癌退治の空想の矢を撃つ ― 2026年07月15日 16時49分
からだが苦しくて、床に転がっていると、子どものころに病気になって、天井の板の波模様をじっと眺めていたころを思い出した。
そうだ。空想の矢を空に向かって思いっきり撃ってやろう。
直面している癌は珍しくもない、だれでもがごく普通にかかる病気である。だって、みんな癌細胞を持っているのだから。そして、それに立ち向かう医学は急ピッチで進み、特効薬の開発が世界各地で進んでいる。
すい臓癌は問題解決までの難易度が高いと言われるが、解決策は必ず見つかる。時間の流れとはそういうものなのだ。だれにも止められない。
O工業がガラス管の束をほぐして、細いファイバースコープを開発したとき、その担当の研究開発者に会ったことがある。彼は「ひと晩、特殊な液体の中に放っておいたら、翌日、自然にバラバラになっていた」と言っていた。
だから、ある日突然、
「この粒を飲んだら、癌がみるみる消えていくよ。副作用もないよ」
そんな会話が現実になっても、不思議ではない。実際、研究者たちがそのような報告をしているテレビ番組をいくつか見たことがある。
さらにいまは最先端の武器のAIがある。
AIはこれまで取り組んできた臨床実例や研究開発の膨大なデータを一瞬にして処理して、目的一直線に回答を導き出す。その競争も間違いなく、ものすごい勢いで激しくなっているはずだ。
これって絵空事だろうか。
「空想の矢」は見上げている天井を貫いて、碧い空の向こうへと飛んで行った。
さぁ、ここが我慢にしどころだ。だって、人生そういうことだらけだったじゃないか。
ふと、まわりに目をやった。
先日、カミさんがお近づきになったご近所さんから声をかけられた。年齢はぼくより少し下らしい、きれいなご婦人である。その方のご主人は10年前に癌で亡くなったという。ぼくたちと同じ棟にいる未亡人は5、6年前に同じ体験をしている。
数え始めたら、癌で亡くなった人が次から次に出て来る。残された家族は、涙、ナミダに暮れたのだろう。それに比べれは、こうして駄文を書けることは、そして、読んでもらえることは、なんとシアワセなことか。
午前中に医者に電話して、明日の朝、病院に行って、痛み止めの薬をもらうことにした。これでギリギリギリッの痛みから、いくらかは解放されるだろう。もう少し、いま少しの辛抱だ。こんな状況にもだいぶ慣れてきた。
たったこれだけで、もう限界が来た。やせ我慢は禁物。無理はしません。ゴロンと横になろうっと。
■『一畳一夢』の小部屋です。
そうだ。空想の矢を空に向かって思いっきり撃ってやろう。
直面している癌は珍しくもない、だれでもがごく普通にかかる病気である。だって、みんな癌細胞を持っているのだから。そして、それに立ち向かう医学は急ピッチで進み、特効薬の開発が世界各地で進んでいる。
すい臓癌は問題解決までの難易度が高いと言われるが、解決策は必ず見つかる。時間の流れとはそういうものなのだ。だれにも止められない。
O工業がガラス管の束をほぐして、細いファイバースコープを開発したとき、その担当の研究開発者に会ったことがある。彼は「ひと晩、特殊な液体の中に放っておいたら、翌日、自然にバラバラになっていた」と言っていた。
だから、ある日突然、
「この粒を飲んだら、癌がみるみる消えていくよ。副作用もないよ」
そんな会話が現実になっても、不思議ではない。実際、研究者たちがそのような報告をしているテレビ番組をいくつか見たことがある。
さらにいまは最先端の武器のAIがある。
AIはこれまで取り組んできた臨床実例や研究開発の膨大なデータを一瞬にして処理して、目的一直線に回答を導き出す。その競争も間違いなく、ものすごい勢いで激しくなっているはずだ。
これって絵空事だろうか。
「空想の矢」は見上げている天井を貫いて、碧い空の向こうへと飛んで行った。
さぁ、ここが我慢にしどころだ。だって、人生そういうことだらけだったじゃないか。
ふと、まわりに目をやった。
先日、カミさんがお近づきになったご近所さんから声をかけられた。年齢はぼくより少し下らしい、きれいなご婦人である。その方のご主人は10年前に癌で亡くなったという。ぼくたちと同じ棟にいる未亡人は5、6年前に同じ体験をしている。
数え始めたら、癌で亡くなった人が次から次に出て来る。残された家族は、涙、ナミダに暮れたのだろう。それに比べれは、こうして駄文を書けることは、そして、読んでもらえることは、なんとシアワセなことか。
午前中に医者に電話して、明日の朝、病院に行って、痛み止めの薬をもらうことにした。これでギリギリギリッの痛みから、いくらかは解放されるだろう。もう少し、いま少しの辛抱だ。こんな状況にもだいぶ慣れてきた。
たったこれだけで、もう限界が来た。やせ我慢は禁物。無理はしません。ゴロンと横になろうっと。
■『一畳一夢』の小部屋です。
希望の星がやってきた ― 2026年07月13日 19時18分
空の青みがうす暗くなるなか、近くにいる長男がたったひとりの孫のKoを連れてきた。2歳半になる。生まれてまもない命、笑顔、元気の塊り、ぼくたちの希望の星である。
こちらは机についたまま、1歩も動けない。笑いながらやってきたかわいいほっぺたをチョン、チョンと軽くついて、2か月振りの対面は十数秒で終わった。
キリリ、キリリ、ギリギリッ、ギリギリギリッ。
お腹の真ん中あたりが突き刺すように痛い。こうなる前に痛み止めを飲めばよかった。いまも『一畳一夢』の小部屋に隣のリビングからkoちゃんのご機嫌な声か聞こえる。もうすぐ帰って行くのだろう。
7月7日(火)の正午前に退院した。ぼくから医者に申し出た。「ここにいても、自宅で療養しても、食事もできるし、部屋のなかで歩行もやれる。そんなに変わらないから」と。
だが、ここまで体力、筋力が落ちているとは思わなかった。腕をみるとまるで細い針金である。とにかく立てない。何かつかまえていないと歩けない。夜は暗いなかを何度もトイレに通う。
いつもあぶなくてね。
身のまわりのことはすべて、ぜんぶ、何からなにまで、カミさん頼みだ。彼女も月に半分は、朝早くからパートの仕事がある。この猛暑のなか、ぼくに少しでも食べてもらいたい、栄養をつけようとスーパーを歩きまわっている。彼女も完全な睡眠不足。かわいそうでならない。
ブログもまったく書けなかった。右目はほとんど見えない。いまKo君から浴びたフレッシュなエネルギーに刺激されて、一気呵成に書いている。(Koちゃん、帰って行った)
ただ、眉毛は黒くなってきた。爪の伸びが速くなった。どこかで、着実に、副作用は弱っているのだろう。
こんなブログを書いて、何になるのかともおもう。
だが、なにがなんでも、こんな視線から時代を見る文章を書かねば。こうして生かされているのだから。
話は飛ぶが、いまの政治は酷い。人の意見に耳を傾けない高市ひとりのやりたい放題である。
横浜組の後輩君たちも我慢ができないようで、ぼくと同じ病気でステージ4で闘っているKa君はバイクに乗って、国会周辺でデモをしている人たちの様子を見に行こうかな、と言っている。そこまで死に直面したぼくらは未来を案じているのだ。
そろそろ限界です。では、また次回に。
■猛暑のなか、百日紅の写真もカミさんが撮影しました。
こちらは机についたまま、1歩も動けない。笑いながらやってきたかわいいほっぺたをチョン、チョンと軽くついて、2か月振りの対面は十数秒で終わった。
キリリ、キリリ、ギリギリッ、ギリギリギリッ。
お腹の真ん中あたりが突き刺すように痛い。こうなる前に痛み止めを飲めばよかった。いまも『一畳一夢』の小部屋に隣のリビングからkoちゃんのご機嫌な声か聞こえる。もうすぐ帰って行くのだろう。
7月7日(火)の正午前に退院した。ぼくから医者に申し出た。「ここにいても、自宅で療養しても、食事もできるし、部屋のなかで歩行もやれる。そんなに変わらないから」と。
