どこにでもある話 ― 2023年06月25日 10時53分

メールを出そうか、出すまいか悩んでいる。迷っている理由は、メールの内容がすい臓がんとわかってから今日までのぼくの近況報告になっているからだ。
締めくくりに、お互いにがんばろうな、とひと言添えている。文章におかしなところはないのだが、ここ数年来会っていない相手のことが気になって、このメール出す手前で立ち止まったままだ。
その友は神奈川県M市の駅近くにあるマンションに奥さんとふたりで住んでいる。初めて会ったのは、ぼくが小学5年生に上がるとき。鹿児島の田舎町から転校して来た小倉の小学校、中学校時代のいちばんの仲良しで、狭い鉄道官舎のわが家に泊まりに来た夜は、車のワイパーが不要になる特許を取る話で夢中になって、夜更けの3時過ぎまでしゃべりまくったことがあった。
夏休みには小さな島の浜辺でキャンプもやった。同じクラスにいたそれぞれの初恋の女子をまるで自分だけのかわいい天使でもいるように告白し合ったり、お互いの結婚式にも出席した。社会に出てからも個人的にやりたいことや仕事の方でも、会社の枠や住んでいた場所を越えて援け合った思い出がいくつもある。
以前にもこのブログに書いたが、いまその友の記憶からぼくの存在が跡形もなく消えようとしている。もう消えてしまったかもしれない。穏やかな人柄も、明晰な頭脳も、ユニークな発想力も、すべてにおいて自慢の友だが、なぜか3年前に認知症になってしまった。
彼に関するいちばん新しい情報は1か月ほど前のもので、同じクラスメイトだった女性がメールで知らせてくれた。要介護4になり、ほぼ全面的に介助が必要な生活だという。まだ72歳なのに、自力で歩くことすらできなくなっているらしい。
そんな彼と日々の介護に追われている奥さんに向かって、ぼくのガンのこと、手術がうまくいって再発防止の抗がん剤治療をやっていることを伝えて、それがいったい何になるというのか。
考えたくもないが、きっとぼくのこともわからなくなっているのだ。奥さんだって、どう伝えたらいいのか、戸惑うだろう。
それでも、アイツに話しかけたい。いくら認知症が進んでいるとはいえ、わずかな口先、指先の動きひとつでも、懸命に闘っているはずなのだ。
オレはガンになったけど、手術をして最悪の事態からはひとまず脱出できた。お前も負けるな、がんばれ。オレがわかるか。わかるよな。わかってくれるよな。
そんなふうに、いますぐ何度も、何度も、声をかけたい。
ぼくの想像のなかの彼はいつもと変わらずにっこり笑って、わかっているよ、心配しなくていいよ、と答えてくれる。そして、いつものように、彼のやりたいことを話し始める。それからぼくのおもっていることを聴いてもらうのだ、いつものように。
そんなシーンがずっと頭のなかをぐるぐる回っている。そして、会えないまま亡くなった友や恩人の顔も出て来る。あのとき会っておけばよかったという後悔を乗せた車輪が記憶の行路を逆回転して行く。
このところ、よくおもう。自分のことを理解してくれる人が、無条件に信頼して受け入れてくれる人と言ってもいいが、そういう人が本当にいなくなってしまった。この世よりも、あの世の方に、会いたい人が多くなった。振り返れば、それこそアッという間にそうなっていた。
ガンも、認知症も、ぼくたちがそうなったように、だれもが、いつかかっても不思議ではない。どこにでもある話なのだ。
今日はどこにでもある話を書いた。
■メールは、もう一度書き直すことにした。
■先日の大潮の日、室見川の河口ふきんは家族連れでにぎわっていた。大人や子どもたちが探しているのは、砂のなかにいるシジミ貝。ここでは10円玉ぐらいの大きなものがとれる。ただし、砂を吐かせて、みそ汁にしても、あの独特の風味はまったく感じられない。貝の形や大きさが立派なだけに、期待外れでがっかりする。
それでもあちこち掘って、茶色のシジミがひょっこり露(あら)われるとうれしくなる。楽しそうな様子をみているうちに、久しぶりにバケツを提げて遊びたくなった。
