明日から入院 ― 2022年11月10日 19時45分

明日の昼過ぎ、車で6、7分の総合病院に入院する。この1週間はめまぐるしくて、精神的にこたえた。こんな話は書くまいと決めていたのだが、これもぼくが生きている証(あかし)の一部である。いつまでも避けて通ることはできないので、やはり吐き出すことにする。
いまも意識の底に鉛のかたまりがへばりついているみたいだ。「すい臓ガン」という言葉である。
先週の金曜日(4日)、すぐ近くの小さな医院で無料の健康診断「よかドック」を受けた。カミさんがいちばん心配していたのだが、このごろのぼくは声が弱々しくなって、「ずいぶん痩せたね」と言う人たちもいて、そのことは自分も自覚していたから、12年ぶりに自らすすんで受けた検診だった。
予想通り、以前からの糖尿病がほったらかしのままで悪化していて、医者から総合病院で徹底的に治療するコースを準備された。そのときは言われるままにすれば、血糖値が改善することは約束されているので、ああ、入院か、嫌だなぁ、と憂うつになる程度だった。
そして、一昨日の8日、総合病院の糖尿病センターで、また採血されて、入院が決定。ここまでは想定したコースである。
入院するには、さらに詳しい検査が必要ということで、その手順に従った。詳細は省くが、そこですい臓に腫瘍が見つかった、というわけである。
翌日、つまり昨日に会った若い外科医の見解も同じだった。ただ、「まだガンだと確定したわけではありません」という慰めの決まり文句はついていたが、ぼくの方から「すい臓ガンでしょ」と念を押した。
「可能性はありますね」
「かなり高いんでしょ」
「まぁ、そうですね」
そこからは早くも専門の検査と抗がん剤、手術の話に移って行った。もう、その気なのである。
糖尿病のことで病院に行って、よりにもよって、「すい臓に腫瘍がある」と宣告された夜はさすがに眠れなかった。
真っ黒な波間に沈み落ちて行くような長い、長い夜だった。何も知らずに隣りで眠っている妻の泣き顔が浮かんで、幸せにしてあげられなかったなぁと、かわいそうでならない。どうしても悪い方へ、悪い方へと想像が膨らんで行く。
昨日、有給休暇を取ってもらい、家にいたカミさんに、昼食後すべてを話した。
ガンが見つかって、逆によかった。手のほどこしようがないわけじゃない、手術ができるのは幸運だよ。息子がふたりとも福岡にいてよかったな。そんなプラス志向の面ばかりを言葉に力を込めながら話をした。カミさんはじっと堪えてくれたが、ひとりの夜はきっと泣くだろうな。
長男と次男には「入院の間、おかあさんを頼むぞ」と電話で報告した。ふたりとも「むしろ見つかってよかったじゃない。そうおもった方がいいよ。入院中、おかあさんのことはちゃんとフォローするから」と言ってくれた。
これもめぐりあわせだろうか、幸いなことに次男は漢方薬のメーカーで営業をやっている。お得意先には、医者から見放されて、漢方薬のお陰で末期ガンから全快した人もいるという。
「病院とは別に、やれることはやってみたいんだ。漢方薬でガンの増殖が止まってくれればいい。大量に飲んで、できれば少しでも小さくなってくれたら、もっといい。そしたら医者の見方も変わるだろうから。お前の仕事の守備範囲で協力してほしいんだ、頼むよ」
「もちろん!!」
いつもの次男らしく、きっぱりと力強い言葉が返ってきた。
「ありがとな」
不覚にも危うく声がふるえそうになった。
「アドバイザーがいっぱいいるから、いろいろ聞き込んで、しっかりやるから。おかあさんのことも兄貴と連絡をとってフォローするよ。それで、お金の方は大丈夫なの?」
長男は昨夜、仕事を終えて駆け付けて来た。
「おかあさん、ぼく、泊まりにくるよ」
今夜は、長男と宮崎に出張中の次男もさっそくおすすめの漢方薬を持ってくるという。
ぼくの戦いは、たちまち家族全員が支えてくれる総力戦になった。
しみじみおもう、いつの間にか、ふたりとも頼りになる男になったなぁ。そして、妻がいて、ふたりの息子が近くにいてくれてよかったなぁ、と。
これから先、このブログを闘病日記にするつもりはない。それは「風のひょう吉」にはまるで似合わない。
どういう運命が待ち受けているかわからないが、予定では、明日からたぶん半月ほど三食昼寝付きの治療の旅に出ることだけは決まっている。
まぁ、これも人生だ。ぼくが書く散文も、これを契機にひと皮もふた皮もむけそうな予感がする。
※知人の方へ。ご覧のように結論も、経過も、まだ何も出ていません。ご静観ください。
