選挙参謀のころ ― 2022年11月17日 13時58分

今日はちょっと硬くて、長い話になるかな。
今度の日曜日は福岡市長選の投票日。選挙の結果は見えている。48歳、現職の高島宗一郎市長(大分市出身)は絶頂期と言えるほど自信に満ちている。今回の争点は前回と同じく現職の信任投票だから、ほぼ無名に等しい野党統一候補がどこまで批判票を集められるかが注目点である。
評論家風なことを言うなと叱られそうだから、ここからはぼくが参謀を務めた選挙戦の体験を初めて書く。(参謀は表に顔を出すものではないと決めていたので)
まだ固有名詞は明かせないが、2期目を目指す現職側の陣営で、敗色濃厚な首長選をひっくり返したことがある。足早にざっと振り返るとー、
まず、公示直前に敵が奇襲を仕掛けて来た。当時の選挙区では現有の文化施設が老朽化していて、新しい大型の文化施設の建設計画が議会で承認されていた。ところが、その議案に賛成票を投じた某議員が手の平を返して、「箱もの行政」批判のビラを全戸に撒いて立候補したのだ。
ビラは新聞の号外そっくりに作られて、発行元の出版社の名前も載っていた。知らない人がみたら、いかにも客観的な報道記事だと受け取られるようにしていたのだ。だが、内容はねつ造そのものだった。原始的なブラックジャーナリズムの手口である。
ただし、その威力はすごかった。「箱もの行政」という言葉は反発を呼びやすい。そして、実際に大型施設を建設することは決まっている。敵はそこを突いて来たのだ。しかも、裏金に数百万円が動いているという利権話まででっち上げて。
わが陣営は猛烈な逆風に立たされてしまった。選対事務所の面々は怒り心頭だったが、しょっぱなから作り話の情報戦で先行されて、住民からは批判の声があがり、事務所のなかは重苦しい空気に一変してしまった。ポツリポツリと出る言葉は、いっそのこと文化施設の話には触れずおこう、こんなデマは無視するしかない、という声ばかり。
それは敗者の道である。そんなことをしたら、相手に好きなように得点を与え続けて、こちらは受け身一方の言い訳に追い込まれてしまう。ここは真正面からがっちり受けとめて、何がなんでも「箱もの行政」への批判を正反対の賛成へと転じなければ勝ち目はない。
ぼくもそうだったが、選対のなかでいいアイデアはだれも持っていなかった。だが、こんなときのやり方は知っている。わからないこと、知らないことは取材をすればいいのだ。
そこで単独行動で、それらしい人の知恵を求めて歩いた。そして、たどり着いたのが「タイシン」だった。折しも阪神大震災の恐怖が生々しく残っていたころ。さっそく、ペンをとって、反撃の原稿を書き、こちらもビラを撒いた。
「新しい文化施設は最新の耐震構造です。いまの古い建物は大地震が来たら崩壊する危険があります。住民の皆さん命を守るために、いますぐ必要なのです」
以後、敵の「箱もの行政」という唯一、最強の攻撃はピタリと止まった。
次は現職の強みを最大限に生かすことにした。両隣の著名な首長を呼んで、看板役者のそろい踏みを演出し、ニュース性の高い地域ビジョンを練って、「○○○連合の××サミット」を立ち上げる企画を書いた。
その際、事前に記者クラブに手まわをして、必ず記者発表をやること。写真撮影は3人の首長の真ん中に立つことを、現職の候補者に何度も念を押した。朝刊にでかでかと載った記事も写真も、当然のように主役はわが候補者になっていたのは、こちらの計算通りである。
選対の人たちはその新聞を広げて驚いていたが、なんということはない、元記者として、よくある広報戦略のやり方をやっただけのことだ。
ぼくの書いた戦略メモ「勝利のシナリオ」では、ここまでは情報戦、それから先は組織戦だ。その主役は女性たち。
ある日の午後、選対事務所で炊き出しをしている女性たちを集めて、現状の分析と彼女たちにしかできない役割をわかりやすく説明した。みんな初めて聞く戦場の話である。
「この選挙戦のカギを握っているのはあなたたちです。ここにいる7人がスタートです。今夜、ご家族にいまの話を伝えることから始めてください。そこから順々に仲間を増やして行って、2日後、3日後と少しずつ大きな波を起こしましょう。横のつながりのある女性だからできるんです。こんなことは男どもにはできませんからね」
話を終えたとき、彼女たちがうれしそうな顔をしていたことを思い出す。
友人のデザイナーに頼んで、ポスターもつくった。その際、縦と横のデザインを用意した。選対本部の面々に参加意識をもってもらうために人気投票をやったのだ。
男性陣が選んだのは、何十年も変わらない縦のポスター。女性陣の意見も聞いた。彼女たち全員が選んだのは横のデザインだった。やっぱりね、である。相手候補者のポスターをみたら、案の定、女性陣が嫌だと言っていた縦のデザインだった。
