カネ目になるものはないかな ― 2024年05月18日 14時13分

ずいぶん、ほったらかしのままだったなぁ、と省みつつ、久しぶりにパソコンに向かって、ブログを書く。
O君に続いて、Mさんが亡くなった喪失感。自身の体調不良(食あたりでした。ご心配なく)。会社の都合で先月末からカミさんが一日中、自宅にいる……。
いろんなことが折り重なって、一事に集中してブログを書く気がしなかった。
この間、旅にでも出るような気持ちで、さまざまな本を乱読した。途中で嫌になった長編も我慢して最後まで読み切った。それでもやればやっただけのことはあるもので、南木桂士の『阿弥陀堂だより』に出会って、とりあえず自分のなかではひと区切りがついた。
彼のプロフィールによれば、ぼくのひとつ年下という。小説のところどころに同世代ならではの濃厚な匂いを感じた。ああ、同じことを考えていたんだなぁと親しみを覚えて、あちこちに傍線を引いた。いまのぼくにはちょうど頃合いの本だった。
さて、内省的な話はこれぐらいにして、昨日はちょっとおもしろい体験をした。
長い間の懸案だった貸し倉庫の契約を解除するために、近くで借りている倉庫のなかを片づけた。どれもこれもいますぐ使わないものばかり。カミさんの意見を求めると「これからも使うことはない」という。
そこで、どうせ捨てるのなら、いま流行りの買い取り業者のところに持って行って、換金できるものはそうしようという、以前から温めていた考えを実行することにした。親しいご夫婦からの同様のアドバイスもぼくたちの背中を押していた。
そんなわけで昨日の午後、不要になった事務用品やキャンプの小道具、バッグなどを愛車の軽四いっぱいに詰め込んで、勇躍、買い取りの店に持ち込んだという次第。その数、大小合わせて20点ほどになった。
それらの品々の詳細とカウンター越しに向き合った若い女性店員とのやりとりは省く。
ただ、なかには包装紙も開けていない新品が5つあって、いずれも1,000円前後の値札も付いたままだった。ポジフィルムを編集する際の必需品だった照明機器2台も手放すことにした。いくらか値の張ったものだし、きれいなままだから、内心ではいちばん期待していたのである。
査定の結果は、小さな声でしか言いにくい。
(もらったお金は、50円玉ひとつでした。)
プラスチック製品はぜんぶお断りだった。そんなことすら知らなかったぼくたち夫婦は、いまのマーケットの事情に無知で、とんだ常識はずれで、できるだけ来てほしくない客だったのだ。
「せめてクルミぱん1個ぐらいは買えるだろうとおもっていたけどなぁ」
「お金になったのは、バドミントンのラケットを入れていた、わたしのバッグだけだったね。でも、あれがたったの50円か」
それでも持ち込んだモノはぜんぶ引き取ってくれた。おカネにはならなかったけれど、ゴミに出したら、もっとおカネがかかってしまう。総体的には、持って行って正解だった。
よかった、これでよかったんだ、と何度も自分に言い聞かせながら、でも、まだどこかひっかかるものがある。
受付の女性の感じの良さに目隠しされているみたいだったが、一分の隙もない商売の徹底ぶりには恐れ入った。たぶん、同じタイプのあちこちの店から一歩外に出たところで、年寄りたちの悲憤慷慨と諦めの入れ混じった感情が音もたてずに渦巻いていることだろう。
プライドがずたずたになって、「50円なんか、こんなはした金、要らねえよ!」と突き返すご仁がいても、不思議ではないような気もする。
ともあれ、初めての体験で、まさかの恥をかいて、ホント、いい社会勉強をさせてもらいました。
「要らないもので、カネ目になるものはないかなぁ。そういえばメルカリって、方法もあるよな」
わが家では今回の学習効果を忘れずに、さっそくカミさんと次の作戦を練り始めている。
■写真ではわかりにくいけれど、室見川にかかっている橋の手すりから見下ろしたら、本流にそそぎこむ水路にカモの親子がいた。しばし目をこらして追いかけた。この時期だけの定番の光景である。