だが、ここまで体力、筋力が落ちているとは思わなかった。腕をみるとまるで細い針金である。とにかく立てない。何かつかまえていないと歩けない。夜は暗いなかを何度もトイレに通う。
いつもあぶなくてね。
身のまわりのことはすべて、ぜんぶ、何からなにまで、カミさん頼みだ。彼女も月に半分は、朝早くからパートの仕事がある。この猛暑のなか、ぼくに少しでも食べてもらいたい、栄養をつけようとスーパーを歩きまわっている。彼女も完全な睡眠不足。かわいそうでならない。
ブログもまったく書けなかった。右目はほとんど見えない。いまKo君から浴びたフレッシュなエネルギーに刺激されて、一気呵成に書いている。(Koちゃん、帰って行った)
ただ、眉毛は黒くなってきた。爪の伸びが速くなった。どこかで、着実に、副作用は弱っているのだろう。
こんなブログを書いて、何になるのかともおもう。
だが、なにがなんでも、こんな視線から時代を見る文章を書かねば。こうして生かされているのだから。
話は飛ぶが、いまの政治は酷い。人の意見に耳を傾けない高市ひとりのやりたい放題である。
横浜組の後輩君たちも我慢ができないようで、ぼくと同じ病気でステージ4で闘っているKa君はバイクに乗って、国会周辺でデモをしている人たちの様子を見に行こうかな、と言っている。そこまで死に直面したぼくらは未来を案じているのだ。
そろそろ限界です。では、また次回に。
■猛暑のなか、百日紅の写真もカミさんが撮影しました。
恰好つけても、何になろうか ― 2026年07月05日 17時06分
入院24日目の日曜日。病棟は静な空気に包まれている。
ときどきお隣のベッドから、「ゴホッ、ゴホッ」と苦しそうな咳が聴こえる。それはたちまち「ゴホォッ! ゴホォッ! ゴホォツ!! ゴフォツ!!!」と激しくなって、ようやく「ハァーッ!!! ハァーッ!! ハァー! ハアー」で終わる。お顔を見なくても、涙が頬を流れている様子がはっきりわかる。
「酸素ボンべ」とか、「酸素が薄い」いう声も耳に入って来る。みなさん、独りで自分と向き合って、闘っているのだ。
こちらも腹部の癌細胞が黙っていない。
キリリ、キリリ。
鋭い痛みが襲って来る。最低4時間は空けて、すぐ痛み止め(麻薬)を飲む。これにも副作用があって、今度は便秘が始まる。
こいつをうまくコントロールするのがむずかしい。何度もトイレを往復する。でも、「便秘」の声はほかのベッドからもよく聞こえてくるので、この闘いもみなさんとは戦友のようなものである。
ああ、もう24日になるのか。
日曜日でも担当の医者は顔を見にやって来た。彼は年中、休みなし、である。
「どう、調子は?」
「なかなかよくなりせんね」
「まぁ、ゆっくりやりましょう」
どうやら、うっすら期待していた退院のセリフは、まだまだ封印の段階らしい。
救われるのは、ほぼ連日面会に来てくれるカミさんやLine仲間の存在で、たぶん面会の回数ではうちのカミさんがダントツだろう。
カーテンを閉めて、ベッドの上に並んで腰かけて、新鮮な甘夏、キューイ、りんご、スイカなど、音を立てないように食べているとまわりの人に申しわけない気持ちになる。
長男は軽自動車の車検もぜんぶやってくれた。カミさんはブックオフまで歩いて本を受け取ってくれた。どちらも期限切れの直前だった。
よく子どもたちに迷惑をかけたくない、と聞くけれど、それは本心だろうか。
ぼくは一度、死線をさまよったので、「ああ、死ぬ前に家族に会いたい。温かい手を握っていたい」という、ものすごい寂寥感を知っている。あんなにさびしかったことはない。
家族の愛の前に、恰好つけてもそれが何になろうか。もしも、立場が代わって、わが子がそうなったら、絶対に手をはなさないだろうに。人間、正直に生きた方が断然、樂である。
今日から横浜組のA君は奥さん連れで、栃木県の鬼怒川温泉に「ケチケチ鉄道旅行」へ。下町の浅草は外国人だらけとか。素敵な特急電車のテーブルに「神谷バー」の名物・電気ブランや缶ビール、百貨店の幕の内弁当などを豪勢に並べている写真が送られてきた。
ああ、いいな。そうなりたいな。
彼ら夫婦の楽しい旅がぼくの励みになることを、彼はちゃんとわかっている。旅に連れて行ってくれているのだ。まもなく、ka君も、Ha君もそうするだろう。
彼らの青春は復活している。横浜組は、「また九州に行きます」と言っている。
懸賞に応募するエッセイを書こうとおもっているけれど、これが精いっぱい。とても書くチカラ(気力、粘り腰)がありません。
■5月の波当津の浜辺。素人さんちはここで泳ぐ。ぼくたちは漁船や伝馬船で沖や岬の岩場へ直行。メガネと銛を持って、ドブンと潜って遊んだ。
ときどきお隣のベッドから、「ゴホッ、ゴホッ」と苦しそうな咳が聴こえる。それはたちまち「ゴホォッ! ゴホォッ! ゴホォツ!! ゴフォツ!!!」と激しくなって、ようやく「ハァーッ!!! ハァーッ!! ハァー! ハアー」で終わる。お顔を見なくても、涙が頬を流れている様子がはっきりわかる。
「酸素ボンべ」とか、「酸素が薄い」いう声も耳に入って来る。みなさん、独りで自分と向き合って、闘っているのだ。
こちらも腹部の癌細胞が黙っていない。
キリリ、キリリ。
鋭い痛みが襲って来る。最低4時間は空けて、すぐ痛み止め(麻薬)を飲む。これにも副作用があって、今度は便秘が始まる。
こいつをうまくコントロールするのがむずかしい。何度もトイレを往復する。でも、「便秘」の声はほかのベッドからもよく聞こえてくるので、この闘いもみなさんとは戦友のようなものである。
ああ、もう24日になるのか。
日曜日でも担当の医者は顔を見にやって来た。彼は年中、休みなし、である。
「どう、調子は?」
「なかなかよくなりせんね」
「まぁ、ゆっくりやりましょう」
どうやら、うっすら期待していた退院のセリフは、まだまだ封印の段階らしい。
救われるのは、ほぼ連日面会に来てくれるカミさんやLine仲間の存在で、たぶん面会の回数ではうちのカミさんがダントツだろう。
カーテンを閉めて、ベッドの上に並んで腰かけて、新鮮な甘夏、キューイ、りんご、スイカなど、音を立てないように食べているとまわりの人に申しわけない気持ちになる。
長男は軽自動車の車検もぜんぶやってくれた。カミさんはブックオフまで歩いて本を受け取ってくれた。どちらも期限切れの直前だった。
よく子どもたちに迷惑をかけたくない、と聞くけれど、それは本心だろうか。
ぼくは一度、死線をさまよったので、「ああ、死ぬ前に家族に会いたい。温かい手を握っていたい」という、ものすごい寂寥感を知っている。あんなにさびしかったことはない。
家族の愛の前に、恰好つけてもそれが何になろうか。もしも、立場が代わって、わが子がそうなったら、絶対に手をはなさないだろうに。人間、正直に生きた方が断然、樂である。
今日から横浜組のA君は奥さん連れで、栃木県の鬼怒川温泉に「ケチケチ鉄道旅行」へ。下町の浅草は外国人だらけとか。素敵な特急電車のテーブルに「神谷バー」の名物・電気ブランや缶ビール、百貨店の幕の内弁当などを豪勢に並べている写真が送られてきた。
ああ、いいな。そうなりたいな。
彼ら夫婦の楽しい旅がぼくの励みになることを、彼はちゃんとわかっている。旅に連れて行ってくれているのだ。まもなく、ka君も、Ha君もそうするだろう。
彼らの青春は復活している。横浜組は、「また九州に行きます」と言っている。
懸賞に応募するエッセイを書こうとおもっているけれど、これが精いっぱい。とても書くチカラ(気力、粘り腰)がありません。
■5月の波当津の浜辺。素人さんちはここで泳ぐ。ぼくたちは漁船や伝馬船で沖や岬の岩場へ直行。メガネと銛を持って、ドブンと潜って遊んだ。
人生賭けて、闘う人がいる ― 2026年07月03日 13時54分
夜明けを過ぎても、この病室は初老の怪獣が吠え狂っていた。
グ、グ、グワワーッ、ワーッ!
