大声を出すことが少なくなった2026年05月06日 15時49分

 5月の連休も今日で終わり。こちらは無職の身分なので、ずっと連休中なのだが、それでもテレビのニュースで東京などへ戻って行くサラリーマン家族の様子などを見ているうちに、かつての自分の姿と重ねてしまう。
 東京人からは、「帰る田舎があって、うらやましいなぁ」とよく言われたものだ。いまでもそうだろうか。
 東京に出たまま根を下ろして、そのまま帰って来ない人も大勢いる。都会と田舎とどちらの暮らしがいいとは断定できないが、こうして地方の人口は減り続ける。その一方で、「移住」もちょっとしたブームらしい。
 もしも、「分身の術」ができて、ぼくがふたりになって、ひとりは東京に、もうひとりは美しい海辺の村に住めたら、どんなにおもしろいことだろう。ぎゅうぎゅう詰めの通勤電車に乗る人生か、それとも自転車でのんびり通う人生を選ぶか。分身の術が使えたら、どちらもやってみて、決めることができるのに。
 ひとりはあの娘と結婚して、もうひとりはこの娘をお嫁さんに、なんてことができたら、こちらはどうだろうか。きっとオオゴトになるに違いない。ホント、人生に最初から正解なんて、あるのだろうか。
 さて、今日は午後2時からサッカーのアビスパ福岡vs京都戦。いまごろカミさんはメインスタンドで友だち総勢4人と声を張り上げていることだろう。
 DAZNで試合は見れるし、ゲーム展開は気になるけれど、それよりもこうして文章を書く方を選んでいる。ということは、自分にとっての優先順位はサッカーよりも、書く方が上ということか。
 このところ横浜にいる後輩君から、日本の将来を心配して、高市首相に対して、いや日本の政治家ぜんたいに向かって、厳しい意見のスピードボールがどんどん投げ込まれてくる。気を許し合う仲だから、率直で過激な発言も多い。かなり、アタマに来ている様子だ。
 だが、そんなキャッチボールのできる環境がとてもうれしい。次から次に大切な人がいなくなって、そういうことができなくなっていたのだ。彼らは、ぼくの閉じていた引き出しを引っ張りだしてくれている。
 学生時代は友と安いウィスキーをやりながら、がんがん大声を上げて、夜が明けるまでやりあったものだ。向かいの家のおばさんから、「昨日の夜はにぎやかだったねぇ」と笑われたことが何度もある。
 そこの家の3人娘の次女と末っ子がぼくの4畳半のアパートに遊びに来て、「英語の勉強を教えて」と言われて、劣等生は面食らったこともあった。
 中学から高校に上がった末っ子は、この九州出身の貧乏学生になついて、小鍋で作ったインスタントラーメンを食べて帰ったりした。ぼくのことを「わたしの彼よ」とも言っていた。
 それからしばらくたって、今度は同じアパートの1階の部屋を借りていた芸大の学生と一緒に来て、「わたしの彼よ」という報告があった。思い出すと吹き出しそうになる。
 あのころのように大声を出すことが少なくなったなぁ。
 だが、後輩君たちに負けないように、いまこそ大きな声を出すときかもしれない。ぼくたちの役目として。
 このアサブロにはハイレベルの文章をお書きになる先輩諸氏が何人もいらっしゃる。ようやくそのことにも気がついた。みなさん、声を上げているのだ。
 今日の体調は上向き。この勢いで、エッセイや短編にもチャレンジして、応募してみたい。また逃げださないように、何度でも書いておく。

■花壇の花たちが歌っている。もうすぐこれらの春の花は終わり。右側の花は引っこ抜いて、夏の花に植え替える時期がきた。
 先日、カミさんはベランダ用と合わせて、花を10鉢買った。手伝いたいけれど、ちょっときびしいかな。
 手伝えるようになること。それも身近な目標のひとつ。
 アビスパ福岡、PK戦で勝利。気分がいい。今夜はカミさんと祝杯。

