また歯を抜かれた2022年04月01日 11時35分

 先日、また残り少ない貴重な歯を抜かれてしまった。歯周病の定期健診に行ったら、医者から即、抜歯を宣告された。
 ずっと痛かったから、そうなるんじゃないかと悪い予感がしていた。でも、いざ抜かれると決まったときは悲しかった。
 医者はいとも簡単に言うのだ。
「ああ、こりゃ、もう駄目だわ。ぐらぐらしているよ」
「抜いた方がいいですね。抜いてしまいましょ」
「麻酔を打ちますから、痛くないですよ。簡単だからね。すぐ終わりますからね」
 ここまで言われて、だれが抵抗できるだろうか。
「はい。口を開けて」
 アッという間に、一巻の終わりである。
 60数年もの間、鹿児島の港町から始まって、小倉、東京、福岡までの変転の生活を支えてくれた右上の奥歯は、医療廃棄物として捨てられたのだろうか。ちゃんとこの手にとって、きれいにして、供養してあげたかった。
 子どもころ、歯が生えかわるときに抜けた上の歯は地面に埋めて、下の歯は屋根の上に放り投げていたことを思い出す。あれはなんのおまじないだったのか。
 カミさんに大事な歯を抜かれた報告をしたら、彼女は昨日の夢の話をしてくれた。
 と言っても、その夢を見たのはカミさんではなく、職場の仲間の女性が見た夢だった。
「わたしの席の近くの山村さん(仮名)がね、△△さん(カミさんのこと)、昨日、わたし、△△さんの夢を見ましたって、言うのよ」
 以下、山村さんの話を続けるとー、
「なぜかわからないんですけど、△△さんがわたしの弟と仲良く話ながら、ふたりでお餅を食べてたんです。知り合いでもないのに、不思議ですよね。そしたらですね、食べているうちに、△△さんの入れ歯が餅にはさまって、ポロッと外れちゃったんです。わたし、もう、おかしくって、おかしくて、目が覚めました」
 ま、生きていればいろんなことがあるものだ。ちなみに、カミさんは職場でいちばんの高齢者である。
「わたしって、そんなに年寄りと思われているのかしら。ショックだったわ」
「食っている餅に引っかかって、入れ歯がポロッと外れたんだから、そういうことなんだろうな」
 ぼくたち夫婦もこんな話をするようになってしまった。
 
 昨日、小説を公募している出版社に、書き上げた散文をメールで送った。締め切りの日で、いつもこうなってしまう。ただ、書いているときは、いろんな思い出をたどる旅をしているようでたのしかった。次はタイプの違うテーマでやってみようかな。いい気晴らしになる。

■いつものところに、あの猫がいた。(左) やっぱり、まあるくなっている。ところが、いつもはぽつんと独りきりなのに、相棒がいるではないか、ぴったり寄り添って。毛並みはうす汚れていて、毎日の生活の様子が伝わってくる。でも、ようやく暖かい春が来た。
 よかったな、お前。邪魔にならないように、声をかけて通り過ぎた。