数秒間、止んだかとおもったら、さらに倍返しで、グッ、グオオーッ、オーッ!
(くっそー。ああ、眠れん)
頑健な体格で、昼前にやって来て、それからずっとこの調子。朝方になったら、荷物をまとめてサッサといなくなっていた。
さて、こちらは入院21日目。もうベテランの部類である。
昨日から歩行器を借りている。その「一緒に動く台」にからだを預けて、安定して歩けるようになった。わずかな前進、ほんの少しの自信がついた。そして、それを拍手してくれる看護師さんたち。この非日常的な空間がだんだん「自分のホーム」に近づいてきた。
「あれっ、もしかして、I さん?」
歩行器を押しながら歩いていたら、弁護士の I さんによく似た男性が目に入った。そっと後を追う。人違いだった。
それにしても、このタイミングで、I さんが出て来るとは。
ずっと以前にも触れたが、ぼくよりも年上で、小柄なI さんはあの「飯塚事件」の主任弁護士で、すでに死刑に処せられた被疑者の無実証明に奮闘を続けている。一度は、検察側のDNA判定を覆した。だが、不条理な再審制度の厚い壁から何度も跳ね替えされている。
こうなると彼自身、一生を賭けた闘いになる。そして、事態はその通りに進んでいる。
彼は地元の有名な進学高校でも「伝説の秀才」である。決して威張らない、飾らないお人柄で、ぼくとは年賀状のお付き合いが長く続いていた。( I さんは暑中見舞いも欠かさなかった)。そのご縁を、ぼくは「賀状納め」で、自分の方から絶ち切ってしまった。
悔やまれる。
I さんの粘り腰に比べたら、こんなところで、こんなことしかやっていない自分がすごくちいさく見える。覚悟というか、志の高さが違うのだ。その I さんにそっくりの人が、今日、ぼくの目の前に現れた。
これも何かのサインなのだろうか。
「まだ終わっていないよ。くじけるな、あきらめるな」
動けないし、新聞もない、テレビは談話室、ネット通信もすぐ切れてしまう。そんな環境なので、新しい情報は入って来ない。インプットがないから、記憶の底を辿って、こうしてアウトプットするしかない。
それでもいいか。一日中、ボケーッとして、何も書かないよりは。
(今日も独り言でした。カミさんは朝から仕事。面会は休んでもらいました)
グ、グ、グワワーッ、ワーッ!
数秒間、止んだかとおもったら、さらに倍返しで、グッ、グオオーッ、オーッ!
(くっそー。ああ、眠れん)
頑健な体格で、昼前にやって来て、それからずっとこの調子。朝方になったら、荷物をまとめてサッサといなくなっていた。
さて、こちらは入院21日目。もうベテランの部類である。
昨日から歩行器を借りている。その「一緒に動く台」にからだを預けて、安定して歩けるようになった。わずかな前進、ほんの少しの自信がついた。そして、それを拍手してくれる看護師さんたち。この非日常的な空間がだんだん「自分のホーム」に近づいてきた。
「あれっ、もしかして、I さん?」
歩行器を押しながら歩いていたら、弁護士の I さんによく似た男性が目に入った。そっと後を追う。人違いだった。
それにしても、このタイミングで、I さんが出て来るとは。
ずっと以前にも触れたが、ぼくよりも年上で、小柄なI さんはあの「飯塚事件」の主任弁護士で、すでに死刑に処せられた被疑者の無実証明に奮闘を続けている。一度は、検察側のDNA判定を覆した。だが、不条理な再審制度の厚い壁から何度も跳ね替えされている。
こうなると彼自身、一生を賭けた闘いになる。そして、事態はその通りに進んでいる。
彼は地元の有名な進学高校でも「伝説の秀才」である。決して威張らない、飾らないお人柄で、ぼくとは年賀状のお付き合いが長く続いていた。( I さんは暑中見舞いも欠かさなかった)。そのご縁を、ぼくは「賀状納め」で、自分の方から絶ち切ってしまった。
悔やまれる。
I さんの粘り腰に比べたら、こんなところで、こんなことしかやっていない自分がすごくちいさく見える。覚悟というか、志の高さが違うのだ。その I さんにそっくりの人が、今日、ぼくの目の前に現れた。
これも何かのサインなのだろうか。
「まだ終わっていないよ。くじけるな、あきらめるな」
動けないし、新聞もない、テレビは談話室、ネット通信もすぐ切れてしまう。そんな環境なので、新しい情報は入って来ない。インプットがないから、記憶の底を辿って、こうしてアウトプットするしかない。
それでもいいか。一日中、ボケーッとして、何も書かないよりは。
(今日も独り言でした。カミさんは朝から仕事。面会は休んでもらいました)
退院へのストーリーが始まった ― 2026年07月01日 13時54分
7月になった。博多の街は祇園山笠の熱気で盛り上がり、夏休み、真夏の甲子園。一日中、異常な猛暑が続くだろう。カミさんが業者さんにエアコンのクリーニングをやってもらってよかった。病気持ちのこちらは朝から一日中、エアコン頼りで過ごすしかない。
昨日、19日間連続の点滴が終わった。代わりに今朝から薬になった。こちらもそれぞれの薬の効果を知っているので、医師の描いた退院へのストーリーはわかる。
彼とはこんな話をした。
まず、体力をつける。自宅でゆっくりして、体力回復の自信がつくまで、ひと月かかろうが、絶対に急がない。そして、よし、いいぞ、なったときから、もう一度、横浜のKa君がやっていて、うまく行っている抗がん剤治療に再チャレンジする。決してあきらめない――。
医者も同じ考えである。医者との距離もはなれたり、くっついたりするものだ。どちらも手探り状態だから、どうしても時間がかかってしまう。
話は飛ぶが、たぶんAIに「治療を優先するなら、若い世代か、高齢者か」と訊けば、若い世代を選ぶだろう。イギリスでAIに戦争開始の選択権を任してみたら、「(過去の人の判断データによる)合理的な判断」として、核兵器を選んだという。機械だからね、実にアッサリしたものである。
人間はそういう極めてアブナイ板の上に乗っかっている。
一見、癌と核兵器は関係のない話だとおもうかもしれないが、どちらも人の命に関わる問題では同じ。核は健全な細胞を破壊する。このまま癌細胞が広がるか、核兵器が拡大するか、どこか似ている。
残された時間が少ないので、これも書いておこう。
高校から学生時代、寝床の中で一心不乱になって考えたぼくの死後の世界について。
大江健三郎が死に場所として選んだのは、さまざまな伝説が伝わっている故郷の森の中だった。絶えることのない、じめじめした命の水の世界である。
死んだぼくの頭蓋骨が転がっているのは森ではなくて、きれいな砂粒がサラサラ、カラリと乾いたサバクの海のなか。(ああ、右目が見えない。字が読みづらいな)。
そこで黒く、碧(あお)く、どこまでも果てしない宇宙と、ぼくのしゃれこうべの目のおおきな穴、暗くて、どこまでも際限なく続くぼくの宇宙が静かに向き合っている。
この地球が浮かぶ宇宙とオレの宇宙が「1対1」、「5分と5分」。そういうイメージ映像である。カミさんは、まさかこのぼくがそんなことを考えていたのかと驚くだろうな。
どうしてあの時期に、あんなことを考えたのか、いまなら理由がわかる。
とにかく、まわりの大切な人たちが20代で次々に亡くなった。祖父も跡を追った。人の死は若いぼくの間近かにあったのだ。
ときには砂漠ではなく、そこは波当津の透明なサンゴの海の中になった。いまその海底には叔父の骨が撒かれている。
(△△兄ちゃん、待ってて。そこの海で一緒に遊ぼうか?)
