『夢』の書を取り出す ― 2023年01月05日 09時50分

2023年、幕開けの日のことを書いておく。
これが楽しみなんだよね。おおぶりのお椀に、小山のように盛られた雑煮。カミさんの故郷の味である。
ザクザクザクザク。
元日の朝、包丁の刃がまな板をリズムよくたたく音で目が覚めた。
「大根を切っているの?」
「うん。ちょっと待っててね」
「うれしいなぁ。ありがと」
白くて太い大根、赤いニンジンを千切りにして、茶色のゴボウはささがきに、シイタケ、コンニャク、里芋も薄めに切って、いりこで出汁をとった大鍋に入れる。
海の幸も加える。甘塩のサケの切り身3、4枚をさっと湯でてほうり込み、最後にしょうゆで味をととのえる。雪の深い地元ではイクラも入れるのだが、新潟のようにどこにでもあるわけではないので、そこは我慢する。
餅は別に準備する。お湯をはった鉢に四角い餅を並べて、レンジでチン! ふんわりした真っ白な熱々を食べたい分だけ、お椀に入れる。その上にいろんな冬の根野菜とサケの旨みが染み出た汁を豪勢に盛りかける。おいしそうなしょう油の匂いのする湯気がゆらゆらと立ちのぼる。
野菜と魚、餅、出汁のバランスが絶妙の、この越後地方の雑煮が大好きである。毎朝食べても飽きない。
正月三が日も終わり、大量につくった雑煮の鍋も空っぽになった。取り立ててのお節料理は用意しなかったが、これで充分に満足のスタートだった。
さて、元日に届いた年賀状のなかに、元東京新聞経済部の大先輩から届いた一葉があって、そこには次の手書きの文章が添えてあった。
-新作はでき上がりましたか。次々に新しい分野に進出。若さがうらやましい限り。ご活躍を。-
新作とは、ぼくのつたない散文のこと。昨年、先輩へ出した年賀状に、下手な小説に挑戦中と添え書きしたので、どうやら楽しみにしているらしい。
意外だったのは、その後に続く「若さがうらやましい限り。ご活躍を」の一文である。72歳になっても、まだまだ若いんだから、と声をかけてくださる人がいる。(先輩はぼくの病気のことは何もご存じない)
それで思い出したことがあって、歩いて4、5分の貸倉庫にしまってある「あるモノ」を取り出しに行った。
大きく伸びやかな『夢』のひと文字。
ぼくから志願して、ただひとりだけの「門下生」にしていただいた故田原隆法務大臣の達筆の書である。会社勤めを辞めて、独立したときに書いてくださった。
長い間、福岡市内のマンションの事務所に飾っていたのだが、18年前に起きた福岡西方沖地震(2005年3月20日)で額縁ごと落下して、はめていたガラス板が粉々に割れてしまい、『夢』と書かれた半紙はずっと小箱にしまっておいた。
その『夢』の書をみたくなったのだ。
一気に田原先生の笑顔と出会ったときからの思い出がよみがえってきた。
(先生、ありがとうございます。ああ、やらなくては。)
正月を迎えるたびに歳をとっていくが、60歳を過ぎたころから、年齢なんて二つや三つ違おうが、そんなことはどうだっていいようになった。
気持ちが若いか、老け込んでいるか。年齢によって出てくる差はそれに尽きる。その違いは隠しようもなく、見た目にも、話す言葉にもはっきり表れる。やる気の熱量だってそうである。
力勁(づよ)く、生き生きとした『夢』の書も、万年筆で「若さがうらやましい限り」と書かれた年賀状もいただいてうれしかった。新潟のめでたい雑煮でパワーもついて、ほしかった体重もほんの少し増えた。
新年早々、ぼくはスイシュに立ち向かう新しい勇気をもらっている。
■昨日は抗がん剤治療の第2クールの初日で、点滴の日だった。
ところが詳しい経緯は省くが、抗がん剤の点滴は1クール2回が基本なのに、本来やるはずの第1クールの2回目は、医者の判断で取り止めになった。そして今回もまた延期になった。データに基づく中止と順延の理由は、ぼく自身も納得している。
若い担当の医師は「最初の薬がよく効いている証拠です。焦らずに、いい方向で考えましょう」という。
ま、それならいいか。
心臓にペースメーカーをつけている友人からは、「若い医者がとっても優秀。とにかく信じて受け入れることが一番のようです」という新年挨拶のメールも届いた。
