政治家のいろんな顔を見た ― 2021年07月21日 10時26分

あさって開会式を迎える東京オリンピックの陰に隠れるようにして、永田町ではまたぞろ権力闘争がはじまったようだ。顔ぶれは、もういい加減にしてくれ、といいたくなるような面々ばかり。
初出馬のときに相談を受けて、東京まで出かけて会い、この人はいいなぁとおもった元官僚も息苦しい雌伏のときが続いている。特筆に値する人材だとおもうが、一般の人々から認知されることもないままだ。
名刺一枚でどんな人にも会えた記者時代、ぼくは毎週、永田町の議員会館の部屋に代議士や参議院議員を訪ねていた。
政治家も玉石混交である。なかには当選者の頭数を増やすためだけの目的で担ぎだされたとしかおもえない人もいた。(同じような議員はいまもいらっしゃるようだが……)
テレビの人気アナウンサーだったM氏もそうで、政治の舞台ではまったく出番がなかった。たまに彼の姿を見かけたのは、ホテルで開かれた政治資金集めのパーティー会場の片隅。何をやっていたのかといえば、そのパーティーの主役を歯の浮くような言葉で持ちあげる司会だった。
そんなM氏を議員会館の部屋に訪ねると、テレビで見ていた表情とは別人の顔が待っていた。太ったからだに丸い顔。目を糸のように細くして、あの親しみに満ちた表情のカケラもない。まるで仇をにらみつけるように目のすわった恐ろしい形相だった。
「俺はいつもパーティーの司会ばかりだ。ぜひ、出馬してくれと、泣きつかれたから、出てやったんだ。トップ当選して、一生懸命に政策の勉強もしているのに、いつまで経っても軽いポストのままだ。俺のことをバカにしていやがる」
担ぎ出した方は海千山千のやり手だから、その裏側にあるもうひとつの冷然な顔が見えていなかったのだろうか。
「国会止め男」と言われていたO氏は食えない男だった。右手でパッとメガネを外し、それを頭上でふりかざして、声を張り上げる。これがいつもの彼のパフォーマンス。テレビ中継のカメラを意識した得意のポーズだった。
O氏が予算委員会で質問する日、朝から永田町の議員会館は完全なお休みモードだった。「緊迫する国会、ヤマ場を迎える」といった調子の報道とは真逆の雰囲気である。
完全な出来レースで、もちろん政治記者たちも先刻承知。その国会止め男のO氏にも取材したことがある。彼はせせら笑うように、こう言った。
「まぁ、爆弾質問なんてね、そんなのはね、自民党も承知の上だから。でも、ほかの議員にはできないね、(自民党筋からも)わたしにやってくれ、というんだ」
この人もテレビのイメージとは大違い。ま、この世界ではよくあることだが。
もちろん、「謦咳(けいがい)に接する」と感じさせる代議士もいた。「北海道のヒグマ」と言われた中川一郎氏もそのひとり。1982年の自民党総裁選の予備選挙に立候補した中川氏を長崎の宿泊先で取材したことがある。白の肌着一枚に、白のステテコという格好であぐらをかいている彼とビールを飲みながら、差し向かいで1時間ばかり。
国際関係から通商問題、地域経済まで、何でもござれで、生意気盛りのぼくの質問をはぐらかすことはなかった。さぁ、話そうや、君の意見も聞かせてくれという風に、ゆったり胸元を広げて、いかつい面相がほころんだときの、あの人なつっこい笑顔。ぜんぜん距離を感じさせない人だった。
この人が東京のニューオータニで、初めて自分の政治資金を集める励ます会を開いたとき、その会合に向かう黒塗りのハイヤーの列がホテルのある赤坂から国会議事堂周辺までつながって、大渋滞を引き起こしたという伝説の秘密がわかった気がした。
あのころの一目置かれていた政治家たちは、目の前にいる若い記者を育ててやろうという器の大きさがあった。そのことをたのしみにしている様子が、こちらにも伝わってくる。だから質問の内容も懸命に考えた。会うたびに自分が成長していることを確信できて、仕事の励みになったものだ。
その中川氏が自死する前の総裁選予備選のさなかに、電話口で涙を流しながら、怒鳴っていたという目撃談がある。電話の相手は土壇場になって態度を豹変させ、ライバル候補に寝返っていた。しかし、彼にもそうするしかない事情があった。
後にその代議士も総裁の椅子を目指したが、ついていく人は少なかった。「因果はめぐる」は、言い過ぎか。(中川氏が泣きながら激怒した情報には、相手が別人のもうひとつの有名な目撃談がある。)
中川氏が大好きだった某氏は、「中川さんが亡くなった後、金庫の中を確かめたら、カネはじゅうぶんにあった。だから自殺の原因は、総裁選で政治資金がなくなったからではない。人は外からの攻撃には強くても、内側から崩れるともろいものだ。豪快に見えていた中川さんもそうだったのかもしれないね」と言っていた。まだ57歳だった。つくづく政治の世界は非情だとおもう。
とりあげた3人は、いずれも外向きの顔のほかに、内心の顔を秘めていた。政治家だけではない、人はみなそういうものだろう。
いまの政権が崩れるとしたら、おそらく内側からという予感がする。
■あんなにいたクマゼミが昨年あたりから激減した。35度以上の猛暑日がつづく異常さにやられてしまったのだろうか。この夏はセミの抜け殻も少ない。
