気分を変えて、芋でも食うか2025年06月25日 16時01分

 予定していなかった「安息の日」の静かな朝を迎えている。
 カミさんは5時前に起きて、早々とパートへ。ぼくは「一畳一夢」の居場所、つまり「机と椅子がある畳1枚分のスペース」のいつものところへ。
 抗がん剤の点滴を打っていないので、少しずつ体調も気持ちも上向きモードである。
 この間、世のなかの動きを横目でみていた。日本では「沖縄慰霊の日」の当日も、世界のあちこちでミサイルが飛び、市街地をめがけて、そこにいる人々もろとも粉々にする爆弾も次々に落とされている。
 戦争の時代だなぁ。よくもまぁ、あんなに簡単に人を殺すよなぁ。ロシアも、イスラエルもやり過ぎだろ。おいおい、トランプさんよ、イランとの核合意から離脱して、ここまでの事態に追い込んだきっかけを作ったのは、ほかならぬお前さんだろ。
 目にあまる国際法違反のイスラエルのやり方を批判すると、反ユダヤ主義の鉄砲玉が飛んでくるかもしれない。
 でも、ぼくは日本人である。
 先の戦争の悲惨な事実と歴史の重みを受け継いでいる。「戦争の放棄」を世界に宣言した憲法を持ち出すでもなく、戦争に反対するに決まっているのではないか。
 この立場は別にして、人間のやることついて考えさせられることも多い。
 イスラエルはイラン軍の最高司令官や参謀のトップだけではなく、原子力の科学者たちまでピンポイントで殺害した。とくに科学者の皆殺しをはかったことがある記憶を呼び覚ました。
 アメリカが核兵器を独占していたとき、ときの大統領のトルーマンはその技術を絶対に他国にもらさないよう開発チームに厳命した。ところがまもなく旧ソ連が核実験を成功させた。
 原子爆弾の極秘技術がソ連にもれていたのだ。それをやったのは当のアメリカの科学者たちだった。
「原子爆弾をアメリカ一国が独占するのは、世界の平和のためによくない」
 そう考えぬいた末の行動だったという。ソ連の方もそんな論法を使って、科学者特有の倫理感につけこんで、巧妙にくどき落としたのだろう。
 武器を持たないイランの科学者を殺害したイスラエル軍の作戦本部は、この前例を教訓にしたのだろうか。
 平和を願う沖縄やその周辺でも、そして、ぼくたちのすぐお隣の佐賀空港にはオスプレイが配置されて、中国を想定した軍事基地化が急速に進んでいる。
 人間とは、歴史とは、なんと因業の深いものかとおもう。
 一畳の空間から目の前で起きている現実を変えることなどできっこないが、たまにはこんなブログを書きたくなる。
 いま10時45分。さて、小腹がすいてきたので、カミさんがふかしてくれた芋でも食うか。

■アビスパ福岡のFW、シャハブ・ザヘディが母国のイランから帰ってきた。ヘルニアの手術のために帰国していたもので、イスラエルからのロケット弾やミサイルが飛んでくるなか、家族を残して、バスやタクシーを乗り継ぎ、トルコのイスタンブールまでの長い距離を移動したそうだ。
 もう戻って来ないのではとおもっていた。よくぞ、チームに帰ってくれた。日本が平和な国でよかった。がんばれ、応援するぞ。
 写真は、ザヘディを取り上げた、きょうの地元紙の朝刊の記事。左の青いショルダーバックはアビスパ会員の景品で、これを持っている人は古株のサポーターの証(あかし)。