夜半の雷鳴と拳銃の音 ― 2022年08月22日 10時10分

夜半、まぶたの裏に黄色い閃光を感じた。空がさわがしい。遠くで雷が鳴っている。にわかに雨の音が高くなった。
いまごろスズメやハトたちはどうしているだろうか。雨に濡れないところに避難しているのだろうが、それはどんな場所だろうか。それに引き換え、こうして安全な屋根の下で寝ていられるのは幸せだなぁ、とおもう。
ぼくが生まれた鉄道官舎の家は、宮崎県北部の五ヶ瀬川中流の深い谷間にあった。どういう事情があったのかは知らないが、まわりの官舎はふつうの大きさの家だったのに、わが家だけはニワトリ小屋に毛が生えたような家だった。
「隣の町から転勤してきたとき、空いていたのはここしかなかったから」。母は仕方なさそうに、そんなことを言っていた。
雨が降ると決まって雨漏りがした。4歳か、5歳のぼくは3畳の居間兼寝室に大急ぎで鍋や洗面器、バケツを並べるのを手伝った。
天井から落ちてくる水滴がポッチャン、ピッチャン、チャッポンと音をたてる。訪れてきた雨漏り楽団のにぎやかな演奏に、母は情けない顔をして飛び散った水滴を雑巾でふいていたが、ぼくは演奏を見るのも、音を聴くのもおもしろかった。
窓のすぐ先には小川が流れていて、組み上げられた石と石の間には、いつもモヅクガニの大きな爪の先っぽが見えていた。草をちぎって、チョンチョンとつつく。用心しいしい茶色の毛の生えた脚が出てくる。
ギザギザしたでっかい鋏ではさまれると指がちぎれるくらいに痛いことがわかっていたから、ぼくはからだごと姿をあらわしたカニが怖くて、手でつかむことができない。あのモズクガニは小川の岩の陰に潜む怪獣だった。ぼくは毎日ひとりで川のそばにしゃんで、モズクガニと怪獣ごっこをしていた。
布団のなかで、そんなことを思い出しているとまたイナヅマが走った。
パーン! 雷鳴が耳を撃った。雷はすぐ近くに落ちたようだった。
その瞬間、今度は別のことを思い出した。それは拳銃の発射音である。
あれは陸上自衛隊のA基地でのことだった。射撃の日本代表候補の取材に行ったとき、彼らの練習場でもある射撃場に案内された。そこで「試しに撃ってみませんか」と言われたのである。
渡された競技用の拳銃はトップ選手の愛用品で、ずしりと重かった。
右手で拳銃の握把(あくは)をしっかり握り、腕を伸ばして、50メートル先に立っている人の形をした板の胸に描かれている丸い円の中心に照準を合わせる。息を止めて、狙いを定める。腕がふるえないように固定して、ゆっくり引き金を引いた。
パーン!
乾いた音が響いた。弾は円のほぼ真ん中に命中。指導官が「大したものです」とほめてくれた。続いて選手が手本をみせてくれた。連続して撃った弾はみんな円の中だった。
後にも先にも、ホンモノの拳銃を撃ったのはこのときだけ。弾の速さと破壊力のすごさに目を瞠(みは)ったものだ。
実際に拳銃を撃たせてもらったときも、記者名利だとおもったが、あんなものは警察官か、自衛官ならともかく、ふつうの人が持つものじゃない。人を傷つけるよりも、持っている自分の方が傷つくかもしれないとおもった。人を殺傷する武器は手にするだけでも充分におそろしい。
「だれでもいいから人を殺してみたかった」。そんな不条理きわまる動機で、簡単に人を殺める人間がいる。彼ら、彼女らは家族と一緒にいる家があって、はげしい雷雨の夜も安心して眠れる布団のなかにいられる幸せを感じたことがあるのだろうか。
もしかしたら、こころのなかはねぐらのないスズメやハトたちと変わらないのかもしれない。ぼくは父、母、姉とくっつくようにして暮らしていた、あの小さな家がなつかしい。
■青色のシオカラトンボ(オス)がいた。先日は同じ場所に、メスのムギワラトンボがいた。2匹はめぐり会っただろうか。それともすれ違いになったか。できるならば仲のいい夫婦になってほしいなぁ。
