ハエトリグモちゃん、こんにちは2021年06月03日 17時51分

 現在の職業は無職。よって稼ぎはゼロ。カミさんはまだ働いているから、言ってみれば、ぼくは女性から食べさせてもらっている「ヒモ」のようなものである。
 若いころ何かの小説を読んでいて、「ヒモなるのも悪くはないな」とぼんやり想像したことがある。「髪結いの亭主」なんて言葉もあったなぁ。それが潜在願望として消えずにいたのだろうか、実現したとは言い難いが、いまの身分はそんなようなものだ。
 今日も留守番でひとりの時間を過ごしていたら、足音も立てずに、黒い豆粒のようなお客さんがやってきた。
 おやおや、よく、いらっしゃいました。壁に張りつくようにして、数本のかぼそい脚を繰り出しては、上に登ったり、降りたり、まわれ右をしたり、ぼくとちがって忙しそうだ。指先で、お尻の近くの壁をポン! とたたいたら、ピョン! と飛んで、落っこちた。
 お客様はハエトリグモちゃんである。灰黒色の豆のようなからだ、顔の前で2本の短い脚をチョコンとそろえ、黒くてパッチリした目玉がふたつ。ぞっとするような人相、カタチが多いクモのなかでは、やんちゃ娘というか、まぁ、かわいい方だろう。
 子どものころ、ハエトリグモを見つけると、その後を追っていくのがおもしろかった。いつハエをつかまえるか、それをどうやって食べるのか。子ども心にも興味津々で、ぜひとも、決定的な瞬間を見たかった。
 ぼくは、ハエトリグモが小さいハエを捕捉する瞬間を見たことがある。
 ああ、あそこにハエがいる。おお、近づいたぞ。あ、飛びついた。
 それで終わり、だった。戦いのシーンなんてなかった。かわいいフリをしているが、ハエトリグモは足音もなく近づく、一撃必殺の小さな忍者である。
 野外での遊びを覚えたころから、クモは役に立つ動物だった。ぼくたち男の子は針金で直径10センチほどの丸い円形をつくり、それを細長い竹の棒の先にとりつけた「ムシ採り棒」をみんな持っていた。
 これでどうやって遊ぶのかというと、まず、黒地と金色のストライプが目立つコガネグモの巣を見つける。巣はできるだけ大きいやつがいい。次に、そのクモの巣の糸を針金の円でからめとる。すると、ベタベタにくっつく丸い面ができる。
 そいつを木に止まっているセミの背中にペタンと押しつけるのである。ちょうどトリモチのようなもので、セミの羽はベタベタのクモの糸にくっついて、逃げられないのだ。
 接着力が強いのは新品のクモの糸で、雨や風にさらされた古いクモの巣は接着能力が落ちる。だから、ぼくはわざとクモの巣を壊して、コガネグモがまた新しく、あの幾何学的な模様の巣をつくる様子をじっと観察しながら、出来上がるのを待っていた。芸術作品の創作過程を見ているようで、ぜんぜん退屈しなかった。
 クモの巣にチョウやトンボなどの虫がかかると、虫は必死になって逃げようと暴れるから、その場所を起点にしてクモが張った網は大きく揺れる。コガネグモはその揺れの波動をキャッチした瞬間、波動が広がる中心点に素早く走っていく。獲物をつかまえると尻から大量の白い糸を吐き出しながら、数本の脚を回転させて、あっという間に獲物をグルグル巻きにしてしまう。そして、まるでミイラのように白い包帯で巻かれた袋がクモの巣にぶら下がる。
 ぼくは虫をつかまえては、クモの巣に投げて、コガネグモが狩りをする技を食い入るように見ていたものだ。残酷といえばそれまでだが、あのころはエサをやって、大きくさせて、ケンカに強いコガネグモを大事に育てている友だちもいた。
 このハエトリグモは自然界のルールの中で生きている。だれもたすけてくれない。自分の力で生きたエサをつかまえるしかない。小さいのに、えらいなぁ、こいつは。
 ハエトリグモちゃん、君はいいメッセージを持ってきてくれた。
 ぼくは、ひとりの時間を持て余しながら、オレも何かしなくっちゃ、とおもうのである。

■そうだ、写真を撮らなくちゃ、とスマホを手に、さっきまでいたところに行ったら、ハエトリグモはいなくなっていた。探しても見つからない。やっぱり、忍者だ。