「自民党をぶっ壊す」を読む-2 ― 2021年03月17日 14時35分

先のブログの続きを書く。
ぼくが記者を辞めて、20余年後に、財政投融資をめぐる覇権争いの第2幕が開くとは思いもよらなかった。
時代は変わって、主役は小泉純一郎に移る。彼は総裁選に3回挑戦して最高権力者になった。ここからは権力闘争が主題になる。
小泉は田中角栄の生涯の敵だった福田赴夫の秘書をしていた。先ごろ東京オリンピック競技大会組織委員会会長を辞任した森喜朗と並んで、福田派の格さん、助さんと呼ばれていた人物である。そして、小泉も郵政大臣を経験している。
もっと言えば、建設国債を初めて発行したのは、佐藤内閣のときに大蔵大臣をしていた福田赴夫で、その建設国債と公共事業がリンクしていることはすでに述べた。
福田の子飼いだった小泉は、「自民党をぶっ壊す」と宣言して、悲願の総理のイスに座るやいなや、闘争心をむき出しにして、「政治生命を賭けて郵政改革をやる」と乗り出した。
そのとき、ぼくはピン!ときた。
そうか、小泉にとって「角福戦争」は終わっていなかったのだ、親分だった福田の敵討ちをやる気なのだ、と。
福田は勝利を確信していた1978年の総裁選の予備選で、田中の支持を受けた大平にまさかの敗北を喫した。そのとき福田は悔しさを押し殺して、「天の声にも変な声がたまにはある」との名セリフを残して、官邸を去った。小泉の胸中、推して知るべし、である。
福田は東大法学部を主席で卒業し、大蔵省の主計局長を務めたエリート。対する田中は尋常高等小学校卒から土建業経営のたたき上げ。ともに佐藤内閣を支えたころからの終生のライバルで、田中は「福田の泣く顔が見たい」と言っていた。
そうした事情から、「自民党をぶっ壊す」と言った小泉の標的は、仇敵の経世会(旧田中派)と見るのが至当だろう。それをたたきつぶす手段として、小泉は先にふれた財政投融資に狙いを絞ったのではないか。だからこその郵政改革ではなかったか。
ぼくにはそう思えてならない。実際、小泉と親しかったある人物も同様の発言をしている。これが永田町の論理というか、政治感覚である。
権力闘争とは凄まじいものだ。小泉は反対する者にはすべてに「抵抗勢力」のレッテルを貼って、問答無用で切り捨てた。郵政選挙では抵抗勢力と決めつけた自民党代議士を公認せず、さらにその選挙区に新たな公認候補の「刺客」を送った。
あのやり口は、田中角栄がロッキード事件の時の法相だった稲葉修(三木派)の選挙区に、「刺客」を立てたことをほうふつとさせる。そのころ稲葉の選挙区を取材したぼくには、田中がやったことを、そのまま小泉がやり返したように映った。
ときは移り、郵政改革ははたして国民にとって幸せだったかどうかが気にかかる。
一昨年、民営化された日本郵政の郵便局員に保険契約増の過酷なノルマが課され、それによって多くの高齢者が甚大な被害に遭ったことが明らかになった。確かに特定郵便局の世襲化には首をかしげることもあったが、世襲化の問題なら、政治家だってそうだろう。ちなみに小泉純一郎は3世議員だった。いまの進次郎は、なんと4世である。
「三角大福中」はみな世襲ではない。また先の戦争を体験している。それぞれ強烈な個性の持ち主で、いずれも総理の在任中、得意な分野で成果を上げた。
人物像を語るのにレッテル貼りは危険だが、総理の座に就いた順に、ざっと彼らの政権のイメージを言えば、田中の「金権政治」の後に、「クリーン三木」、次は「経済の福田」、自民党最大の危機と言われた「40日抗争」の末に急死した大平は、日本の最高クラスの知性を集めて、環太平洋構想、総合安全保障、田園都市構想など、いまなお高く評価される政策研究会の報告書を残した。中曽根はそれを下敷きして政策を実行した。
激しい派閥抗争を繰り広げながらも、自民党では前政権とは異質のリーダーが次の政権を担い、前任者の傷跡をリカバリーする作用が働いていたのだ。
さて、いまはどうか。小泉、安倍、菅の後継者リレーの特徴は「前任の路線を、さらに推し進める」である。「反対すると飛ばされる」、永田町にはそういう空気が蔓延しているという。
その半面、外交では先人たちが汗を流して築いた中国、韓国との友好関係は、いったん逆風が吹くと、成すすべもなく雲散霧消させてしてしまった。
