そういう生活感覚なんだよ ― 2023年11月15日 16時20分

このところ、カミさんはときどき早帰りするようになった。予定していた仕事が入らかったというのが早退の理由で、昨日は午後2時半に帰宅の指示が出たという。
「帰ってくださいと言われるのは、いつも突然だもんね。社員は残るけど、契約社員は帰宅させられるから、今月の給料も少ないなぁ。△△さんはとても食べていけないから、夜は皿洗いのバイトをしているんだよ」
こんな話を聞くたびに、格差社会だなぁ、とおもう。
会社側の都合で非正規社員の勤務時間はどうにでもなる。雇用主は働いた分の時給だけ払えばいい。それはその通りなのだが、非正規雇用者の割合は雇用者全体の約4割を占めるから、大勢の人たちの将来の希望とか、やる気をしぼませている。日本の活力が低下しているのは、この格差の構造が企業の経営を支えている岩盤になっていることだ。
一時給付金とか、所得税の減税とか、そのときだけの小手先の政策で少しばかり水をやっても、がっちりと世の中に組み込まれている格差の岩盤はびくともしない。この閉塞感を打開するには過去のしがらみを打ち壊して、これからの日本をどう新しくつくっていくかというダイナミックなビジョンが欠かせない。だが、いまの政治家たちにそんな覇気のある人材はいるだろうか。
岸田政権の支持率の低下も同じ延長線上にある。政権の評価をさぐる世論調査に「失望した」の項目があれば、政治家たちをみるぼくたち国民の目がどんなものか、もっとはっきりするだろうに。
ひと昔前の中選挙区制のころなら、まちがいなく倒閣運動が起きているはずである。
中選挙区制では自民党の候補者同士の戦いが熾烈をきわめていた。たとえば、ぼくが選挙の取材をしていた1979年の衆議院選で、ハマコー(故浜田幸一)がいた金権選挙区で有名だった千葉3区は定員5に対して、当選者はオール自民党系である。
群馬3区(定員4)は福田赴夫、中曽根康弘、小渕恵三の歴代総理が並立していた。田中派の金丸信と福田派の田辺国男がいて、角福代理戦争の激戦区だった山梨全県区(定員5)は自民党の候補が4議席を占め、野党の社会党候補は最下位当選だった。ここは金丸系と田辺系の知事が替わると県庁の勢力図も変わるとまで言われていた。
あのころは街なかのスナックやバーも候補者別に色分けされていた。自分の支持する候補者がキープしているボトルは飲み放題で、選挙が終わったあとに飲み代の請求書が候補者の選挙事務所にドサッと届くという話が各地の選挙区に転がっていた。
ある有力代議士は選挙カーにネクタイをいっぱい積んで、皮靴のまま農家の人が汗を流しているたんぼの畔に入り、靴を泥まみれにして、自分のつけていたネクタイを外して渡していた。選挙戦の最終盤で準備していたカネを配らなかったから落選したとほぞを噛む陣営もあった。いずれも自民党同士のつばぜり合いをめぐる戦いで、こんな話はゴロゴロあったのだ。
あんな選挙戦を肯定する気はない。ただ、中選挙区制ではいまよりもはるかに熱い戦いが繰り広げられていたのは事実である。そして、もっと盛り上がったのが、こうして選挙戦を勝ち抜いてきた政治家たちが自分の派閥の親分を担いで、天下取りの大波を起こす倒閣運動だった。
総理の椅子をめざす派閥の領袖たちも、それぞれが長い年月をかけて積み重ねてきた政治キャリアと国民に訴えるビジョンを掲げて、一世一代の勝負に臨んでいた。
当時の領袖のなかには閣僚ポストにいても倒閣の辞表を出す人物もいたが、いまの政治家たちは横目でお互いの顔色をうかがってばかりだ。故人の安倍晋三にまで遠慮している。
そんなチマチマした権力闘争よりも、いっそのこと格差社会の岩盤勢力を味方につけて、「主権在民党」でも旗揚げしたらどうかとおもってしまう。
政治の話はきりがないので、このへんにしておこう。
昨日の話の続きを書く。
「会社がはやく終わったから、このあいだ試着してみて、ちょっといいなとおもっていた冬物のコートをまた見に行ったの。でも、やっぱり9,900円は高いなとおもって、買うのは止めたの」
気に入っても値段を確認して、どうしようかと迷ってしまい、とうとう商品を元の棚に戻して、買わずに帰るのはいつものことだ。
「そうか、残念だったな。でも、ゼロが1個違っても気に入るものだったら、さっさと買う人もいるだろうな」
「お父さん、いくら何でもそれはないわよ。990円はないわよ。そんなに安かったら、わたしだって、すぐ買うわよ」
「はぁ? お前、なにか勘違いしてないか」
「だって、ゼロが1個違うんでしょ」
「だからさ、それはさ、9万9,000円という話だろ。それでもお金持ちは高いとおもわなくて、その場ですぐに買うという話だろ」
「そうか、そうだよね。でも、わたし、てっきり990円だとおもったわ」
「そうおもったということは、そういう生活感覚なんだよ」
おはずかしい話だが、こんなところにも格差社会はしのびよっている。
■桜の葉が赤や黄色に色づいて、木立のまわりに散っている。きれいな色の葉っぱを選んで、机の前の壁のボードにピンで留めた。その隣には去年の落ち葉が2枚残っている。
机の上には、こちらも去年の秋に拾ってきたナンキンハゼやイチョウ、名前を忘れた手の平ぐらいの大きさの黄色い葉が透明のアクリル板の下に散っている。