これが楽しみなんだよね。おおぶりのお椀に、小山のように盛られた雑煮。カミさんの故郷の味である。
ザクザクザクザク。
元日の朝、包丁の刃がまな板をリズムよくたたく音で目が覚めた。
「大根を切っているの?」
「うん。ちょっと待っててね」
「うれしいなぁ。ありがと」
白くて太い大根、赤いニンジンを千切りにして、茶色のゴボウはささがきに、シイタケ、コンニャク、里芋も薄めに切って、いりこで出汁をとった大鍋に入れる。
海の幸も加える。甘塩のサケの切り身3、4枚をさっと湯でてほうり込み、最後にしょうゆで味をととのえる。雪の深い地元ではイクラも入れるのだが、新潟のようにどこにでもあるわけではないので、そこは我慢する。
餅は別に準備する。お湯をはった鉢に四角い餅を並べて、レンジでチン! ふんわりした真っ白な熱々を食べたい分だけ、お椀に入れる。その上にいろんな冬の根野菜とサケの旨みが染み出た汁を豪勢に盛りかける。おいしそうなしょう油の匂いのする湯気がゆらゆらと立ちのぼる。
野菜と魚、餅、出汁のバランスが絶妙の、この越後地方の雑煮が大好きである。毎朝食べても飽きない。
正月三が日も終わり、大量につくった雑煮の鍋も空っぽになった。取り立ててのお節料理は用意しなかったが、これで充分に満足のスタートだった。
さて、元日に届いた年賀状のなかに、元東京新聞経済部の大先輩から届いた一葉があって、そこには次の手書きの文章が添えてあった。
-新作はでき上がりましたか。次々に新しい分野に進出。若さがうらやましい限り。ご活躍を。-
新作とは、ぼくのつたない散文のこと。昨年、先輩へ出した年賀状に、下手な小説に挑戦中と添え書きしたので、どうやら楽しみにしているらしい。
意外だったのは、その後に続く「若さがうらやましい限り。ご活躍を」の一文である。72歳になっても、まだまだ若いんだから、と声をかけてくださる人がいる。(先輩はぼくの病気のことは何もご存じない)
それで思い出したことがあって、歩いて4、5分の貸倉庫にしまってある「あるモノ」を取り出しに行った。
大きく伸びやかな『夢』のひと文字。
ぼくから志願して、ただひとりだけの「門下生」にしていただいた故田原隆法務大臣の達筆の書である。会社勤めを辞めて、独立したときに書いてくださった。
長い間、福岡市内のマンションの事務所に飾っていたのだが、18年前に起きた福岡西方沖地震(2005年3月20日)で額縁ごと落下して、はめていたガラス板が粉々に割れてしまい、『夢』と書かれた半紙はずっと小箱にしまっておいた。
その『夢』の書をみたくなったのだ。
一気に田原先生の笑顔と出会ったときからの思い出がよみがえってきた。
(先生、ありがとうございます。ああ、やらなくては。)
正月を迎えるたびに歳をとっていくが、60歳を過ぎたころから、年齢なんて二つや三つ違おうが、そんなことはどうだっていいようになった。
気持ちが若いか、老け込んでいるか。年齢によって出てくる差はそれに尽きる。その違いは隠しようもなく、見た目にも、話す言葉にもはっきり表れる。やる気の熱量だってそうである。
力勁(づよ)く、生き生きとした『夢』の書も、万年筆で「若さがうらやましい限り」と書かれた年賀状もいただいてうれしかった。新潟のめでたい雑煮でパワーもついて、ほしかった体重もほんの少し増えた。
新年早々、ぼくはスイシュに立ち向かう新しい勇気をもらっている。
■昨日は抗がん剤治療の第2クールの初日で、点滴の日だった。
ところが詳しい経緯は省くが、抗がん剤の点滴は1クール2回が基本なのに、本来やるはずの第1クールの2回目は、医者の判断で取り止めになった。そして今回もまた延期になった。データに基づく中止と順延の理由は、ぼく自身も納得している。
若い担当の医師は「最初の薬がよく効いている証拠です。焦らずに、いい方向で考えましょう」という。
ま、それならいいか。
心臓にペースメーカーをつけている友人からは、「若い医者がとっても優秀。とにかく信じて受け入れることが一番のようです」という新年挨拶のメールも届いた。
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