなれよと手の平に乗せたものである。ぼくらはそうやって育ったのだ。
 イセエビもタダだった。朝から味噌汁にして食べていた。夜、釣り好きの父がどういう技を使ったのか、聞きそびれてしまったが、防波堤からつかまえてくるのだ。
 水イカも、クロダイ(メジナ)、チヌ(クロダイ)もそうだった。アサリなんて、子どもがそのへんの木の棒を使って掘ってくるもので、お金を出して買う商品ではなかった。
 浜辺であそぶときは、そこらに干してあるイリコの生干しがおやつだった。山に行けばタケノコ、ツワ、フキ、アケビ、山芋(自然薯)もみんなタダ。人サマの畑の柿、ミカン、桃、ビワも、ぼくたちのものだった。カミさんの郷里のアユも、イワナも、ヤマメも、いろんな山菜も……。
 あれは30代のころだったか、世界中の海産物を主力商品としている某大手食品会社の販促企画部と1年半にわたって、種々の販売データに基づく販路開拓のマーケティングを勉強して、それを社内研修用のハンドブックとビデオにまとめたことがある。
 そのとき同社の社員がおもしろい話をしてくれた。
 ある日、彼はふだんから気になっていることを先輩社員に聞いたという。
 「うちの会社は、どうして儲かっているのですか」
 先輩の答えは単純明快だった。
 「そりゃあ、魚はみんなタダだからだよ。海で勝手に育ったものをとってきて、値段をつけて売るのが、うちの会社の商売だ。魚は自然のモノだろ。元手がかかっていない。マグロもカツオもサンマも、みんタダだからな」
 獲る漁業から育てる漁業へと大転換した今日では、こんな会話は成り立たなくなってしまった。でも、たまには、こんなことを考えてもいいような気がする。
 ぼくは「自然が育ててくれたから、こいつはタダだ」という食事が大好きである。その方がはるかにおいしいとおもうのは、やっぱり育ちのせいだろうか。