合言葉は、「必ず治るよ」 ― 2025年03月29日 11時27分

昨日は大腸カメラの検査をした。ベッドの上に横になって、係りの若いお兄さんに「終わるまでどれぐらい時間がかかりますか」と訊いた。「何もなければ30分ぐらいですね」という返事。
鎮静剤の眠りから覚めて、壁にかかっている時計を見たら1時間を越えていた。
しばらくして担当の消化管内科の若い医師から検査の結果を聞いた。
「がんですね。直腸のちかくにあります。すい臓がんからのものでしょう」
こういうこともあるといちおうは覚悟していた。だが、実際に大腸の穴の壁面に盛り上がっているがんの写真を見せられて、淡々と説明される身には、こころに非情なヤスリでもかけられているような気分である。
それにしてもあれだけCT検査をしたのに、がんの存在がわからなかったものか。それだけ見つけるのがむずかしい病気だということだろう。
「内視鏡を使って、がんを取り除くことはできますか」
「できません。(これから先のことは)外科の先生がどうされるかですね」
(こうやって、まるで他人事のように、すらすらと事実を客観的に書くのは自分でも妙な気持ちになるが、やはり書かなければいけないという元記者の本性がそうさせるのだろうか)
鎮静剤を打ったので、昨日の病院通いに車は使えず、往復とも歩きだった。自宅まで30分足らず、カミさんが心配しているのはわかっていたが、いちばん言いたくないことだし、聞く方も聞きたくない話なので、一報を入れずに、顔をみながら話すことにした。
このところ見た目にもはっきり痩せたカミさんの小柄なからだは、みるみるちいさくしぼんでいくようだった。いまにも泣き出しそうだった。ここでなぐさめたら終わりだとおもった。見ていて、かわいそうでたまらない。
こんなときは気持ちを奮い立たせるしかない。これまで数えきれないほどそうしてきた。
ちょうどネットで注文していたブラジル産のプロポリスが届いていたので、さっそく飲んでみた。現地にいる友が「実際に効果があった人を確認して」、勧めてくれたものである。
一夜明けて、今朝も起きがけに飲んだ。そして、簡単な日記兼用の大判の手帳に、「免疫療法スタート」と書き込んだ。ブラジルの友からは「治ると信じて前向きに勧める事を祈っております」とのLINEも届いている。
とにかく、がんはみつかったばかりなのだ。治療は来月からである。
先進の抗がん剤治療。それに次男が支えてくれる漢方薬、さらにブラジル産プロポリスをつかった免疫療法。手術をした二年前は、前者ふたつのダブル戦法だったが、今度はこの三つの療法をミックスしたトリプル戦法で闘う。
病は気から、という。やるだけやってやろうとおもっている。カミさんもいくらか落ち着きをとり戻して、いつものように「必ず治るよ」と言っている。ふたりの息子も協力を約束してくれた。
「必ず治るよ」は、ぼくたち家族の合言葉になった。
■きょうは地元サッカーチーム・アビスパ福岡の試合が午後3時からある。熱心なサポーターのカミさんは「行くのを止める」と言っていたが、ぼくは「行ってもらいたい」と勧めた。カミさんも受け入れてくれた。
鎮静剤の眠りから覚めて、壁にかかっている時計を見たら1時間を越えていた。
しばらくして担当の消化管内科の若い医師から検査の結果を聞いた。
「がんですね。直腸のちかくにあります。すい臓がんからのものでしょう」
こういうこともあるといちおうは覚悟していた。だが、実際に大腸の穴の壁面に盛り上がっているがんの写真を見せられて、淡々と説明される身には、こころに非情なヤスリでもかけられているような気分である。
それにしてもあれだけCT検査をしたのに、がんの存在がわからなかったものか。それだけ見つけるのがむずかしい病気だということだろう。
「内視鏡を使って、がんを取り除くことはできますか」
「できません。(これから先のことは)外科の先生がどうされるかですね」
(こうやって、まるで他人事のように、すらすらと事実を客観的に書くのは自分でも妙な気持ちになるが、やはり書かなければいけないという元記者の本性がそうさせるのだろうか)
鎮静剤を打ったので、昨日の病院通いに車は使えず、往復とも歩きだった。自宅まで30分足らず、カミさんが心配しているのはわかっていたが、いちばん言いたくないことだし、聞く方も聞きたくない話なので、一報を入れずに、顔をみながら話すことにした。
このところ見た目にもはっきり痩せたカミさんの小柄なからだは、みるみるちいさくしぼんでいくようだった。いまにも泣き出しそうだった。ここでなぐさめたら終わりだとおもった。見ていて、かわいそうでたまらない。
こんなときは気持ちを奮い立たせるしかない。これまで数えきれないほどそうしてきた。
ちょうどネットで注文していたブラジル産のプロポリスが届いていたので、さっそく飲んでみた。現地にいる友が「実際に効果があった人を確認して」、勧めてくれたものである。
一夜明けて、今朝も起きがけに飲んだ。そして、簡単な日記兼用の大判の手帳に、「免疫療法スタート」と書き込んだ。ブラジルの友からは「治ると信じて前向きに勧める事を祈っております」とのLINEも届いている。
とにかく、がんはみつかったばかりなのだ。治療は来月からである。
先進の抗がん剤治療。それに次男が支えてくれる漢方薬、さらにブラジル産プロポリスをつかった免疫療法。手術をした二年前は、前者ふたつのダブル戦法だったが、今度はこの三つの療法をミックスしたトリプル戦法で闘う。
病は気から、という。やるだけやってやろうとおもっている。カミさんもいくらか落ち着きをとり戻して、いつものように「必ず治るよ」と言っている。ふたりの息子も協力を約束してくれた。
「必ず治るよ」は、ぼくたち家族の合言葉になった。
■きょうは地元サッカーチーム・アビスパ福岡の試合が午後3時からある。熱心なサポーターのカミさんは「行くのを止める」と言っていたが、ぼくは「行ってもらいたい」と勧めた。カミさんも受け入れてくれた。
「ゴミ」のおおそうじをする ― 2025年03月27日 14時42分

あんなブログを書いたものだから心配してくれる人もいて、この先どうなることかと思われているだろうし、自分自身もそう思っている。揺れ動く感情をピンで固定することはできないが、こんな独り言を書くのも、こんなことになったからである。
うまく言えないが、人生をみる目にまたひとつ別の角度から眺められるようになった感がある。そして、自分の気持ちをコントロールする術もいくらか上達したようにおもう。
たとえば、ぼくのからだのなかにあるがん細胞を「ゴミ」と呼ぶことにした。がんは不要なゴミである。これからはじまる治療は「ゴミそうじ」というわけだ。
