短編小説、コトはじめ ― 2025年08月22日 14時56分

「小説、公募」でネット検索すると、〇〇〇文学賞がずらずら出てくる。はるか雲の上の輝かしい賞から地方のもの、こんな賞もあるのかまで、毎月いくつも応募の締め切りがある。
少し探ってみたら、数百から千通以上もある応募総数のうち、70代が増えているという。90歳を越える人もいるとか。その人たちの気持ち、なんとなくわかる。
一昨日は一歩も外に出なかった。昨日は、夕食前に目と鼻の先にあるスーパーに行っただけ。食欲なし、ひと口ぶんのご飯を飲み込むのがやっとで、意欲半減のありさまだが、一日じゅう、ごろごろしていたわけではない。
午前中も、午後からも、もうひとつのおおきな15.6型のノートパソコンに向かっていた。これなら縦書きで文字がつづれる。文章のぜんたいを見ながら、続きが書ける。
こうしてもったいぶって前置きを重ねている理由をそろそろ白状しておこう。
一昨日の朝から短編小説を書きはじめた。これまで何度も、何度も、やるぞとおもいながら、おもうだけで一日が終わっていた。日が経つにつれて、決意も熱意も消えうせてしまうのがお決まりのパターンだった。
最初から短編の構想が決まっているわけではないけれど、書いているうちに、自分をどこかへ連れて行ってくれるだろうという期待感はある。初日は400字を6枚、2日目はそれを修正して、計11枚になった。目標は30枚である。
あとは続くかどうかだ。その気持ちを維持するためにも、こんなブログを書いている。
(ここでカミさんから、「買い物に行くよ」と声がかかった。作家生活のようにはいかないな)
短編はずいぶん読んできた。名作をノートに書き写したことも幾たびか。だが、いまは鴎外、直哉、井伏、梶井の時代ではない。若い人たちはスマホの画面をみながら、どこでもすらすら書くという。ぼくと同年配で公募している人たちも、たぶん世代ギャップを感じていることだろう。
それでもいい。ともかく自分の可能性に挑戦するたのしみができたのだから。
短編の舞台は、あの波当津である。海に潜るシーンも、宴会の様子も書いた。そして、読み返しておもった。
うーん。こいつは、「ボツ」だな。
午前中にカミさんと買い物に行ったのは大正解だった。行きつけのドラッグストアで、初めてウワサの「古古米の備蓄米」にめぐりあった。カミさんの「カン」が当たった。
店内に入ると、40歳ぐらいの女性がうれしそうにぼくの顔をみて、チョン、チョン、チョン、と指先で右の方を指さしている。そこに備蓄米が積まれていた。残り少なかった。
福岡市内では、まず備蓄米にお目にかかることはない。九州には出まわっていないのだ。価格は税込みで、1,980円。安いとはいえ、米の値段が跳ね上がる前はもっと安かった。
「暮らしにくくなったものだ。昔はね、刈り取った稲は天日で干してね、・・・」。
歳をとったらこんなことも書いておきたくなる。でも、きっと読まれへんやろな。
少し探ってみたら、数百から千通以上もある応募総数のうち、70代が増えているという。90歳を越える人もいるとか。その人たちの気持ち、なんとなくわかる。
一昨日は一歩も外に出なかった。昨日は、夕食前に目と鼻の先にあるスーパーに行っただけ。食欲なし、ひと口ぶんのご飯を飲み込むのがやっとで、意欲半減のありさまだが、一日じゅう、ごろごろしていたわけではない。
午前中も、午後からも、もうひとつのおおきな15.6型のノートパソコンに向かっていた。これなら縦書きで文字がつづれる。文章のぜんたいを見ながら、続きが書ける。
こうしてもったいぶって前置きを重ねている理由をそろそろ白状しておこう。
一昨日の朝から短編小説を書きはじめた。これまで何度も、何度も、やるぞとおもいながら、おもうだけで一日が終わっていた。日が経つにつれて、決意も熱意も消えうせてしまうのがお決まりのパターンだった。
最初から短編の構想が決まっているわけではないけれど、書いているうちに、自分をどこかへ連れて行ってくれるだろうという期待感はある。初日は400字を6枚、2日目はそれを修正して、計11枚になった。目標は30枚である。
あとは続くかどうかだ。その気持ちを維持するためにも、こんなブログを書いている。
(ここでカミさんから、「買い物に行くよ」と声がかかった。作家生活のようにはいかないな)
短編はずいぶん読んできた。名作をノートに書き写したことも幾たびか。だが、いまは鴎外、直哉、井伏、梶井の時代ではない。若い人たちはスマホの画面をみながら、どこでもすらすら書くという。ぼくと同年配で公募している人たちも、たぶん世代ギャップを感じていることだろう。
それでもいい。ともかく自分の可能性に挑戦するたのしみができたのだから。
短編の舞台は、あの波当津である。海に潜るシーンも、宴会の様子も書いた。そして、読み返しておもった。
うーん。こいつは、「ボツ」だな。
午前中にカミさんと買い物に行ったのは大正解だった。行きつけのドラッグストアで、初めてウワサの「古古米の備蓄米」にめぐりあった。カミさんの「カン」が当たった。
店内に入ると、40歳ぐらいの女性がうれしそうにぼくの顔をみて、チョン、チョン、チョン、と指先で右の方を指さしている。そこに備蓄米が積まれていた。残り少なかった。
福岡市内では、まず備蓄米にお目にかかることはない。九州には出まわっていないのだ。価格は税込みで、1,980円。安いとはいえ、米の値段が跳ね上がる前はもっと安かった。
「暮らしにくくなったものだ。昔はね、刈り取った稲は天日で干してね、・・・」。
歳をとったらこんなことも書いておきたくなる。でも、きっと読まれへんやろな。
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