シアワセになろう2026年05月03日 11時23分

 5月3日。憲法記念日。朝から曇り空で、風やや強し。肌寒い。
 昨日の夕食前、疲れ気味のカミさんにこんな声をかけた。
「(義姉が送ってくれた)八海山、一杯ずつ飲もう。美味しいから。シアワセになろう」
 大先輩からいただいた大ぶりの盃を取り出して、キーンと冷えた新潟の地酒を注ぐ。封を切ってから3杯目。しみじみ味わって、大切に飲むようになった。
 大型連休中なので、音沙汰なしの近くにいるふたりの息子にLINEした。
 すぐに既読のマークはついたが、未だに連絡なし。たぶん、連れて来るとはおもうが、2歳4か月になる男孫の顔も見られるかどうか。
 別に冷たいとはおもわない。彼らも予定があるのだろう。そして、そうしているうちにある日、親との永遠の別れが来る。自分がそうだった。なってみなけばわからないことだらけである。
 それに比べれば、後輩の横浜組がつくったグループLINE(メンバー4人)のにぎやかなこと。みなさん、活発に動いている。
 はっきり変わったのは、「自分たちが発言しなくては、日本がおかしくなる」という危機意識に火が付いたこと。まったく知らなかったが、みんな勉強していた。その糸がつながって、みなさん青春復活の顔をしている。
 彼らも人との出会いに恵まれていることも知った。それぞれがこの連休を楽しんでいる。LINEの文章に、新緑、富士山、鯉のぼり、バーベキュー、ログハウス、車の買い替え、脳トレ、川柳などの言葉が目に入る。ふたりの息子にもこういう仲間たちがいたらいいな、とおもう。ぼくたち夫婦が知らないだけなのかもしれないが。
 わが空間はこの「一畳」だけ。ここで「一夢」を追いかける。たどりついたら、こういうことだった。
「八海山、一杯ずつ、飲もう。シアワセになろう」
 こんなキザなセリフもすらりと言えるようになった。
 
 追記 : 長男から連絡があった。明日の夕方、全員で来るという。のんびりムードは一転して、気ぜわしくなった。
 
■写真は「幸神社」。近くにある橋本神社の境内にある。新緑が美しいちいさな鎮守の森で、先に紹介した「絆の木」もここにある。
 通い慣れている人によれば、「マイナスイオンが半端じゃない。こんなところはありません。とくに梅雨に入る前がすごい」という。

言葉には人を変えるチカラがある2026年05月02日 18時48分

 朝刊を開けたら大好きな人の記事が載っていた。
 2年ぶりかな。迷わず電話した。着信音1、2回であの明るい声が返って来た。気持ちまで一発でつながった感じである。
「ああ、どうも、どうも。どう? 元気?」
「ご無沙汰です。新聞、見ました。相変わらずやってますね。I さんらしいなぁ」
 そのレポート記事によると、Iさん(79歳)は北九州市立のY図書館と共催で「読書サロン」を開催したという。50~80代の男女9人がテーブルで差し向いになって、自分たちが読んでいる本や知ってほしい本、作家のことなどを1時間半ほど話し合ったそうだ。
 いわゆる一般参加型の企画で、募集の方法は館内にチラシを張り出しただけだった。こんなやり方では人が集まるかどうか、フタが開くまでわからない。
「リスクがあるのに、よくやりますね。ふつうの人はやらんでしょ」
「本が好きだからね。やると言った以上、ひとりでも参加してくれる人がいたら、やらなくちゃいかんでしょ」
 彼はこれまでも毎月4、50人も参加する定例の飲み会や国際関係の勉強会、NPO法人の代表など、5指にあまる異業種交流会や勉強会を立ち上げて、身銭(みぜみ)を切って引っ張って来た。それらの会報やこまめに書いた彼の原稿の数と量だけでもたいした価値がある。
 80歳が近いので、若いころのようにはいかない。数年前には大手術をしている。その後遺症が出て、なんと昨日まで入院していたというではないか。
 彼との出会いは、ぼくが50代になったころだった。初めてお会いしたときからウマが合った。そして、還暦を迎えたときに、彼はこんなアドバイスをくれたのだ。
「△△さんもそろそろ外に向かって発言しなくっちゃ、もったいないですよ。人の話を聴くばかりじゃなくて、今度は自分が人に話す番で、人に伝える年齢なんだから」
 そのひと言がぼくを変えたと言ってもいい
 ある日、彼から電話がかかってきた。
「△△さん、うちの図書館で話してくれませんか。講演のテーマは、上手な広報のやり方がいいかな。やってくれるやろ」
 それまでのぼくは取材をする側で、話をする側ではなかった。でも、「これからは自分が話す番」というあのひと言が新しいチャレンジへのきっかけになっていた。やってよかったとおもう。
 癌のことも Iさんには隠す必要がない。最後は「まだまだやることがありますね」というエールの交換になった。
 言葉には人を変えるチカラがある。自分が追いかけたくなるような、ああいう先輩が次々にいなくなってしまった。せめて、そのお人柄だけでも、こうして書き留めておこう。
(このブログは3日前に書いた。体調がすぐれず、推敲できずにそのままにしておいた。もう大丈夫です。)