そうなのだ、ぼくは「ゴミのおおそうじ」をするのだ。「ゴミ」という言葉はなんの抵抗もなく、ぼくの脳みそに受け入れられて、気持ちよく定着した。
以前も引用したが、作家の井上ひさしが話したことを再度、書き写しておく。
自分が悩みごとやさまざまなことで追いつめられたとき、言葉がいちばん、役に立つのです。言葉で切り抜けていくしかないのです。
さて、昨夜のこと、気晴らしでぼちぼち書きはじめた習作をカミさんにみせた。まだ400字詰めの原稿用紙に換算して20枚ていどの下書きで、どうというものではないが、「好きなことをやっているからね。まだやりたいことがあるからね」というサインのつもりである。
それでも一度みせた手前上、「まだ書き出しの途中で、次にすすむ筋書きも浮かんでいないけれど、下手でも書き上げないといかんなぁ」という気になった。
明日は大腸カメラをつかった検診が待っている。すでに今朝の朝食から食事制限がはじまっていて、明日の昼までに大量の下剤を飲んで、大腸のなかをすっからかんにしておかないといけない。
昨日、病院で受けた看護士さんの説明では、うどんなら具材のない素うどんにして、薬味の青ネギも駄目という。おにぎりも海苔があったらバツ。トーストもバターやジャムはアウト。野菜、果物、ジュースも植物繊維があるのでいっさいダメ。もちろん、明日の朝と昼は絶食である。検査のためとはいえ、ここまでからだをいじめないといけないものか。
来週はまた病院である。たぶん入院の日程も決まる。
はやく「ゴミそうじ」をはじめたいなぁ。落ち着かない日々がつづく。
■燃えないゴミを出しに行ったら、花壇の手入れをしていたカミさんが見知らぬ年配の女性につかまっていた。花が好きな人が通りかかると、こんなふうにときどき立ち話に巻き込まれる。
この人も一戸建てを処分して、この団地に移って来たという。以前住んでいた自宅の庭には花がいっぱい咲いていたそうだ。
うまく言えないが、人生をみる目にまたひとつ別の角度から眺められるようになった感がある。そして、自分の気持ちをコントロールする術もいくらか上達したようにおもう。
たとえば、ぼくのからだのなかにあるがん細胞を「ゴミ」と呼ぶことにした。がんは不要なゴミである。これからはじまる治療は「ゴミそうじ」というわけだ。
そうなのだ、ぼくは「ゴミのおおそうじ」をするのだ。「ゴミ」という言葉はなんの抵抗もなく、ぼくの脳みそに受け入れられて、気持ちよく定着した。
以前も引用したが、作家の井上ひさしが話したことを再度、書き写しておく。
自分が悩みごとやさまざまなことで追いつめられたとき、言葉がいちばん、役に立つのです。言葉で切り抜けていくしかないのです。
さて、昨夜のこと、気晴らしでぼちぼち書きはじめた習作をカミさんにみせた。まだ400字詰めの原稿用紙に換算して20枚ていどの下書きで、どうというものではないが、「好きなことをやっているからね。まだやりたいことがあるからね」というサインのつもりである。
それでも一度みせた手前上、「まだ書き出しの途中で、次にすすむ筋書きも浮かんでいないけれど、下手でも書き上げないといかんなぁ」という気になった。
明日は大腸カメラをつかった検診が待っている。すでに今朝の朝食から食事制限がはじまっていて、明日の昼までに大量の下剤を飲んで、大腸のなかをすっからかんにしておかないといけない。
昨日、病院で受けた看護士さんの説明では、うどんなら具材のない素うどんにして、薬味の青ネギも駄目という。おにぎりも海苔があったらバツ。トーストもバターやジャムはアウト。野菜、果物、ジュースも植物繊維があるのでいっさいダメ。もちろん、明日の朝と昼は絶食である。検査のためとはいえ、ここまでからだをいじめないといけないものか。
来週はまた病院である。たぶん入院の日程も決まる。
はやく「ゴミそうじ」をはじめたいなぁ。落ち着かない日々がつづく。
■燃えないゴミを出しに行ったら、花壇の手入れをしていたカミさんが見知らぬ年配の女性につかまっていた。花が好きな人が通りかかると、こんなふうにときどき立ち話に巻き込まれる。
この人も一戸建てを処分して、この団地に移って来たという。以前住んでいた自宅の庭には花がいっぱい咲いていたそうだ。
がんとの闘い、第2ラウンド開始 ― 2025年03月24日 17時15分

午後1時過ぎに病院から帰宅した。1時間以上も待たされて、外科の担当医から聞いたPET検査の結果は、やはり歓迎せざるものだった。
すい臓がんが再発したばかりではなく、腹膜にもがん細胞のタネが散らばっているという。ただ検査報告書ではいずれも「軽度の」という前置きと、「可能性がある」との常套文句がついている。また、このところお腹の調子が悪いせいか、直腸にも病変の可能性があると指摘された。これについては後日、大腸カメラで詳しく検査することになった。
「順調にきていたのに。こんな話をするのはつらいんですよ」と医者は言った。「そうだろうな。オレだってカミさんに話すのはつらいんだよ」とおもった。
今後の治療スケジュールはまだ決まっていないが、4月に入ったら1週間ほど入院して、抗がん剤治療がはじまるのは決定的である。腹膜については、「外科のメンバーとも話し合って、一度なかをのぞいて、がんかどうか確認することもありますね」と言っていた。この外科部長はなんでも率直に話してくれる。だから、こちらも気になることはなんでも訊ける。
ぼくのすい臓がんの手術を担当して、ずっと経過を見守ってきた医師としては、少しでも明るい希望があるのなら、やれることはやってやろうという気持ちが伝わってくる。
今日の診察のおおまかな報告は以上の通り。
気持ちが滅入りそうな話を並べたてたが、ぼくはこうおもっている。
モノゴトには必ず反対側がある。ちいさながんが見つかって、手術をしないで、抗がん剤治療で回復した人は、まわりにたくさんいる。しかも、ぼくのそれはようやくみつかったばかり。同じ薬でも、効かない人もいれば、効く人もいる。すい臓がんのステージ3だった人が手術を受けないで回復した人も実際にいる。
悲観せずに、明るい方だけをみて、自分は運がいいと強く信じることだ。
昨日、カミさんがぼくの心配ごとを打ち明けた仲良しの奥さんから、彼女のスマホにメールがきた。「(ぼくに)なにかあったら、遠慮なく連絡して。主人がすぐ車を出すから」という内容だった。「気が早いよな」と笑ってしまったが、ありがたさが身に染みた。
高校時代の友だちからも電話があった。先日のブログを見て、心配していたという。包み隠さずに今日のこと、そしてぼくの気持ちを打ち明けた。2年前の手術のときと同じように、ガンバロウゼ! のエールをもらった。
