気になるクラウドファンディング ― 2022年03月17日 12時12分

一緒にインドネシアやマレーシアのパームオイル製造工場の排水処理事業にチャレンジした仲間が苦戦している。ぼくもスマトラ島やクアラルンプール周辺のパーム油製造工場を訪ねて、現地の展示会にブースを設置し、彼が設計した画期的な排水処理システムを公開したこともあった。
詳しく書き始めたら、海外事業のドキュメントになる。あと一歩のところで、事業は予期せぬトラブルに見舞われて、やむなく途中停止したが、まだ完全にあきらめたわけではない。そのときのリーダーがへこたれずに奮闘している。
最大の悩みは資金の手当て。先般、これまでにも何度も俎上に上っていたクラウドファンディングを活用したいとの連絡があった。そこで、それ用の原稿書きを手伝った。
https://readyfor.jp/projects/84257 (最後の方の一部の文章は別)
だが、現時点で集まった金額は目標に遠く及ばない。友人は「駄目なら、駄目でいいので、とにかくやってみますよ」とふだんの軽い調子で言っていたが、今日はどうだろうかと気にしている様子は容易に想像できる。
この調子で書いて行くと重苦しい読み物になりそうなので、ここから先はぼくの領域の話に変える。
送った原稿のメインタイトルが変わっていた。ほかの文中の中見出しは、ぼくがつけたまま。正直、もやもやした気分である。そこで、これからは一般論として、タイトルや見出しについて書く。
では、どんなタイトルがいいのだろうか。有名な事例がある。
1941年、春の甲子園大会に旧制滝川中学の投手として出場した別所毅彦(1999年6月没。元南海ホークス、巨人)は、準々決勝の9回表にホームに突入して、左ひじを骨折した。その腕を三角巾で吊ったまま、彼は上手投げからアンダースローに投法を変えて、痛みに耐えながら12回裏のツーアウトまで投げた。それが限界だった。結局、チームは敗れた。別所はベンチで号泣した。ぼくが生まれる前の実話である。
別所が投げたこの試合は、翌日の大阪毎日新聞神戸版にも載った。その伝説の見出しはいまもって鮮烈だ。
『泣くな別所、センバツの花』
これぞ、見出し、である。
だれだって目を引きつけられて、その記事を読みたくなるだろう。ひと目でこころを揺さぶられて、お前、あの記事を読んだかと、まわりにも話すにちがいない。そして、別所のファンになるだろう。たったひとつの見出しの爆発力を感じてしまう。
テレビのない時代だったが、たとえ試合の実況を見ていたとしても、あの感動的な見出しは、いささかも色あせないとおもう。
クラウドファンディングの原稿に、ぼくがつけたタイトルは、まぁ、平均点といったところだった。できれば、もっと読む人のこころを動かすものにしたかった。
一緒に戦った大事な仲間の声が大勢の人々に届いていないとしたら、広報担当として肩身が狭い。『泣くな別所 センバツの花』のように、「これしかない!」というタイトルをつけていたら、たぶん、そのまま採用されていたとおもう。
書き手と編集人とは、ときとして対立するものだ。反省しつつ、微力ながらも友の奮闘を伝えたく、今日はとりとめもないことを書いた。
■書き手と編集者のエピソードをひとつ。ある月刊誌の高名な編集長だったK氏(故人)はイタリアに行ったとき、売り出し中の日本人の女性作家に会った。そのとき彼女は自分よりも年上のK氏に向かって、夜の相手に売春婦を世話しましょうかと言った。
K氏はあきれ返り、失望して、怒鳴りつけた。その後、K氏はこのことを別の月刊誌に書いている。よほど腹に据えかねたのだろう。
彼は売れている作家や学者でも、誌面に掲載するレベルではないと判断したら、原稿を突き返して、書き直しをさせていた。そういう名物編集者がいた。
■写真は、室見川河畔の桜。蕾はだいぶふくらんできた。
詳しく書き始めたら、海外事業のドキュメントになる。あと一歩のところで、事業は予期せぬトラブルに見舞われて、やむなく途中停止したが、まだ完全にあきらめたわけではない。そのときのリーダーがへこたれずに奮闘している。
最大の悩みは資金の手当て。先般、これまでにも何度も俎上に上っていたクラウドファンディングを活用したいとの連絡があった。そこで、それ用の原稿書きを手伝った。
https://readyfor.jp/projects/84257 (最後の方の一部の文章は別)
だが、現時点で集まった金額は目標に遠く及ばない。友人は「駄目なら、駄目でいいので、とにかくやってみますよ」とふだんの軽い調子で言っていたが、今日はどうだろうかと気にしている様子は容易に想像できる。
この調子で書いて行くと重苦しい読み物になりそうなので、ここから先はぼくの領域の話に変える。
送った原稿のメインタイトルが変わっていた。ほかの文中の中見出しは、ぼくがつけたまま。正直、もやもやした気分である。そこで、これからは一般論として、タイトルや見出しについて書く。
では、どんなタイトルがいいのだろうか。有名な事例がある。
1941年、春の甲子園大会に旧制滝川中学の投手として出場した別所毅彦(1999年6月没。元南海ホークス、巨人)は、準々決勝の9回表にホームに突入して、左ひじを骨折した。その腕を三角巾で吊ったまま、彼は上手投げからアンダースローに投法を変えて、痛みに耐えながら12回裏のツーアウトまで投げた。それが限界だった。結局、チームは敗れた。別所はベンチで号泣した。ぼくが生まれる前の実話である。
別所が投げたこの試合は、翌日の大阪毎日新聞神戸版にも載った。その伝説の見出しはいまもって鮮烈だ。
『泣くな別所、センバツの花』
これぞ、見出し、である。
だれだって目を引きつけられて、その記事を読みたくなるだろう。ひと目でこころを揺さぶられて、お前、あの記事を読んだかと、まわりにも話すにちがいない。そして、別所のファンになるだろう。たったひとつの見出しの爆発力を感じてしまう。
テレビのない時代だったが、たとえ試合の実況を見ていたとしても、あの感動的な見出しは、いささかも色あせないとおもう。
クラウドファンディングの原稿に、ぼくがつけたタイトルは、まぁ、平均点といったところだった。できれば、もっと読む人のこころを動かすものにしたかった。
一緒に戦った大事な仲間の声が大勢の人々に届いていないとしたら、広報担当として肩身が狭い。『泣くな別所 センバツの花』のように、「これしかない!」というタイトルをつけていたら、たぶん、そのまま採用されていたとおもう。
書き手と編集人とは、ときとして対立するものだ。反省しつつ、微力ながらも友の奮闘を伝えたく、今日はとりとめもないことを書いた。
■書き手と編集者のエピソードをひとつ。ある月刊誌の高名な編集長だったK氏(故人)はイタリアに行ったとき、売り出し中の日本人の女性作家に会った。そのとき彼女は自分よりも年上のK氏に向かって、夜の相手に売春婦を世話しましょうかと言った。
K氏はあきれ返り、失望して、怒鳴りつけた。その後、K氏はこのことを別の月刊誌に書いている。よほど腹に据えかねたのだろう。
彼は売れている作家や学者でも、誌面に掲載するレベルではないと判断したら、原稿を突き返して、書き直しをさせていた。そういう名物編集者がいた。
■写真は、室見川河畔の桜。蕾はだいぶふくらんできた。
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