小泉政権の「構造改革なくして、景気回復なし」、「グローバルスタンダード」とひとつ覚えのように進めた政策の結果が「勝ち組、負け組」という差別をもたらし、後継者の安倍政権の下で、より深刻な格差社会と大量の非正規雇用者を生み出している。その片方で、小泉政権の閣僚として構造改革を推し進めた竹中平蔵は派遣大手のパソナグループの会長におさまっている。おもわず、うーん、とうなってしまう。
世界がうらやむ「一億総中流社会」だった日本は、年収200万円以下の人たちが国民の4割を占めるという恐るべき社会に変貌した。そこを新型コロナウィルスが直撃したのだから、たまったものではない。菅の言う「自助」だけで、どうなるものではない。
いったい小泉の構造改革とはだれのためのものだったのか。確かに、ときの経団連会長をはじめ、もろ手をあげて歓迎した経営者もいる。
しかし、グローバル資本主義の旗振り役のひとりだった中谷巌が「懺悔(ざんげ)の書」で述べているように、それは「負の効果」ももたらす。アメリカ発のグローバル資本主義を模範とした小泉構造改革は、日本人の伝統的な長所や強みをメチャクチャに破壊したのである。アメリカで広がった深刻な格差社会はそのまま日本に移植されてしまった。状況はさらに悪くなっているとおもう。
最後に、「鬼平犯科帳」の作者・池波正太郎の言葉をあげておく。(「新銀座日記」1989年の日記より抜粋)
「日本の戦後で、もっとも質が下落したのは政治家だ。それは企業の発展と傲慢とに足並みをそろえて下落してしまった。私は大平前首相のころまでは、自民党に希望をつないでいたが、いまは、投票する気にもなれない。 (略) 軍人の手に握られていた戦前は、むろんのことにひどいものだったが、いまの政治は、別の意味でもっと悪くなってきている。まさかに彼らが戦争を起こすとは考えられないが、こうなると何をするか知れたものではない。彼らは国の将来をまったく考えていない、としかおもえない」
この言葉をそっくりそのまま、いまの政治家たちに進呈したい。 (敬称略)
ぼくが記者を辞めて、20余年後に、財政投融資をめぐる覇権争いの第2幕が開くとは思いもよらなかった。
時代は変わって、主役は小泉純一郎に移る。彼は総裁選に3回挑戦して最高権力者になった。ここからは権力闘争が主題になる。
小泉は田中角栄の生涯の敵だった福田赴夫の秘書をしていた。先ごろ東京オリンピック競技大会組織委員会会長を辞任した森喜朗と並んで、福田派の格さん、助さんと呼ばれていた人物である。そして、小泉も郵政大臣を経験している。
もっと言えば、建設国債を初めて発行したのは、佐藤内閣のときに大蔵大臣をしていた福田赴夫で、その建設国債と公共事業がリンクしていることはすでに述べた。
福田の子飼いだった小泉は、「自民党をぶっ壊す」と宣言して、悲願の総理のイスに座るやいなや、闘争心をむき出しにして、「政治生命を賭けて郵政改革をやる」と乗り出した。
そのとき、ぼくはピン!ときた。
そうか、小泉にとって「角福戦争」は終わっていなかったのだ、親分だった福田の敵討ちをやる気なのだ、と。
福田は勝利を確信していた1978年の総裁選の予備選で、田中の支持を受けた大平にまさかの敗北を喫した。そのとき福田は悔しさを押し殺して、「天の声にも変な声がたまにはある」との名セリフを残して、官邸を去った。小泉の胸中、推して知るべし、である。
福田は東大法学部を主席で卒業し、大蔵省の主計局長を務めたエリート。対する田中は尋常高等小学校卒から土建業経営のたたき上げ。ともに佐藤内閣を支えたころからの終生のライバルで、田中は「福田の泣く顔が見たい」と言っていた。
そうした事情から、「自民党をぶっ壊す」と言った小泉の標的は、仇敵の経世会(旧田中派)と見るのが至当だろう。それをたたきつぶす手段として、小泉は先にふれた財政投融資に狙いを絞ったのではないか。だからこその郵政改革ではなかったか。
ぼくにはそう思えてならない。実際、小泉と親しかったある人物も同様の発言をしている。これが永田町の論理というか、政治感覚である。
