「正義の味方」になりたいな2021年11月13日 15時15分

 頭髪がめっきり薄くなった。大型店などで上の角度から自分の頭が映っている鏡に出くわすと、これがオレ? とショックを受ける。ハゲ頭と言われても仕方がない。
 その少ない髪の毛が伸びて、耳や首筋のあたりがうっとうしい。そこで昨日の午後3時過ぎ、客足が途絶えたころを見計らって、車でいつもの床屋に行った。
 この店との付き合いはもう30年あまりになる。店主はぼくより2つ年下とか。初めてお世話になった当時から、頭が裸電球のように光っている亭主と、髪の毛ぎっしりの奥さんの仲良し夫婦で切りまわしている。席数は3つだけのこじんまりした理容室である。
 魅力は、速い、安い、腕がいい、の3拍子つき。所要時間は一人当たり20分少々で回転させている。ふたりの息子の行きつけの床屋は、料金が3,800円。こちらは65歳以上のシルバー割引で、半額以下の1,460円である。
 どちらも髪を切って、ヒゲを剃って、頭を洗ってもらうコースの中身は同じ。息子たちの3,800円の出来映えとさほど変わりはない。違うと言えば、ぼくの馴染みの店主が昔気質(かたぎ)という点と、客層は圧倒的に高齢者ということだろうか。
 ある日、その店主のおやじさんが憤懣やるかたない顔でこぼしたことがあった。
 「さっき初めての親子連れが来たんですよ、父親と小学生みたいな男の子が一緒に。それで父親が持ってきた雑誌を見せて、自分も息子もこんなふうにしてくれって、言うんですよ」
 その雑誌にはモデルらしき若い男性が写っていた。ヘアスタイルはモヒカン刈りだった。頭のてっぺんにカマボコを縦に置いたように髪の毛を残して、ほかはバリカンで地肌すれすれまで剃り上げる。ひところ有名なサッカー選手もやっていたアレである。
 それを見たとたん、頭部のほとんどがハゲていて、残りわずかな髪はいつもカミソリできれいに剃っている店主は、カーッと頭に血がのぼったらしい。
 「こんなヘンテコリンな髪形はせん! よその店へ行ってくれ。そう言って追い返しましたよ。よりにもよって、親子そろってモヒカンですよ。あげな頭にして、息子を学校に通わせるっちゃろうか」
 「頑固でしょうが、うちの主人は。でも、わたしもあげんとは好かん。来てもらわんでもよかですよ」。奥さんは笑っていた。
 おやじさん、よくぞ言ってくれた。ぼくはうれしくなった。「いくらお客さんだろうが、やりたくもねぇことは、やらねぇんだ。とっとと帰(けえ)んな」。これぞ一国一城の主の職人である。こんなふうに自分の信念をはっきり出して怒る人が少なくなった。そこのところが気持ちいい。
 もちろん、どんな髪形にするかは、個人の自由である。のっけから拒否された方はもっとトサカにきただろうが、ま、相手が悪かった。
 わが家の近くには、ぼくたち夫婦が「正義の味方」と呼んでいる男性がいる。年のころは60歳前後、小柄だが、洋服の上からも体格のよさがわかる人で、ときどきカミさんが出勤で乗るバスで一緒になるという。
 バス亭で並んでいる人の列に、横から割り込む人がいると、この人は大きな声を出す。
 「ほらほら、割り込まない! ちゃんと列の後ろに並んで」
 バスのなかで、携帯電話でしゃべっている人がいると、この人は離れた席からも声をあげる。
 「おぅい、ここはバスのなかだよ。携帯で話さないの!」
 相手がだれであろうと、この調子。以上は、カミさんの目撃談の一部である。
 「勇気あるなぁ。オレはやりたくても、なかなかできないなぁ」
 「わたしもよ。でも、あの人は言いたくても、言えないことを、言ってくれるじゃない。正義の味方がいると、スカッとするわ。ほかの乗客もきっとそうおもっているわよ」
 ぼくの頭のなかには、もうひとりの強いぼくがいて、許しがたいヤツの顔面やボディーに、プロボクサー並みの重いパンチをたたき込み、空手の有段者のような破壊力のある蹴りを入れ、柔道家のように投げ飛ばして、完膚なきまでにこらしめる。そんな胸のすくようなシーンをよく夢想する。無敵の月光仮面やブルース・リーになってしまうのだ。そういう空想活劇の創作に浸っていると、いま、まさにその場にいるようで、心臓の鼓動までドクン、ドクンと速くなる。
 こんなふうになるのは、だれしも同じなのだろうか。この歳になっても、そんな絵空事を想像するのは、ちょっとおかしいのだろうか。
 いやいや、そんなことはあるまい。どこかで戦いを好む男の本能はいくつになっても、そう変わらないような気がする。

■夕暮れ間近の室見川。元気そうな男の子とコガモたち。