どぜう鍋に決めた ― 2021年11月18日 13時00分

スーパーで2匹入りのアナゴのかば焼きを買ってきた。税込で884円した。平鍋にゴボウのささがきを敷いて、その上に短冊に切ったアナゴを並べて、甘めの汁で鍋にするつもりである。ま、3、4人前はあるだろう。
イメージしているのはドジョウの柳川鍋だ。今夜は鍋にしようかな、でも、「また鍋?」といわれるかなぁ、などと考えているうちに、ふと東京・浅草の「駒形どぜう」や「飯田屋どぜう」のどぜう鍋をおもい出したのである。
どちらも老舗の人気店で、確か駒形のどぜう鍋は、ドジョウがそのままの形で入っていた。飯田屋は背開きしていて、中骨を取り除いていたとおもう。面倒くさかろうに、さすがに芸がこまかいな、駒形と張り合っているなと感心したことを覚えている。
それにしても花のお江戸に出て来て、あこがれの下町の浅草で、どこかの田舎出のドジョウ、いや、どぜうを食べるとはおもわなかった。ぼくは東京で、あのとぼけた顔をしたドジョウの味を初めて知ったのだ。今夜のわが家はアナゴだが、海で獲れたでっかいドジョウの仲間だと思うことにしておこう。
いちばん多くドジョウを食べたのは、大学のすぐ近くにある一軒飲み屋だった。下宿から歩いて1、2分。白いのれんには「まずい焼き鳥 水っぽい酒 ひげのくに平」と書いてあった。赤ちょうちんに照らされて、風にひらひら揺れているこんな洒脱な一文を、九州の飲み屋では見たことがなかった。
学生たちには馴染みの店で、人気メニューのひとつが「どぜう」だった。小さなドジョウが二つに折りたたまれて、その横っ腹を竹串でずぶりと突き刺して、1本に5匹ぐらい付いている。注文を受けてから、板前さんが炭火でかば焼きにしてくれる。熱いところに山椒の粉をふりかけて、かぶりつくのである。ぼくにとっては、とても手の届かないウナギに代わるスタミナ食だった。
4人掛けのテーブルが10卓ほどもあっただろうか。学生相手の店だから、値段は安かった。焼き鳥も、酒もうまかった。あの界隈では名物の店だったが、いつの間にか跡形もなくなってしまった。
ときは1970年代のはじめ、当時の居酒屋は着物を着ている女将さんが珍しくなかった。『くに平』の女将さんも白い割烹着がよく似合い、肌も白くて、なかなかの美人だった。学生たちの話をおもしろがって聞いてくれ、ぼくらを見る目もやさしかった。
割烹着姿の女将と言えば、もう一軒、下宿から1分の路地裏に、こちらも名の知れた小料理屋があった。間口半間の目立たない店である。
店の名を『しのぶ』という。学生たちの間では、あの三浦哲郎の小説『忍ぶ川』の舞台だという説が伝わっていた。
早稲田の学生だった主人公(三浦哲郎)が将来、結婚する女性・志乃と出会ったのは、彼女が働いていた『忍ぶ川』という小料理屋。店の名前が似ている。
また、この店にも志乃と同じように着物姿で働いている女性がいた。磨きぬかれた白木のカウンターだけの『しのぶ』は客層も、酒の値段も、学生の身分では少々、敷居が高かった。小説には座敷も出てくるが、ほかの設定はよく似ている。
このように符合するところが多いので、『忍ぶ川』のモデルは『しのぶ』だというというウワサは、あながちデマとはおもえなかった。
たまに行くと腹に溜るモノで、勘定がひとついくらと計算できる、おでんばかりを食べていた。あそこは社会に出てから行く店だった。田舎者のぼくは少しばかり背伸びをしてみたかったのだろう。
学生の街のなかでは、どこか大人びた風情のあったこの店もなくなってしまった。
さて、今夜はどぜう鍋で一杯やるとして、明日の夜は、おでんにしようかな。