権力闘争とは凄まじいものだ。小泉は反対する者にはすべてに「抵抗勢力」のレッテルを貼って、問答無用で切り捨てた。郵政選挙では抵抗勢力と決めつけた自民党代議士を公認せず、さらにその選挙区に新たな公認候補の「刺客」を送った。
あのやり口は、田中角栄がロッキード事件の時の法相だった稲葉修(三木派)の選挙区に、「刺客」を立てたことをほうふつとさせる。そのころ稲葉の選挙区を取材したぼくには、田中がやったことを、そのまま小泉がやり返したように映った。
ときは移り、郵政改革ははたして国民にとって幸せだったかどうかが気にかかる。
一昨年、民営化された日本郵政の郵便局員に保険契約増の過酷なノルマが課され、それによって多くの高齢者が甚大な被害に遭ったことが明らかになった。確かに特定郵便局の世襲化には首をかしげることもあったが、世襲化の問題なら、政治家だってそうだろう。ちなみに小泉純一郎は3世議員だった。いまの進次郎は、なんと4世である。
「三角大福中」はみな世襲ではない。また先の戦争を体験している。それぞれ強烈な個性の持ち主で、いずれも総理の在任中、得意な分野で成果を上げた。
人物像を語るのにレッテル貼りは危険だが、総理の座に就いた順に、ざっと彼らの政権のイメージを言えば、田中の「金権政治」の後に、「クリーン三木」、次は「経済の福田」、自民党最大の危機と言われた「40日抗争」の末に急死した大平は、日本の最高クラスの知性を集めて、環太平洋構想、総合安全保障、田園都市構想など、いまなお高く評価される政策研究会の報告書を残した。中曽根はそれを下敷きして政策を実行した。
激しい派閥抗争を繰り広げながらも、自民党では前政権とは異質のリーダーが次の政権を担い、前任者の傷跡をリカバリーする作用が働いていたのだ。
さて、いまはどうか。小泉、安倍、菅の後継者リレーの特徴は「前任の路線を、さらに推し進める」である。「反対すると飛ばされる」、永田町にはそういう空気が蔓延しているという。
その半面、外交では先人たちが汗を流して築いた中国、韓国との友好関係は、いったん逆風が吹くと、成すすべもなく雲散霧消させてしてしまった。
小泉政権の「構造改革なくして、景気回復なし」、「グローバルスタンダード」とひとつ覚えのように進めた政策の結果が「勝ち組、負け組」という差別をもたらし、後継者の安倍政権の下で、より深刻な格差社会と大量の非正規雇用者を生み出している。その片方で、小泉政権の閣僚として構造改革を推し進めた竹中平蔵は派遣大手のパソナグループの会長におさまっている。おもわず、うーん、とうなってしまう。
世界がうらやむ「一億総中流社会」だった日本は、年収200万円以下の人たちが国民の4割を占めるという恐るべき社会に変貌した。そこを新型コロナウィルスが直撃したのだから、たまったものではない。菅の言う「自助」だけで、どうなるものではない。
いったい小泉の構造改革とはだれのためのものだったのか。確かに、ときの経団連会長をはじめ、もろ手をあげて歓迎した経営者もいる。
しかし、グローバル資本主義の旗振り役のひとりだった中谷巌が「懺悔(ざんげ)の書」で述べているように、それは「負の効果」ももたらす。アメリカ発のグローバル資本主義を模範とした小泉構造改革は、日本人の伝統的な長所や強みをメチャクチャに破壊したのである。アメリカで広がった深刻な格差社会はそのまま日本に移植されてしまった。状況はさらに悪くなっているとおもう。
最後に、「鬼平犯科帳」の作者・池波正太郎の言葉をあげておく。(「新銀座日記」1989年の日記より抜粋)
「日本の戦後で、もっとも質が下落したのは政治家だ。それは企業の発展と傲慢とに足並みをそろえて下落してしまった。私は大平前首相のころまでは、自民党に希望をつないでいたが、いまは、投票する気にもなれない。 (略) 軍人の手に握られていた戦前は、むろんのことにひどいものだったが、いまの政治は、別の意味でもっと悪くなってきている。まさかに彼らが戦争を起こすとは考えられないが、こうなると何をするか知れたものではない。彼らは国の将来をまったく考えていない、としかおもえない」
この言葉をそっくりそのまま、いまの政治家たちに進呈したい。 (敬称略)
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