まさかこんな内面のことまで、このブログにさらけ出すとはおもわなかった。だが、みなさんもそう変わりはあるまい。いまさら出し惜しみしても、何も変わらない。深沢七郎は『楢山節考』を残してくれて、本当によかったとおもう。あの内容は誤解されているところがある。
この文章、ずっとこころの中にあるので、すらすら出て来る。
さて、この調子でエッセイに挑戦するかな。グーループLINEの仲間たちには、「令和の徒然草をやってみたら」と提案した。
だったら、まず、自分から始めなくては。でも、無理はしません。今日は飛ばし過ぎです。
■早く病院から外へ出たいなぁ。
昨日、19日間連続の点滴が終わった。代わりに今朝から薬になった。こちらもそれぞれの薬の効果を知っているので、医師の描いた退院へのストーリーはわかる。
彼とはこんな話をした。
まず、体力をつける。自宅でゆっくりして、体力回復の自信がつくまで、ひと月かかろうが、絶対に急がない。そして、よし、いいぞ、なったときから、もう一度、横浜のKa君がやっていて、うまく行っている抗がん剤治療に再チャレンジする。決してあきらめない――。
医者も同じ考えである。医者との距離もはなれたり、くっついたりするものだ。どちらも手探り状態だから、どうしても時間がかかってしまう。
話は飛ぶが、たぶんAIに「治療を優先するなら、若い世代か、高齢者か」と訊けば、若い世代を選ぶだろう。イギリスでAIに戦争開始の選択権を任してみたら、「(過去の人の判断データによる)合理的な判断」として、核兵器を選んだという。機械だからね、実にアッサリしたものである。
人間はそういう極めてアブナイ板の上に乗っかっている。
一見、癌と核兵器は関係のない話だとおもうかもしれないが、どちらも人の命に関わる問題では同じ。核は健全な細胞を破壊する。このまま癌細胞が広がるか、核兵器が拡大するか、どこか似ている。
残された時間が少ないので、これも書いておこう。
高校から学生時代、寝床の中で一心不乱になって考えたぼくの死後の世界について。
大江健三郎が死に場所として選んだのは、さまざまな伝説が伝わっている故郷の森の中だった。絶えることのない、じめじめした命の水の世界である。
死んだぼくの頭蓋骨が転がっているのは森ではなくて、きれいな砂粒がサラサラ、カラリと乾いたサバクの海のなか。(ああ、右目が見えない。字が読みづらいな)。
そこで黒く、碧(あお)く、どこまでも果てしない宇宙と、ぼくのしゃれこうべの目のおおきな穴、暗くて、どこまでも際限なく続くぼくの宇宙が静かに向き合っている。
この地球が浮かぶ宇宙とオレの宇宙が「1対1」、「5分と5分」。そういうイメージ映像である。カミさんは、まさかこのぼくがそんなことを考えていたのかと驚くだろうな。
どうしてあの時期に、あんなことを考えたのか、いまなら理由がわかる。
とにかく、まわりの大切な人たちが20代で次々に亡くなった。祖父も跡を追った。人の死は若いぼくの間近かにあったのだ。
ときには砂漠ではなく、そこは波当津の透明なサンゴの海の中になった。いまその海底には叔父の骨が撒かれている。
(△△兄ちゃん、待ってて。そこの海で一緒に遊ぼうか?)
まさかこんな内面のことまで、このブログにさらけ出すとはおもわなかった。だが、みなさんもそう変わりはあるまい。いまさら出し惜しみしても、何も変わらない。深沢七郎は『楢山節考』を残してくれて、本当によかったとおもう。あの内容は誤解されているところがある。
この文章、ずっとこころの中にあるので、すらすら出て来る。
さて、この調子でエッセイに挑戦するかな。グーループLINEの仲間たちには、「令和の徒然草をやってみたら」と提案した。
だったら、まず、自分から始めなくては。でも、無理はしません。今日は飛ばし過ぎです。
■早く病院から外へ出たいなぁ。
大江健三郎少年、森の中で自殺? ― 2026年06月30日 21時44分
こんなところで闘っている。入院19日目。想定外の苦しくて、つらくて、長い時間が過ぎて行く。
だが、今月の当初の目的はまもなく果たせそうだ。
簡易日記の欄外には鉛筆で、「6月を乗り越える!!」とおおきな文字で書き込んである。明日から始まる7月は、「夏・7月を乗り越える!!」。
この地道な積み重ねと継続が余生を一日一日、延ばしている。
まわりには支えてくれる人たちがいる。ある若い男性の看護師さんは、「みんな〇〇さんを応援していますよ。なかでもぼくが一番です」とはっきり言ってくれた。75歳にもなって、彼が部屋の仕切りのベージュのカーテンを閉めた後、一分間ぐらい涙が止まらなかった。泣いてもいいとおもった。
気の滅入る話だが、同じ境遇の人、いや、もっとどん底で、いまも耐え続けている人は大勢いらっしゃる。子どもたちや若い人もいる。こちらは75歳まで生きてきたのだ。彼ら、彼女たちに比べれば……
話が散らばりそうなので、少し絞ろう。
昨日の夜は、深夜2時から独りで面談室に行き、ワールドカップの日本、ブラジル戦を観た。大活躍を期待していた、わがアビスパ福岡出身の冨安健洋が躍動していたようだが、残念ながらぼくの右目はほとんど見えない。
ゲームは白い霞の向こうで進んでいた。試合が終わりに近づくに連れて、雲行きは怪しくなって、カナリア軍団に押し込まれ、試合終了直前に決勝点を奪われた。
うーん、やられた。
まさか日本チームがあんなに単純な得点を許すとは。点滴棒と一緒に暗い廊下をのろのろと歩いて、静かに硬くて冷たいベッドへ戻った。
もうひとつ、ぜひとも、書いておきたいことがある。
同じく昨夜のこと、ここに来て、最初の方だけパラパラと目を通したまま、ずっと読んでいなかった大江健三郎の『晩年様式集(イン・レイト・スタイル』を開けてみた。
この本には彼の妹さんが兄について書いた文章も納められている。
驚いた。大江は小学生のころ、四国の故郷の森の中で、入水自殺を図っていたのだ。そして、彼流の方法で実際にやった。その異常な事態を土壇場で発見して、兄の脚を引っ張り出して、助け出したのが当の妹さんだったという。
大江はこのことに関して、いっさい触れていない。だが、ちゃんと製本して、妹さんの文章が明るみになることは認めている。東京大学へ進学した大江は故郷の森やそこでの少年(自分)の死に対して、何を深く考えていたのだろうか。
それにしても、どうして、いまごろ、この本を。
選んだ理由は、もはや直感としか言いようがない。青春時代のある一時期だけ、大江の作品を読みふけったぼくとの「不思議な因縁」を強く感じている。ちなみに彼は老衰で亡くなった。
いま20:42:23秒。こうして時計の針は一瞬も止まることなく、きちん、きちんと進んで行く。
■カミさんが撮影した梅雨空の室見川。若アユはいるかな。川は生きているかな。
だが、今月の当初の目的はまもなく果たせそうだ。
簡易日記の欄外には鉛筆で、「6月を乗り越える!!」とおおきな文字で書き込んである。明日から始まる7月は、「夏・7月を乗り越える!!」。