エプロン姿の女性たちは思いがけずに、自分たちの出番ができて、頭に「必勝」の鉢巻きをきりりと締めて、自分から勇んで選挙カーに飛び乗るようになった。
最後の総決起大会では、男性たちは全員が後ろに下がってもらい、女性部がビラ作りから受け付け、式次第作り、司会進行までのぜんぶを取り仕切った。いつの間にか、前代未聞の女性たちが表に出る選挙戦になっていた。(もちろん、男性たちもそれぞれの持ち場で奮闘した。)
大会の会場は押しかけた人たちで入りきれなかった。女性たちがいっぱい集まった。その数は近くで開かれていた敵の総決起大会を文句なしに圧倒した。
こうして投票日の前夜、ぼくたちは勝利を確信したのだった。
舞台裏を明かせば、ポスターは故中川一郎氏のそれを参考にさせてもらった。女性陣への働きかけは、これも前例があって、前参議院議長の山東昭子氏が参院全国区に初出馬したときのやり方をヒントにした。
山東氏は田中派が担ぎ出した候補で、企業ぐるみ選挙とたたかれたが、実は全国各地の自民党候補の選挙事務所の女性たちを味方につけていたのだ。
そのやり方はこうである。元女優の彼女が選挙事務所を訪ねたとき、真っ先に向かったのは食事当番の女性たちのところ。この思いがけない行動がエプロン姿の女性たちをいたく感激させ、山東ファンになって、全国各地で女性たちが燃え上がったのである。
最後に断っておく。選挙もやはり人である。あのときの現職候補は、ぼくにポンとまとまった資金を渡して、ひと言も口をはさまず、好きなようにやらしてくれた。戦略と作戦を立て、選挙公報からスローガン、ビラのすべてを書かせてもらった。それらを選対のみんなが息を吹き込んでくれた。感謝しかない。
脚本家の内館牧子さんがどこかで書いていたように、これからは自分の気持ちのなかに残っているもの(どなたもお持ちだろう)は出し惜しみをしないで、散文にもどんどん書いて行こうかなとおもっている。
■昨日の午後、カミさんが着替えを持って、面会に来てくれた。ふたりの間の壁はガラス張りで、荷物を直接手渡しすることもできない。顔をみながら、話はスマホで。許された時間は10分間だけだった。
■先ごろ、カミさんと団地の花壇をきれいにして、自宅にあったゼラニウムを植えた。いま、花たちへの水やりも彼女の当番になっている。
今度の日曜日は福岡市長選の投票日。選挙の結果は見えている。48歳、現職の高島宗一郎市長(大分市出身)は絶頂期と言えるほど自信に満ちている。今回の争点は前回と同じく現職の信任投票だから、ほぼ無名に等しい野党統一候補がどこまで批判票を集められるかが注目点である。
評論家風なことを言うなと叱られそうだから、ここからはぼくが参謀を務めた選挙戦の体験を初めて書く。(参謀は表に顔を出すものではないと決めていたので)
まだ固有名詞は明かせないが、2期目を目指す現職側の陣営で、敗色濃厚な首長選をひっくり返したことがある。足早にざっと振り返るとー、
まず、公示直前に敵が奇襲を仕掛けて来た。当時の選挙区では現有の文化施設が老朽化していて、新しい大型の文化施設の建設計画が議会で承認されていた。ところが、その議案に賛成票を投じた某議員が手の平を返して、「箱もの行政」批判のビラを全戸に撒いて立候補したのだ。
ビラは新聞の号外そっくりに作られて、発行元の出版社の名前も載っていた。知らない人がみたら、いかにも客観的な報道記事だと受け取られるようにしていたのだ。だが、内容はねつ造そのものだった。原始的なブラックジャーナリズムの手口である。
ただし、その威力はすごかった。「箱もの行政」という言葉は反発を呼びやすい。そして、実際に大型施設を建設することは決まっている。敵はそこを突いて来たのだ。しかも、裏金に数百万円が動いているという利権話まででっち上げて。
わが陣営は猛烈な逆風に立たされてしまった。選対事務所の面々は怒り心頭だったが、しょっぱなから作り話の情報戦で先行されて、住民からは批判の声があがり、事務所のなかは重苦しい空気に一変してしまった。ポツリポツリと出る言葉は、いっそのこと文化施設の話には触れずおこう、こんなデマは無視するしかない、という声ばかり。
それは敗者の道である。そんなことをしたら、相手に好きなように得点を与え続けて、こちらは受け身一方の言い訳に追い込まれてしまう。ここは真正面からがっちり受けとめて、何がなんでも「箱もの行政」への批判を正反対の賛成へと転じなければ勝ち目はない。
ぼくもそうだったが、選対のなかでいいアイデアはだれも持っていなかった。だが、こんなときのやり方は知っている。わからないこと、知らないことは取材をすればいいのだ。