たまたまカミさんは今日がパートの最終日で、早いご帰還だった。彼女にもぜんぶ話した。心配で、心配で、泣きそうな顔をしていたが、いまでは一緒に戦う気持ちになっている。こころ休まる、なによりの援軍である。
ともかく、やることがはっきりした。もやもやしていて、ついつい沈みがちだった昨日までとはこころの持ちようがまるで違う。
■室見川にいたカモは数えるほどしか残っていない。この3羽は居残り組か。
すい臓がんが再発したばかりではなく、腹膜にもがん細胞のタネが散らばっているという。ただ検査報告書ではいずれも「軽度の」という前置きと、「可能性がある」との常套文句がついている。また、このところお腹の調子が悪いせいか、直腸にも病変の可能性があると指摘された。これについては後日、大腸カメラで詳しく検査することになった。
「順調にきていたのに。こんな話をするのはつらいんですよ」と医者は言った。「そうだろうな。オレだってカミさんに話すのはつらいんだよ」とおもった。
今後の治療スケジュールはまだ決まっていないが、4月に入ったら1週間ほど入院して、抗がん剤治療がはじまるのは決定的である。腹膜については、「外科のメンバーとも話し合って、一度なかをのぞいて、がんかどうか確認することもありますね」と言っていた。この外科部長はなんでも率直に話してくれる。だから、こちらも気になることはなんでも訊ける。
ぼくのすい臓がんの手術を担当して、ずっと経過を見守ってきた医師としては、少しでも明るい希望があるのなら、やれることはやってやろうという気持ちが伝わってくる。
今日の診察のおおまかな報告は以上の通り。
気持ちが滅入りそうな話を並べたてたが、ぼくはこうおもっている。
モノゴトには必ず反対側がある。ちいさながんが見つかって、手術をしないで、抗がん剤治療で回復した人は、まわりにたくさんいる。しかも、ぼくのそれはようやくみつかったばかり。同じ薬でも、効かない人もいれば、効く人もいる。すい臓がんのステージ3だった人が手術を受けないで回復した人も実際にいる。
悲観せずに、明るい方だけをみて、自分は運がいいと強く信じることだ。
昨日、カミさんがぼくの心配ごとを打ち明けた仲良しの奥さんから、彼女のスマホにメールがきた。「(ぼくに)なにかあったら、遠慮なく連絡して。主人がすぐ車を出すから」という内容だった。「気が早いよな」と笑ってしまったが、ありがたさが身に染みた。
高校時代の友だちからも電話があった。先日のブログを見て、心配していたという。包み隠さずに今日のこと、そしてぼくの気持ちを打ち明けた。2年前の手術のときと同じように、ガンバロウゼ! のエールをもらった。
たまたまカミさんは今日がパートの最終日で、早いご帰還だった。彼女にもぜんぶ話した。心配で、心配で、泣きそうな顔をしていたが、いまでは一緒に戦う気持ちになっている。こころ休まる、なによりの援軍である。
ともかく、やることがはっきりした。もやもやしていて、ついつい沈みがちだった昨日までとはこころの持ちようがまるで違う。
■室見川にいたカモは数えるほどしか残っていない。この3羽は居残り組か。
CT検査、PET検査の10日間 ― 2025年03月22日 17時23分

暖かい。気温は20度を超えて、いっぺんに春らんまんである。
このところブログを書く気になれなかった。いまでもそうなのだが、重い気持ちを奮い立たせて書く。
どうやらがんが再発したらしい。いや、「らしい」という言いまわしは、現実から目をそらしている。
昨年の暮れに医師からがんの再発をにおわされて、今年1月初旬に予定になかったCT検査を受けた。
判定は、がんは見当たらず。だが、腫瘍マーカーの数値は昨年末の200から1,200に跳ね上がっていた。正常値は160以下だから、ふつうに考えたら、がん細胞はどこかにある。
医師は2か月後に再度のCT検査を設定した。その日の今月11日、またCT検査と腫瘍マーカーを調べる血液検査を受けた。そして、結果を聞いたのは今週の17日。
結果はまたもや、がんは特定できなかった。腫瘍マーカーのデータは渡してもらえなかったが、「高いなぁ」と言われた。
医師はCTの画像のある一点を指先で示しながら、「どうもここが気になる。すい臓の血管かなぁ。まずいなぁ」と言った。以前、「もうすい臓がんになることはありません」と言われていただけに、「またか」とショックだった。
ぼくはこの先の治療について質問した。「もうすい臓の手術はできません」と返ってきた。こちらもあんな辛い手術は二度としたくない。そして、今度は「がんを調べるもうひとつの方法のPET検査をやりましょう」となった。
それが昨日のことで、生まれて初めてPET検査を受けた。結果がわかるのは来週になる。いつもの主治医から説明がある。
このところ吐き気と腹くだしが止まず、食欲も落ちて、からだも気持ちも低空飛行をしている。きっとストレスのせいもあるのだろう。心配性なカミさんは気丈に耐えて、努めてふだん通りにしてくれている。この身近な支えが本当にありがたい。
こんな状況だから、とても日々の出来事を書く気になれなかった。
ここまでは事実を並べただけで、心の方はどうかと言えば、闘う気持ちは健在である。
とにかくCTでもまだ病巣を判定できる段階ではない。データによるがんの兆候は明らかだが、がんは見つかっていない。すい臓の血管はやっかいでも、それがどこであれ、やっつけるのはいまのうちである。そして、闘う武器は、放射線や抗がん剤だけではないことをぼくはわかっている。
いまは不安要因だらけだから精神的にきついが、がんの再発が頭から完全に消えたことはない。だれがいつなってもおかしくない病気だから、二度目もありうる。もし、そうなったら、こんどは早期発見で手術ではなく、抗がん剤ですむだろうとおもっていた。
勝ち戦をした総合病院での治療が始まったら、やることがはっきりして、逆に落ち着くとおもう。
この陽気で、桜の蕾もふくらんで、もうすぐ花見である。気持ちのいい季節がはじまる。
よし! きっと気分も変わる。
このところブログを書く気になれなかった。いまでもそうなのだが、重い気持ちを奮い立たせて書く。
どうやらがんが再発したらしい。いや、「らしい」という言いまわしは、現実から目をそらしている。
昨年の暮れに医師からがんの再発をにおわされて、今年1月初旬に予定になかったCT検査を受けた。
判定は、がんは見当たらず。だが、腫瘍マーカーの数値は昨年末の200から1,200に跳ね上がっていた。正常値は160以下だから、ふつうに考えたら、がん細胞はどこかにある。
医師は2か月後に再度のCT検査を設定した。その日の今月11日、またCT検査と腫瘍マーカーを調べる血液検査を受けた。そして、結果を聞いたのは今週の17日。
