フェイクニュースと誤報の決定的な違い ― 2022年03月14日 19時22分

フェイクニュースが世の中をかく乱している。平和を脅かしている。ウクライナを侵略中のロシアは自作自演の偽装攻撃をでっち上げて、相手が仕掛けてきたからだという口実にしている。いつもの手口である。
ヨーロッパの指導者たちは、想像を絶するロシアの狡猾さを知りぬいている。だからロシアを信用しないし、その手には乗らない。アメリカ人がヒラリークリントンとトランプの大統領選挙で、ロシアの仕掛けたヒラリー追い落としのフェイクニュースにまんまとひっかかったのに比べると、さすがに戦争と外交の歴史を積み重ねて来たヨーロッパ人は違う。
フェイクニュースはつくづく厄介なものだ。そんな作り話を平気で巻き散らす人には責任感も恥もないのだろうか。報道の社会では、どんなに取材をしても、それが「誤報」だったら言い訳のできない恥である。
このことを考えると、ぼくはあの有名な三億円事件(東京・府中。1968年12月10日)にからむ大誤報を思い出す。
三億円事件は白バイに乗ったニセの警察官がやった完全犯罪だ。当時は警察の白いヘルメットをかぶったモンタージュ写真も公開されて、いったい犯人はだれなのか、日本中の関心を集めていた。そういうなか、「犯人はこの男だ」のビッグニュースが毎日新聞朝刊の第1面をでかでかと飾ったのである。
ところが、このニュースは間違いだった。世間を大騒ぎにさせた大スクープは、その興奮もつかの間、一転して大誤報になった。
この新聞記事を書いたのは、記者時代にたいへんお世話になったMさん(故人)。以下は、すべて直接聞いた話である。
やっぱりアイツが犯人に違いない。
Mさんがそう確信したのは、「ミスター警視庁」と呼ばれていた当時の刑事部長・土田國保氏(故人。後の警視総監、防衛大学校長)の自宅まで夜討ちの取材に行ったときだった。
取材合戦ははげしさを増し、どこの社が容疑者をすっぱ抜くかの競争で、社会部の記者たちは目の色を変えて取材に走りまわっていた。その渦中で、Mさんは捜査線上に浮かんでいる、ある人物こそが犯人ではないかと当たりをつけていたという。
しかし、確証はない。自分の推理が正しいか、間違っているか、その裏を取るのが、土屋氏に会う目的だった。
もちろん、捜査の最高指揮官である土屋氏はどう揺さぶっても、頑として答えない。しばらく問答を続けているうちに、玄関のベルが鳴った。だれかまた訪ねて来たのだ。奥さんが出て行くとMさんには聞き覚えのある男の声がした。
「こんばんは。S新聞の社会部のFです。夜遅くすみません」
S社の社会部のエース、Fさんだった。(数々のスクープをものにする敏腕記者として有名で、ぼくもその名は知っていた。)
Mさんはさっと席を立って、隣の部屋に身を潜(ひそ)めた。今度はFさんが土屋氏に迫る番だった。そのやりとりの一部始終を、Fさんは暗がりのなかで音も立てずに聞いていたのである。
「犯人は××でしょ。もう、わかってるんですよ」
Fさんが口にした名前は、つい先刻、まさにMさんが挙げた名前と同じだった。
「あのFも三億円事件の容疑者は、俺と同じ人物だとにらんでいる。これで決まりだなとおもったね」。Mさんはそう言っていた。
相変わらず、土田氏は否定も、肯定もしない。とぼけるばかりだった。そして、ついにFさんはしびれを切らすように、こう言ったという。
「明日、書きますよ」
そのときMさんは、このままではS紙に抜かれるとおもった。彼は決断した。社に戻るとすぐ原稿に向かった。
翌日のM紙の一面トップには、あのモンタージュ写真も載っていた。だが、その顔はMさんとFさんが容疑者として挙げていた人物に変わっていた。ここまでやったMさんの自信のほどが伝わってくる。
だが、結果は誤報だった。一方のS紙は「容疑者、逮捕か」の記事は一行もなかった。
三億円事件の裏には、社会部のエース記者たちが火花を散らす、こんなドラマがあったのだ。ぼくが東京をはなれて数年後、Mさんは逝ってしまった。芝増上寺の葬儀には大勢の人が別れに集まったと聞いた。本当に目をかけていただいた。Mさんについても、もっともっと書きたいことがある。
記者時代は徹夜が当たり前で、コンクリートの廊下に寝たり、朝から晩まで飲まず食わずに歩きまわって、血の小便を流したこともある。ぼくのまわりだけでも無理を重ねて、40代で亡くなった先輩記者は二人や三人ではない。あの人たちがこうしている間にも氾濫しているフェイクニュースを見たら、どんな顔をするだろうか。
■息子が高田酒造場から買ってきた焼酎とYちゃんがくれたジン。これだけ手元にあると、とてもシアワセである。このジンは2021年の「東京ウィスキー&スピリッツコンペンション」で最高金賞に輝いている。
