音信不通の友に送る2024年06月18日 16時49分

 あいつ、どうしているのかなぁ。
 メールの返事が来ていいはずなのに、昨日も今日も音沙汰なし。顔が見えない無言の状況は、日が経つにつれて連絡を待つ身を不安にさせる。
 仲のよい友だち同士でも、恋人とのあいだでもありがちなことだが、ぼくたちの年代では心配する内容そのものが違ってくる。不安を感じるのは、相手の「こころ」ではなくて、その人の「からだ」になるのだ。
「あいつ、どうしているかなぁ」には、「あいつ、生きているかなぁ」の意味が隠れている。そうおもう理由は、「歳をとったらわかるよ」というほかない。
 歳のせいか、前置きが長くなった。(以後、敬称略で書く)
 先日、小倉にいる高校と大学が一緒だった友人Hから電話がかかってきた。
 サンパウロにいるSにLINEでメールを送ったけれど、返事が来ない。いままでこんなことは一度もなかった。何かあったのだろうか。そういう趣旨だった。
 そこで、ぼくも同じことをした。Hはもう一度、Sにメールを出した。
 だが、どちらにも返答はなし。あれから2週間を過ぎても、送ったメールは「既読」にもなっていない。
 つまり、Sはスマホを見ていないということだ。そのことは、もしかしたら触ることもできなくなっているのだろうかという妄想につながっていく。
 ぼくたち3人は、自分たちで「N高3人組」と名乗る仲である。決してほかの同期生に対して、みずから好んで一線を引いているわけではないが、Sがブラジルから帰国するたび、このメンバーで飲んでいるうちに、いつの間にかそう呼ぶようになった。
 日本が正午のとき、サンパウロは深夜零時。こちらが真夏なら、向こうは真冬。Sは丸い地球の上で、ぼくたちとはいちばん遠いところで暮らしている。
 その彼が還暦を過ぎたころから、日本に帰りたがっていることも、どんなに帰りたくても帰れない理由も、ぼくたちはわかっている。
 高校時代からスケールの大きな夢を抱いて、北海道で酪農の技術を学び、単身でブラジルに移住したSに、こころからの敬意を払う気持ちにうそ偽りはないけれど、オレたちの近くに戻ってくればいいのになぁ、としみじみおもう。
 昨年の10月、福岡市内で一緒に5時間ほど飲んだとき、「日本の桜の花を見たいなぁ。来年の春にまた帰って来るから、この3人で花見をやろうよ」とSは言っていた。その約束も実現できていないままだ。
「お前のブログをたのしみに読んでいるからな。もっと書けよ」と彼は言っていた。
 だから、きょうはそのことを期待して書いた。

■青い空から滑るようにして、ツバメが舞い降りて来た。海の向こうのどこの国から飛んで来たのだろうか。それともこのあたりで、この春に生まれた二世だろうか。