結果はまたもや、がんは特定できなかった。腫瘍マーカーのデータは渡してもらえなかったが、「高いなぁ」と言われた。
医師はCTの画像のある一点を指先で示しながら、「どうもここが気になる。すい臓の血管かなぁ。まずいなぁ」と言った。以前、「もうすい臓がんになることはありません」と言われていただけに、「またか」とショックだった。
ぼくはこの先の治療について質問した。「もうすい臓の手術はできません」と返ってきた。こちらもあんな辛い手術は二度としたくない。そして、今度は「がんを調べるもうひとつの方法のPET検査をやりましょう」となった。
それが昨日のことで、生まれて初めてPET検査を受けた。結果がわかるのは来週になる。いつもの主治医から説明がある。
このところ吐き気と腹くだしが止まず、食欲も落ちて、からだも気持ちも低空飛行をしている。きっとストレスのせいもあるのだろう。心配性なカミさんは気丈に耐えて、努めてふだん通りにしてくれている。この身近な支えが本当にありがたい。
こんな状況だから、とても日々の出来事を書く気になれなかった。
ここまでは事実を並べただけで、心の方はどうかと言えば、闘う気持ちは健在である。
とにかくCTでもまだ病巣を判定できる段階ではない。データによるがんの兆候は明らかだが、がんは見つかっていない。すい臓の血管はやっかいでも、それがどこであれ、やっつけるのはいまのうちである。そして、闘う武器は、放射線や抗がん剤だけではないことをぼくはわかっている。
いまは不安要因だらけだから精神的にきついが、がんの再発が頭から完全に消えたことはない。だれがいつなってもおかしくない病気だから、二度目もありうる。もし、そうなったら、こんどは早期発見で手術ではなく、抗がん剤ですむだろうとおもっていた。
勝ち戦をした総合病院での治療が始まったら、やることがはっきりして、逆に落ち着くとおもう。
この陽気で、桜の蕾もふくらんで、もうすぐ花見である。気持ちのいい季節がはじまる。
よし! きっと気分も変わる。
ネコ好きにもほどがある ― 2025年03月16日 15時27分

ネコがいる家で育ったカミさんは、大のネコ好きである。
あーあ、ネコを飼いたいなぁ、撫ぜたいな。よくそう言っているけれど、団地の決まりであきらめるしかない。せめてものなぐさめか、先ほどまでカミさんはニャンコが出ているテレビ番組の録画をみながら、ときどき噴き出していた。
ぼくもたまには付き合うのだが、主役は人間不信の塊みたいな保護ネコで、「シャーッ!」とやったり、ハンガーストライキをしたり、とうとう根負けして恐る恐る檻から出て来るのは毎回同じ。スタジオにいるタレントたちが「キャー!」とか、「グスン!」とやるのもいつものことで、こんなにワンパターンの番組がそんなにおもしろいのだろうかと不思議におもってしまう。
別に目くじらを立てているのではない。こうみえても動物愛護の啓蒙活動につながる意義はちゃんと評価しているのだ。ぼくはイヌ派だが、実家でネコを飼っていたこともあるし、ネコがゴロゴロ喉を鳴らしながら、ふとんのなかにはいってくるのもうれしかった。
ネコが出てくる番組はいくつもある。それだけ愛猫家が多いのだろう。そこで、ネコ好きにもほどがある、という一例をあげておこう。
小説家の村松梢風(1961年没)の随筆『猫料理』にこんな文章がある。タイトルこそ『猫料理』だが、なにもネコをとって食おうというのではない。全文を紹介したいのだが、さわりだけを抜粋する。
ちなみに鎌倉市に住んでいた村松氏がこの短い文章を書いたとき、彼は自宅に迷い込んだネコの子孫たちや別の迷いネコを合わせて、10匹のネコを飼っていた。
さてこの猫たちの食物だが、最初から、私のところでは飯はやらずに魚だけで育てた。初めのうちはほとんど小アジばかりであったが、段々贅沢になり、今では魚だけでも毎日六、七種になる。鎌倉名物の小アジのナマと塩なしの干物、これは主食のようなものである。ほかに季節によって多少の変化はあるが、キス、ヒラメ、カツオ、ナマリ節、マグロのさし身、夏は開きドジョーも焼いてやる。それに卵の黄身、牛乳は欠かさず、ビフテキ、レバーなども時々やる。カツオ節もかいてやる。飯へかけるのではなく、カツブシだけ食べるのだ。(略)
朝夕二回魚屋が私の家へ運ぶ魚の量は大変なものだ。さし身でも何人前かを、人間の場合と同じようにツマからワサビまでつけ飾りを立てて持ってくる。(略)
砂箱はいたるところにあって毎日その砂を取り替えるから、月に一度大トラックで海浜の清潔な砂を運んできて、帰りに古い砂を持ち去る。横浜から有名な獣医さんが十日目ごとに全員の健康診断に来る。
初めて読んだとき、本当だろうかと疑った。だれにともなく、「どうだ、参ったか。オレの右に出るやつはいないだろう」と言わんばかりである。
それにしても、ネコはどうして人間をこんなふうにさせてしまうのだろうか。
■写真は、「室見川のいちばん桜」。この名前はぼくが勝手につけた。毎年、室見川沿いの桜のなかで真っ先にピンク色の花を咲かせる。
冬鳥のカモはぽつりぽつりになって、代わりにツバメたちが飛びまわっている。枯れ草のなかから顔を出したばかりのツクシをとっている人もいる。
あーあ、ネコを飼いたいなぁ、撫ぜたいな。よくそう言っているけれど、団地の決まりであきらめるしかない。せめてものなぐさめか、先ほどまでカミさんはニャンコが出ているテレビ番組の録画をみながら、ときどき噴き出していた。
ぼくもたまには付き合うのだが、主役は人間不信の塊みたいな保護ネコで、「シャーッ!」とやったり、ハンガーストライキをしたり、とうとう根負けして恐る恐る檻から出て来るのは毎回同じ。スタジオにいるタレントたちが「キャー!」とか、「グスン!」とやるのもいつものことで、こんなにワンパターンの番組がそんなにおもしろいのだろうかと不思議におもってしまう。
別に目くじらを立てているのではない。こうみえても動物愛護の啓蒙活動につながる意義はちゃんと評価しているのだ。ぼくはイヌ派だが、実家でネコを飼っていたこともあるし、ネコがゴロゴロ喉を鳴らしながら、ふとんのなかにはいってくるのもうれしかった。
ネコが出てくる番組はいくつもある。それだけ愛猫家が多いのだろう。そこで、ネコ好きにもほどがある、という一例をあげておこう。
小説家の村松梢風(1961年没)の随筆『猫料理』にこんな文章がある。タイトルこそ『猫料理』だが、なにもネコをとって食おうというのではない。全文を紹介したいのだが、さわりだけを抜粋する。
