自宅でも化学療法しています2025年06月10日 19時24分

 昨日から「谷間の1週間」が再びはじまった。5回目の化学療法を受けて、いまも左の肩から紺色のちいさなポシェットを右側の腰のあたりに吊るしている。
 なかには抗がん剤の容器が入っていて、46時間かけて薬が少しずつ出てくる。それを細いチューブで右の胸の上部に埋め込んでいるカテーテルのポートに長い針でつなぎ、直接、心臓ちかくの静脈に送り込む仕掛けである。外見上はポシェットしかみえないので、この病気と縁のない人は抗がん剤治療の真っ最中とは気がつかないだろう。
 これなら動きながらでも治療を受けられる。がん細胞をやっつける時間を長くすることもできる。カテーテルの針は看護師さんから実習を受けたカミさんが自宅で抜いて片づけてくれる。医学はこんなところまで進歩している。
 さきほど高校と大学が一緒だった「西高3人組」の友から、ぼくの体調を気遣う電話があった。ふたりとも大切な友や知人の数が減ってしまい、なんでも言い合えるお互いの存在が希少価値になっている。そして、まだ保育園に通っている孫たちがおおきくなったころの日本や世界、地球環境の不安について、なんの気兼ねもなく話すことがお決まりのコースである。
 ぼくがときどきトランプやプーチン、日本の政治家、地球環境などをブログに取り上げるので、「あまりカッカカッカするなよ。頭に血が上るとからだによくないぞ」と当の自分も一緒になって頭に来ているのに、やさしいアドバイスをくれた。
 なんことはない、こうしてお互いに溜まっている「ガス抜き」をしているのだ。
 世のなかには、このガス抜きのできる家庭や相手がいない人もいる。そんな人が子供たちや若い人たち、大人の社会にも増えているようにみえる。
 だが、そんなことはだれだってあるのではないか。
 相手がいなければ、自然を相手にするのも、旅でも、日記(ブログ)、本、ネコ、料理、絵を描くのもいい。探せばなにかみつかるものだ。
 どうすればいいのか、わからなくなっている人は、そういうときにはどう考えたらいいのかを知らないまま、悩んでいることが多いようにおもう。そこから抜け出す知恵や方法を、ぼくはみんな年上の人や本、自然からもたくさん教えてもらった。
 仕事でおもしろくないことがあったとき、だれもいない海で沖の方まで泳いだり、よく風呂のお湯のなかに顔を突っ込んで、「バカヤローッ」と叫んだものだ。空をみながら、ぷかぷか浮かんでいたり、ブクブクブク泡にして、消してやった。
 もう少し勝手な拡大解釈をすると、専門家のいろんな意見はあるけれど、理不尽な無差別テロだけでなく、自分を正当化して、ネットで一度も会ったことのない人のことを誹謗・中傷して、最後は自殺に追い詰めた人たちも、もしかしたら、ガス抜きが下手な人なのかもしれない。
 たまたま今日の地元紙の朝刊に小学5年生から中学1年までの「子ども記者」たちが大手IT企業のAI運営部長に取材した記事が掲載されていた。
 そこで子ども記者と担当部長はこんなやりとりをしている。

 -AIのプログラミングで難しい点は?
 うそを教えないこと。AIに学習させるデータにうその情報が交っていてはだめ。データを自分たちで作る場合もしっかりチェックしなければならない。これが一番難しい。

 だが、このような「うそを教えない。データにうその情報が交ってはいけない」という現場の努力の積み重ねも、ふだんから新聞を読まなかったり、この種の報道に接しない人には残念ながら届かない。
 足を使って、事実を追い求めて原稿を書いている取材記者までネットで攻撃されているので、ここは声を大にして言っておきたい。
 せっかくの化学療法中なのに、また頭に血が上ってきそうだ。友の忠告に従って、このへんで止めておこう。
 彼は「おまえの声を聞いて、元気で安心した」と言っていた。

■化学療法の初日の夜はよく眠れない。夜更けの0時ごろ激しい雨音がして、3時ごろには稲妻が光って、5時過ぎには雷が落ちた。
 写真はきょうの正午過ぎの室見川。午前中に大雨警報が出て、こうなった。