https://www.yomiuri.co.jp/local/kumamoto/news/20210922-OYTNT50097/
ヨーロッパの指導者たちは、想像を絶するロシアの狡猾さを知りぬいている。だからロシアを信用しないし、その手には乗らない。アメリカ人がヒラリークリントンとトランプの大統領選挙で、ロシアの仕掛けたヒラリー追い落としのフェイクニュースにまんまとひっかかったのに比べると、さすがに戦争と外交の歴史を積み重ねて来たヨーロッパ人は違う。
フェイクニュースはつくづく厄介なものだ。そんな作り話を平気で巻き散らす人には責任感も恥もないのだろうか。報道の社会では、どんなに取材をしても、それが「誤報」だったら言い訳のできない恥である。
このことを考えると、ぼくはあの有名な三億円事件(東京・府中。1968年12月10日)にからむ大誤報を思い出す。
三億円事件は白バイに乗ったニセの警察官がやった完全犯罪だ。当時は警察の白いヘルメットをかぶったモンタージュ写真も公開されて、いったい犯人はだれなのか、日本中の関心を集めていた。そういうなか、「犯人はこの男だ」のビッグニュースが毎日新聞朝刊の第1面をでかでかと飾ったのである。
ところが、このニュースは間違いだった。世間を大騒ぎにさせた大スクープは、その興奮もつかの間、一転して大誤報になった。
この新聞記事を書いたのは、記者時代にたいへんお世話になったMさん(故人)。以下は、すべて直接聞いた話である。
やっぱりアイツが犯人に違いない。
Mさんがそう確信したのは、「ミスター警視庁」と呼ばれていた当時の刑事部長・土田國保氏(故人。後の警視総監、防衛大学校長)の自宅まで夜討ちの取材に行ったときだった。
取材合戦ははげしさを増し、どこの社が容疑者をすっぱ抜くかの競争で、社会部の記者たちは目の色を変えて取材に走りまわっていた。その渦中で、Mさんは捜査線上に浮かんでいる、ある人物こそが犯人ではないかと当たりをつけていたという。
しかし、確証はない。自分の推理が正しいか、間違っているか、その裏を取るのが、土屋氏に会う目的だった。
もちろん、捜査の最高指揮官である土屋氏はどう揺さぶっても、頑として答えない。しばらく問答を続けているうちに、玄関のベルが鳴った。だれかまた訪ねて来たのだ。奥さんが出て行くとMさんには聞き覚えのある男の声がした。
「こんばんは。S新聞の社会部のFです。夜遅くすみません」
S社の社会部のエース、Fさんだった。(数々のスクープをものにする敏腕記者として有名で、ぼくもその名は知っていた。)
Mさんはさっと席を立って、隣の部屋に身を潜(ひそ)めた。今度はFさんが土屋氏に迫る番だった。そのやりとりの一部始終を、Fさんは暗がりのなかで音も立てずに聞いていたのである。
「犯人は××でしょ。もう、わかってるんですよ」
Fさんが口にした名前は、つい先刻、まさにMさんが挙げた名前と同じだった。
「あのFも三億円事件の容疑者は、俺と同じ人物だとにらんでいる。これで決まりだなとおもったね」。Mさんはそう言っていた。
相変わらず、土田氏は否定も、肯定もしない。とぼけるばかりだった。そして、ついにFさんはしびれを切らすように、こう言ったという。
「明日、書きますよ」
そのときMさんは、このままではS紙に抜かれるとおもった。彼は決断した。社に戻るとすぐ原稿に向かった。
翌日のM紙の一面トップには、あのモンタージュ写真も載っていた。だが、その顔はMさんとFさんが容疑者として挙げていた人物に変わっていた。ここまでやったMさんの自信のほどが伝わってくる。
だが、結果は誤報だった。一方のS紙は「容疑者、逮捕か」の記事は一行もなかった。
三億円事件の裏には、社会部のエース記者たちが火花を散らす、こんなドラマがあったのだ。ぼくが東京をはなれて数年後、Mさんは逝ってしまった。芝増上寺の葬儀には大勢の人が別れに集まったと聞いた。本当に目をかけていただいた。Mさんについても、もっともっと書きたいことがある。
記者時代は徹夜が当たり前で、コンクリートの廊下に寝たり、朝から晩まで飲まず食わずに歩きまわって、血の小便を流したこともある。ぼくのまわりだけでも無理を重ねて、40代で亡くなった先輩記者は二人や三人ではない。あの人たちがこうしている間にも氾濫しているフェイクニュースを見たら、どんな顔をするだろうか。
■息子が高田酒造場から買ってきた焼酎とYちゃんがくれたジン。これだけ手元にあると、とてもシアワセである。このジンは2021年の「東京ウィスキー&スピリッツコンペンション」で最高金賞に輝いている。
https://www.yomiuri.co.jp/local/kumamoto/news/20210922-OYTNT50097/
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