遠くにいる家族、近くにいる家族2025年01月25日 11時51分

 家(うち)にこもっていると自分の方から仕掛けない限り、人に会うことはまずない。カレンダーや手帳にスケジュールを書き込むこともなく、どこの日付も空白だらけである。
 緑色のポールペンで目立つように記入してあるのは病院に行く日。消しゴムをゴシゴシやって、鉛筆の跡がうすく残っているところもある。つい先日、ずっとたのしみにしていた予定が消えた。
 晩酌をやっていたときにスマホが鳴った。電話をかけてきたのは小倉にいる高校の同級生H君で、ブラジルから帰国中のS君が福岡に来れなくなったという。
 S君夫婦が東京で身を寄せている娘さんの体調がよくなくて、一緒にいてあげたい、ということだった。彼らの親ごころはよくわかる。約束していた『西高3人組』の飲み会はまた先送りになった。
 こんな知らせが入ると胸がざわつく。
 S君親子は地球上でいちばん遠い反対側に別れて暮らしていて、娘さんはがんを患ったことがあると聞いていたから、彼と奥さんの心情をおもうとなおさらである。電話をしても応答がないので、「心配だね。側に居てあげて下さい」のメールをおくった。
 返信はなし。いまだに「既読」のマークはついていないままだが、考え過ぎるのは自分の不安の裏返しだとおもい、そっとしておくことにした。
 昨年は訃報続きだった。そのなかでひとつの光明は、横浜にいる後輩のA君で、脳梗塞で危機一髪のところをよくぞ脱してくれた。元気になったみたいだから、こうして書けるのだが、「もう勘弁してくれよ、このうえ年下の友まで先に逝かれたらたまらんぞ」とおもった。
 A君とその仲間との九州旅行も二度、取り止めになっている。そういう年まわりなのだろう。
 さて、カミさんにも話したが、人はそれぞれの考え方や生き方があるのは別の問題として、自然界の法則からすれば、生物は生殖の相手を探して、首尾よく子孫を残したら、生まれてきた役割は終わりである。その点、ぼくは生物としての務めは果たしている。そう割り切ったら、気持ちが羽のように軽くなった。
 写真は、初孫のKo君の満一歳の誕生日を祝うオリジナルの号外である。長男のお嫁さんが作ってくれた。いまはこんな記念特集の紙面をだれでも作れるのかと感心した。
 いいなぁ、いまどきの親子はスマホで動画も撮れるし、こんなたのしい思い出づくりも簡単にできて。
 世のなかは進んでいる。ぼくもカミさんもぜんぜん知らないことがどんどん増えている。
 冷蔵庫のドアを開け閉めするたびに、Ko君の無邪気な笑顔が目に入る。
 そのほっぺたを指先でチョン! とさわって、俺の役目はもう十分じゃないかとおもったりする。

■昨夜、沖縄の出張から戻ってきたばかりの次男が漢方薬を届けてくれた。近くに家族がいるのは、それだけでも仕合わせである。