この地道な積み重ねと継続が余生を一日一日、延ばしている。
まわりには支えてくれる人たちがいる。ある若い男性の看護師さんは、「みんな〇〇さんを応援していますよ。なかでもぼくが一番です」とはっきり言ってくれた。75歳にもなって、彼が部屋の仕切りのベージュのカーテンを閉めた後、一分間ぐらい涙が止まらなかった。泣いてもいいとおもった。
気の滅入る話だが、同じ境遇の人、いや、もっとどん底で、いまも耐え続けている人は大勢いらっしゃる。子どもたちや若い人もいる。こちらは75歳まで生きてきたのだ。彼ら、彼女たちに比べれば……
話が散らばりそうなので、少し絞ろう。
昨日の夜は、深夜2時から独りで面談室に行き、ワールドカップの日本、ブラジル戦を観た。大活躍を期待していた、わがアビスパ福岡出身の冨安健洋が躍動していたようだが、残念ながらぼくの右目はほとんど見えない。
ゲームは白い霞の向こうで進んでいた。試合が終わりに近づくに連れて、雲行きは怪しくなって、カナリア軍団に押し込まれ、試合終了直前に決勝点を奪われた。
うーん、やられた。
まさか日本チームがあんなに単純な得点を許すとは。点滴棒と一緒に暗い廊下をのろのろと歩いて、静かに硬くて冷たいベッドへ戻った。
もうひとつ、ぜひとも、書いておきたいことがある。
同じく昨夜のこと、ここに来て、最初の方だけパラパラと目を通したまま、ずっと読んでいなかった大江健三郎の『晩年様式集(イン・レイト・スタイル』を開けてみた。
この本には彼の妹さんが兄について書いた文章も納められている。
驚いた。大江は小学生のころ、四国の故郷の森の中で、入水自殺を図っていたのだ。そして、彼流の方法で実際にやった。その異常な事態を土壇場で発見して、兄の脚を引っ張り出して、助け出したのが当の妹さんだったという。
大江はこのことに関して、いっさい触れていない。だが、ちゃんと製本して、妹さんの文章が明るみになることは認めている。東京大学へ進学した大江は故郷の森やそこでの少年(自分)の死に対して、何を深く考えていたのだろうか。
それにしても、どうして、いまごろ、この本を。
選んだ理由は、もはや直感としか言いようがない。青春時代のある一時期だけ、大江の作品を読みふけったぼくとの「不思議な因縁」を強く感じている。ちなみに彼は老衰で亡くなった。
いま20:42:23秒。こうして時計の針は一瞬も止まることなく、きちん、きちんと進んで行く。
■カミさんが撮影した梅雨空の室見川。若アユはいるかな。川は生きているかな。
最後に切り倒す ― 2026年06月26日 18時01分
入院15日目。
ようやく夕方の領域に入って来た。なにもすることがないように見えても、お腹の調子が思うようにコントロールできていないし、血圧、血糖値の検査、食事などやること、やらされることがたくさんある。
ああ、楽しくない。
でも、ベッドのシーツや毛布を替えてくれたのはよかった。
今日はグループLINE(横浜組と九州組の総勢4人)のやりとりで忙しかった。さらにもうひとりの高校の同級生からも連絡があって、ぼくの知らない活動を知らされた。
子ども病院の送り迎えとか、ボランティアなどをやっていた。ぼくも存じているある人は、お孫さんについて、「(生まれつき、からだが弱いので)半分、生きてさえいればと思っています」と言っているという。涙が出た。
75歳になったのに、自分のことが精いっぱいで、何も見ていなかった。お恥ずかしい次第である。仲間たちはみなさん、明るくて不屈の精神の持ち主だから、いつまでも下ばかり向いていてはいられない。
さて、気分を変えようか。
横浜の同病のKa君、小倉いるHa君は元々、地域政策に明るい優秀な行政マンである。ひところ、元慶応大学の教授・島田春雄さんが唱えていた「生活総合産業」を持ち出して、彼らの意見を聴いてみたいと思っていた。あれには子育てなど生活に密着した諸政策の提言が書かれている。彼は細川護熙のブレーンもやっていた。
役に立つ、いい意見、日本の将来のヒントになるいい話はほとんどの人が知らないところで眠っているものだ。良書とはそういうことだ。
おっと、この話を進めていくと、また迷路に入ってしまう。
よく「「情報のリテラシィー」という年寄りにはわけのわからない言葉を耳にするけれど、溢れかえっている膨大な情報の中から、ちゃんとしたものを選ぶのは至難の技である。
それだけ司馬遼太郎のような「時代の目利き」がいなくなったということだ。ぼくもまったく自信はありません。
だからこそ、いまは「地べた」からモノゴトを観るようにしている。
ここのところ、こだわっているエッセイもそうで、いいテーマを見つけた。
もちろん、ターゲットは最高権力者・高市早苗。
相手にとって不足はない。彼女には痛くもかゆくもないだろうが、あの吉田兼好の例もある。高市ファンには不愉快だろうが、ひとりの国民として気になることはあれこれある。彼女の顔を想像しながら、このブログとは別に応募するなど、いっぱい書けそうだ。
パッとしないぼくを記者として育ててくれたエース記者のTaさんは、「オレのペンはカミソリじゃない。鋼鉄の鉈(なた)だ。その鉈も鋭い刃の方ではなくて、分厚い鉄の背を使って、太い木を何十回、何百回もたたいて、最期に切り倒す」と教えてくれた。
そのみなぎる闘志を初めて聴いたとき、ぶるぶると震えが来たのを思いだす。そうだ、それをやろう。
単なる自己満足かもしれないが、そうだ、それをやろう。
Ha君は今日のスウェーデン戦を肴に、昼間から小倉の街で定例の飲み会か。
いいなぁ。元気で。
■Ka君は「癌にはサツマイモがいいみたいですよ」と教えてくれた。
もう、やっています。焼き芋器も買って、使っています。美味しいです。
ようやく夕方の領域に入って来た。なにもすることがないように見えても、お腹の調子が思うようにコントロールできていないし、血圧、血糖値の検査、食事などやること、やらされることがたくさんある。
ああ、楽しくない。
でも、ベッドのシーツや毛布を替えてくれたのはよかった。
今日はグループLINE(横浜組と九州組の総勢4人)のやりとりで忙しかった。さらにもうひとりの高校の同級生からも連絡があって、ぼくの知らない活動を知らされた。
子ども病院の送り迎えとか、ボランティアなどをやっていた。ぼくも存じているある人は、お孫さんについて、「(生まれつき、からだが弱いので)半分、生きてさえいればと思っています」と言っているという。涙が出た。
75歳になったのに、自分のことが精いっぱいで、何も見ていなかった。お恥ずかしい次第である。仲間たちはみなさん、明るくて不屈の精神の持ち主だから、いつまでも下ばかり向いていてはいられない。
さて、気分を変えようか。
横浜の同病のKa君、小倉いるHa君は元々、地域政策に明るい優秀な行政マンである。ひところ、元慶応大学の教授・島田春雄さんが唱えていた「生活総合産業」を持ち出して、彼らの意見を聴いてみたいと思っていた。あれには子育てなど生活に密着した諸政策の提言が書かれている。彼は細川護熙のブレーンもやっていた。
