「結納の日」のどんでん返し2025年06月22日 10時54分

 こんな心境になる日がやってくるとは。これまで会ったいろんな人から、亡くなった人たちも含めて、「あのことも書いていいよ」と言われているような気がする。
 新潟の義母の笑っている顔が目に浮かぶ。感謝の気持ちを込めて捧げたい。
 それはぼくがカミさんの実家に、「結納」のために行ったときのこと。
 その前に、まず、結納はどうすればいいのか、わからなかった。新潟の慣習も知らない。いまのようにネットで調べる手段もない。どこで買えばいいのか、どんなものがいいのか、いくらぐらいするのか、まるで雲をつかむようだった。
 知恵をもらいに行ったのは、仲のいい先輩のお母さん。この人、山陰地方のある藩の家老の家柄で、芸大の学生だったバイオリン弾きの夫と恋に落ちて、都内の公団の一室で家族4人と質素に暮らしていた。ぼくの懐ろ具合はとうにお見通し。
 教えてくれたのは百貨店売り場で、3,000円ぐらいから、ちいさくてしゃれた結納セットがあるという。
「ちゃんとしたデパートの商品だから、見栄えもいいわよ。地方の習慣はあるかもしれないけれど、インテリアとしても使える、ひと通りのセットになっているから、ぜんぜんおかしくないし、それでいいんじゃない」
「そうします!」
 カミさんがひと目惚れした5,000円のかわいい商品を手に入れて、この問題は片づいた。次は結納金をいくら包むかだ。
 給料の2か月分という説もある。でも、少ない収入は飲み代や本代に右から左へ消えているし、貯金もない。とてもじゃないがそれは無理。カミさんと話し合った末に、おふくろさんにはわけを話すことにして、10万円を包むことにした。
 そして、当日。母はぼくたちの先手を打って、こんなふるまいに出た。
「このお金は返すから、そちらで使ってね。それから10万円を50万円に書き直して。その方が結納の品を見に来る親戚たちも安心するからね。黙っておけばいいんだよ。わかりゃしないよ」
「ありがとうございます!」
 まるい顔、くりくりした目、おおきな声をあげて、おもしろそうに笑っていた。
 どうやらハナからその気だったらしい。癌で余命いくばくもなかった実の息子の、その友人でもあるぼくは、すでにこの母の「新しい息子」になっていたのだ。
 義母は自分がいなくなるときの準備もしていた。
 遠くにいる娘たちが急な葬式で困らないように、往復の旅費から恥をかかないですむ香典のお金まで、それも余裕のもてる金額を近くにいる長女に渡していた。
 結納のときと同じだ。ちゃんと先まわりして、子どもたちの面子が立つように、負担をかけないようにしていたのだ。
 自分は我慢ばかりしていた。そんな話はいくらでもある。

 亡くなった人の内緒話の、ほんの一部だけにふれた。
 こんなことを書いておくのも、ぼくの務めかなとおもうようになっている。

■写真は、カミさんがベランダ栽培で挑戦中のミニトマト。おもったよりも実は少ないし、ぽろりと落ちる粒も。
 何個、食べさせていただけるだろうか。