そこで単独行動で、それらしい人の知恵を求めて歩いた。そして、たどり着いたのが「タイシン」だった。折しも阪神大震災の恐怖が生々しく残っていたころ。さっそく、ペンをとって、反撃の原稿を書き、こちらもビラを撒いた。
「新しい文化施設は最新の耐震構造です。いまの古い建物は大地震が来たら崩壊する危険があります。住民の皆さん命を守るために、いますぐ必要なのです」
以後、敵の「箱もの行政」という唯一、最強の攻撃はピタリと止まった。
次は現職の強みを最大限に生かすことにした。両隣の著名な首長を呼んで、看板役者のそろい踏みを演出し、ニュース性の高い地域ビジョンを練って、「○○○連合の××サミット」を立ち上げる企画を書いた。
その際、事前に記者クラブに手まわをして、必ず記者発表をやること。写真撮影は3人の首長の真ん中に立つことを、現職の候補者に何度も念を押した。朝刊にでかでかと載った記事も写真も、当然のように主役はわが候補者になっていたのは、こちらの計算通りである。
選対の人たちはその新聞を広げて驚いていたが、なんということはない、元記者として、よくある広報戦略のやり方をやっただけのことだ。
ぼくの書いた戦略メモ「勝利のシナリオ」では、ここまでは情報戦、それから先は組織戦だ。その主役は女性たち。
ある日の午後、選対事務所で炊き出しをしている女性たちを集めて、現状の分析と彼女たちにしかできない役割をわかりやすく説明した。みんな初めて聞く戦場の話である。
「この選挙戦のカギを握っているのはあなたたちです。ここにいる7人がスタートです。今夜、ご家族にいまの話を伝えることから始めてください。そこから順々に仲間を増やして行って、2日後、3日後と少しずつ大きな波を起こしましょう。横のつながりのある女性だからできるんです。こんなことは男どもにはできませんからね」
話を終えたとき、彼女たちがうれしそうな顔をしていたことを思い出す。
友人のデザイナーに頼んで、ポスターもつくった。その際、縦と横のデザインを用意した。選対本部の面々に参加意識をもってもらうために人気投票をやったのだ。
男性陣が選んだのは、何十年も変わらない縦のポスター。女性陣の意見も聞いた。彼女たち全員が選んだのは横のデザインだった。やっぱりね、である。相手候補者のポスターをみたら、案の定、女性陣が嫌だと言っていた縦のデザインだった。
エプロン姿の女性たちは思いがけずに、自分たちの出番ができて、頭に「必勝」の鉢巻きをきりりと締めて、自分から勇んで選挙カーに飛び乗るようになった。
最後の総決起大会では、男性たちは全員が後ろに下がってもらい、女性部がビラ作りから受け付け、式次第作り、司会進行までのぜんぶを取り仕切った。いつの間にか、前代未聞の女性たちが表に出る選挙戦になっていた。(もちろん、男性たちもそれぞれの持ち場で奮闘した。)
大会の会場は押しかけた人たちで入りきれなかった。女性たちがいっぱい集まった。その数は近くで開かれていた敵の総決起大会を文句なしに圧倒した。
こうして投票日の前夜、ぼくたちは勝利を確信したのだった。
舞台裏を明かせば、ポスターは故中川一郎氏のそれを参考にさせてもらった。女性陣への働きかけは、これも前例があって、前参議院議長の山東昭子氏が参院全国区に初出馬したときのやり方をヒントにした。
山東氏は田中派が担ぎ出した候補で、企業ぐるみ選挙とたたかれたが、実は全国各地の自民党候補の選挙事務所の女性たちを味方につけていたのだ。
そのやり方はこうである。元女優の彼女が選挙事務所を訪ねたとき、真っ先に向かったのは食事当番の女性たちのところ。この思いがけない行動がエプロン姿の女性たちをいたく感激させ、山東ファンになって、全国各地で女性たちが燃え上がったのである。
最後に断っておく。選挙もやはり人である。あのときの現職候補は、ぼくにポンとまとまった資金を渡して、ひと言も口をはさまず、好きなようにやらしてくれた。戦略と作戦を立て、選挙公報からスローガン、ビラのすべてを書かせてもらった。それらを選対のみんなが息を吹き込んでくれた。感謝しかない。
脚本家の内館牧子さんがどこかで書いていたように、これからは自分の気持ちのなかに残っているもの(どなたもお持ちだろう)は出し惜しみをしないで、散文にもどんどん書いて行こうかなとおもっている。
■昨日の午後、カミさんが着替えを持って、面会に来てくれた。ふたりの間の壁はガラス張りで、荷物を直接手渡しすることもできない。顔をみながら、話はスマホで。許された時間は10分間だけだった。
■先ごろ、カミさんと団地の花壇をきれいにして、自宅にあったゼラニウムを植えた。いま、花たちへの水やりも彼女の当番になっている。
最近のコメント