ウナギ捕りのこども名人2023年07月23日 10時19分

 30日の土用の日を控えて、スーパーではウナギのかば焼きの予約販売がにぎやかである。原寸大のウナギのかば焼きの写真がどーんと入ったチラシが行く先々の店頭に貼ってある。ウナギにとっては、一年中でいちばん迷惑至極な受難の日であろう。
 それにしても値段が高くなったものだ。ニホンウナギは絶滅危惧種に指定されているが、絶滅危惧種をひっそりとならまだしも、こんなに大騒ぎして食べていいのだろうか。きちんと保護しないでいいのか。何のための指定なのか。なんでこんなにわかりにくいことをするのだろう。
 子どものころ、生まれた土地の宮崎県北部のちいさな町はV字型の地形で、急斜面の底には一級河川の五ヶ瀬川が流れていた。父の仕事の関係で、小学校1年生を迎える春に引っ越した鹿児島県の桜島の南方にある港町にも、当時住んでいた鉄道官舎のすぐ下を子どもでもヒョイヒョイ渡れる浅い川が流れていた。どちらの川もアユやウナギがいっぱいいた。
 あのころのウナギは買うモノではなかった。食べたくなったら、川から捕ってくるモノだった。もちろん、すらりとした天然モノで、ボテッとした養殖ウナギなんか見たこともなかった。捕ってきたウナギは父が包丁で割いて、七輪に乗せた金網の上で焼いた。天然ウナギの本格炭火焼である。
 都会の小倉に引っ越して、初めて養殖のウナギを食べたとき、両親は妙なものが口に入ったというような顔をして、「養殖モノは脂ぎってて、においが臭い」と箸を引っ込めた。ぼくも「こんなのウナギじゃない」と食べる気がしなかった。
 ウナギは水がきれいな川にいる。養殖ウナギは濁った池で飼われている。天然ウナギの好物は生きているアユなどで、養殖ものは何だかわけのわからないものを食べて大きくなっている。絶対に天然モノの方がおいしい。それがぼくたちのジョーシキだった。
 父はウナギ捕りの名人だった。そのことはいつか別の機会に書くとして、子どもたちのなかにも名人がいた。昭和30年はじめのころの田舎の子どもたちの川遊びがどんなものだったか、ほんのごく一端を書いておこう。
 その男の子の名前は忘れてしまったので、仮にN君としておく。同級生だったが、ぼくたち悪ガキたちとは一緒に遊ばない静かな男の子で、夕方ちかくになると自宅のすぐ前を流れている川にやってくる。いる場所はいつも決まっていて、地べたから川のなかに一歩踏み出したところにある、人ひとりが座れるほどの石の上である。
 水の深さは30から40センチぐらい。歩くような速さで流れてくる水はこの石にぶつかって、ゆっくり渦を巻きながら左右に分かれ、底の方の水流は石の下へと潜って行く。ウナギはその石の下にある暗い穴の奥に隠れているのだ。
 石の下の穴のなかに、腕を突っ込むと肩まで水に浸かってもまだ奥まで届かない。一辺が50センチほどの四角い石の下がどうなっているのか。どこにウナギの隠れ家があるのか、解けない謎だった。大雨が降れば小さな川はたちまち濁流となって、石の下の構造もがらりと変わってしまうのだ。
 ぼくはウナギ用の釣り針を太い糸で結んで、そこらへんから大きなミミズをつかまえてきて針につけて、その釣り針を小刀で切った短い竹竿の先に引っかけて、そっと石の下に突っ込むのだが、いくらやってもウナギは食いつかないのである。
 ところが、おとなしいN君だけは特別の才能があった。見たところ道具もエサも釣り方もぼくらと変わったところはない。違うところは必ずブリキのバケツを横に置いていることで、それは絶対に釣る、という自信の表れなのである。そして、その通りになるのだった。
 彼がいるのは10分か、せいぜい20分ぐらい。40センチほどのウナギを釣り上げるとさっさと店じまいして家に帰る。そこには1匹だけしかいないことを知っているのだ。数日置いて、また同じ場所に座る。空き家になった石の下に、別のウナギが棲みつくのを川の様子で窺(うかが)っているのである。
 N君が大きなやつを釣り上げるとぼくたちは拍手喝采をしたものだが、だんだん見慣れて来て、N君はとうとう川の景色の一部になってしまった。この石はN君だけの聖地になった。ぼくらはみんなあきらめた。
 お馴染みの井伏鱒二に、ウナギ釣りに関するこんな文章がある。
 -夕方になると、翌日の釣り場に豫定した鰻の穴を一つ一つ竹切れでこねまわして歩き、素人の私たちに釣れないように鰻を威かした。翌日、自分だけが釣るためである。怖るべき自信であり、怖るべき釣り技である-
 N君もまた怖るべきウナギ釣りの名人であった。今でもウナギをみると、あのころの川の匂いや暴れまわるウナギを両手でつかまえた感触を思い出す。

■買い物の途中、ハグロトンボを見つけた。すぐそばには農業用の細い水路が通っている。水とトンボは切っても切れない仲。あの鹿児島のちいさな川には、川面を覆いつくすように赤トンボの群れが飛んでいた。