■新緑の室見川。杖をついて、転ばないように、ゆっくり、ゆっくり歩く。途中のベンチで、しばらく5月の風に吹かれた。明日3日と4日、福岡市は『博多どんたく港まつり』の日。例年のことながら、この祭りがあるときは雨の予報。

手は打った。果報は寝て待つだけ2026年04月28日 17時33分

 自分の意に反して、戦争や災害に巻き込まれる人たちがいる。高市首相はウクライナの例を引っ張り出して、軍事力の大増強策を進め、憲法に守られた従来の平和主義とは相いれない分野まで足を踏み込んだ。その考え方を正当化して、わが道を行く顔をしている。
 いったいどこを見ているんだ、国際状況がまるでわかっていないとつま弾きにされそうだが、ぼくたちの子孫は戦争に一歩近づいているのではないか、そんな空気がにおう。
 こんなときかつての自民党のなかには、からだを張って異論を唱える政治家がいた。先の選挙で大量当選した自民党の政治家たちと日本維新の面々が運転する列車に、「ブレーキ」はついているのだろうか。
 彼らにこの激動の舞台を乗りきるだけの外交の経験や才覚はあるのだろうか。また、実際に中国との外交活動で汗をかいた上で、言っているのだろうか。政治家の仕事をしているのかなとおもう。
 自分を否定する他人の声を聴きたがらない高市首相はこのまま突っ走って行くにちがいない。国家の大戦略を決める前に、もっと時間をかけた議論があるべきだ。
 先の大戦もそうだった。反対意見はことごとく封じ込められた。選挙の大勝ちしたからといって、なにもかも高市に委託したわけではないのだ。
 止まらなくなりそうだから、この話はここでやめておく。
 今日、書きかったのは、ここから先の個人的な話である。
 人はだれでも夢をみる。人生、夢のような一発逆転の大ホームランがあっていいとおもう。
 世の中の仕組みはよくできていて、おそらく世界中の人々が持っている、こんな強烈なニーズを商売っけのあるやつが放っておくはずはない。
 一発逆転の大ホームラン。ある日、とんでもない巨額のおカネがごっぽり、このぼくの懐に。いいねぇ。
 しかも、夢じゃない。いいねぇ。
 ぼくにもその可能性がある。いいね、いいねぇ。
 まるでふわふわした白い雲の上に乗っているような気分にさせてくれたのは、新潟にいるかわいい姪っ子がカミさんに送って来た1本のLINEだった。
「宝くじが当たったら、△△家の皆さま全員新潟にご招待するから待っててね。また新潟に遊びに来て欲しい。なので、絶対当てなきゃだね!」
 なんてやさしい娘だろう。このままぼくたちが彼女の好意に手をこまねいたままでいいのだろうか。
「おい、こっちもやろう。当たったら、義姉さんも一緒に、福岡に招待してやろう」
 昨日の夕方、くたくたに疲れていたが、カミさんと一緒に宝くじ売り場の前に車をつけた。
 宝くじ売り場はあちこちにあるが、どこでもいいというわけではない。当たり券が無縁で、見るからにツキの無さそうな雰囲気の売り場もある。こんなところでは買うときから当たらなさそうな気がする。じっさい、そうだった。
 今回の売り場はまったく別。過去の当選実績の紙がベタベタ張ってある。こんなに当たるのだから、ぼくに当たっても、なんの不思議もない。
 1枚、200円。200円の投資で、1等はなんと60,000,000万円(3本)。
 1等の前後賞は20,000,000万円(6本も)。2等でも1,000,000万円もらえる。それも300本もアタリ券がある。
「当たったら、往復の旅費からぜんぶこっち持ちだな。なんでもご馳走してやるぞ。えっ、△△さんにアビスパのユニフォームを買ってあげたいって。いいよ、いいよ、安いもんだ。何枚でもプレゼントしてやれよ」
 こうなるんだよね、宝くじの話になると。
 カミさんは買って来た大切な宝くじ(恥ずかしいから、枚数はナイショ)をちいさな仏壇の手前に置いていた。それを見つけたぼくは、すぐに手を打った。
「そこはいかん。こっちの袋に入れよう」
 父親が亡くなって、後片付けをしていたとき、親父の持ち物の中から大量の宝くじの「外れ券」が出て来たのだ。
「親父は外れてばかりだったからな。宝くじとは縁がなかったんだ。だから、そこはマズイ」
 いま宝くじは四角い紺色の布袋の中に入っている。これは数年前に三重県松阪市に行く用件があって、その町の出身で、呉服商「越後屋」(後の三越。ここから三井グループに発展)を創業した三井高利にちなんだ土産品である。つまり、お金がたんまり入ってくる、とても縁起のよろしい袋、というわけ。
 一攫千金の布石は打った。後は果報を寝て待つだけだ。
 宝くじ、何度裏切られても、逆転大ホームランのチャンスは消えていない。(とおもう)

