ムカゴ採りと山芋掘り ― 2021年08月10日 17時04分

台風9号が通り過ぎて、昨日の日中はエアコンなしで過ごした。今朝もいくぶん涼しくて、早朝は虫の音がにぎやかだった。ツクツクボウシも鳴き始めた。近くに自生している山芋(自然薯)のつるには、いつの間にかムカゴが大きくなっていた。
いまはムカゴを食べたことのない人の方が多いかもしれない。齧(かじ)ると青臭くて苦みある表皮のなかは、ちゃんと粘り気のある山芋の粒になっている。ムカゴご飯にしたり、塩ゆでにしたり、ぼくには懐かしい味だ。このあたりでも、たまに農家の直売店で見かけることがある。
父は山芋掘りと釣りの名人だった。小さな田舎町の鍛冶屋にスコップのさじ部を持ち込んで、その金属板を適当な幅に切断してもらい、それに長い木の丸棒をつけた自作の山芋掘りの道具を持っていた。これで掘ると市販されている鉄製の道具に比べて、数倍のスピードで広くて深い穴を掘ることができる。
高校3年の秋の日に、クラスの友人3人を誘って、父と足立山に山芋掘りに行ったことがある。3人とも山芋を掘るのは初めてだった。
特徴であるハート型をした葉の形を教えて、山芋にもメスとオスとがあって、メスの方がおいしいこと。つるに虫のついた跡のある山芋はすりおろすと黒く変色すること。このときばかりは学校で劣等生のぼくが、彼らの先生役だった。
山芋は、地中に伸びている山芋本体に生えているヒゲを見ながら掘っていく。集中していないと本体にスコップの刃先が当たって、途中でザックリとやってしまう。そうなると、いままでの苦労が台無しになって、ああ、やってしまった、とがっかりする。そこがまたおもしろいところだ。
3人の友だちは、両手にできた豆をつぶして格闘していたが、みな途中でボキボキに切断してしまい、無傷で掘りあげた友はいなかった。
手の届くところにアケビの実がぶら下がっていたので、ちぎって渡したら、アケビを食べるのも初めてだと言っていた。ぼくはアケビも知らないのかと意外だった。
受験勉強に打ち込まなければならない時期だったが、本心は、みんな自然のなかで遊びたかったのだろう。赤土で汚れた軍手の中に握られた切り口が真っ白な山芋と、彼らがはじけるように笑っていた白い歯をおもいだす。
山芋はつるがあるうちは、それをたどって根元を掘ればいい。だが、冬が近づくと山芋のつるは節のところで折れて、ほとんど落ちてしまう。そうなると、つるの根元につながっている山芋の首(土の中に隠れている山芋の頭の部分)がどこにあるのかわからなくなる。
そういうときでも、父はたやすく土の中に隠れている山芋の首を見つけていた。
まず、枝先に枯れた山芋のつるが残っている木を見つける。次に、その下に行って、地面に落ちている山芋のつるの中から、形で判断して、根元の部分のつるを見つける。そのあたりの土を手でかるく払うように掘る。あらわれた土の表面には細い木の根が網目のように広がっている。その中から放射線状に伸びている根を見分けて、その放射線状の中心点をたどっていくと、そこに山芋の首がある、というわけだ。同じことを繰り返しているうちに、山芋の根の特徴が一発で見分けられるようになると教えてくれた。
だが、父からそういう説明を聞いても、九州をはなれたぼくは、とうとう山芋掘りの名人にはなれなかった。
学生時代、小倉の家から父の掘った立派な山芋を送ってきたことがある。ぼくは、こんなもの、送ってくれたって……と、うれしいよりも、恥ずかしいような気持ちになった。そして、すぐ顔なじみの真向いの家にぜんぶ持って行った。
父の気持ちがわかるようになったのは、父と同じ立場になったときである。あの特製の山芋掘りのスコップは、父のかたみとして、ぼくの手元に置いてある。今年の秋は、初めて父の道具を持って、久しぶりに山芋でも掘りに行こうかな。
いまはムカゴを食べたことのない人の方が多いかもしれない。齧(かじ)ると青臭くて苦みある表皮のなかは、ちゃんと粘り気のある山芋の粒になっている。ムカゴご飯にしたり、塩ゆでにしたり、ぼくには懐かしい味だ。このあたりでも、たまに農家の直売店で見かけることがある。
父は山芋掘りと釣りの名人だった。小さな田舎町の鍛冶屋にスコップのさじ部を持ち込んで、その金属板を適当な幅に切断してもらい、それに長い木の丸棒をつけた自作の山芋掘りの道具を持っていた。これで掘ると市販されている鉄製の道具に比べて、数倍のスピードで広くて深い穴を掘ることができる。
高校3年の秋の日に、クラスの友人3人を誘って、父と足立山に山芋掘りに行ったことがある。3人とも山芋を掘るのは初めてだった。
特徴であるハート型をした葉の形を教えて、山芋にもメスとオスとがあって、メスの方がおいしいこと。つるに虫のついた跡のある山芋はすりおろすと黒く変色すること。このときばかりは学校で劣等生のぼくが、彼らの先生役だった。
山芋は、地中に伸びている山芋本体に生えているヒゲを見ながら掘っていく。集中していないと本体にスコップの刃先が当たって、途中でザックリとやってしまう。そうなると、いままでの苦労が台無しになって、ああ、やってしまった、とがっかりする。そこがまたおもしろいところだ。
3人の友だちは、両手にできた豆をつぶして格闘していたが、みな途中でボキボキに切断してしまい、無傷で掘りあげた友はいなかった。
手の届くところにアケビの実がぶら下がっていたので、ちぎって渡したら、アケビを食べるのも初めてだと言っていた。ぼくはアケビも知らないのかと意外だった。
受験勉強に打ち込まなければならない時期だったが、本心は、みんな自然のなかで遊びたかったのだろう。赤土で汚れた軍手の中に握られた切り口が真っ白な山芋と、彼らがはじけるように笑っていた白い歯をおもいだす。
山芋はつるがあるうちは、それをたどって根元を掘ればいい。だが、冬が近づくと山芋のつるは節のところで折れて、ほとんど落ちてしまう。そうなると、つるの根元につながっている山芋の首(土の中に隠れている山芋の頭の部分)がどこにあるのかわからなくなる。
そういうときでも、父はたやすく土の中に隠れている山芋の首を見つけていた。
まず、枝先に枯れた山芋のつるが残っている木を見つける。次に、その下に行って、地面に落ちている山芋のつるの中から、形で判断して、根元の部分のつるを見つける。そのあたりの土を手でかるく払うように掘る。あらわれた土の表面には細い木の根が網目のように広がっている。その中から放射線状に伸びている根を見分けて、その放射線状の中心点をたどっていくと、そこに山芋の首がある、というわけだ。同じことを繰り返しているうちに、山芋の根の特徴が一発で見分けられるようになると教えてくれた。
だが、父からそういう説明を聞いても、九州をはなれたぼくは、とうとう山芋掘りの名人にはなれなかった。
学生時代、小倉の家から父の掘った立派な山芋を送ってきたことがある。ぼくは、こんなもの、送ってくれたって……と、うれしいよりも、恥ずかしいような気持ちになった。そして、すぐ顔なじみの真向いの家にぜんぶ持って行った。
父の気持ちがわかるようになったのは、父と同じ立場になったときである。あの特製の山芋掘りのスコップは、父のかたみとして、ぼくの手元に置いてある。今年の秋は、初めて父の道具を持って、久しぶりに山芋でも掘りに行こうかな。
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