ちなみに鎌倉市に住んでいた村松氏がこの短い文章を書いたとき、彼は自宅に迷い込んだネコの子孫たちや別の迷いネコを合わせて、10匹のネコを飼っていた。
さてこの猫たちの食物だが、最初から、私のところでは飯はやらずに魚だけで育てた。初めのうちはほとんど小アジばかりであったが、段々贅沢になり、今では魚だけでも毎日六、七種になる。鎌倉名物の小アジのナマと塩なしの干物、これは主食のようなものである。ほかに季節によって多少の変化はあるが、キス、ヒラメ、カツオ、ナマリ節、マグロのさし身、夏は開きドジョーも焼いてやる。それに卵の黄身、牛乳は欠かさず、ビフテキ、レバーなども時々やる。カツオ節もかいてやる。飯へかけるのではなく、カツブシだけ食べるのだ。(略)
朝夕二回魚屋が私の家へ運ぶ魚の量は大変なものだ。さし身でも何人前かを、人間の場合と同じようにツマからワサビまでつけ飾りを立てて持ってくる。(略)
砂箱はいたるところにあって毎日その砂を取り替えるから、月に一度大トラックで海浜の清潔な砂を運んできて、帰りに古い砂を持ち去る。横浜から有名な獣医さんが十日目ごとに全員の健康診断に来る。
初めて読んだとき、本当だろうかと疑った。だれにともなく、「どうだ、参ったか。オレの右に出るやつはいないだろう」と言わんばかりである。
それにしても、ネコはどうして人間をこんなふうにさせてしまうのだろうか。
■写真は、「室見川のいちばん桜」。この名前はぼくが勝手につけた。毎年、室見川沿いの桜のなかで真っ先にピンク色の花を咲かせる。
冬鳥のカモはぽつりぽつりになって、代わりにツバメたちが飛びまわっている。枯れ草のなかから顔を出したばかりのツクシをとっている人もいる。
奇人、変人だらけ ― 2025年03月09日 10時13分

夜明けから青い空、気持ちのいい朝である。もう草取り婆さんがしゃがみこんでいる。白い羊のようなその恰好を見て、ふと浮かんだ言葉は「奇人、変人」。
奇人、変人には尊称の意味もあるのではないか。下記のような文章を目にすると、「やっぱり、そうか」と得心がいって、なんだかうれしくなる。
夏目漱石の随筆、『正岡子規』にこんなくだりがある。このふたりは仲がよかった。漱石は子規の突拍子もない人柄をいとおしみ、友のありのままの姿を書き残しておきたくなって、ペンをとったのだろう。そのときの子規の得意げな様子が目に見えるようだ。
其時分は冬だった。大将雪隠(せっちん)へ這入るのに火鉢を持って這入る。雪隠へ火鉢を持って行ったとて当る事が出来ないじゃないかというと、いや当り前にするときん隠しが邪魔になっていかぬから、後ろ向きになって前に火鉢を置いて当るのじゃという。それで其火鉢で牛肉をじゃあじゃあ煮て食うのだからたまらない。
まさか便所のなかでこんなことをする人はそんなにいないだろうが、ぼくのまわりにはどちらかといえば奇人、変人が多かった。この「多かった」と過去形で書くのはちょっと辛いものがある。
ある友は学生時代の下宿の部屋に、だれが使ったものかもわからない洋式トイレを持ち込んで、どでかい灰皿にしていた。この男、ヨットを乗れば、風が止まってどうにもならないときに船を進めるのが得意だった。「凪(なぎ)の△△」と呼ばれていた。
ある先輩は幼い息子を連れて田舎に里帰りしたとき、東京への戻りの列車に間に合わず、線路のなかで仁王立ちして、肩車した息子に両手を広げさせ、向かってくる列車を緊急停車させた。高校生のときには家から持ちだした日本刀を放課後の教室でふりかぶり、分厚い電話帳をバッサリ断ち切って、同級生の度肝を抜いたこともある。だれも教師にはタレコミをしなかった。そんなおおらかな時代があった。
別の先輩はチリ紙交換のバイトをしているとき、スピーカーの音量を上げて、「毎度おなじみのチリ紙交換で~す」とやりながら、「そこのお嬢さん、ちゃんと信号を渡りましょう」、「ゴミを捨ててはいけません」と街の保安活動をやっていた。縄張りを荒らされて、ケチをつけたチンピラには、そやつの机の上を片足でドンと踏みつけて黙らせた。
ある友は下宿の部屋を真っ暗にして、本を読みはじめたら二晩続けて徹夜して、翌日は丸一日寝て過ごすのが習慣になっていた。寝ている間は飯を食わずにすむ。本代がかさんでいつも金がなく、基本は一日一食。鍋で一度に三合の飯を炊き、おかずはサバやイワシの缶詰ひとつ。じつにうまそうに食っていた。彼は大学の授業をバカにしていた。
みんなぼくの結婚式に来てくれた。人はさまざまだし、人を見る目もさまざまだから、もしかしたらこの世のなかは奇人、変人だらけなのかもしれない。
■先日の名古屋の姉の話。結局、テレビに出て来なかった。
写真はヒヨドリ。カミさんがベランダで育てて、黄色い花がいっぱいついていたギンギョソウが丸裸になっていた。開いたままの花が10個以上も散らばっていた。どうやら留守のあいだにヒヨドリにやられたらしい。腹が減って、腹の足しになるものを探しまわっていたのだろう。写真のヒヨドリは「犯人」ではありません。
奇人、変人には尊称の意味もあるのではないか。下記のような文章を目にすると、「やっぱり、そうか」と得心がいって、なんだかうれしくなる。
夏目漱石の随筆、『正岡子規』にこんなくだりがある。このふたりは仲がよかった。漱石は子規の突拍子もない人柄をいとおしみ、友のありのままの姿を書き残しておきたくなって、ペンをとったのだろう。そのときの子規の得意げな様子が目に見えるようだ。
其時分は冬だった。大将雪隠(せっちん)へ這入るのに火鉢を持って這入る。雪隠へ火鉢を持って行ったとて当る事が出来ないじゃないかというと、いや当り前にするときん隠しが邪魔になっていかぬから、後ろ向きになって前に火鉢を置いて当るのじゃという。それで其火鉢で牛肉をじゃあじゃあ煮て食うのだからたまらない。
まさか便所のなかでこんなことをする人はそんなにいないだろうが、ぼくのまわりにはどちらかといえば奇人、変人が多かった。この「多かった」と過去形で書くのはちょっと辛いものがある。
ある友は学生時代の下宿の部屋に、だれが使ったものかもわからない洋式トイレを持ち込んで、どでかい灰皿にしていた。この男、ヨットを乗れば、風が止まってどうにもならないときに船を進めるのが得意だった。「凪(なぎ)の△△」と呼ばれていた。
ある先輩は幼い息子を連れて田舎に里帰りしたとき、東京への戻りの列車に間に合わず、線路のなかで仁王立ちして、肩車した息子に両手を広げさせ、向かってくる列車を緊急停車させた。高校生のときには家から持ちだした日本刀を放課後の教室でふりかぶり、分厚い電話帳をバッサリ断ち切って、同級生の度肝を抜いたこともある。だれも教師にはタレコミをしなかった。そんなおおらかな時代があった。