初出馬のときに相談を受けて、東京まで出かけて会い、この人はいいなぁとおもった元官僚も息苦しい雌伏のときが続いている。特筆に値する人材だとおもうが、一般の人々から認知されることもないままだ。
名刺一枚でどんな人にも会えた記者時代、ぼくは毎週、永田町の議員会館の部屋に代議士や参議院議員を訪ねていた。
政治家も玉石混交である。なかには当選者の頭数を増やすためだけの目的で担ぎだされたとしかおもえない人もいた。(同じような議員はいまもいらっしゃるようだが……)
テレビの人気アナウンサーだったM氏もそうで、政治の舞台ではまったく出番がなかった。たまに彼の姿を見かけたのは、ホテルで開かれた政治資金集めのパーティー会場の片隅。何をやっていたのかといえば、そのパーティーの主役を歯の浮くような言葉で持ちあげる司会だった。
そんなM氏を議員会館の部屋に訪ねると、テレビで見ていた表情とは別人の顔が待っていた。太ったからだに丸い顔。目を糸のように細くして、あの親しみに満ちた表情のカケラもない。まるで仇をにらみつけるように目のすわった恐ろしい形相だった。
「俺はいつもパーティーの司会ばかりだ。ぜひ、出馬してくれと、泣きつかれたから、出てやったんだ。トップ当選して、一生懸命に政策の勉強もしているのに、いつまで経っても軽いポストのままだ。俺のことをバカにしていやがる」
担ぎ出した方は海千山千のやり手だから、その裏側にあるもうひとつの冷然な顔が見えていなかったのだろうか。
「国会止め男」と言われていたO氏は食えない男だった。右手でパッとメガネを外し、それを頭上でふりかざして、声を張り上げる。これがいつもの彼のパフォーマンス。テレビ中継のカメラを意識した得意のポーズだった。
O氏が予算委員会で質問する日、朝から永田町の議員会館は完全なお休みモードだった。「緊迫する国会、ヤマ場を迎える」といった調子の報道とは真逆の雰囲気である。
完全な出来レースで、もちろん政治記者たちも先刻承知。その国会止め男のO氏にも取材したことがある。彼はせせら笑うように、こう言った。
「まぁ、爆弾質問なんてね、そんなのはね、自民党も承知の上だから。でも、ほかの議員にはできないね、(自民党筋からも)わたしにやってくれ、というんだ」
この人もテレビのイメージとは大違い。ま、この世界ではよくあることだが。
もちろん、「謦咳(けいがい)に接する」と感じさせる代議士もいた。「北海道のヒグマ」と言われた中川一郎氏もそのひとり。1982年の自民党総裁選の予備選挙に立候補した中川氏を長崎の宿泊先で取材したことがある。白の肌着一枚に、白のステテコという格好であぐらをかいている彼とビールを飲みながら、差し向かいで1時間ばかり。
国際関係から通商問題、地域経済まで、何でもござれで、生意気盛りのぼくの質問をはぐらかすことはなかった。さぁ、話そうや、君の意見も聞かせてくれという風に、ゆったり胸元を広げて、いかつい面相がほころんだときの、あの人なつっこい笑顔。ぜんぜん距離を感じさせない人だった。
この人が東京のニューオータニで、初めて自分の政治資金を集める励ます会を開いたとき、その会合に向かう黒塗りのハイヤーの列がホテルのある赤坂から国会議事堂周辺までつながって、大渋滞を引き起こしたという伝説の秘密がわかった気がした。
あのころの一目置かれていた政治家たちは、目の前にいる若い記者を育ててやろうという器の大きさがあった。そのことをたのしみにしている様子が、こちらにも伝わってくる。だから質問の内容も懸命に考えた。会うたびに自分が成長していることを確信できて、仕事の励みになったものだ。
その中川氏が自死する前の総裁選予備選のさなかに、電話口で涙を流しながら、怒鳴っていたという目撃談がある。電話の相手は土壇場になって態度を豹変させ、ライバル候補に寝返っていた。しかし、彼にもそうするしかない事情があった。
後にその代議士も総裁の椅子を目指したが、ついていく人は少なかった。「因果はめぐる」は、言い過ぎか。(中川氏が泣きながら激怒した情報には、相手が別人のもうひとつの有名な目撃談がある。)
中川氏が大好きだった某氏は、「中川さんが亡くなった後、金庫の中を確かめたら、カネはじゅうぶんにあった。だから自殺の原因は、総裁選で政治資金がなくなったからではない。人は外からの攻撃には強くても、内側から崩れるともろいものだ。豪快に見えていた中川さんもそうだったのかもしれないね」と言っていた。まだ57歳だった。つくづく政治の世界は非情だとおもう。
とりあげた3人は、いずれも外向きの顔のほかに、内心の顔を秘めていた。政治家だけではない、人はみなそういうものだろう。
いまの政権が崩れるとしたら、おそらく内側からという予感がする。
■あんなにいたクマゼミが昨年あたりから激減した。35度以上の猛暑日がつづく異常さにやられてしまったのだろうか。この夏はセミの抜け殻も少ない。
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