カラス、なぜ鳴くの2021年04月26日 16時32分

 買いもの帰りの道すがら、一羽のカラスが細長い枝のようなものを咥えて、萌黄色の若葉がそよぐ銀杏並木の上を飛んでいった。きっと巣づくりに忙しいのだろう。いまは繁殖期のまっただなかである。
 4、5年前の梅雨が始まるころ、ぼくはカラスの夫婦に執念ぶかく、つけ狙われたことがある。嘴(くちばし)が太くて、先っぽが湾曲しているハシブトガラスだった。
 その日、自宅のそばの小路を歩いていると、突然、背後から大きな黒い影がぼくの頭をかすめるように越えて行った。そいつは10メートルほど先の街灯のてっぺんに止まると、ピョンと小さく跳ねて、からだごと振り返り、「カアー」と力いっぱい鳴いたのである。
 瞬間、こいつ、俺を狙ったんだ、と確信した。
 それからの毎日、カラスの攻撃は執拗に続いた。自宅から外に出たとたん、二つの黒い点が上空に現れて、カアー、カアーと鳴きながら、戦闘機のように猛スピードで接近してくる。歩いているとうるさくつきまとう。車で出かけるときも、途中まで追いかけてきた。
 たいていは目の前のマンションの屋上や電柱、電線のどこかにいて、自宅の窓のカーテンをちょっと揺らすだけで、たちまちボリュームいっぱいのカアー、カアー、がはじまった。そして、ガッ、ガッ、ガッ、と鋭い嘴を突き立てる威嚇行動を繰り返すのだ。徹底的に無視して振り向いたら、2メートル足らずの至近距離まで迫られていたこともあった。
 これなら感づかれないだろうと傘で上半身を隠しても、洋服を替えても、カラスはひと目で見破った。音を立てないように玄関のドアを開けてもダメだった。
 遠くから眺めているだけで、どうして瞬時にわかるのだろうか。せめてもの救いは、ターゲットはぼくだけで、家族にはいっさい関心を示さないことだった。
 なぜ、こんなことになってしまったのか。思い当たることはひとつだけあった。
 あるとき幼いカラスが自宅下の階段のわきにいた。小首をかしげて、横目でじっとぼくを見上げたまま動こうとしない。まだ人をこわがっていないようだった。そこは人が出入りするところなので、ほら、あっちに行けと、軽く脚をふりだして追いはらった。
 カラスの子は地面すれすれをゆっくり羽ばたいて、7、8メートルほど飛んだ。そちちはぼくが歩いていく方向だったので、もう一度、追いたてる恰好になった。
 たったそれだけのことだった。だが、カラスのにぎやかな鳴き声がいつも間近で聞こえるようになったのは、どうもそのへんからだったような気がする。
 あまりのしつこさに、ぼくは外に出るのが嫌になった。大きな声でのべつまくなしに、カアー、カアー騒がれると、近所の人たちも不審におもうかもしれない。それだけは避けたかった。
 頭にきたぼくは、カラスになんかに負けてたまるかとあれこれ撃退法を考えた。10通り以上も考えた撃退法は省略するが、いつか友だちに一部始終を話したことがある。
 すると、予想もしない答えが返ってきた。
 「やっつけたい気持ちはわかるけど、やめた方がいい。虐待をしていると騒がれて、鳥獣保護法違反で訴えられるよ」
 オー・マイ・ゴッド! そうだった、彼らは法律で身の安全を守られているのだ。なんたる不条理。人間よりも、おカラス様の方がお大事ということか。ゴム銃でお撃ちすることも、お生け捕りすることも、法律違反に問われるのだ。
 それにしてしても、とおもう。平穏な生活は本人の意思とは関係なく、ほんのちょっとした偶然の出来事で、あっけなくかき乱されてしまう。あのときカラスの子どもが、あの場所で遊んでいなかったら、こんなことにはならなかった。
 もしもあのとき、あの道を通っていなかったら。ネコが飛び出してこなかったら。突風さえ吹かなかったら……。振り返ると、そんなことだらけである。
 ぼくは「潮の目」が変わるのを、じっと我慢して待つことにした。
 9月になったある朝、あのうっとうしいカラスの夫婦はこつ然と姿を消していた。ようやく子育て中心の家族生活を終えて、山の方で集団生活をはじめたようだった。
 翌日も、次の日も、黒い怪物は視界から完全にいなくなった。今まで悪い夢でも見ていたようだった。ぼくは安心して見上げる空を、久々に取り戻したのである。
 カラスの親は子どもをしっかり見守っている。あのときも近くにいたのだ。やっと飛べるようになったばかりのわが子を追い払ったぼくを見て、アイツは危険な敵だとマークしたのだろう。きっとそうに違いない。
 まるで人の心を読みきったような、あんなに頭のいいカラスには会ったことがない。今度会うときにはケンカしないで、仲良くなりたいのだが、まわりにいる黒いカラスの中の、どれがあのカラスなのか、ぼくにはさっぱり見分けがつかないのである。