ぜんぶで8枚。今年も紅葉していく順番に取り替えてやろう。
「帰ってくださいと言われるのは、いつも突然だもんね。社員は残るけど、契約社員は帰宅させられるから、今月の給料も少ないなぁ。△△さんはとても食べていけないから、夜は皿洗いのバイトをしているんだよ」
こんな話を聞くたびに、格差社会だなぁ、とおもう。
会社側の都合で非正規社員の勤務時間はどうにでもなる。雇用主は働いた分の時給だけ払えばいい。それはその通りなのだが、非正規雇用者の割合は雇用者全体の約4割を占めるから、大勢の人たちの将来の希望とか、やる気をしぼませている。日本の活力が低下しているのは、この格差の構造が企業の経営を支えている岩盤になっていることだ。
一時給付金とか、所得税の減税とか、そのときだけの小手先の政策で少しばかり水をやっても、がっちりと世の中に組み込まれている格差の岩盤はびくともしない。この閉塞感を打開するには過去のしがらみを打ち壊して、これからの日本をどう新しくつくっていくかというダイナミックなビジョンが欠かせない。だが、いまの政治家たちにそんな覇気のある人材はいるだろうか。
岸田政権の支持率の低下も同じ延長線上にある。政権の評価をさぐる世論調査に「失望した」の項目があれば、政治家たちをみるぼくたち国民の目がどんなものか、もっとはっきりするだろうに。
ひと昔前の中選挙区制のころなら、まちがいなく倒閣運動が起きているはずである。
中選挙区制では自民党の候補者同士の戦いが熾烈をきわめていた。たとえば、ぼくが選挙の取材をしていた1979年の衆議院選で、ハマコー(故浜田幸一)がいた金権選挙区で有名だった千葉3区は定員5に対して、当選者はオール自民党系である。
群馬3区(定員4)は福田赴夫、中曽根康弘、小渕恵三の歴代総理が並立していた。田中派の金丸信と福田派の田辺国男がいて、角福代理戦争の激戦区だった山梨全県区(定員5)は自民党の候補が4議席を占め、野党の社会党候補は最下位当選だった。ここは金丸系と田辺系の知事が替わると県庁の勢力図も変わるとまで言われていた。
あのころは街なかのスナックやバーも候補者別に色分けされていた。自分の支持する候補者がキープしているボトルは飲み放題で、選挙が終わったあとに飲み代の請求書が候補者の選挙事務所にドサッと届くという話が各地の選挙区に転がっていた。
ある有力代議士は選挙カーにネクタイをいっぱい積んで、皮靴のまま農家の人が汗を流しているたんぼの畔に入り、靴を泥まみれにして、自分のつけていたネクタイを外して渡していた。選挙戦の最終盤で準備していたカネを配らなかったから落選したとほぞを噛む陣営もあった。いずれも自民党同士のつばぜり合いをめぐる戦いで、こんな話はゴロゴロあったのだ。
あんな選挙戦を肯定する気はない。ただ、中選挙区制ではいまよりもはるかに熱い戦いが繰り広げられていたのは事実である。そして、もっと盛り上がったのが、こうして選挙戦を勝ち抜いてきた政治家たちが自分の派閥の親分を担いで、天下取りの大波を起こす倒閣運動だった。
総理の椅子をめざす派閥の領袖たちも、それぞれが長い年月をかけて積み重ねてきた政治キャリアと国民に訴えるビジョンを掲げて、一世一代の勝負に臨んでいた。
当時の領袖のなかには閣僚ポストにいても倒閣の辞表を出す人物もいたが、いまの政治家たちは横目でお互いの顔色をうかがってばかりだ。故人の安倍晋三にまで遠慮している。
そんなチマチマした権力闘争よりも、いっそのこと格差社会の岩盤勢力を味方につけて、「主権在民党」でも旗揚げしたらどうかとおもってしまう。
政治の話はきりがないので、このへんにしておこう。
昨日の話の続きを書く。
「会社がはやく終わったから、このあいだ試着してみて、ちょっといいなとおもっていた冬物のコートをまた見に行ったの。でも、やっぱり9,900円は高いなとおもって、買うのは止めたの」
気に入っても値段を確認して、どうしようかと迷ってしまい、とうとう商品を元の棚に戻して、買わずに帰るのはいつものことだ。
「そうか、残念だったな。でも、ゼロが1個違っても気に入るものだったら、さっさと買う人もいるだろうな」
「お父さん、いくら何でもそれはないわよ。990円はないわよ。そんなに安かったら、わたしだって、すぐ買うわよ」
「はぁ? お前、なにか勘違いしてないか」
「だって、ゼロが1個違うんでしょ」
「だからさ、それはさ、9万9,000円という話だろ。それでもお金持ちは高いとおもわなくて、その場ですぐに買うという話だろ」
「そうか、そうだよね。でも、わたし、てっきり990円だとおもったわ」
「そうおもったということは、そういう生活感覚なんだよ」
おはずかしい話だが、こんなところにも格差社会はしのびよっている。
■桜の葉が赤や黄色に色づいて、木立のまわりに散っている。きれいな色の葉っぱを選んで、机の前の壁のボードにピンで留めた。その隣には去年の落ち葉が2枚残っている。
机の上には、こちらも去年の秋に拾ってきたナンキンハゼやイチョウ、名前を忘れた手の平ぐらいの大きさの黄色い葉が透明のアクリル板の下に散っている。
ぜんぶで8枚。今年も紅葉していく順番に取り替えてやろう。
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