旅立ちのとき2022年04月03日 18時52分

 4月は旅立ちの季節である。
 今朝、大学の後輩からCメールが届いた。彼は福岡市で民放のテレビやラジオの番組制作等のプロダクションを経営していて、自らも放送作家として活躍している。十数年も会っていないが、たまにこうして連絡をくれる。それがぼくの刺激にもなっている。
 近況報告によれば、会社の方は「後進に道を譲る」気持ちを固めたようで、本人はこの4月から高校の非常勤講師の仕事を始めたという。当分は会社と講師の「二足のワラジ」で行くそうだ。
 その高校には彼の上司に当たる教師がいて、大卒3年目のかわいい娘さんらしい。メールには「ヘラヘラ甘えています」と書いてある。
 さらに、もうひとりの若い先生も美人で、「僕に親切にしてくれます」とあった。そして、この美人ふたりは、学内の「双璧」だそうな。
 きっと鼻の下をうんと伸ばしながら、このCメールを送ったに違いあるまい。ただし、そこはタダでは転ばない放送作家の性(さが)で、早くも「『女の闘い』のようなモノを感じました」という。さすがだな、これはおもしろくなった。
 男性教師は校長を含めて、全員、彼よりも年下とか。そこに飛び込んだ後輩の彼はイケメンだから、まるでシニア世代が巻き起こす学園ドラマの主人公のようではないか。
 ぼくは「何か起きそうな、いいスタートが切れて、先々が楽しみですね」と返信のエールを送った。もとより、彼のチャレンジ精神に敬意を表すると共に、何か起きることを期待してのことである。
 さて、もうひとりの旅立ちは身近かなところで起きた。
 今朝はやく、わが家の長男が愛車のマツダCX-5に乗って、予定なしの気ままな独り旅に出発した。毛布やバッテリーも積み込んで、どこに行くのやら、どこで泊まるのやら、何も決めないで、ときどき釣りでもしながら、のんびり車を走らせるという。
「こんなチャンス、もうないやろうから、なんにも制約されずに、自由にやりたいっちゃん」
 そうか、そうか。いいじゃないか、である。
 カミさんも、ぼくも余計なことは言わなかった。北陸の名物のラーメンやうどん、へぎそばが楽しみと言っていたから、分相応に宿も食事も贅沢はしないで、カミさんの実家の新潟県南魚沼市まで行くのだろう。なんだかうらやましくなった。
 ぼくは大学2年生の初秋、父が国鉄職員だったので、その当時利用できた10日間の無料パスを使って、列車を乗り継ぎながらの気ままな旅に出たことがある。
 どこも行ったこともない土地ばかりだった。円筒形のバックを肩にぶら下げて、岩波文庫とノート、スケッチブックを旅の道連れに、窓を流れる景色を見て飽きることがなかった。
 町を歩きまわったり、乗り換えたりで、途中で降りた駅は-、
 東京-小諸-長野-直江津(現在の上越。駅のベンチ泊)―金沢―富山(駅のベンチ泊)―飛騨―名古屋―(車中泊)-串本(潮岬)―奈良―大阪―(車中泊)-小倉。
 予想もしなかった寒い駅のベンチで2泊。列車のなかで2泊。学生の分際で、ホテルや旅館に泊まる選択肢はあり得なかった。道中いろんな人に会った。大阪では中学時代の初恋の人にも会えた。ホームまで見送りに来てくれて、両親がいる小倉までの夜行列車のなかで食べる駅弁を買ってくれた。
 かわいかったなぁ。あのころに戻れたらなぁ。
「『変化のない自身』に、反省をしていました」。
 後輩のメールにはこうも書いてあった。いかにも彼らしい。
 4月になると何か始めたくなる。彼や息子のようなことはできないが、いまの自分の身の丈に合った挑戦をしてみたくなる。

■桑の木から若葉が伸びだしてきた。早くも緑色の小さな実もついている。カミさんは花が好きで、育てるのも上手だ。お陰で一年中、わが家の狭いベランダは花が絶えることがない。

サスペンスと刑事の目2022年04月08日 12時26分

 次の散文を書く刻(とき)が止まっている。やってみたいのはミステリーとか、サスペンスものなのだが、そんなの一度も書いたことがない。読んだ本も少ない。うーん、やっぱり、自分には似合わない、無理な挑戦なのだろうか。
 いまは警察小説、花盛りのようだが、ぼくの場合、どうしても昔の記者時代のことが甦って、そのことが発想を窮屈にしているのかもしれない。実際に事件の取材もしていたから、現場の刑事とのやりとりや彼らの鋭い目を思い出してしまい、なかなか現実から空想の世界へと遊離できないのである。
 たとえば、こんなことがあった。
 ある超大物の財界人の甥が詐欺事件を起こしたことがあった。警察はそのことを極秘扱いして、記者発表していなかった。
 ぼくは警察よりも早く、その甥の潜伏先を突き止めた。なぜ、そんな情報をキャッチできたのかというと、いわゆる「情報の提供者」がいたからだ。
 記者をやっていると、一般の人たちからは想像もできないような人脈や表に出ない情報を持っている人と仲良くなる。ちなみに、ぼくたちは内調(内閣調査室)の人たちにも取材していた。何も特別なことではない。
 さて、事件担当だったぼくは、その特ネタを持って、所轄のS署の刑事課を訪ねた。そこで「あなたたちが追いかけている超大物の甥の事件は知っている。その被疑者の潜伏先もつかんでいる」と言ったときの刑事たちの目つきが凄かった。一瞬にして、ガラリと変わった。空気までふるえるようだった。テレビの刑事番組とはまるで空気感がちがう。
 一世を風靡した、あるアイドルグループの男性タレントが覚せい剤使用の容疑で、内密に警察から追われていたときも、別の「情報提供者」がそのことを教えてくれた。そして、ひとりで取材をしているうちに、警視庁の刑事から電話がかかってきた。
「こっちで追いかけているところだから、申し訳ないけど、ちょっと取材をセーブしてください」ということだった。彼とは本庁の取調室で会った。そのときは同じ仲間意識を感じさせる、親しみのある目だった。話した内容は忘れてしまったが。
 「刑事の目」のハイライトは、あの平塚八兵衛氏である。よしのぶちゃん誘拐殺人事件の犯人逮捕などで、「鬼の八兵衛」と呼ばれた伝説の刑事だ。
 会ったのは、彼が東京・府中で起きた三億円事件解決の最後の切り札として再登板したとき。初対面だし、予想した通りで、何を聞いてもまとに相手をしてくれない。まるでヒヨッコ扱いだった。
 八兵衛氏はまばたきもしない。にこりともしない。名刺を渡したときから射るような目だった。あんな目で迫られたら、気の弱い人はいたたまれないだろうなとおもった。
 断っておくが、どこの社でも事件担当の記者はこんなことではたじろがない。ぼくも内心では、一度、八兵衛さんの顔を見ておきたかったから、行ってみただけのことだった。
 そんなこんなで、警察がらみのミステリーやサスペンスものを想定すると、反射的に彼ら刑事たちの目が浮かんで、そのままぼんやりしてしまうのである。