役に立つ、いい意見、日本の将来のヒントになるいい話はほとんどの人が知らないところで眠っているものだ。良書とはそういうことだ。
おっと、この話を進めていくと、また迷路に入ってしまう。
よく「「情報のリテラシィー」という年寄りにはわけのわからない言葉を耳にするけれど、溢れかえっている膨大な情報の中から、ちゃんとしたものを選ぶのは至難の技である。
それだけ司馬遼太郎のような「時代の目利き」がいなくなったということだ。ぼくもまったく自信はありません。
だからこそ、いまは「地べた」からモノゴトを観るようにしている。
ここのところ、こだわっているエッセイもそうで、いいテーマを見つけた。
もちろん、ターゲットは最高権力者・高市早苗。
相手にとって不足はない。彼女には痛くもかゆくもないだろうが、あの吉田兼好の例もある。高市ファンには不愉快だろうが、ひとりの国民として気になることはあれこれある。彼女の顔を想像しながら、このブログとは別に応募するなど、いっぱい書けそうだ。
パッとしないぼくを記者として育ててくれたエース記者のTaさんは、「オレのペンはカミソリじゃない。鋼鉄の鉈(なた)だ。その鉈も鋭い刃の方ではなくて、分厚い鉄の背を使って、太い木を何十回、何百回もたたいて、最期に切り倒す」と教えてくれた。
そのみなぎる闘志を初めて聴いたとき、ぶるぶると震えが来たのを思いだす。そうだ、それをやろう。
単なる自己満足かもしれないが、そうだ、それをやろう。
Ha君は今日のスウェーデン戦を肴に、昼間から小倉の街で定例の飲み会か。
いいなぁ。元気で。
■Ka君は「癌にはサツマイモがいいみたいですよ」と教えてくれた。
もう、やっています。焼き芋器も買って、使っています。美味しいです。
髪の毛が黒く甦ってきた ― 2026年06月25日 21時42分
ああ、甦(よみがえ)って来たみたいだな。
ごく細の白毛がうっすらと全体をおおって、読みとれなかったアタマの臨界線が黒っぽく見えてきた。同じ現象が眉毛の付け根でも起きはじめている。
そういえば担当医師に向かって、「もう、きつくてたまらない」と、それまで10回も続けてきた点滴中止を訴えて、認められたのが5月11日だった。
あれからひと月半も経っている。そろそろ髪の毛が元に戻る時期が来たのだろう。この変化をいいことだと受け留めたい。
だが、自分が思っていた以上に、いまも副作用のダメージは大きい。
点滴を止めた1週間後の夜は、医師から「もう駄目だね」と宣告された。気がつかないうちに、死ぬ間際まで重症化していた。
それなのに、わずか3週間後には次の抗がん剤を注入してしまった。
その報いがこれだ。入院して2週間も経つのに、まだ退院までの見通しすらつかない。
今日、夕方にベッドまでやって来た医師ともこんな簡単なやりとりで終わった。
「どう、調子は?」
「うーん。変わらないですね」
「まぁ、ゆっくりやりましょう」
医者も懲りたのだろうか。相変わらず口数は少ないが、慎重な言いまわしに徹している。ぼくもそれでいいとおもっている。なんのかんの言っても、時間は流れているのだ。髪の毛がだんだん黒くなってきたように、副作用も過ごしずつ軽減しているに違いない。きっとそうだとおもう。
ほかの人のブログのなかに、似たような境遇に置かれている人たちがあちこちにいることを知った。2年越し、3年越しの抗がん剤治療を続けながら、中止していた小説やエッセイを書き始めた高齢者の女性もいる。
こうして「独り言」を言うことが多くなった。
いまカミさんも独りで暮らしている。話相手のいない晩ご飯はおいしくないだろうな。
昨日は業者さんを呼んで、エアコンのクリーニングをしてもらったとか。今朝はブログ用の田んぼの写真を撮って、メールで送ってくれた。明日は団地の友だちを自宅に招いて、ケーキを食べる予定だという。
この友だちは軽自動車を持っていて、相手の申し出から、今日も病院まで送ってもらった。いくらお礼を言っても、言い足りない。こんなやさしい人と仲良くやっているので、こちらも安心できる。
こうしてはなれていても、温かい人とのつながりはうれしいものである。気がつかないんだよね、わかるまで。
ごく細の白毛がうっすらと全体をおおって、読みとれなかったアタマの臨界線が黒っぽく見えてきた。同じ現象が眉毛の付け根でも起きはじめている。
そういえば担当医師に向かって、「もう、きつくてたまらない」と、それまで10回も続けてきた点滴中止を訴えて、認められたのが5月11日だった。
あれからひと月半も経っている。そろそろ髪の毛が元に戻る時期が来たのだろう。この変化をいいことだと受け留めたい。
だが、自分が思っていた以上に、いまも副作用のダメージは大きい。
点滴を止めた1週間後の夜は、医師から「もう駄目だね」と宣告された。気がつかないうちに、死ぬ間際まで重症化していた。
それなのに、わずか3週間後には次の抗がん剤を注入してしまった。
その報いがこれだ。入院して2週間も経つのに、まだ退院までの見通しすらつかない。
今日、夕方にベッドまでやって来た医師ともこんな簡単なやりとりで終わった。
「どう、調子は?」
「うーん。変わらないですね」
「まぁ、ゆっくりやりましょう」
医者も懲りたのだろうか。相変わらず口数は少ないが、慎重な言いまわしに徹している。ぼくもそれでいいとおもっている。なんのかんの言っても、時間は流れているのだ。髪の毛がだんだん黒くなってきたように、副作用も過ごしずつ軽減しているに違いない。きっとそうだとおもう。
ほかの人のブログのなかに、似たような境遇に置かれている人たちがあちこちにいることを知った。2年越し、3年越しの抗がん剤治療を続けながら、中止していた小説やエッセイを書き始めた高齢者の女性もいる。
こうして「独り言」を言うことが多くなった。
いまカミさんも独りで暮らしている。話相手のいない晩ご飯はおいしくないだろうな。
昨日は業者さんを呼んで、エアコンのクリーニングをしてもらったとか。今朝はブログ用の田んぼの写真を撮って、メールで送ってくれた。明日は団地の友だちを自宅に招いて、ケーキを食べる予定だという。
この友だちは軽自動車を持っていて、相手の申し出から、今日も病院まで送ってもらった。いくらお礼を言っても、言い足りない。こんなやさしい人と仲良くやっているので、こちらも安心できる。
こうしてはなれていても、温かい人とのつながりはうれしいものである。気がつかないんだよね、わかるまで。
キツネの変化が楽しめる ― 2026年06月22日 18時03分
幅1m足らずの白いベッドや移動式の細長い茶色のテーブルの上を片づけて、カーテンで囲まれた「自分の城」をつくる。ここに籠城して11日目。食欲がなくて、食べられないので、自ら兵糧攻めの日々を過ごしている。
今日はカミさんに「面会に来なくていいよ。お前もダメージが溜まっているはずだから、ゆっくり静養して」と言っておいた。そういう意味では孤立の日でもある。