O君に続いて、Mさんが亡くなった喪失感。自身の体調不良(食あたりでした。ご心配なく)。会社の都合で先月末からカミさんが一日中、自宅にいる……。
いろんなことが折り重なって、一事に集中してブログを書く気がしなかった。
この間、旅にでも出るような気持ちで、さまざまな本を乱読した。途中で嫌になった長編も我慢して最後まで読み切った。それでもやればやっただけのことはあるもので、南木桂士の『阿弥陀堂だより』に出会って、とりあえず自分のなかではひと区切りがついた。
彼のプロフィールによれば、ぼくのひとつ年下という。小説のところどころに同世代ならではの濃厚な匂いを感じた。ああ、同じことを考えていたんだなぁと親しみを覚えて、あちこちに傍線を引いた。いまのぼくにはちょうど頃合いの本だった。
さて、内省的な話はこれぐらいにして、昨日はちょっとおもしろい体験をした。
長い間の懸案だった貸し倉庫の契約を解除するために、近くで借りている倉庫のなかを片づけた。どれもこれもいますぐ使わないものばかり。カミさんの意見を求めると「これからも使うことはない」という。
そこで、どうせ捨てるのなら、いま流行りの買い取り業者のところに持って行って、換金できるものはそうしようという、以前から温めていた考えを実行することにした。親しいご夫婦からの同様のアドバイスもぼくたちの背中を押していた。
そんなわけで昨日の午後、不要になった事務用品やキャンプの小道具、バッグなどを愛車の軽四いっぱいに詰め込んで、勇躍、買い取りの店に持ち込んだという次第。その数、大小合わせて20点ほどになった。
それらの品々の詳細とカウンター越しに向き合った若い女性店員とのやりとりは省く。
ただ、なかには包装紙も開けていない新品が5つあって、いずれも1,000円前後の値札も付いたままだった。ポジフィルムを編集する際の必需品だった照明機器2台も手放すことにした。いくらか値の張ったものだし、きれいなままだから、内心ではいちばん期待していたのである。
査定の結果は、小さな声でしか言いにくい。
(もらったお金は、50円玉ひとつでした。)
プラスチック製品はぜんぶお断りだった。そんなことすら知らなかったぼくたち夫婦は、いまのマーケットの事情に無知で、とんだ常識はずれで、できるだけ来てほしくない客だったのだ。
「せめてクルミぱん1個ぐらいは買えるだろうとおもっていたけどなぁ」
「お金になったのは、バドミントンのラケットを入れていた、わたしのバッグだけだったね。でも、あれがたったの50円か」
それでも持ち込んだモノはぜんぶ引き取ってくれた。おカネにはならなかったけれど、ゴミに出したら、もっとおカネがかかってしまう。総体的には、持って行って正解だった。
よかった、これでよかったんだ、と何度も自分に言い聞かせながら、でも、まだどこかひっかかるものがある。
受付の女性の感じの良さに目隠しされているみたいだったが、一分の隙もない商売の徹底ぶりには恐れ入った。たぶん、同じタイプのあちこちの店から一歩外に出たところで、年寄りたちの悲憤慷慨と諦めの入れ混じった感情が音もたてずに渦巻いていることだろう。
プライドがずたずたになって、「50円なんか、こんなはした金、要らねえよ!」と突き返すご仁がいても、不思議ではないような気もする。
ともあれ、初めての体験で、まさかの恥をかいて、ホント、いい社会勉強をさせてもらいました。
「要らないもので、カネ目になるものはないかなぁ。そういえばメルカリって、方法もあるよな」
わが家では今回の学習効果を忘れずに、さっそくカミさんと次の作戦を練り始めている。
■写真ではわかりにくいけれど、室見川にかかっている橋の手すりから見下ろしたら、本流にそそぎこむ水路にカモの親子がいた。しばし目をこらして追いかけた。この時期だけの定番の光景である。
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