「極めて純粋な散文」を読む2021年06月23日 15時12分

 買おうか、買うまいか。悩みながらアマゾンのネット販売に注文した本が届いた。『昭和文学全集36 井伏鱒二 太宰治集』(角川書店)、発行は昭和29年5月15日。ぼくが満4歳のときに出た本である。
 1ページ3段組み、400ページのこの本の中で、読みたいのは井伏の『貸間あり』の一篇。理由は、先ごろ手にした小林秀雄の『考えるヒント』の中に、「井伏君の『貸間あり』」の一篇を発見したからである。
 『考えるヒント』はすいぶん前にも読んだが、井伏鱒二の稿はまったく記憶になかった。
 小林は井伏の友人で、彼が弥生書房から『小林秀雄集』を発行するときに、井伏に向かって「解説を書いてくれ。3行でいいよ。お前さんを信用しているから」と言った仲である。
 その小林が『貸間あり』を「極めて純粋な散文なのだ」と評している。そこから彼独特の思索へと発展するのだが、ぼくの技量でその内容を紹介する作業は原本をそのまま書き写すしかないので、ここでは触れない。
 井伏の作品は何篇か読んでいるが、とにもかくにも、「きわめて純粋な散文」とはどういうものなのか、知りたくなったのだ。それは、あの名高い井伏の文体がどうやって生まれたかを考えるヒントにもなるだろうとおもった。
 福岡市図書館の図書リストをネットで検索すると、28年に鎌倉書房から出版された『貸間あり』を読めるのは2冊だけだった。そのうちの1冊が冒頭の本。もう一冊は井伏鱒二選集で、単行本はなかった。
 そこでアマゾンに出ている1冊99円、プラス送料350円の合計499円で、約70年も前の古本を買い求めた次第である。
 よし、いいものが手に入ったぞと、小口に茶色のシミがついたページを勢いよくめくった。昔風に活字が小さくて、旧字体の漢字もなつかしい。紙面全体が薄茶色に紙焼けしているので、全部の文字がかすれている。
 昼食をはさんで、一気に読み終えた。
 はて、この書き下ろしのどこが「極めて純粋な散文」なのか、正直なところ、よくわからない。しかし、本当に、ぼくは真から、純粋な散文の核心をわかりたい、できれることなら、会得したいとおもう。
 もともと井伏鱒二の文体には、あこがれにも似た敬意を感じている。だから、この小説も何度も読み返すだろう。たぶん読むよりも、彼の文章をそのまま筆写する方がいいだろうとはわかっているのだが……。(いまはそういう面倒なことをする根気がなくなった)
 本を読んでいると、ごくささいなことに興味をひかれることがある。
 『貸間あり』では、オヤッ、という文章に当たった。この小説の主人公が同じ貸間の住人から「珍しい本を読んでるね」と声をかけられるところがそれで、その本とは德田秋聲訳のプーシキン作『大尉の娘』の翻訳本だった。むろん、原文はこんな味もそっけもない表現ではないが。
 『大尉の娘』は、若いころの井伏が図書館で読んで、感激したという特別な本である。彼はある対談の席で、「感激して、こんなものがあるのかと驚いてね。こんないいものがあるとはね。あれが文学をぼくに勧めたようなものです」とまで言っている。
 その『大尉の娘』を、井伏自身が創りだした小説のなかで、主人公が読んでいた、とさらりと書いてしまう。こういう個人的な体験をユーモラスに差しはさむセンスが、いかにも井伏らしい。
 井伏が目をかけた三浦哲郎もいちばん好きな小説に『大尉の娘』をあげている。三浦のその言葉を知ったとき、ぼくは「いくら尊敬する大先輩とはいえ、そこまで追随して恥ずかしくはないのか」といささか興ざめした。
 だが、あの人のようになりたいという人の後ろを追いかけているうちに、目標とする人物のふるまいや発想などに少しずつ似てくるのは、自然の道理なのかもしれない。ぼく自身もおもいあたる節がいくつもある。
 そういえば昔の作家たちの人間関係の妙はどうだろう。
 漱石は志賀直哉をほめて、志賀は小林秀雄をかわいがり、小林は井伏を信頼し、その井伏には太宰治が甘えて、まだ下手だったころの原稿を何度も持ち込んでいる。また小林秀雄を先生と畏敬していた隆慶一郎は、小林が亡くなった後、「やっと怖い人がいなくなった」と小説のデビュー作『吉原御免状』を書いた。
 本を読んでいると、いつもこんなふうに想像のリレーが始まって、とめどもなく脱線してしまう。
 ひとつわかったことは、ぼくが気ままに書く散文は、文字通り、散り散りの思い事の、寄せ集めでしかない、ということだった。