物足りない歯医者の日 ― 2022年08月10日 00時01分

今日は歯医者の予約の日。それもいちばん暑い午後2時。うんざりするけれど行かないわけにはゆかない。
以前、「急に所用がはいった」とか、適当な理由をつけて予約を取り消し、そのまま半年ほど放っておいたことがある。そしたら、ちゃんとその代償を支払うはめになってしまい、大事な奥歯をあっさり抜かれてしまった。それでも性懲りもなく二度、三度も同じことを繰り返した。そして、きっちり三本の奥歯を失った。
どうしてこんなにグータラな性格なのだろうか。追い詰められないとやらない。そして、あー、ヤバイ! となったときの時間の過ぎて行くスピードの速いこと、速いこと。
でも、いよいよ後がなくなったら特別なスイッチがはいるので、それまでの自分がうそのようにものすごく集中する。これって、ぼくだけではあるまい。
ある食品メーカーの大きな商談会で、フリーのアナウンサーが60分間の商品紹介の映像に合わせて読みあげる原稿を頼まれたときは、すでに時間が切迫していて、時計の針と競争しながら書いた。原稿を会場にファックスしたのは、アナウンスが始まる5分前だった。
(あのとき、こちらは肝心の商品を紹介する映像すら見せてもらっていない。これが商品の順番だという話を聞いただけだった。そこで、だいたいこれぐらいの読むスピードだろうと文字の量を計算して書いた。焦りまくったが、最後はピタリと時間内に納まりましたとよろこんでくれた。やれやれ。)
あるときは自分のオフィスにいたぼくに、「いま××選の出陣式が始まるところなんだ。でも、後援会長が挨拶で何をしゃべっていいのかわからんと頭を抱えて、どうしようもないっちゃ。お願い! 挨拶のスピーチ原稿を10分以内に送ってくれんね。頼みます」と選対事務所にいる友人から電話で泣きつかれて、後援会長の名前も顔もわからないまま、急いで書き上げてファックスしたこともあった。似たようなことはたくさんある。
これもやっぱり記者時代に鍛えられたお陰かな。締め切りに間に合いそうもなくて、東京のあの満員の通勤電車のなかで、突っ立ったままの姿勢で、原稿用紙を折りたたんで書いたこともある。先輩記者のなかには取材で歩きまわって、「あー、くたびれた」と出張先のホテルのベッドの上で横向きになったまま、原稿用紙を目の前の壁に押し当てて書いていた人もいた。
いや、こんなことで驚いてはいられない。警察で事件の記者会見が終わるやいなや、各社の社会部の記者たちは電話に飛びつき、すぐさま新聞社の速記を呼び出して、口述で原稿を送っていた。それが当たり前の業種なのだ。(そのころは携帯電話も、ノートパソコンもなかった)
週刊誌の記者はとてもそんな芸当はできないから、降版時間に追われる新聞記者はさすがだなぁ、と感心したものである。
歯医者の話から、とんでもないところへ話が行ってしまった。考えなしに書くからこうなってしまう。話を戻す。
今日の診察室は静かだった。このクリニックは一度に5、6人が治療を受けられるスペースがあって、男性の院長があっちこっちに動きまわっては、一人ひとりの患者に病状や今後の治療法などを説明するのだが、その声が大きくて筒抜けなのだ。
「××さん、この右下の奥歯、そうとう歯周病が進んでますね。ほら、ぐらぐらしているでしょ。うーん、今度痛くなったら、抜いた方がいいなぁ。ほうっておくと隣の歯も駄目になりますよ」
「さてと、では、もう少し様子をみましょうか。でも、最後は入れ歯しかないよね」
いつもは、こんな残酷な宣言が遠慮なしに、耳にはいってくる。そのたびに、こちらは口をアーンしたまま、「お気の毒さま」と同情してしまう。
その緊張感が今日はなかった。どうやら院長先生はお休みのようだった。
でも、それはそれで物足りない気持ちになる。せっかく、かったるいところをおのれに鞭打って、こうして時間通りに来たのだから、「歯を抜くよ」とか、「入れ歯だね」とか、ここでしか耳にできない言葉を聞きたかった。
ぼくの本日の治療は、上の歯の歯垢を取っただけ。次は下の歯。治療はあと3回もあるそうで、ぜんぶ麻酔をグサリ、グサリと打たれることになっている。
だからね、自分よりも不幸な人の話を聞きたかったんだよね。「あの人に比べれば、俺の方がまだマシだ」とおもいたいんだよね。
無駄な抵抗だとわかっているけど。
(今日の話が日をまたいで、10日になってしまった。)
■暑気払いに、めずらしい花を載せよう。カタクリの花。
新潟の南魚沼・石打にある妻の姉夫婦の庭に、毎年4月の半ばごろに咲く。近くの山には、一般的な紫色の花が自生している。その茎をおひたしにして食べたこともある。
こちらのカタクリの花は目にもあざやかな黄色一色。姉がどこかで買ってきたらしい。ちょうど山菜の季節に咲いてくれる。