締めくくりに、お互いにがんばろうな、とひと言添えている。文章におかしなところはないのだが、ここ数年来会っていない相手のことが気になって、このメール出す手前で立ち止まったままだ。
その友は神奈川県M市の駅近くにあるマンションに奥さんとふたりで住んでいる。初めて会ったのは、ぼくが小学5年生に上がるとき。鹿児島の田舎町から転校して来た小倉の小学校、中学校時代のいちばんの仲良しで、狭い鉄道官舎のわが家に泊まりに来た夜は、車のワイパーが不要になる特許を取る話で夢中になって、夜更けの3時過ぎまでしゃべりまくったことがあった。
夏休みには小さな島の浜辺でキャンプもやった。同じクラスにいたそれぞれの初恋の女子をまるで自分だけのかわいい天使でもいるように告白し合ったり、お互いの結婚式にも出席した。社会に出てからも個人的にやりたいことや仕事の方でも、会社の枠や住んでいた場所を越えて援け合った思い出がいくつもある。
以前にもこのブログに書いたが、いまその友の記憶からぼくの存在が跡形もなく消えようとしている。もう消えてしまったかもしれない。穏やかな人柄も、明晰な頭脳も、ユニークな発想力も、すべてにおいて自慢の友だが、なぜか3年前に認知症になってしまった。
彼に関するいちばん新しい情報は1か月ほど前のもので、同じクラスメイトだった女性がメールで知らせてくれた。要介護4になり、ほぼ全面的に介助が必要な生活だという。まだ72歳なのに、自力で歩くことすらできなくなっているらしい。
そんな彼と日々の介護に追われている奥さんに向かって、ぼくのガンのこと、手術がうまくいって再発防止の抗がん剤治療をやっていることを伝えて、それがいったい何になるというのか。
考えたくもないが、きっとぼくのこともわからなくなっているのだ。奥さんだって、どう伝えたらいいのか、戸惑うだろう。
それでも、アイツに話しかけたい。いくら認知症が進んでいるとはいえ、わずかな口先、指先の動きひとつでも、懸命に闘っているはずなのだ。
オレはガンになったけど、手術をして最悪の事態からはひとまず脱出できた。お前も負けるな、がんばれ。オレがわかるか。わかるよな。わかってくれるよな。
そんなふうに、いますぐ何度も、何度も、声をかけたい。
ぼくの想像のなかの彼はいつもと変わらずにっこり笑って、わかっているよ、心配しなくていいよ、と答えてくれる。そして、いつものように、彼のやりたいことを話し始める。それからぼくのおもっていることを聴いてもらうのだ、いつものように。
そんなシーンがずっと頭のなかをぐるぐる回っている。そして、会えないまま亡くなった友や恩人の顔も出て来る。あのとき会っておけばよかったという後悔を乗せた車輪が記憶の行路を逆回転して行く。
このところ、よくおもう。自分のことを理解してくれる人が、無条件に信頼して受け入れてくれる人と言ってもいいが、そういう人が本当にいなくなってしまった。この世よりも、あの世の方に、会いたい人が多くなった。振り返れば、それこそアッという間にそうなっていた。
ガンも、認知症も、ぼくたちがそうなったように、だれもが、いつかかっても不思議ではない。どこにでもある話なのだ。
今日はどこにでもある話を書いた。
■メールは、もう一度書き直すことにした。
■先日の大潮の日、室見川の河口ふきんは家族連れでにぎわっていた。大人や子どもたちが探しているのは、砂のなかにいるシジミ貝。ここでは10円玉ぐらいの大きなものがとれる。ただし、砂を吐かせて、みそ汁にしても、あの独特の風味はまったく感じられない。貝の形や大きさが立派なだけに、期待外れでがっかりする。
それでもあちこち掘って、茶色のシジミがひょっこり露(あら)われるとうれしくなる。楽しそうな様子をみているうちに、久しぶりにバケツを提げて遊びたくなった。
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