タノムヨナ、オネガイダカラ2022年12月14日 14時39分

 クリーム色のカーテンで仕切られた4人部屋の病室のベッドに腰掛けている。朝6時に起きてしまうと夜10時の消灯まで、一度もベッドに横になることはない。
 先月2週間入院したときもそうだった。昨日も、その前も、その前の日も1万2千歩以上歩いている。家でのインスリン注射と運動することで、以前よりもずいぶん元気になってきたから、重病人みたいにじっと寝てばかりではいられないのだ。
 昨日の午後、リュックを背負い、片手に手提げ袋を持って、30分ほど歩いて、またこの総合病院に入院した。2晩泊まる今度の加療の目的はスイシュ(ぼくの造語)退治の前哨戦で、はじめて抗がん剤なるものをからだのなかに入れることである。
 医学の専門用語も使われる薬品も、いまではネットで検索できるから、あらかたことは知っている。待ち受けている手術までのプロセスはお決まりのメニューで、それだけ多くの実績があるそうな。
 もとよりニュースで取り上げられるような最先端の医療は望むべくもない。それでも昨日、ぼくの様子を診(み)に来た担当の外科医は意外にも明るい顔をしていた。案外、いい男なのかもしれない。
 というのも、これまで2回診察を受けたときの顔はうつむきがちで、説明も聞けば答える方式だった。そのもやもやした態度がこちらにも敏感に伝染して、こんな若い医者で大丈夫かなと心もとなく感じていたのだ。
 話し方にも句読点が大事である。ちゃんと句読点を打って話す人は自信がある証拠で、句読点がはっきりしない人は自信のない人だという。どこかでそんな文章を目にしたことがある。ぼくの経験からもまったくその通りだとおもう。
 たぶん病名を告げるときの彼は緊張していたのだろう。それについはお互いさまだが、ここまで来て、そんな関係のままでいるのはいいことではない。
「それで、切腹の予定日はいつごろですか」
 そうたずねたら、
「切腹ですか」と初めて顔をほころばせたのである。これでたちまちリラックスした雰囲気になった。横にはインターン生だろうか、もっと若い医者が突っ立っていた。「切腹」なんて使い古されたセリフだが、若い彼らには新鮮でおもしろかったのかもしれない。これでは歳を食っている患者の方が若手をリードする精神科医のようなものじゃなかろうか。
 タノムヨナ、オネガイダカラ。
 そろそろ外来の診察時間が近づいてきた。先ほどお隣の同年輩の男性は、「浣腸の時間ですよ」と呼ばれて行った。
 ああ、浣腸されなくてよかった。
 ここでは他人の不幸がわが身の幸運に転じる。
 昼食をはさんで、このブログの続きを書きながら、また小林秀雄の文章を思い出した。繰り返しになるかもしれないけれど、自分のために書き留めておく。

-作家は、観照の世界という全く自然な心的態度のうちに棲むのだ。この世界にいると、実生活は狂態で充満していると見えるのが当たり前なのである-
(※観照 : 主観を入れずに落ち着いて物事の本質を思索、認識すること。客観的に美なるのを味わうこと。)

 そういえば先ほど飲んだ薬の説明書の副作用のなかに、「気持ちが悪い」、「吐く」、「頭痛」などのほかに、「現実からかけ離れた幸福感」というひと言があった。
 なんたることか。医学の世界もまさしく狂態で充満しているではないか。看護師さんにも見せたら、知りませんでした、とびっくりしていた。
 そんな副作用ならいつてもどうぞ。
 さぁ、いよいよ午前中に打った抗がん剤の点滴がからだじゅうにまわり始めたころ。これからどんな新しい景色がみえるだろうか。

※たった今、糖尿病の担当医師から聞いたところでは、飲んだ薬にはステロイドが入っていて、それは、いわば万能薬だという。抗がん剤の副作用を抑える代わりに、血糖値は上がる。頭痛も出れば、幸福感もあるとのこと。狂態は同居しているというべきか。

■室見川の河畔で食事中のコガモたち。ちょうど20羽いた。仲のいい夫婦連れもいるのだろうな。