■ベランダに置いてある桑の木が今年もたくさん実をつけている。

CTの結果は、プラスも、マイナスも2026年04月27日 21時51分

 CT検査を受けた。いまやっている抗ガン剤を打ち始めて9回目を超えた。その効果が今日わかる。
 いいことも、悪いことも考える。癌がちいさくなっていたらいいな。もしも転移していたらどうしよう。
 担当の医者もいつもより緊張しているように見えた。彼が話に取り上げた順番とCTの画像の判断は以下の通り。
 ・直腸の癌はちいさくなっている。
 ・腹部の癌は少し大きくなっている。
 この後は、ぼくの質問に対する医師の返答。
 ・転移はみられない。
 ・すい臓の近くのあるふたつの癌は少しおおきくなっている。
 もっとも話が集中したのは、手で触ってもカチンカチンに固い腹部の下にある癌だった。こいつは痛みを伴う。けっこう苦しくて、いまも痛み止めの薬を毎日10錠も飲んでいる。この痛みをどうするかは目前の課題だった。
 この点についての治療法はまだ決まっていない。
 いい話も、よくない情報もあったが、ぼくは落ち着いている。
 おもったほど悪化していないのは、病院の西洋医療のほかに、次男がくれる漢方や友人がすすめてくれた諸々のからだにいい情報、そしてまわりの心強い励ましがあるからだ。
 平たく言えば、東洋医学が大切にしている免疫力のアップである。こんなことを気にしてやっているから、CTの結果にはこちらも少し自信がついた。ここは医者のノータッチの分野である。
 こういうとき、暗い方はいっさい見ない。希望につながる明るい材料を集めて、これからのストーリーをつくる。この点は、横浜にいる同志・Ka君とも共通しているとおもう。
 戦う武器は言葉しかない。言葉で切り抜けるしかないのだ。カミさんにもきちんと話した。
 それにしても疲れた。へとへとになった。
 昨夜は目がさえて、ろくに眠っていない。今日は朝から絶食で、点滴が終わって、自宅に戻って来たのは午後2時ごろだった。 
 夕食後、こうしてパソコンに向かっている。今日も意地でも書くぞと決めて、こんな時間になった。
 カミさんも昼めしがのどを通らないほど心配したという。彼女は明日も4時過ぎ起き。あのガンバリは、ぼくの比ではない。

