いちばんうれしい言葉2024年05月31日 15時17分

 Mさんが亡くなって1か月が過ぎた。朝起きても声をかける相手は3匹のネコだけになって、独り残された夫人が夜も眠れないほど寂しがっているのは重々わかっていたのだが、込み入った事情があるようで、線香をあげに行くのを控えていたのである。
 7年ぶりに会った夫人は髪の毛が真っ白になっていた。
 Mさんは三男坊だから、家に仏壇はない。仮の仏壇に置かれている遺骨の白い包みに線香をあげて、掌を合わせた。横にはあのやさしげな笑顔の写真が立ててある。彼の写真は1枚も持っていないので、いつでも会えるようにスマホで撮影した。
 お骨が入っている箱をみて、ああ、本当に逝ってしまったんだ、もういないんだとの思いが波のように打ち寄せてきた。彼の死を受け入れたくはないけれど、ようやくその気持ちに終止符を打った。
 台所の見慣れたテーブルでお茶をいただく。この席でMさんと何度も飲んだ。夜おそくに次男を連れて押しかけたこともある。酔いがまわったぼくは夫人が運転する車の後部座席に乗せられて、Mさんも一緒に団地の自宅まで送ってくれるのが定番のコースだった。
 あれはいつだったか、ぼくの仕事場でいつもの芋焼酎のお湯割りをやりながら、亡くなった親の話の流れから、Mさんは何歳まで生きるとおもいますか、と尋ねたことがあった。話題が微妙だっただけに、あのときの会話は鮮明に覚えている。
「75歳かな。それぐらいがちょうどいいでしょ。寝たきりになるのは嫌だもの」とMさん。
「へえー、驚きました。まったく同じですね。ぼくもなんとなく75歳かなとおもっているんです。別に根拠はありませんけどね」
「75歳がいいんじゃないですか。70歳はちょっと早過ぎるし、80歳は長いでしょ」
「そしたらMさんとあの世で会っても、よぼよぼのジイサン同士じゃなくて、お互いに元気で、いまみたいに飲めますね」
「あの世では、その人が死んだ歳のままでいるのかなぁ」
 妙な具合に話が進んでいって、非科学的なことを言い合って、それでもなんの違和感もなくふたりの考えは一致した。ウマが合う仲の秘訣とは、理屈ではどうにもうまく説明しづらいところがある。
 Mさんが亡くなった年齢は満79歳だった。いま73歳のぼくが、75歳で死にたいなんて言ったら、バカを言いなさんなと叱られること間違いなしだ。ぼくは最低でも、Mさんのラインは越えなければ、とおもっている。
 夫人によれば、亡くなる前に夫婦のあいだでこんな話をしたことがあるという。
「昔に戻れるのなら、20年、30年前に戻りたい。そこからもう一度、人生をやり直せたらいいなあって、よく言うじゃない。オトウチャンはどうおもう?」
「嫌だね。あのころには二度と戻りたくない。いまがいちばん幸せだ」
「あんたはただ座っているだけで、食べて、飲んでいられて、そりゃあ、いまがいちばん幸せだろうけどね。あーあ、わたしはいまがいちばん不幸だよ」
 夫人は後妻である。Mさんはいいところ生まれのぼっちゃん育ちだが、40代の働き盛りのときに、自分の関知しないところで深刻な金銭トラブルに巻き込まれた。詳しいことは言えないが、そこから抜け出すまで、それはもうさんざんな目に遭っている。「老後の計画もぜんぶ駄目になりました」と本人は言っていた。
 でも、そんなことぐらいでは挫けない器の持ち主だった。
 7年前からは、がんの手術の後遺症で、若いころ水球の選手として鍛えぬいたからだがまっすぐ立っていられなくなった。
 夫人はよく支えて来られたとおもう。
 思い出し笑いを浮かべながら、彼女はこんなことを言った。
「いまがいちばん幸せだと言われたのが、Mと一緒になってからのいちばんうれしい言葉です」
「いまがいちばん幸せだ」のひと言が、いまの夫人を支えている。
 帰宅して、スマホのなかの写真に話しかけた。
 Mさん、かっこいいこと言いましたね。いちばん幸せでよかったですね。
 返事はないけれど、いまにも笑いだしそうな顔をして、ぼくをみている。

■花壇に黙って置かれた苗はそのままである。ちゃんと並べ直して、だれの目にも留まるようにしているのだが、持って来たご本人は、「わたしゃ、知らん!」ということらしい。
 写真は、梅雨が近づいたこの時期に、この畑で咲き乱れるハナショウブ。世話をしている農家のオジサンに、「きれいですね。ありがとうございます。毎年たのしみにしています」と声をかけた。「はぁーい」と返事があった。
 ひと言、声をかけられる、こんな関係の方がいいんじゃないの、と思うんだけどなぁ。