からだはきつい。そう簡単にはよくならない。だが、頭の方は少しだけ強くなってきた。退院とか、冷たいぶっかけ素麺を食べたいとか、明るいことを考えるようになった。視線が遠くに飛ぶようになったのだ。
さて、エッセイはどこから取りかかった方がいいのやら。
随筆だから、だいたい書くことは決まっている。作家たちも調子よく、ごく身近なものをさわって、話を膨らせている。
例えば、酒、猫、犬、旅。便所だって、ボロになった古本、包丁や茶碗、歯ブラシ、そうそう電信柱にかけた犬のションベンだって、ちゃっかり原稿料に替えてしまう。彼らだって、そうそう持ちネタがあるはずはないのだ。
文学の方もとんと無知でここまで来たが、少しだけ読んだことのある短編作家のチェーホフは『ねむい』、『可愛い女』のタイトルで傑作をモノにした。モーパッサンは『脂肪の塊』、梶井基次郎は『交尾』。
どれもこれもタイトルだけ見れば、そこらへんにありそうな話である。要するに、書いて、書いて、書きまくって、食っていくために身につけた、読ませる技(わざ)なのだろう。
ちょっと練習したからといって、追いつくというものではあるまい。いま書いているこの文章だって、退屈しのぎの紙くずみたいなものである。
いかん、話が変な方向に走り出した。
ここの病棟にも人間社会の不条理が感じられる。少し書いておこう。
朝食は8時から。だが、ぼくたちの手元に届くのは8時半過ぎ。食べ終わったら、もう9時である。昼飯は12時。3時間しかない。腹が減るわけがない。
もちろん、この裏には働く人たちのドラマがある。
聞くところによれば、4月からそうなったとか。どうやら業務改善の動きが原因らしく、勝手に推察するに、朝早くから働く人がいないのだろう。うちのカミさんのパート先もそうだから。
さらに、ここに食材の大幅な値上がりが追い打ちをかけて、ただでさえ味の評判がよくない料理の質は落ちる一方だから、担当している人たちかやる気を失くしても、なんの不思議もない。医療の現場はこんなところまで追い詰められているのだ。
また一見、元気そうにみえる看護師さんたちは、たいていが過酷な便秘持ちである。トイレに行きたくても行けない。いつもじっと我慢をしている。なかには便秘に苦しむよりも、食べ物を吐いた方がいいと言って、そうしている若い女性もいるのだ。
ぼくがエッセイのタイトルをどこにでもありそうな「パン」にして、この病衣食を取り上げたら、病院の裏話まで話は発展するだろう。当たり前のよくあるやり方だが。
ふつうの日々の足元に、いつの時代もやらなくてはいけない不条理は山のようにある。だから、一方ではその山を動かしている人を観察しなければ。
いまの焦点は、高市早苗その人。好き嫌いは別にして、観察する対象にもってこいの人物である。あの作り笑いだけでも、なかなか見せてくれるではないか。
ふだんの生活のなかで、さらに目を光らせて観察すれば、きっとキツネの変化も楽しめる。
■知り合いがくれたタネで、カミさんがベランダ栽培しているインゲン。白い花が咲いて、実がどんどん大きくなっているという。退院が早いか、実が固くなってしまうのが早いか。
今日はカミさんに「面会に来なくていいよ。お前もダメージが溜まっているはずだから、ゆっくり静養して」と言っておいた。そういう意味では孤立の日でもある。
からだはきつい。そう簡単にはよくならない。だが、頭の方は少しだけ強くなってきた。退院とか、冷たいぶっかけ素麺を食べたいとか、明るいことを考えるようになった。視線が遠くに飛ぶようになったのだ。
さて、エッセイはどこから取りかかった方がいいのやら。
随筆だから、だいたい書くことは決まっている。作家たちも調子よく、ごく身近なものをさわって、話を膨らせている。
例えば、酒、猫、犬、旅。便所だって、ボロになった古本、包丁や茶碗、歯ブラシ、そうそう電信柱にかけた犬のションベンだって、ちゃっかり原稿料に替えてしまう。彼らだって、そうそう持ちネタがあるはずはないのだ。
文学の方もとんと無知でここまで来たが、少しだけ読んだことのある短編作家のチェーホフは『ねむい』、『可愛い女』のタイトルで傑作をモノにした。モーパッサンは『脂肪の塊』、梶井基次郎は『交尾』。
どれもこれもタイトルだけ見れば、そこらへんにありそうな話である。要するに、書いて、書いて、書きまくって、食っていくために身につけた、読ませる技(わざ)なのだろう。
ちょっと練習したからといって、追いつくというものではあるまい。いま書いているこの文章だって、退屈しのぎの紙くずみたいなものである。
いかん、話が変な方向に走り出した。
ここの病棟にも人間社会の不条理が感じられる。少し書いておこう。
朝食は8時から。だが、ぼくたちの手元に届くのは8時半過ぎ。食べ終わったら、もう9時である。昼飯は12時。3時間しかない。腹が減るわけがない。
もちろん、この裏には働く人たちのドラマがある。
聞くところによれば、4月からそうなったとか。どうやら業務改善の動きが原因らしく、勝手に推察するに、朝早くから働く人がいないのだろう。うちのカミさんのパート先もそうだから。
さらに、ここに食材の大幅な値上がりが追い打ちをかけて、ただでさえ味の評判がよくない料理の質は落ちる一方だから、担当している人たちかやる気を失くしても、なんの不思議もない。医療の現場はこんなところまで追い詰められているのだ。
また一見、元気そうにみえる看護師さんたちは、たいていが過酷な便秘持ちである。トイレに行きたくても行けない。いつもじっと我慢をしている。なかには便秘に苦しむよりも、食べ物を吐いた方がいいと言って、そうしている若い女性もいるのだ。
ぼくがエッセイのタイトルをどこにでもありそうな「パン」にして、この病衣食を取り上げたら、病院の裏話まで話は発展するだろう。当たり前のよくあるやり方だが。
ふつうの日々の足元に、いつの時代もやらなくてはいけない不条理は山のようにある。だから、一方ではその山を動かしている人を観察しなければ。
いまの焦点は、高市早苗その人。好き嫌いは別にして、観察する対象にもってこいの人物である。あの作り笑いだけでも、なかなか見せてくれるではないか。
ふだんの生活のなかで、さらに目を光らせて観察すれば、きっとキツネの変化も楽しめる。
■知り合いがくれたタネで、カミさんがベランダ栽培しているインゲン。白い花が咲いて、実がどんどん大きくなっているという。退院が早いか、実が固くなってしまうのが早いか。
入院10日目、先は見えず ― 2026年06月21日 12時53分
入院10日目。
先々週の8日(月)に入院して、新しい抗がん剤の点滴が終わったのは3日後の10日(水)だった。看護師さんたちが笑顔で退院を祝ってくれた。そこまでは計算通りだった。
ところが、翌日の夕方から吐き気に襲われた。夕食もほとんど食べれなかった。ひと晩耐えて、12日(金)は朝から終日ふとんのなか。夜の9時ごろ、カミさんがタクシーを手配して、いつもの病院に運ばれた。もう、口をきくのもやっと。即入院である。
