選挙に勝てる顔って、どんな顔? ― 2024年09月19日 18時40分

候補者9人が表舞台に出そろって、いくらか熱を帯びてきた自民党の総裁選。こちらは党員ではないので、その他大勢の人々と同様に、ただ見ているしかない。
だが、いくら関与できないとはいえ、次期首相が決まってしまうのだから、そうそう無関心でもいられない。そこで、こんなときに役立ちそうな「先賢たちのためになる考え方や見方」について触れておこう。
某紙の調査によると、現時点での党員・党友票(地方票)の動向は下馬評どおりに小泉進次郎がトップで、以下は高市早苗、石破茂と続いている。
まず一発、言っておきたいことがある。
先日、紹介した半藤利一さんはリーダー像について、同じ本のなかにこんな一文を書き残している。
「ためしに使ってみよう、あるいは瀬踏みのつもりでやらせてみよう、若輩なのだからしくじってもしようがない、などと思った覚えはありませんか。これがもっともよくない」
見識豊かな先人の知恵とはありがたいものだ。まるで今日の総裁選の顔ぶれを見通していたかのような助言ではないか。このひと言だけでも、ちょっと待てよ、と別の角度で考えてみるきっかけになる。
次に、作家の大江健三郎が残した文章を抜粋して紹介する。少し長くなるが、なるほどなぁ、と思い当たることがあるのではとおもう。(『「話して考える」と「書いて考える」』より)
「バブル崩壊後に続く、あきらかに政府に責が帰せられねばならない永い経済不況のなかで、国民から圧倒的な支持を受けた首相が小泉純一郎でした。小泉は、その実態を示すことなくかかげた「構造改革」というトレード―マークと、やはり内容をともなわない口頭表現の切れ味のよさによって人気を得たのでした。」
そして、石原慎太郎、田中真紀子との共通性に触れた上で、こう書き進めている。
「石原の――また、かれと多様な側面で共通する資質の田中の――単純だが明確な定義を持たない言葉の並列は、普通なら批判的中立をたもつべきトーク・ショーの司会者によってにこやかに支持されてきました。司会者は、ただ座談会の場の協調の気分を守るための役割なのです。」
さすがに文章を磨き続けていた作家だけあって、耳から入ってくる話し言葉のあやうさをよく知っている。政治記者やこの道の解説者たちとは、人物や世のなかの変調を見抜く観察力でも鋭さが違う。そして、その目線はぼくたちにも向けられている。
「マスコミ社会のヒーローたちが、出版においてであれ、政治においてであれ、有効な武器としている特性(※小泉の「内容をともなわない口頭表現」とか、石原や田中の「単純だが明確な定義を持たない言葉の並列」のこと)は、かれらがテレビのトーク・ショーに出演する時、異様なほど似かよって表れます。受け手――つまり日本の民衆が――同一である以上、それはいかにも当然のことかもしれません。」
半藤も、大江も、この国の目にあまる劣化に、黙っていられなかったことがよくわかる。その場その場をリアルタイムに追いかけるテレビや新聞などでは、まず見られない指摘である。
小泉純一郎が初の総裁ポストを射止めたときの総裁選では、あの田中真紀子が抱きつかんばかりに応援団長を買って出た。その派手な千両役者ぶりは、世間からやんやの喝采を浴びて、小泉は圧勝した。
歴史の教訓(?)で言えば、あれこそが今どきの「選挙に勝てる顔」である。
総裁選は最終的には候補者9人の組み合わせの数で決まる。権力闘争は打算や陰謀がつきものだ。表舞台の裏側で、キングメーカーになりたがっている人物もいるだろう。
まだきっとひと山、ふた山ある。何が起きても不思議ではない。
今日は見物席から、「こんな見方もあるのだ」という立ち位置で、独りごとを書いた。
■写真は、先日の夕方にスマホで撮影したもの。久しぶりに、ザアーッときた雨があがったので、カミさんといつものように散歩に出たら、東の空に二重の虹がかかっていた。
空にかかった虹を見るとその足元に走って行って、七色の丸くておおきな橋の上を歩いてみたくなる。そのときのぼくは、子どものころに帰っている。
