恩師の命日に決めたこと2025年09月11日 15時02分

 昨日までに、短編はとりあえず最後の1行まで書いた。途中で筋書きを変えた。登場人物のキーマンをとうとうあの世に送ってしまった。よく使われる手だなぁ。
 きょうも早くから目が覚めて、5時半に机に着く。新聞を読んでいるうちに睡魔に襲われて、ふとんにUターン。いびきをかいていたらしい。からだは正直なものだ。無理をするなという信号だろう。
 わかっていても、自分の方からなにか仕掛けていかないと、副作用のきつい1週間はなにもしないままになる。なんといっても、病いは「気」からだ。
 また、昨日は恩師の田原先生の命日だった。
 あれから13年の月日が過ぎた。そのときの顔写真入りの訃報記事の切り抜きは、机の上に置いてある。「葬儀・告別式は近親者ですませた」の文をみて、福岡市内の住所は知っていたが、線香を上げにお伺いしないままだった。
 ぼくは先生が認めてくれた門下生を自負している。あんなにお世話になったのに、なんという恩知らずだろうか。ずっとこのことが引っかかっていた。
 先生の墓参りをしたい。
 でも、もしも、お墓が遠い場所だったら、こんなからだで大丈夫だろうか。強気と弱気が胸のなかを交互に駆けめぐる。
 意を決して、スマホに登録しておいた娘さんに電話を入れた。非礼を何度も詫びて、先生が衆院選に初出馬したときからの関係を説明した。こころよくお墓の在所を教えてもらった。「あんなところまで。ありがとうございます」と言われた。
 やっぱり、菩提寺は出身地の大分の国東半島の中腹あたりにあるお寺だった。先祖代々の墓という。
 国東半島は学生時代に関心があって、関連の本も何冊か読んだ。それだけでは足りずに、バスを乗り継いで、歩きまわったところだ。古代から中世、近世にかけて、「六郷満山」と呼ばれる天台宗の仏教文化が花開いた半島で、見上げるような摩崖仏もある。
 国宝の富貴寺大堂は小ぶりで飾り気のない、シンプルな構造だが、九州では唯一、現存する平安建築として、京都の平等院鳳凰堂、岩手県の平泉中尊寺の阿弥陀堂と並び称されている。
 大学1年か、2年生の夏休みに行ったときは、まったく観光地の片りんも、その匂いもなくて、風雨にさらされっぱなしの木造の建物は、ひとりぽつんと静かだった。
 田原先生の菩提寺はそこからそう遠くない。天台宗の後から勢力を伸ばした禅宗の由緒あるお寺らしい。
 ぼくが青春時代に歩いた六郷満山の里から、恩師は飛び立ったのだ。星雲の志を持って。何回目かの衆院選のときのスローガンは「愛郷無限」だったことをおもいだす。
 現地まで高速を使って、片道178キロ、往復で356キロ。それほどたいした距離ではないが、山のなかに入る。軽四で、休みやすみ、ゆっくり運転するから、往復で8時間はかかるだろう。
 体調のいいときは大丈夫。涼しい日を選んで、用心しながら、行けばいい。自信がある。やっと行ける。たのしみだ。
 絶対に、行くぞ。

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