■ヨモギが繁っているなかに、オキザリスのピンクの花が一輪、咲いている。わが家の鉢の土をここに捨てたとき、その球根が混じっていた証拠である。じつは、先日も同じところにピンクの花がひとつ咲いた。
 ああ、かわいいな、咲いてくれたかとよろこんでいたら、翌日には何者かに取られていた。こんなことがよくある。

行方不明になったふたりの老女2022年04月20日 10時21分

 初挑戦していたミステリー小説の短編をとりあえず書き終えた。まだまだ引っかかっているところがあるので、脱稿までにはもう少し時間がかかる。それもまた愉し、だ。
 今回の物語では四人の行方不明者をめぐる事件を書いた(でっち上げた)。それを捜査する生活安全課の巡査部長もひねくり出した。
 こうやってなんでも創り出して、登場人物たちを勝手に動かすのはおもしろいものだ。素人の駄作でも、せっかく書いたのだから、またどこかの懸賞に応募してみよう。
 行方不明者といえば、先日こんなことがあった。
 歩いて近くの食品スーパーのマルキョウに買い物に行った帰り道、髪が真っ白な老女がふたり、なにやら不安げに立ち話をしていた。小学六年生ほどの背丈で、ぼくに向かって、すがりつくようなまなざしを送っている。そこは以心伝心というやつで、こちらから声をかけた。するとー、
「わたしたち、どっから来たんでしょうかねえ?」
「はぁ? どこから来たのか、わからないんですか」
「どこに帰ればいいのか、わからんごとなったとですよ」
 これはやばい。
「あんたが(道を)わからんごとなったんが悪いよと。あんたの方が古いっちゃから」
「なんがね、あんたもそげん変わらんじゃないとね」
「あんたが外に出ようといったから、わたしはついて来たと。もう、あんたとは一緒に歩かん」
「でも、こんマルキョウには、来たことがあるばってんなぁ」
 少し険悪になったふたりの老女のやりとりを聞いて、だんだん事情が飲み込めてきた。
「どっちの方向から来ました?」
「それがわからんと」
「おうちはどこですか?」
「さぁ」
「歩いて来たんですか? バスには乗ってないですよね?」
「うん、歩いて来た。そうだよね」
「あんたが歩こうというたから、わたしはついて来たんよ。道がわからんのなら、着いて来んやったのに。もう、あんたとは一緒に歩かん」
 典型的な認知症である。さぁ、こまった。
「交番に電話してみましょうね」
 ところが、いまのご時世、スマホで検索しても交番の電話番号は出てこない。104に問い合わせてもわからなかった。
 そのとき、ひとりの老女が、なんと、スマホでだれかとしゃべっているではないか。なんでも向こうからかかってきたという。すぐ、そのスマホを受け取って、電話の相手と話した。
 やっぱり、だった。ほんの200メートルほどはなれたところにある老人施設の女性からだった。そこからこの現場までは、直線の道を歩いて、その先でぶつかった道路を左に折れるだけ。たったそれだけのことが、彼女たちにはわけのわからない「迷路」になっていたのだ。
 失礼ながら、ぼくが散文のなかで無理やり創り上げた架空の行方不明者たちよりも、はるかにリアルなおふたりであった。
 待てよ。あの気のよさそうな老女のコンビを主役にして、まわりを笑いと涙の渦に巻き込む小説を書いたら、案外おもしろいかもしれないな。うん、これから先は、ここには書かないでおこう。
 書きかけの短篇小説からひと息ついて、ぼくはそんなことをぼんやり考えている。

■団地の一角に埋めていたオキザリスの球根から、かわいいピンクの花が咲いた。昨日、ぼくの目の前で、ひとりの男性老人がこの花に引き寄せられるように近づいた。
 きれいでしょ。もっと近くで見たくなったんでしょ。
 ぼくはそうおもって、後ろの方から、じっと様子を見ていた。ところが、この爺さん、右の手の平をスコップのようにして、ひとつの花を根っこからすくい取ったのである。
「止めてください! 花がかわいそうじゃないですか」
「すみません。あんまりきれいなものだから。わたし、花が大好きなものだから……」
「みなさんに楽しんでもらいたくて、植えて育てているんです。これからは見るだけにしてくださいね」
 同じ老人でも、いろんな人がいる。うつむきがちに立ち去って行ったお年寄りの男性の背中は、あのにぎやかな老女たちと違い、どこか寂しそうだった。