カストリを飲んで、月に吠える2021年08月02日 11時57分

 井伏鱒二の中編を読んでいたら宴席の場面で、カストリを飲み回して酔っぱらう描写があった。読み進めると、またカストリが出てきた。
 こうなるといけない。ただ目だけが字面を追いかけて、とても作中に没頭できない。
 カストリかぁ。ぼくの頭のなかには別のシーンがまざまざと思い浮かんでくる。
 あれは大学3年生の早秋だったか。身長192センチ、両肩よりも長い髪、グレーの浴衣に黒の兵児帯を締め、つっかけ履きの姿で、同じゼミの授業に出ていた I 先輩とふたりで、月をめでながら酌み交わした酒がカストリだった。
 ある日、ゼミの授業が終わると、I先輩が寄ってきて、「カストリが手に入ったんだ。一緒に飲もう」と声をかけられた。
「じゃあ、西武池袋線で飯能まで行って、そこから歩くと、いい渓流があります。水も石ころもきれいで、焚火もできるので、そこで月を見ながら一句つくりましょう」と話がまとまった。
 ぼくはそれまでカストリを飲んだことがなかった。I 先輩は、「戦後の闇市で出まわっていた焼酎だよ。新宿のある細い路地の奥に朝鮮人がやっている飲み屋があって、そこで手に入れたんだ。密造酒だよ」と、大いにぼくの関心をそそるのである。
 その週末の昼過ぎ、池袋駅の改札口にあらわれた I 先輩は、あのなつかしい唐草風呂敷を下げていた。緑の地に白い線の唐草模様をあしらった図柄は強烈なインパクトで、これが夜中なら、見上げるような大男の I さんは警官に職務質問されるのは免れぬところだったろう。
 その風呂敷は大きく膨らんでいて、なかには鍋、包丁、しょうゆ、紙コップなどのほかに、緑色の一升瓶も納まっていた。
 I 先輩は東京生まれの、東京育ちだが、母親は島根のお城の家老という血筋で、父親はバイオリストだった。東京芸術大学で二人は恋に落ち、古い公団での生活はけっして豊かな暮らしぶりのようではなかったが、仲の良い上品な夫婦だった。I 先輩によると「坂本龍馬の書(手紙など)もあったけど、みな売り払った」と言っていた。
 飯能の駅前のスーパーで、白菜やネギ、豆腐などを買い(貧乏学生なので肉はなし)、農家が散在するゆるやかな上りの道を歩いて、並行している川幅3間ほどの流れに降りた。ここは、ぼくがつきあっていた女性をつれてきた場所である。お茶を飲むとか、一緒に映画を見るとか、そんな趣味はぼくにはなかった。それはI先輩も同じだった。
 はじめて飲んだカストリは、うまいものではなかった。先輩が持参した一升瓶にはラベルなんて貼られていない。素材やアルコール度数の表示もない。薄白く濁っていて、そんなに度数は高いとは感じなかったが、清酒や焼酎とは違う、いままで嗅いだことのないニオイが鼻をつく野性的な酒だった。
 目の前は岩の間を透き通った水がとうとうと流れて行き、その向こうには壁のように山肌が迫っている。夕暮れになると川霧が出てきた。
 石を組み合わせてこしらえた小さなかまどの上に載せた鍋から湯気が立ち昇っていた。集めた枯れ木は赤い熾火になっていた。ぼくたちは熱い豆腐やネギに箸を伸ばしては、カストリを何杯も飲んだ。
 はじめのうちは、ちょっとこれは、というキワモノ扱いだったが、そのうちに酔いがまわってきて、
「これはうまい。こういう酒の文化は守り続けなくてはいかん」
「その通り。酒屋でも正々堂々と販売すべきであーる」と叫ぶようになった。
 やがて山峡に、大きくてまるい、黄色に輝く月がのぼった。
「さぁ、先輩、せっかくだから、一句読みましょう。ぼくからやりますよ。大海の、いくら群れても、メダカはメダカ。池の鯉でも、鯉は恋。あれっ、これ、都々逸でしたっけ。いや、間違ってるな」
「沖のカサゴは、酔いどれカサゴ、潮水を飲んでは、げろを吐く。いかん、酔っぱらった」
 はっきり覚えていないけど、こんなわけのわからないことを言いあいながら、終電近い電車で引き上げたことを思いだす。
 I 先輩は、他学部への編入試験を受けたことがある。そこで出た問題に、「社会法とは何か」というのがあったそうだ。これに対して、彼が書いた回答文は、「社会法は、社会の法律である」という一文だけ。そういうことを平気でやってのける人だった。
 もう、カストリを口にすることはあるまい。数年前、I さんはやさしいお母さんをひとり残して、鬼籍に入られた。

■室見川で猛暑の日々を生き抜いているコガモ。からだがひときわ小さくなったように見える。