別の先輩はチリ紙交換のバイトをしているとき、スピーカーの音量を上げて、「毎度おなじみのチリ紙交換で~す」とやりながら、「そこのお嬢さん、ちゃんと信号を渡りましょう」、「ゴミを捨ててはいけません」と街の保安活動をやっていた。縄張りを荒らされて、ケチをつけたチンピラには、そやつの机の上を片足でドンと踏みつけて黙らせた。
ある友は下宿の部屋を真っ暗にして、本を読みはじめたら二晩続けて徹夜して、翌日は丸一日寝て過ごすのが習慣になっていた。寝ている間は飯を食わずにすむ。本代がかさんでいつも金がなく、基本は一日一食。鍋で一度に三合の飯を炊き、おかずはサバやイワシの缶詰ひとつ。じつにうまそうに食っていた。彼は大学の授業をバカにしていた。
みんなぼくの結婚式に来てくれた。人はさまざまだし、人を見る目もさまざまだから、もしかしたらこの世のなかは奇人、変人だらけなのかもしれない。
■先日の名古屋の姉の話。結局、テレビに出て来なかった。
写真はヒヨドリ。カミさんがベランダで育てて、黄色い花がいっぱいついていたギンギョソウが丸裸になっていた。開いたままの花が10個以上も散らばっていた。どうやら留守のあいだにヒヨドリにやられたらしい。腹が減って、腹の足しになるものを探しまわっていたのだろう。写真のヒヨドリは「犯人」ではありません。
偶然か、必然か ― 2025年03月04日 17時33分

あれは偶然だったのか。それとも必然だったのか。
昨日、カミさんと車に乗っていたら、対向車の4桁のナンバーが2台続けて同じだった。それも字面のそろった覚えやすい数字が4つ並んでいた。
「こんなこともあるんだね」
そんな話をしていたら、なんとまた、まったく同じナンバーの車とすれ違った。わずか4、5分のあいだに3台も同一の数字とは。
「よし、宝くじを買おう!」
たちまち理性はあとかたもなく消えて、頭のなかはン億円の札束がちらちらした。われながらあさましいとおもうけれど、確率的に言ったら、こんなことってまずない。貧乏人に救いの手を差し伸べてくれた神様のお導きかもしれない。
そして、本日。
名古屋にいるカミさんのすぐ上の姉から1本のLINEが届いた。
「300円のラーメンを食べに行ったら、テレビ局からインタビューされた。もしかしたら今日の番組で、わたしが出るかもしれない」というメッセージ。
「わぁ、すごい」
びっくりしたカミさんは新聞のテレビ欄で放送時間を確認して、さっそく録画の予約をした。新潟の兄と姉、近くにいる息子にも一報を入れた。
こちらも偶然の産物である。はたして次女の姉がテレビに出るかどうかはわからない。テレビ映りも気になる。でも、出ても、出なくても、すでにぼくたちをこんなに騒がせて、楽しませてくれている。
「よし、ぜったいに宝くじを買うぞ!」
それにしても、300円の格安ラーメンはよかった。3,000円の高級ラーメンでないところが、やっぱりぼくたちの身内である。いいコメントを頼むよと応援したくなった。
これだから偶然っておもしろい。
はて、これまで知りあった人との出会いも偶然なのか、それとも偶然にみえる必然だったのか。
お陰で、こんなブログのネタもできた。
■写真は愛宕神社。東京の愛宕神社には「出世の階段」(男坂)と呼ばれる急勾配の石段がある。こちらの愛宕神社にはかつてケーブルカーがあった。駐車場から本殿までの石段は短いとはいえ、東京に負けず劣らずの急坂である。
昨日、カミさんと車に乗っていたら、対向車の4桁のナンバーが2台続けて同じだった。それも字面のそろった覚えやすい数字が4つ並んでいた。
「こんなこともあるんだね」
そんな話をしていたら、なんとまた、まったく同じナンバーの車とすれ違った。わずか4、5分のあいだに3台も同一の数字とは。
「よし、宝くじを買おう!」
たちまち理性はあとかたもなく消えて、頭のなかはン億円の札束がちらちらした。われながらあさましいとおもうけれど、確率的に言ったら、こんなことってまずない。貧乏人に救いの手を差し伸べてくれた神様のお導きかもしれない。
そして、本日。
名古屋にいるカミさんのすぐ上の姉から1本のLINEが届いた。
「300円のラーメンを食べに行ったら、テレビ局からインタビューされた。もしかしたら今日の番組で、わたしが出るかもしれない」というメッセージ。
「わぁ、すごい」
びっくりしたカミさんは新聞のテレビ欄で放送時間を確認して、さっそく録画の予約をした。新潟の兄と姉、近くにいる息子にも一報を入れた。
こちらも偶然の産物である。はたして次女の姉がテレビに出るかどうかはわからない。テレビ映りも気になる。でも、出ても、出なくても、すでにぼくたちをこんなに騒がせて、楽しませてくれている。
「よし、ぜったいに宝くじを買うぞ!」
それにしても、300円の格安ラーメンはよかった。3,000円の高級ラーメンでないところが、やっぱりぼくたちの身内である。いいコメントを頼むよと応援したくなった。
これだから偶然っておもしろい。
はて、これまで知りあった人との出会いも偶然なのか、それとも偶然にみえる必然だったのか。
お陰で、こんなブログのネタもできた。
■写真は愛宕神社。東京の愛宕神社には「出世の階段」(男坂)と呼ばれる急勾配の石段がある。こちらの愛宕神社にはかつてケーブルカーがあった。駐車場から本殿までの石段は短いとはいえ、東京に負けず劣らずの急坂である。
海には思い出が詰まっている ― 2025年02月26日 11時58分

ときどき無性に海に会いたくなる。昨日もそうだった。カミさんを助手席に乗せて向かったのは室見川の河口の西側にある愛宕神社。東京、京都とならぶ日本三大愛宕のひとつで、標高50メートルほどのこんもりした山のてっぺんに建っている。
ここからは博多湾が一望できる。空はよく晴れていて、青い海が光っている。海からおだやかな風が吹き上げてきて、トンビが一羽、気持ちよさそうに両翼を広げたまま宙を滑っていた。
海が好きだ。泳ぐのも、獲物をとるのも、船に乗るのも、ただ見ているのも好きである。
30代のはじめに朝の4時から原稿を書かないと締め切りに間に合わない日々が続いて、過労のせいか体温が40度まで上がり、それでも休めなかったことがある。あのころのぼくは地元の新聞に広告の記事や特集企画などを書きまくっていて、多いときには朝刊の5ページを自分の原稿で埋めつくしたこともあった。
高熱が下がらず、さりとて休むわけにもいかない。そこで思いついた荒療法は、まだ泳ぐには早すぎる5月の海に飛び込むことだった。「潮に漬かれば、きっとよくなる」、そう考えた。
中学から大学を卒業するまで、夏休みは波当津の海でそれこそ潮漬けになるほど遊びほうけ、福岡に移転してからもよく糸島の磯辺の沖にひとりで潜っていた。それは若さと元気の証でもあった。