いまも体調はよくない。苦しんでいる点を一つひとつ数え上げないが、ベージュのカーテンで仕切られた4人部屋の片隅のベッドの上で静かにしている。
やっぱり、少し記しておく。これまでの副作用に加えて、強度の食欲なし、吐き気あり、腹痛あり、夜は便秘や下痢で、何度もトイレに起きる。まだ退院の見通しはたっていない。
「ブログを書いて。待っています」と励ましてくれる人よりも(プレッシャーになっています)、「回復第一だ。無理をするな」という友の言葉がすごくありがたい。そんな友人たちが一日に何度もLINEで写真を送ってくれたり、声をかけてくる。要するに、ふつうの付き合いをしてくれる。
朝早くからパートに出ているカミさんも毎日のように面会に来てくれる。そのカミさんを「いつでも車を出すからね。遠慮しないでね」と心強く応援してくれる同じ団地の女性がふたりもいる。
ここに至って、ぼくたち夫婦は決めたことがある。
それは高齢者夫婦のできることには限界がある、と認めることだ。ふらつく足取りで、団地の階段を降りることすら、一歩踏み出すのが、もう怖くて、怖くて、命がけなのだから。
困ったときはお互いさまで、ふたりの力だけではどうすることもできないときはまわりの人に援けてもらおう。遠慮しないで、甘えさせていただこう。その代わり、早く元気になって、こちらも親切にして、これからも仲良くお付き合いさせていただこう。そう決めた。
息子たちは近くいるけれど、即刻、当てにはならない。そのこともよく承知している。実際、年寄り夫婦にはご近所にいる人さまの力に頼るしかないのだ。
入院中にサッカーのオランダ戦は見れなかった。ぼくたちの結婚記念日も音もなく過ぎた。歴史の歯車はまわっているのに、この病室には別の時間が過ぎていく。
詳しいことは書けないが、病状について、もしかしたら、ぼくよりも深刻そうな話も耳に入ってくる。みなさん高齢者ばかり。面接に来た家族にそんな心配話をしない人もいる。静かにしているけれど、家族のこと、余生のことをじっと考えているのは間違いない。
数日後か、それとも今週末か、いまは遠くにあっても、そのうち退院できる日が来る。それから先の、いつあの抗がん剤治療を再開するのか、それともストップして、また別の方法を探るのか、いまは何も見えない。担当の医者も迷っているだろうな。
だが、どんな事態になろうとも、絶対にあきらめない。
ここまで書いた。書けた。
さて、せっかく(?)、入院したのだから、何かひとつでも「収穫」を持って帰らねば。
顔見知りの看護師さんたちも増えたことだし、ここで得たことを基にして、5枚程度のエッセイを書こうかな。そして、応募しよう。決めた。
午後からは、カミさんが甘夏、スイカに続いて、切ったリンゴを持って来てくれるという。サッカーのチュニジア戦も気になるけれど、いつものように車椅子で面談室に連れて行ってもらおう。
■アイガモの写真は仕事からの帰り道にカミさんが撮りました。
少し腕前が上がった。同じ道を歩くにしても、立ち止まって、観察する人もいれば、目もくれない人もいる。
ぼくたちのあいだで、かなり評判の悪い高市首相はどちらの部類だろうか。
先々週の8日(月)に入院して、新しい抗がん剤の点滴が終わったのは3日後の10日(水)だった。看護師さんたちが笑顔で退院を祝ってくれた。そこまでは計算通りだった。
ところが、翌日の夕方から吐き気に襲われた。夕食もほとんど食べれなかった。ひと晩耐えて、12日(金)は朝から終日ふとんのなか。夜の9時ごろ、カミさんがタクシーを手配して、いつもの病院に運ばれた。もう、口をきくのもやっと。即入院である。
いまも体調はよくない。苦しんでいる点を一つひとつ数え上げないが、ベージュのカーテンで仕切られた4人部屋の片隅のベッドの上で静かにしている。
やっぱり、少し記しておく。これまでの副作用に加えて、強度の食欲なし、吐き気あり、腹痛あり、夜は便秘や下痢で、何度もトイレに起きる。まだ退院の見通しはたっていない。
「ブログを書いて。待っています」と励ましてくれる人よりも(プレッシャーになっています)、「回復第一だ。無理をするな」という友の言葉がすごくありがたい。そんな友人たちが一日に何度もLINEで写真を送ってくれたり、声をかけてくる。要するに、ふつうの付き合いをしてくれる。
朝早くからパートに出ているカミさんも毎日のように面会に来てくれる。そのカミさんを「いつでも車を出すからね。遠慮しないでね」と心強く応援してくれる同じ団地の女性がふたりもいる。
ここに至って、ぼくたち夫婦は決めたことがある。
それは高齢者夫婦のできることには限界がある、と認めることだ。ふらつく足取りで、団地の階段を降りることすら、一歩踏み出すのが、もう怖くて、怖くて、命がけなのだから。
困ったときはお互いさまで、ふたりの力だけではどうすることもできないときはまわりの人に援けてもらおう。遠慮しないで、甘えさせていただこう。その代わり、早く元気になって、こちらも親切にして、これからも仲良くお付き合いさせていただこう。そう決めた。
息子たちは近くいるけれど、即刻、当てにはならない。そのこともよく承知している。実際、年寄り夫婦にはご近所にいる人さまの力に頼るしかないのだ。
入院中にサッカーのオランダ戦は見れなかった。ぼくたちの結婚記念日も音もなく過ぎた。歴史の歯車はまわっているのに、この病室には別の時間が過ぎていく。
詳しいことは書けないが、病状について、もしかしたら、ぼくよりも深刻そうな話も耳に入ってくる。みなさん高齢者ばかり。面接に来た家族にそんな心配話をしない人もいる。静かにしているけれど、家族のこと、余生のことをじっと考えているのは間違いない。
数日後か、それとも今週末か、いまは遠くにあっても、そのうち退院できる日が来る。それから先の、いつあの抗がん剤治療を再開するのか、それともストップして、また別の方法を探るのか、いまは何も見えない。担当の医者も迷っているだろうな。
だが、どんな事態になろうとも、絶対にあきらめない。
ここまで書いた。書けた。
さて、せっかく(?)、入院したのだから、何かひとつでも「収穫」を持って帰らねば。
顔見知りの看護師さんたちも増えたことだし、ここで得たことを基にして、5枚程度のエッセイを書こうかな。そして、応募しよう。決めた。
午後からは、カミさんが甘夏、スイカに続いて、切ったリンゴを持って来てくれるという。サッカーのチュニジア戦も気になるけれど、いつものように車椅子で面談室に連れて行ってもらおう。
■アイガモの写真は仕事からの帰り道にカミさんが撮りました。
少し腕前が上がった。同じ道を歩くにしても、立ち止まって、観察する人もいれば、目もくれない人もいる。
ぼくたちのあいだで、かなり評判の悪い高市首相はどちらの部類だろうか。
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