■近くの室見川の川底。流れていく砂がある一定のリズムで模様をつくっていく。このあたりにドジョウはいない。
イメージしているのはドジョウの柳川鍋だ。今夜は鍋にしようかな、でも、「また鍋?」といわれるかなぁ、などと考えているうちに、ふと東京・浅草の「駒形どぜう」や「飯田屋どぜう」のどぜう鍋をおもい出したのである。
どちらも老舗の人気店で、確か駒形のどぜう鍋は、ドジョウがそのままの形で入っていた。飯田屋は背開きしていて、中骨を取り除いていたとおもう。面倒くさかろうに、さすがに芸がこまかいな、駒形と張り合っているなと感心したことを覚えている。
それにしても花のお江戸に出て来て、あこがれの下町の浅草で、どこかの田舎出のドジョウ、いや、どぜうを食べるとはおもわなかった。ぼくは東京で、あのとぼけた顔をしたドジョウの味を初めて知ったのだ。今夜のわが家はアナゴだが、海で獲れたでっかいドジョウの仲間だと思うことにしておこう。
いちばん多くドジョウを食べたのは、大学のすぐ近くにある一軒飲み屋だった。下宿から歩いて1、2分。白いのれんには「まずい焼き鳥 水っぽい酒 ひげのくに平」と書いてあった。赤ちょうちんに照らされて、風にひらひら揺れているこんな洒脱な一文を、九州の飲み屋では見たことがなかった。
学生たちには馴染みの店で、人気メニューのひとつが「どぜう」だった。小さなドジョウが二つに折りたたまれて、その横っ腹を竹串でずぶりと突き刺して、1本に5匹ぐらい付いている。注文を受けてから、板前さんが炭火でかば焼きにしてくれる。熱いところに山椒の粉をふりかけて、かぶりつくのである。ぼくにとっては、とても手の届かないウナギに代わるスタミナ食だった。
4人掛けのテーブルが10卓ほどもあっただろうか。学生相手の店だから、値段は安かった。焼き鳥も、酒もうまかった。あの界隈では名物の店だったが、いつの間にか跡形もなくなってしまった。
ときは1970年代のはじめ、当時の居酒屋は着物を着ている女将さんが珍しくなかった。『くに平』の女将さんも白い割烹着がよく似合い、肌も白くて、なかなかの美人だった。学生たちの話をおもしろがって聞いてくれ、ぼくらを見る目もやさしかった。
割烹着姿の女将と言えば、もう一軒、下宿から1分の路地裏に、こちらも名の知れた小料理屋があった。間口半間の目立たない店である。
店の名を『しのぶ』という。学生たちの間では、あの三浦哲郎の小説『忍ぶ川』の舞台だという説が伝わっていた。
早稲田の学生だった主人公(三浦哲郎)が将来、結婚する女性・志乃と出会ったのは、彼女が働いていた『忍ぶ川』という小料理屋。店の名前が似ている。
また、この店にも志乃と同じように着物姿で働いている女性がいた。磨きぬかれた白木のカウンターだけの『しのぶ』は客層も、酒の値段も、学生の身分では少々、敷居が高かった。小説には座敷も出てくるが、ほかの設定はよく似ている。
このように符合するところが多いので、『忍ぶ川』のモデルは『しのぶ』だというというウワサは、あながちデマとはおもえなかった。
たまに行くと腹に溜るモノで、勘定がひとついくらと計算できる、おでんばかりを食べていた。あそこは社会に出てから行く店だった。田舎者のぼくは少しばかり背伸びをしてみたかったのだろう。
学生の街のなかでは、どこか大人びた風情のあったこの店もなくなってしまった。
さて、今夜はどぜう鍋で一杯やるとして、明日の夜は、おでんにしようかな。
■近くの室見川の川底。流れていく砂がある一定のリズムで模様をつくっていく。このあたりにドジョウはいない。
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