以前、「急に所用がはいった」とか、適当な理由をつけて予約を取り消し、そのまま半年ほど放っておいたことがある。そしたら、ちゃんとその代償を支払うはめになってしまい、大事な奥歯をあっさり抜かれてしまった。それでも性懲りもなく二度、三度も同じことを繰り返した。そして、きっちり三本の奥歯を失った。
どうしてこんなにグータラな性格なのだろうか。追い詰められないとやらない。そして、あー、ヤバイ! となったときの時間の過ぎて行くスピードの速いこと、速いこと。
でも、いよいよ後がなくなったら特別なスイッチがはいるので、それまでの自分がうそのようにものすごく集中する。これって、ぼくだけではあるまい。
ある食品メーカーの大きな商談会で、フリーのアナウンサーが60分間の商品紹介の映像に合わせて読みあげる原稿を頼まれたときは、すでに時間が切迫していて、時計の針と競争しながら書いた。原稿を会場にファックスしたのは、アナウンスが始まる5分前だった。
(あのとき、こちらは肝心の商品を紹介する映像すら見せてもらっていない。これが商品の順番だという話を聞いただけだった。そこで、だいたいこれぐらいの読むスピードだろうと文字の量を計算して書いた。焦りまくったが、最後はピタリと時間内に納まりましたとよろこんでくれた。やれやれ。)
あるときは自分のオフィスにいたぼくに、「いま××選の出陣式が始まるところなんだ。でも、後援会長が挨拶で何をしゃべっていいのかわからんと頭を抱えて、どうしようもないっちゃ。お願い! 挨拶のスピーチ原稿を10分以内に送ってくれんね。頼みます」と選対事務所にいる友人から電話で泣きつかれて、後援会長の名前も顔もわからないまま、急いで書き上げてファックスしたこともあった。似たようなことはたくさんある。
これもやっぱり記者時代に鍛えられたお陰かな。締め切りに間に合いそうもなくて、東京のあの満員の通勤電車のなかで、突っ立ったままの姿勢で、原稿用紙を折りたたんで書いたこともある。先輩記者のなかには取材で歩きまわって、「あー、くたびれた」と出張先のホテルのベッドの上で横向きになったまま、原稿用紙を目の前の壁に押し当てて書いていた人もいた。
いや、こんなことで驚いてはいられない。警察で事件の記者会見が終わるやいなや、各社の社会部の記者たちは電話に飛びつき、すぐさま新聞社の速記を呼び出して、口述で原稿を送っていた。それが当たり前の業種なのだ。(そのころは携帯電話も、ノートパソコンもなかった)
週刊誌の記者はとてもそんな芸当はできないから、降版時間に追われる新聞記者はさすがだなぁ、と感心したものである。
歯医者の話から、とんでもないところへ話が行ってしまった。考えなしに書くからこうなってしまう。話を戻す。
今日の診察室は静かだった。このクリニックは一度に5、6人が治療を受けられるスペースがあって、男性の院長があっちこっちに動きまわっては、一人ひとりの患者に病状や今後の治療法などを説明するのだが、その声が大きくて筒抜けなのだ。
「××さん、この右下の奥歯、そうとう歯周病が進んでますね。ほら、ぐらぐらしているでしょ。うーん、今度痛くなったら、抜いた方がいいなぁ。ほうっておくと隣の歯も駄目になりますよ」
「さてと、では、もう少し様子をみましょうか。でも、最後は入れ歯しかないよね」
いつもは、こんな残酷な宣言が遠慮なしに、耳にはいってくる。そのたびに、こちらは口をアーンしたまま、「お気の毒さま」と同情してしまう。
その緊張感が今日はなかった。どうやら院長先生はお休みのようだった。
でも、それはそれで物足りない気持ちになる。せっかく、かったるいところをおのれに鞭打って、こうして時間通りに来たのだから、「歯を抜くよ」とか、「入れ歯だね」とか、ここでしか耳にできない言葉を聞きたかった。
ぼくの本日の治療は、上の歯の歯垢を取っただけ。次は下の歯。治療はあと3回もあるそうで、ぜんぶ麻酔をグサリ、グサリと打たれることになっている。
だからね、自分よりも不幸な人の話を聞きたかったんだよね。「あの人に比べれば、俺の方がまだマシだ」とおもいたいんだよね。
無駄な抵抗だとわかっているけど。
(今日の話が日をまたいで、10日になってしまった。)
■暑気払いに、めずらしい花を載せよう。カタクリの花。
新潟の南魚沼・石打にある妻の姉夫婦の庭に、毎年4月の半ばごろに咲く。近くの山には、一般的な紫色の花が自生している。その茎をおひたしにして食べたこともある。
こちらのカタクリの花は目にもあざやかな黄色一色。姉がどこかで買ってきたらしい。ちょうど山菜の季節に咲いてくれる。
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