だが、いくら関与できないとはいえ、次期首相が決まってしまうのだから、そうそう無関心でもいられない。そこで、こんなときに役立ちそうな「先賢たちのためになる考え方や見方」について触れておこう。
某紙の調査によると、現時点での党員・党友票(地方票)の動向は下馬評どおりに小泉進次郎がトップで、以下は高市早苗、石破茂と続いている。
まず一発、言っておきたいことがある。
先日、紹介した半藤利一さんはリーダー像について、同じ本のなかにこんな一文を書き残している。
「ためしに使ってみよう、あるいは瀬踏みのつもりでやらせてみよう、若輩なのだからしくじってもしようがない、などと思った覚えはありませんか。これがもっともよくない」
見識豊かな先人の知恵とはありがたいものだ。まるで今日の総裁選の顔ぶれを見通していたかのような助言ではないか。このひと言だけでも、ちょっと待てよ、と別の角度で考えてみるきっかけになる。
次に、作家の大江健三郎が残した文章を抜粋して紹介する。少し長くなるが、なるほどなぁ、と思い当たることがあるのではとおもう。(『「話して考える」と「書いて考える」』より)
「バブル崩壊後に続く、あきらかに政府に責が帰せられねばならない永い経済不況のなかで、国民から圧倒的な支持を受けた首相が小泉純一郎でした。小泉は、その実態を示すことなくかかげた「構造改革」というトレード―マークと、やはり内容をともなわない口頭表現の切れ味のよさによって人気を得たのでした。」
そして、石原慎太郎、田中真紀子との共通性に触れた上で、こう書き進めている。
「石原の――また、かれと多様な側面で共通する資質の田中の――単純だが明確な定義を持たない言葉の並列は、普通なら批判的中立をたもつべきトーク・ショーの司会者によってにこやかに支持されてきました。司会者は、ただ座談会の場の協調の気分を守るための役割なのです。」
さすがに文章を磨き続けていた作家だけあって、耳から入ってくる話し言葉のあやうさをよく知っている。政治記者やこの道の解説者たちとは、人物や世のなかの変調を見抜く観察力でも鋭さが違う。そして、その目線はぼくたちにも向けられている。
「マスコミ社会のヒーローたちが、出版においてであれ、政治においてであれ、有効な武器としている特性(※小泉の「内容をともなわない口頭表現」とか、石原や田中の「単純だが明確な定義を持たない言葉の並列」のこと)は、かれらがテレビのトーク・ショーに出演する時、異様なほど似かよって表れます。受け手――つまり日本の民衆が――同一である以上、それはいかにも当然のことかもしれません。」
半藤も、大江も、この国の目にあまる劣化に、黙っていられなかったことがよくわかる。その場その場をリアルタイムに追いかけるテレビや新聞などでは、まず見られない指摘である。
小泉純一郎が初の総裁ポストを射止めたときの総裁選では、あの田中真紀子が抱きつかんばかりに応援団長を買って出た。その派手な千両役者ぶりは、世間からやんやの喝采を浴びて、小泉は圧勝した。
歴史の教訓(?)で言えば、あれこそが今どきの「選挙に勝てる顔」である。
総裁選は最終的には候補者9人の組み合わせの数で決まる。権力闘争は打算や陰謀がつきものだ。表舞台の裏側で、キングメーカーになりたがっている人物もいるだろう。
まだきっとひと山、ふた山ある。何が起きても不思議ではない。
今日は見物席から、「こんな見方もあるのだ」という立ち位置で、独りごとを書いた。
■写真は、先日の夕方にスマホで撮影したもの。久しぶりに、ザアーッときた雨があがったので、カミさんといつものように散歩に出たら、東の空に二重の虹がかかっていた。
空にかかった虹を見るとその足元に走って行って、七色の丸くておおきな橋の上を歩いてみたくなる。そのときのぼくは、子どものころに帰っている。
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