風の力を肌で感じるように、ぼくは海の力を感じる。本当に海に会いに行こうとおもった。だが、踏みとどまってよかった。
医者に診てもらったら、「肺が白くなっています。結核ですね。意外と多いんですよ。紹介状を書きますから、安静にして、明日にでも入院してください」と宣告された。「結核の治療は長引くので、入院は短くて半年、まぁ、1年ぐらいでしょうね」とも言われた。
長男が生まれたばかりで、ひと月も経っていない。カミさんは初めての子育てで、近くに頼れる親戚も知り合いもいない。まだ福岡での生活にもそんなに慣れていなかった。
入院先で再検査をして、結核ではなく、マイコプラズマ肺炎だとわかったときの深い安堵感。赤ん坊の写真を見ながら、こみ上げてくるよろこびを固いベッドのうえで噛みしめた。
大好きな海に行かなくてよかったのはあのときぐらいか。青い海にはいろんな思い出が詰まっている。
ここからは博多湾が一望できる。空はよく晴れていて、青い海が光っている。海からおだやかな風が吹き上げてきて、トンビが一羽、気持ちよさそうに両翼を広げたまま宙を滑っていた。
海が好きだ。泳ぐのも、獲物をとるのも、船に乗るのも、ただ見ているのも好きである。
30代のはじめに朝の4時から原稿を書かないと締め切りに間に合わない日々が続いて、過労のせいか体温が40度まで上がり、それでも休めなかったことがある。あのころのぼくは地元の新聞に広告の記事や特集企画などを書きまくっていて、多いときには朝刊の5ページを自分の原稿で埋めつくしたこともあった。
高熱が下がらず、さりとて休むわけにもいかない。そこで思いついた荒療法は、まだ泳ぐには早すぎる5月の海に飛び込むことだった。「潮に漬かれば、きっとよくなる」、そう考えた。
中学から大学を卒業するまで、夏休みは波当津の海でそれこそ潮漬けになるほど遊びほうけ、福岡に移転してからもよく糸島の磯辺の沖にひとりで潜っていた。それは若さと元気の証でもあった。
風の力を肌で感じるように、ぼくは海の力を感じる。本当に海に会いに行こうとおもった。だが、踏みとどまってよかった。
医者に診てもらったら、「肺が白くなっています。結核ですね。意外と多いんですよ。紹介状を書きますから、安静にして、明日にでも入院してください」と宣告された。「結核の治療は長引くので、入院は短くて半年、まぁ、1年ぐらいでしょうね」とも言われた。
長男が生まれたばかりで、ひと月も経っていない。カミさんは初めての子育てで、近くに頼れる親戚も知り合いもいない。まだ福岡での生活にもそんなに慣れていなかった。
入院先で再検査をして、結核ではなく、マイコプラズマ肺炎だとわかったときの深い安堵感。赤ん坊の写真を見ながら、こみ上げてくるよろこびを固いベッドのうえで噛みしめた。
大好きな海に行かなくてよかったのはあのときぐらいか。青い海にはいろんな思い出が詰まっている。
令和の米騒動を読み解く ― 2025年02月24日 18時30分

米価の高騰がわが家の家計を直撃している。店頭で売られている米の数量も減っているし、5キロを買うのに4,000円出しても足りない。
今回の米の値上がりは天候不順のせいではない。では、なんのせい?
話はごく単純で、自然のせいでなければ、人のせいである。需要(人の食べる量)が供給を上回っただけのこと。つまり、想定していた以上にご飯を食べているので米が足りなくなったというわけだ。
こういえば、すぐさま「買い占めだ」、「売り惜しみだ」という声があがるだろう。だが、それは二次的な要因であって、一次的要因ではない。
でも、ぼくたちが急に食べるご飯の量を増やしたわけではない。どこからか新しい胃袋の大群が加わっているのではないか。そして、おそらくその人たちはお金持ちで、ぼくたち庶民の金銭感覚とは別の世界にいる。
フラッシュバックのように思い出すテレビの映像がある。
外国からやってきた観光客を相手に、その土地の新鮮な海の幸をご飯の上にのっけた丼に、7,000円の値段をつけて大繁盛している店が紹介されていた。銀座の寿司屋、人里はなれた山奥の宿にも人の波が押し寄せて、人気の飲食店には長い行列ができている。
その数たるや半端ではない。
昨年の外国人観光客数は約3,687万人。日本の総人口の3割にも相当する。乱暴な計算だが、食事をするたびに3,678万食が必要になる。1週間滞在したら、年間で2億5,809万食。ちょっと想像がつかない。米の減りようがわかるだろう。
みなさんおいしいものをおなかいっぱい食べる気満々でやって来たに違いなく、たとえばアメリカ人は平均的な日本人が食べる量のゆうに2倍は胃袋におさめる。
この人たちが押しかける旅館や飲食店から、「もっと米を持ってきてくれ」の注文がその土地の米穀店へひっきりなしに舞い込んでも不思議ではない。その小さな火があちらこちらからだんだん燃え広がっても、なんの不思議もない。騒動はほんのささいな出来事からはじまるのだ。
こんなふうに世のなかはおおきく変わっているのに、政府は米の年間消費量を日本人の人口を前提に割り出している。いまはそんなことですまされる時代なのだろうか。
思いだしてほしい。ちょっと前までのメディアの報道は、急激なインバウント需要の高まりが米不足の原因だとはっきり指摘していた。なのに、そんな声はほとんど聞かれなくなった。マスコミは常に新しい話題を追いかけるので、たぶんそういうことなのだろう。
こうして「令和の米騒動」の関心は、米の買い占めや売り惜しみの方に移っている。だが、それらは米の値上がりに便乗した動きである。そうなった原因はその前にあるはずだ。
政府は観光大国を掲げているのに、農水省は初動の判断をあやまったとしか思えない。備蓄米の放出はあまりにも遅すぎる。
これは内輪の問題なので、けっして外国からやって来た人たちを排斥しているのではない。むしろ、日本のよさをたくさん知ってもらい、おいしいお米を食べてほしい。
相変わらずのパターンだなぁ、とおもいながら、きょうもまた仕方なく高い米を買って来た。
■テレビを見ていたら、カミさんの故郷の六日町駅前の様子が出て来た。実家から歩いて行ける温泉も、そして雪に埋もれた越後湯沢の駅前も。
なつかしくてなって、古い写真を取り出した。ぼくたち親子が夏休みによく連泊させてもらっていたロッジの庭から撮影したもの。管理人をしていた義理の姉さん夫婦と子どもたちには本当にお世話になった。
眼下には清らかな魚野川が流れ、おいしい南魚沼米のたんぼが広がっている。大雪が消えた後のこの美しい景色はいまも変わっていない。
今回の米の値上がりは天候不順のせいではない。では、なんのせい?