■道ばたにトノサマバッタが一匹いた。まわりに仲間はいない。はぐれものの、ひとり旅か。おい、お前。これからどこへ行くんだ。気をつけるんだぞ、元気でな。
いまも意識の底に鉛のかたまりがへばりついているみたいだ。「すい臓ガン」という言葉である。
先週の金曜日(4日)、すぐ近くの小さな医院で無料の健康診断「よかドック」を受けた。カミさんがいちばん心配していたのだが、このごろのぼくは声が弱々しくなって、「ずいぶん痩せたね」と言う人たちもいて、そのことは自分も自覚していたから、12年ぶりに自らすすんで受けた検診だった。
予想通り、以前からの糖尿病がほったらかしのままで悪化していて、医者から総合病院で徹底的に治療するコースを準備された。そのときは言われるままにすれば、血糖値が改善することは約束されているので、ああ、入院か、嫌だなぁ、と憂うつになる程度だった。
そして、一昨日の8日、総合病院の糖尿病センターで、また採血されて、入院が決定。ここまでは想定したコースである。
入院するには、さらに詳しい検査が必要ということで、その手順に従った。詳細は省くが、そこですい臓に腫瘍が見つかった、というわけである。
翌日、つまり昨日に会った若い外科医の見解も同じだった。ただ、「まだガンだと確定したわけではありません」という慰めの決まり文句はついていたが、ぼくの方から「すい臓ガンでしょ」と念を押した。
「可能性はありますね」
「かなり高いんでしょ」
「まぁ、そうですね」
そこからは早くも専門の検査と抗がん剤、手術の話に移って行った。もう、その気なのである。
糖尿病のことで病院に行って、よりにもよって、「すい臓に腫瘍がある」と宣告された夜はさすがに眠れなかった。
真っ黒な波間に沈み落ちて行くような長い、長い夜だった。何も知らずに隣りで眠っている妻の泣き顔が浮かんで、幸せにしてあげられなかったなぁと、かわいそうでならない。どうしても悪い方へ、悪い方へと想像が膨らんで行く。
昨日、有給休暇を取ってもらい、家にいたカミさんに、昼食後すべてを話した。
ガンが見つかって、逆によかった。手のほどこしようがないわけじゃない、手術ができるのは幸運だよ。息子がふたりとも福岡にいてよかったな。そんなプラス志向の面ばかりを言葉に力を込めながら話をした。カミさんはじっと堪えてくれたが、ひとりの夜はきっと泣くだろうな。
長男と次男には「入院の間、おかあさんを頼むぞ」と電話で報告した。ふたりとも「むしろ見つかってよかったじゃない。そうおもった方がいいよ。入院中、おかあさんのことはちゃんとフォローするから」と言ってくれた。
これもめぐりあわせだろうか、幸いなことに次男は漢方薬のメーカーで営業をやっている。お得意先には、医者から見放されて、漢方薬のお陰で末期ガンから全快した人もいるという。
「病院とは別に、やれることはやってみたいんだ。漢方薬でガンの増殖が止まってくれればいい。大量に飲んで、できれば少しでも小さくなってくれたら、もっといい。そしたら医者の見方も変わるだろうから。お前の仕事の守備範囲で協力してほしいんだ、頼むよ」
「もちろん!!」
いつもの次男らしく、きっぱりと力強い言葉が返ってきた。
「ありがとな」
不覚にも危うく声がふるえそうになった。
「アドバイザーがいっぱいいるから、いろいろ聞き込んで、しっかりやるから。おかあさんのことも兄貴と連絡をとってフォローするよ。それで、お金の方は大丈夫なの?」
長男は昨夜、仕事を終えて駆け付けて来た。
「おかあさん、ぼく、泊まりにくるよ」
今夜は、長男と宮崎に出張中の次男もさっそくおすすめの漢方薬を持ってくるという。
ぼくの戦いは、たちまち家族全員が支えてくれる総力戦になった。
しみじみおもう、いつの間にか、ふたりとも頼りになる男になったなぁ。そして、妻がいて、ふたりの息子が近くにいてくれてよかったなぁ、と。
これから先、このブログを闘病日記にするつもりはない。それは「風のひょう吉」にはまるで似合わない。
どういう運命が待ち受けているかわからないが、予定では、明日からたぶん半月ほど三食昼寝付きの治療の旅に出ることだけは決まっている。
まぁ、これも人生だ。ぼくが書く散文も、これを契機にひと皮もふた皮もむけそうな予感がする。
※知人の方へ。ご覧のように結論も、経過も、まだ何も出ていません。ご静観ください。
■道ばたにトノサマバッタが一匹いた。まわりに仲間はいない。はぐれものの、ひとり旅か。おい、お前。これからどこへ行くんだ。気をつけるんだぞ、元気でな。
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