短編小説にチャレンジする2021年12月01日 12時24分

 12月になった。いよいよ2021年のカウントダウンが始まった気持ちになる。こうしてまた歳をとっていくのだ。みんな公平に、平等に。
 年内までに、せめて一本、短篇小説を書こうとおもい、先日からパソコンに向かっている。取材をして、原稿を書くのは、若いころからの商売だったので、言われた通りの枚数(行数)でまとめるのは慣れている。ルポや事件、政治、スポーツの記事はある種のノンフィクションだから、それらは取材をして、その後でシャープな切り口を見つければいい。この点、虚構の物語を書く小説とはかなり勝手が違う。
 ちょっと横道にそれるが、取材と原稿のテーマについては鮮烈な思い出がある。
 田 英夫さんは伝説のジャーナリストだった。元共同通信の看板記者で、民放の夕方のニュース番組で、ニュースキャスターの先駆けとなり、社会党から参院選の全国区に打って出て、トップ当選した人である。(その後、社会民主連合の代表に就いた)
 政治の取材にようやく慣れたころ、田さんのコメントがほしくて、夜中の零時過ぎに、彼が泊まっている札幌のホテルに電話を入れたことがある。
 歯切れのいい声が返ってきた。そして、質問をする前に、こう言われた。
 「ところで、最初に聞いておくけど、あなたの取材のテーマは何なの? 編集会議で決まっているんでしょ」
 相手はこの道の大先輩である。尋ねられたことに、正直に答えた。来週号の特集のテーマは決まっていて、そのことをもっと掘り下げたい目的で、田さんをつかまえたのだから、隠すことはなにもない。
 ところが、ぼくの説明を聞き終えたとたん、彼はこう言ったのだ。
 「ひっかかったね」
 電話のむこうで、冷笑している顔が見えるようだった。
 「最初から、報道するテーマを決めて、それに合わせるための取材をして、記事にするのはおかしいだろ。まず、取材をする。そして、その取材のなかから報道するのにふさわしいテーマを見つけるのが、記者としての順序じゃないか。君のやっていることはおかしいよ」
 ぐうの音も出なかった。その後で、田さんは機嫌よく、ていねいに取材に応えてくれた。あの言葉も絶対に忘れない。本当にいろんな人がぼくを育ててくれたことをありがたく思いだす。
 さて、話を戻す。
 同じ原稿でも、「小説」となると、変に構えてしまう。また書いていて、これは物語ではなく、雑誌の記事みたいだなと気がつく。いったい小説家の頭のなかはどうなっているのだろうか。彼らは毎日、10枚書くなどと話しているが、ぼくはいまだに書き出しの4、5枚を行ったり来たりしていて、いっこうに筆が進まない。
 と、ここまで書いて、また別のことをおもい出した。あの立花隆さんが知り合いのあるカメラマンと話しているテレビ番組を見たことがある。そのとき立花さんはこう言った。
 「そろそろ小説を書こうと思っているんですよ。小説じゃないと書けないこともあるでしょ」
 これに対して、カメラマンの答えがふるっていた。
 「立花さん、もうずいぶん前から、そう言っているじゃないの。小説を書く、書くって。言うばかりで、きっと書かないんじゃないの」
 そういえば、立花さんには小説を書いた本がない。
 やっぱり、そういうものなのかなぁ。まぁ、こうしてブログで宣言しておけば、やらざるをえないだろう。でも、立花さんの例もあるからなぁ。

■紅葉のなかに、カササギがいた。数日前にスマホで撮影した。今日は寒くて、風も強く、赤や黄色に色づいた葉っぱがあらかた散ってしまった。木々が枝だけになって、バードウォッチングの季節がやってきた。