話はごく単純で、自然のせいでなければ、人のせいである。需要(人の食べる量)が供給を上回っただけのこと。つまり、想定していた以上にご飯を食べているので米が足りなくなったというわけだ。
こういえば、すぐさま「買い占めだ」、「売り惜しみだ」という声があがるだろう。だが、それは二次的な要因であって、一次的要因ではない。
でも、ぼくたちが急に食べるご飯の量を増やしたわけではない。どこからか新しい胃袋の大群が加わっているのではないか。そして、おそらくその人たちはお金持ちで、ぼくたち庶民の金銭感覚とは別の世界にいる。
フラッシュバックのように思い出すテレビの映像がある。
外国からやってきた観光客を相手に、その土地の新鮮な海の幸をご飯の上にのっけた丼に、7,000円の値段をつけて大繁盛している店が紹介されていた。銀座の寿司屋、人里はなれた山奥の宿にも人の波が押し寄せて、人気の飲食店には長い行列ができている。
その数たるや半端ではない。
昨年の外国人観光客数は約3,687万人。日本の総人口の3割にも相当する。乱暴な計算だが、食事をするたびに3,678万食が必要になる。1週間滞在したら、年間で2億5,809万食。ちょっと想像がつかない。米の減りようがわかるだろう。
みなさんおいしいものをおなかいっぱい食べる気満々でやって来たに違いなく、たとえばアメリカ人は平均的な日本人が食べる量のゆうに2倍は胃袋におさめる。
この人たちが押しかける旅館や飲食店から、「もっと米を持ってきてくれ」の注文がその土地の米穀店へひっきりなしに舞い込んでも不思議ではない。その小さな火があちらこちらからだんだん燃え広がっても、なんの不思議もない。騒動はほんのささいな出来事からはじまるのだ。
こんなふうに世のなかはおおきく変わっているのに、政府は米の年間消費量を日本人の人口を前提に割り出している。いまはそんなことですまされる時代なのだろうか。
思いだしてほしい。ちょっと前までのメディアの報道は、急激なインバウント需要の高まりが米不足の原因だとはっきり指摘していた。なのに、そんな声はほとんど聞かれなくなった。マスコミは常に新しい話題を追いかけるので、たぶんそういうことなのだろう。
こうして「令和の米騒動」の関心は、米の買い占めや売り惜しみの方に移っている。だが、それらは米の値上がりに便乗した動きである。そうなった原因はその前にあるはずだ。
政府は観光大国を掲げているのに、農水省は初動の判断をあやまったとしか思えない。備蓄米の放出はあまりにも遅すぎる。
これは内輪の問題なので、けっして外国からやって来た人たちを排斥しているのではない。むしろ、日本のよさをたくさん知ってもらい、おいしいお米を食べてほしい。
相変わらずのパターンだなぁ、とおもいながら、きょうもまた仕方なく高い米を買って来た。
■テレビを見ていたら、カミさんの故郷の六日町駅前の様子が出て来た。実家から歩いて行ける温泉も、そして雪に埋もれた越後湯沢の駅前も。
なつかしくてなって、古い写真を取り出した。ぼくたち親子が夏休みによく連泊させてもらっていたロッジの庭から撮影したもの。管理人をしていた義理の姉さん夫婦と子どもたちには本当にお世話になった。
眼下には清らかな魚野川が流れ、おいしい南魚沼米のたんぼが広がっている。大雪が消えた後のこの美しい景色はいまも変わっていない。
血糖値に一喜一憂する ― 2025年02月19日 14時34分

ひと月ぶりにすい臓がんの手術を受けた総合病院に行った。今回は外科には寄らずに糖尿病科だけの定期診断である。このところ毎朝自宅で測っている血糖値が高めで、「やばいな」と覚悟していた。
こういう場合、たいてい予想は当たる。医者からなにか訊かれたら、思い当たる原因をきちんと説明して、こころを入れ替える言葉も用意していた。
朝の挨拶をして、おとなしく担当の女医さんの判定を待つ。机の上には一時間前に採血された検査報告書のペーパーが3枚置かれている。
「血液検査のデータは理想的ですね。すい臓の機能がほとんどなくなっているのに、この数字はすごくいいです」
意外であった。だが、「やっぱりね」ともおもった。
血糖値なんて、血圧と同じようなもので、ちょっとしたことでピョンと跳ね上がる。最近の血糖値の高さの理由は、そのピョンがたまたま重なっただけだったのだろう。「ヘモグロビンA、なんとかかんとか」という数値は合格圏内で、女医さんはその数字にピンクのマーカーで線を引いていた。
初めて教えてもらったが、朝起きるとからだのなかのホルモンも活動をはじめて、そのときに血糖値が上がるという。朝の血糖値が高いのはそんな影響もあるらしい。
病院通いをしていると少しずつ現代医学の物知りになる。この団地にも外科、循環器科、呼吸器科、心臓外科、歯科、眼科から鍼灸整骨などの専門的な治療を受けて、それらの症状や治療法についてやけに詳しい話し好きがいる。
それにしても病院のなかの空気の重いことといったら。
ひとりぐらい、「ああ、よかった、やっとよくなった」と明るい顔をする人はいないものか。
こういうぼくも診察室を出るときに、今日の結果の望外なよろこびを隠して、だれが見ても、「わたしも病人ですから」というふうにした。
病院という場所は、変なところで気をつかう。治療にはよろしくても、精神衛生上はあまりよろしくない。病院に行くたびにそう感じるのはぼくだけだろうか。
明後日の2月21日はすい臓がんの手術を受けてから丸2年。もうすぐ3年目に突入する。
ここまでよくぞ生き延びてきた。この自己最長記録を伸ばさなくては。
■梅の花が開いた。春はすぐそこまで来ている。
自宅のまわりの山茶花(さざんか)の赤い花がほぼ散ってしまい、花の蜜を吸いに来るメジロがいなくなった。代わりに冬鳥のかわいいジョービタキが飛びまわっている。
翼にちょっとだけ白い羽があって、お腹が黄色いから、オスだとわかる。縄張りをもつ野鳥なのでよくみかけるが、いつまで楽しませてくれるのだろう。
こういう場合、たいてい予想は当たる。医者からなにか訊かれたら、思い当たる原因をきちんと説明して、こころを入れ替える言葉も用意していた。
朝の挨拶をして、おとなしく担当の女医さんの判定を待つ。机の上には一時間前に採血された検査報告書のペーパーが3枚置かれている。
「血液検査のデータは理想的ですね。すい臓の機能がほとんどなくなっているのに、この数字はすごくいいです」
意外であった。だが、「やっぱりね」ともおもった。
血糖値なんて、血圧と同じようなもので、ちょっとしたことでピョンと跳ね上がる。最近の血糖値の高さの理由は、そのピョンがたまたま重なっただけだったのだろう。「ヘモグロビンA、なんとかかんとか」という数値は合格圏内で、女医さんはその数字にピンクのマーカーで線を引いていた。
初めて教えてもらったが、朝起きるとからだのなかのホルモンも活動をはじめて、そのときに血糖値が上がるという。朝の血糖値が高いのはそんな影響もあるらしい。
病院通いをしていると少しずつ現代医学の物知りになる。この団地にも外科、循環器科、呼吸器科、心臓外科、歯科、眼科から鍼灸整骨などの専門的な治療を受けて、それらの症状や治療法についてやけに詳しい話し好きがいる。
それにしても病院のなかの空気の重いことといったら。
ひとりぐらい、「ああ、よかった、やっとよくなった」と明るい顔をする人はいないものか。
こういうぼくも診察室を出るときに、今日の結果の望外なよろこびを隠して、だれが見ても、「わたしも病人ですから」というふうにした。
病院という場所は、変なところで気をつかう。治療にはよろしくても、精神衛生上はあまりよろしくない。病院に行くたびにそう感じるのはぼくだけだろうか。
明後日の2月21日はすい臓がんの手術を受けてから丸2年。もうすぐ3年目に突入する。
ここまでよくぞ生き延びてきた。この自己最長記録を伸ばさなくては。
■梅の花が開いた。春はすぐそこまで来ている。
自宅のまわりの山茶花(さざんか)の赤い花がほぼ散ってしまい、花の蜜を吸いに来るメジロがいなくなった。代わりに冬鳥のかわいいジョービタキが飛びまわっている。
翼にちょっとだけ白い羽があって、お腹が黄色いから、オスだとわかる。縄張りをもつ野鳥なのでよくみかけるが、いつまで楽しませてくれるのだろう。
最近のコメント