馬鹿だった2022年11月21日 12時44分

 今ごろになって、そうだ、そうだった、と気がついた。なんて馬鹿なんだろうと。
 ひょっとしたらという色気も多少はあって(宝くじだってそうでしょ)、よっちら、よっちら楽しみながら書き上げた散文(小説)を懸賞に応募して、すでに3回落選。いや、まだたったの3回だけか。
 まぁ、予想的中だから、やっぱりなと納得しつつ、最優秀に選ばれた人はすごいなぁ、プロはこれで食っているのだから、もっともっとすごいよなぁ、よく勉強しているよなぁ、と手の届かない、はるかな高みを見上げながら感心するばかりである。
 でも、そもそも売れている作家は昔も今もほんのひと握りしかいないのだ。まして出版不況が長引いているので、出版社からの仕事は本が売れる見込みのある人に殺到する。その他おおぜいの作家たちは声もかけてもらえない。でも、売れっ子作家の新刊本もそんなに売れていないのだろう、ブックオフの棚に大量に並んでいる有様だから。
 小林秀雄は作家になる心得を尋ねられて、そのひとつに「むずかしい本を読むこと」と書いていた。しかし、乱発される類の本はテレビのショー番組同様に、その場限りの消耗品のような気がする。そして、そのことに非常な危機感を持っている心ある作家たちもいる。
 ぼくが書いた下手な散文は選者たちの目からみたら、まるで商品価値がなかったことになる。いわゆるゴミ箱直行のボツ原(稿)と同じだ。いまは70歳過ぎて応募する人が増えているというから、いっぱいいるんだろうな、同じような人たちが。
 ネットに載っている小説公募の条件をみると、例外なくどこかに応募した作品はお断り、と書いてある。
 さらに落選した原稿は書き直しても当選の見込みはありません、次の作品に取りかかりましょう。書きたいテーマの引き出しは多い方がいいのですというアドバイスも書いてある。
 これをみて、ぼくはそうなんだろうなぁ、とおもっていた。そこが馬鹿だった。
 かわいがってくれた先輩のエース記者が原稿用紙に書いては消し、書いては消しをしていたことは、このブログでも紹介したことがある。
 大江健三郎は何度も書き直し、書き直ししながら、最後まで原稿を書き上げて、それからまた最初から書き直している。チェーホフも、村上春樹もそうだ。彼らは言葉や文章を磨きあげることをむしろ楽しんでいるらしい。
 ぼくが若いころ鍛えられた週刊誌の編集部でも、書き上げた特集記事をぜんぶやり変える光景はめずらしくもなかった。ぼくも何度も経験している。そんなことは百も承知だったはずなのに、散文の全面書き直しをしないままだった。
 落選した散文はみたくもないが、パソコンからもういちど引っ張り出してみようかな。
 唐突ながら、太宰治が井伏鱒二の選集記に寄せた文章にこんなことを書いている。当時、井伏が40歳のころのことである。

-井伏さんが銀座からの帰りに荻窪のおでんやに立寄り、お酒を呑んで、それから、すっと外へ出て、いきなり声を挙げて泣かれたことがあった。ずいぶん泣いた。途中で眼鏡をはずしてお泣きになった。私も四十歳近くになって、或る夜、道を歩きながら、ひとりでひどく泣いたことがあったけれども、その時、私には井伏さんのあの頃のつらさが少しわかりかけたような気がした。-

 結局は、この違いなんだね。書き直し云々(うんぬん)前に、肝心なことがあるということか。

 いまお隣のベッドから、おばんさん看護師さんが74歳の入院中の男性に言い聞かす声が耳に入ってきた。
「いいわね、このままじっと動かないようにしてね。息はしていいからね」
 ここまでわりとまじめに書いてきたのだが、おもわず噴きだしてしまった。

■井伏鱒二の本を持ってきた。こんな文章を書ける人は、いまはいないみたいだなぁ。