時刻表から聴こえる音2022年08月01日 10時26分

 昨夕、原稿用紙25枚の散文を書き上げて、メールで応募した。今年3回目になる。
 ××文学賞と銘打っているものの、実績も知名度もない、世間の片隅でそっと息をしているような作品公募だが、素人のわが身と背丈は釣りあっている。いや、釣りあっているは傲慢過ぎた。前言は訂正しておこう。
 この散文には「列車の旅」というテーマが決められていた。ここ数年、列車の旅なんてしたことがないから、遠い記憶の思い出をたどるしかない。そのときのシーンをかき集めて、この先どうなるか見当もつかないままに書き出したのが10日前。ちんたら、ちんたら書いて、調子が出て来たのは1週間前だった。
 そのときハタと困った事態が出現した。
 それまではネットで鉄道の路線や列車、駅の時刻表を調べていたのだが、それらの情報はまさに分断された破片の集まりで、ひとつの旅として書き進めていくにはいかにも都合が悪いのだ。
 そこで、近くの書店まで歩いて行って、ものすごく久しぶりに全国版の時刻表を買って来た。
 見やすいように変形させた日本地図の上に、全国にあるJRや私鉄の路線と駅が一目瞭然に見てとれる。どこで乗り換えればいいのか、一発でわかる。そして、すべての駅にどの列車が到着するのかという時刻も残り余さず載っている。(当たり前のことだけど)
 なんでもかんでもデジタル化の世の中だが、こちらの紙印刷されたアナログの方が、情報量でも、見やすさでも、断然、軍配が上がる。これは出版物の傑作だとおもう。
 時刻表を開いて、散文中に登場する列車を追いかけているうちに、ぼくの頭のなかに、ある音が聴こえて来た。
 カタン、カタカタン、カタン、タカタカン。
 列車の重たい車輪が二本の鋼鉄のレールの継ぎ目をたたく音である。
 カタン、カタカタン、カタン、カタカタン。
 懐かしい光景がひろがってくる。
 こどもころ、よく駅の構内で遊んでいた。そこは旧国鉄の南方の終着駅で、構内には線路工事の現場を往復する蒸気機関車が止まっていて、その機関車を乗せて方向を転換するための転車台(ターンテーブル)もあった。
 よくやったのは線路に腹ばいになって、黒く光っているレールに耳をぺたんとくっつける遊び。じっと耳を澄ましているうちに、遠くからかすかに、カタン、カタン、カタン、という音が伝わって来る。それがだんだん早く、大きくなる。
 カタン、カタカタン、カタン、カタカタン。
 つられるように、ぼくの心臓の音も、ドキン、ドキン、ドキン、と速くなる。
 その音は見たことも、行ったこともない遠い未来からの声だった。それから十数年後、結局、ぼくは東京へ出て行った。
 1,000ページほどもあるポケット版の時刻表のページめくっていると、こんなことを思い出した。パソコンの画面で見る時刻表だったら、とてもこうはゆくまい。
 下手な散文を書きながら、改めておもった。
 ぼくが考えたり、想像したり、書いたりする頭の働きは、途切れ途切れのデジタルではなく、連続してつながっているアナログだと。そして、アナログの方が居心地がいいなと。
 どうやら久々に手にした時刻表は、それをバッグに入れて旅に出た若いころのように、ぼくを気ままなひとり旅に連れて行ってくれそうである。

■クマゼミがいなくなったとおもっていたら、それほどでもなかった。朝早くからウルサイ。でも、数は減っている。
 増えたのは、先日、鉢から移植したトレニアの花。昨日も「きれいねぇ」とほめてくれた女性がいた。そう言われるとこちらも悪い気はしない。
 でもね、大変なんだよね。毎朝の水やりが。