最後のおにぎり2022年08月27日 18時58分

 朝早くから、カミさんが小さな掌で大きなおにぎりをむすんでいる。炊き立ての白いご飯を息子用のおおぶりの茶わんにとって、いつも三角の形をしたおにぎりを2個つくる。
 今日の中身は、辛し高菜漬けとシーチキンとか。この二つをそれぞれパリッとした海苔でくるんで、さらにラップで包む。ぼくの朝ごはんよりもうまそうだ。
「今日は最後だから、ちょっと贅沢してシーチキンにしてあげた」
「そうか。今日が最後のおにぎりか」
 明日、息子は引っ越しの荷物を運び出すという。移転先は福岡市内の中心部まで歩いて行けるところだから、毎日の出勤と帰宅はかなり楽になるだろう。カミさんもようやく倅(せがれ)の世話から解放されるわけだ。
 ふう、長かった。
 長男が家を出るのはこれで3回目。過去の2回は人間不信になってもおかしくないことを経験して、本人にはさぞかしつらい試練のときだったとおもう。
 次男も3回、家を出ている。うち2回は肉体的にも、精神的にもどん底を味わって、ひと月ほど入院したこともあった。
 明るく元気のよかったふたりが落ち込んで、相次いでこの狭い団地のわが家に戻って来たとき、「ふたりとも帰る家があってよかったね」とカミさんがしみじみ言った。
 だが、いまはすべて終わったことだ。どこの家庭でもよくある話で、わが家はまだマシな方だろう。危機を乗り越えた息子たちは好きなようにやっていけばいい。
 それにしても母親の愛情の力はたいしたものだとおもう。兄弟ともカミさんとは仲がいい。冗談を飛ばしながら、たのしそうに話している母子をみているとうらやましいなとおもいつつ、安堵するのである。
 ぼくは息子たちが中・高校生のころ、こんなことを繰り返し言って聞かせたことがある。
「お父さんはこんな調子だから、いい父親じゃないけど、おかあさんはすごくやさしくて、世界一いいお母さんだからな。お前たちは、お父さんには恵まれなかったけれど、おかあさんには恵まれてよかったな。たぶん、お父さんの方が先に死ぬから、お母さんのことはお前たちに頼んだぞ。ちゃんと最後までおかあさんの面倒をみるんだよ」
 核家族が進んで、「子どもに迷惑をかけたくない」という声がいつの間にか世の中のジョーシキのようになっている。
 だが、その言葉を突き詰めていくと、そう言っている人は、人生の最期で孤独を覚悟しなければいけないことになる。本当にそれでいいのか。それで幸せなのか。人間って、そんなに強いものなのだろうか。いや、本心では自分のこころをいつわっているのではあるまいか。
 ひと昔前の日本はそうではなかった。たいていの年寄りは大金を持っていないのがふつうだった。それでも生活には困らなかった。同居している子ども夫婦が当たり前のように家族みんなの食事をつくっていたから、贅沢はできなくても、食卓はにぎやかだったのだ。孫たちを相手に、年寄りは経験で得た知恵をさずけた。それが長い間続いていた日本伝統の文化だった.。
 ときどきテレビの番組で、そういうご家族の様子をみるたびに、うらやましいなぁ、とおもうのはぼくだけではあるまい。
 たぶん少数意見だろうが、ぼくは親子が同居するライフスタイルは日本人の遺伝子として消えることはなく、むしろ合理的な選択肢として再評価される日がくるのではと考えている。今日にように将来が不安視されるなかで、家族がそれぞれの役割を認め合って、日々の生活の安心を支え合うという生き方の復活である。
 長男、次男が止むを得ずに、わが家に緊急避難していたとき、ここは彼らのセーフティーネットだった。世間体は悪くても、お互いに安心できる気持ちを感じて合っていたのも事実である。
 別にぼくら夫婦が子離れできていないわけではない。この歳になっていろんなことが見えてきた。そうとしか言いようがない。
 話を戻す。
 おにぎりの入ったビニール袋を提げて、出かけて行った息子がすぐ引き返してきた。忘れ物を取りに戻ったらしい。おかあさんに、ありがとうぐらい言えよな、という気持ちもあって、ひと言、声をかけた。
「きょうが最後のおにぎりだな」
 息子はあわただしくドアを閉めながら、
「ううん。違うよ。最後じゃないよ」
「えっ、最後じゃないのか。おかあさんがそう言ってたぞ」
「いいや。まだだよ」
 ということは、まだ出て行かないつもりなのか。同居していながら、ぼくは息子のことがよくわかっていないようだ。カミさんは平然としていた。母親として、まだおにぎりを作り足りないのだろうか。

 後で判明したことだが、最後のおにぎりは明日28日の朝だった。写真がそれである。(この一文は28日に追加)