いまごろスズメやハトたちはどうしているだろうか。雨に濡れないところに避難しているのだろうが、それはどんな場所だろうか。それに引き換え、こうして安全な屋根の下で寝ていられるのは幸せだなぁ、とおもう。
ぼくが生まれた鉄道官舎の家は、宮崎県北部の五ヶ瀬川中流の深い谷間にあった。どういう事情があったのかは知らないが、まわりの官舎はふつうの大きさの家だったのに、わが家だけはニワトリ小屋に毛が生えたような家だった。
「隣の町から転勤してきたとき、空いていたのはここしかなかったから」。母は仕方なさそうに、そんなことを言っていた。
雨が降ると決まって雨漏りがした。4歳か、5歳のぼくは3畳の居間兼寝室に大急ぎで鍋や洗面器、バケツを並べるのを手伝った。
天井から落ちてくる水滴がポッチャン、ピッチャン、チャッポンと音をたてる。訪れてきた雨漏り楽団のにぎやかな演奏に、母は情けない顔をして飛び散った水滴を雑巾でふいていたが、ぼくは演奏を見るのも、音を聴くのもおもしろかった。
窓のすぐ先には小川が流れていて、組み上げられた石と石の間には、いつもモヅクガニの大きな爪の先っぽが見えていた。草をちぎって、チョンチョンとつつく。用心しいしい茶色の毛の生えた脚が出てくる。
ギザギザしたでっかい鋏ではさまれると指がちぎれるくらいに痛いことがわかっていたから、ぼくはからだごと姿をあらわしたカニが怖くて、手でつかむことができない。あのモズクガニは小川の岩の陰に潜む怪獣だった。ぼくは毎日ひとりで川のそばにしゃんで、モズクガニと怪獣ごっこをしていた。
布団のなかで、そんなことを思い出しているとまたイナヅマが走った。
パーン! 雷鳴が耳を撃った。雷はすぐ近くに落ちたようだった。
その瞬間、今度は別のことを思い出した。それは拳銃の発射音である。
あれは陸上自衛隊のA基地でのことだった。射撃の日本代表候補の取材に行ったとき、彼らの練習場でもある射撃場に案内された。そこで「試しに撃ってみませんか」と言われたのである。
渡された競技用の拳銃はトップ選手の愛用品で、ずしりと重かった。
右手で拳銃の握把(あくは)をしっかり握り、腕を伸ばして、50メートル先に立っている人の形をした板の胸に描かれている丸い円の中心に照準を合わせる。息を止めて、狙いを定める。腕がふるえないように固定して、ゆっくり引き金を引いた。
パーン!
乾いた音が響いた。弾は円のほぼ真ん中に命中。指導官が「大したものです」とほめてくれた。続いて選手が手本をみせてくれた。連続して撃った弾はみんな円の中だった。
後にも先にも、ホンモノの拳銃を撃ったのはこのときだけ。弾の速さと破壊力のすごさに目を瞠(みは)ったものだ。
実際に拳銃を撃たせてもらったときも、記者名利だとおもったが、あんなものは警察官か、自衛官ならともかく、ふつうの人が持つものじゃない。人を傷つけるよりも、持っている自分の方が傷つくかもしれないとおもった。人を殺傷する武器は手にするだけでも充分におそろしい。
「だれでもいいから人を殺してみたかった」。そんな不条理きわまる動機で、簡単に人を殺める人間がいる。彼ら、彼女らは家族と一緒にいる家があって、はげしい雷雨の夜も安心して眠れる布団のなかにいられる幸せを感じたことがあるのだろうか。
もしかしたら、こころのなかはねぐらのないスズメやハトたちと変わらないのかもしれない。ぼくは父、母、姉とくっつくようにして暮らしていた、あの小さな家がなつかしい。
■青色のシオカラトンボ(オス)がいた。先日は同じ場所に、メスのムギワラトンボがいた。2匹はめぐり会っただろうか。それともすれ違いになったか。できるならば仲のいい夫婦になってほしいなぁ。
最近のコメント