■近くの神社にある樹木。槇と楠が地上7mあたりでくっついている。ぼくの眼には、こんな木ふうにつながっている木は、そんなに珍しいものではない。

「文章の師」だった東海林さだお2026年04月26日 15時56分

 4月も今週で終わり。29日から大型連休が始まるので、いつもなら手製のスケジュール表に予定を書き込むころなのだが、すっぽり空欄のままである。
 会いたいと言ってくれる友だちは近くにいる。ひとりはカネの心配もなく、体力もあって、奥さん孝行に海外や全国各地を旅行しているという。
「こんなことを言うと、△△さんと比較しているみたいで言いにくいんですけど、去年から旅行ばっかりしています……」
 なにもそんなことまで気を遣う必要はないのに。
 もうひとりの友は数か月前にスーパーでばったり会ったとき、どうも様子がおかしかった。子どものころからの秀才で、頭脳明晰な男なのに、ふつうに会話ができなくなっていた。
「いまどうしているの?」
 その返事が出て来ない。目の焦点が定まらずに言葉を探している。明らかに変である。こちらの方が気まずくなって、それ以上、追及するのを止めた。
 コンピュータ一に強く、一緒にいい仕事をして、センスも抜群で、人柄も申し分なし。結婚を勧める人たちもいたが、40代半ばでパニック障害を発症してから人前に出なくなった。いまは独身の70代になる。両親はすでになく、たったひとりの弟も病死して、親が残してくれたおおきな家に独りで暮らしている。
 このまま会えないかもしれないな。ふと、そんな考えが浮かぶ。
 こういうことを書き留めているぼくが別に暗くなっているわけではない。いろんな人生模様をある程度、平静に受け入れるようになっただけのこと。戦争、大地震、水害、現代版の特殊な事件など、連日いろんなことが起きるから、たいていのことに慌てなくなった。
 先日、漫画家の東海林さだおさん(本名・東海林禎雄。88歳)が心不全で亡くなった。最後まで現役だった。
 冒頭で触れた友のように、別に旅行などしなくてもいい。独居老人にはなりたくない。80歳を過ぎても、世のなかの動きやふつうの人々への関心を失わずにペンを持ち続ける。ああなりたいものだとおもう。
 このブログにも書いたが、ぼくが週刊誌の記者になったころ、早稲田の先輩でもある東海林さんはむずかしいことをわかりやすい言葉で書く技術のお手本を見せてくれた。読者からカネをもらえる原稿が書けなかったぼくの「文章の師」だった。
 そのことを教えてくれたのは、エース記者のTaさん。何度も、何度も書き直す名文家だった。「ぼくは東海林さだおの本を読んでいるよ」と言われて、何冊も読んだ。次男も影響を受けたようで、ひところのわが家の本棚には東海林さだおの本がずらりと並んでいた。
 彼は努力の人である。やっぱり、人には見えないところで、彼も文章を書く努力をしていた。東海林さんが手本にしていたのは、短編の名手・中島敦だった。折に触れて、『李陵』、『山月記』などを読み返しては、その短く研ぎ澄まされた文章を書き写していたという。
 今日も独り言を書いた。今、ぼくはある宿題を自分に課している。それは、テーマはなんでもいいから、毎日、400字詰めの原稿用紙で最低5枚は書くこと。このブログはだいたい4枚分になる。ピアノと同じで、文章書きも練習が大事なのだ。
 からだがきついときは、それすらできない。椅子から転がり落ちるようにして、しばらくゴロンと横になってしまう。昨日がそうだった。
 同じすい臓癌で、16年前に旅立った友だちのノンフィクション作家・黒岩比佐子さん(享年52歳)、そして、あの安藤忠雄さんの決意と実行力にはとうてい及ばない。それでも癌患者のおふたりはぼくのいい目標になっている。
 このブログは休むことが多いのに、今月はアサブロのアクセスランキングで、これまでの最高100位から一気に72位を記録した。79位、91位の日もあった。びっくり仰天だった。こんな雑文でも、どこかで読んでくれる人がいる。週刊誌や新聞と同じだ。それとも同じ病気の人が読んでいるのかな。
 三日連続でここまで書いた。400字詰めに換算して4.6枚分。今日は「合格」としておこう。

■横浜組のA君が持って来てくれたコーヒーを淹れて、パソコンに向かう。シアワセである。至福のときの始まりだ。
 こちらもいただいた『環境と文明』(認定NPO法人 環境文明21会報)は鋭い視点が冴えていて、読み応えがある。仲のいい後輩夫婦から「喝!」を入れられているような気持ちになる。(これでちょうど400字詰め5枚分)

雪国から山菜が届いた2026年04月25日 18時27分

「明日の朝、荷物が着くから楽しみにしていて」。そして、今日の10時過ぎ、ひと抱えある段ボール箱の小包が届いた。
 こうして荷物を送ってくれる人は、ぼくの身内や親戚にだれもいない。いたけれど、いなくなってしまった。いるのはカミさんの血筋で、それも彼女の姉ふたりだけである。みな髪の毛が白い70代になった。
 送り主は、今回も新潟の南魚沼市にいるカミさんの長女。もう7年もあの居心地のいい家に泊まって、みんなとたのしい酒を飲んでいない。
 新緑が美しい季節になると無性に新潟に行きたくなる。歩いて10分もかからないところに魚野川、その先には威容十分の巻機山、左手には八海山、右手に行けば湯沢、あの「国境の長いトンネル」が東京の風を運んで来る。
 昨夜、義姉から電話のあったときから、何が入っているか楽しみにしていた。
「きっと山菜だね」
「酒も入っているとおもうよ。高級品でなくてもいいんだけどなぁ。新潟の酒は全国的に無名でも、どれも旨いからな。1升瓶がいいなぁ。亡くなったオヤジさんみたいに、でっかいコップで、グビグビやりたいなぁ」
 箱の中身をテーブルの上に並べた。
 地酒は、カミさんの生まれ故郷・六日町の『八海山』と塩沢の『鶴齢』で、どちらも純米大吟醸。ぼくの口にはもったいないけれど、やっぱり山菜料理と一緒に飲もうかな。
 地元の人たちがこよなく愛す山菜は、筍のネマガリダケ、木の芽(アケビのつるの新芽)、ウド、タラの芽、こごみ、フキが2種類、ワラビ。それにチマキ、へぎそば、みがきニシンも入っている。(ニシンは3匹。おおきくて立派なもの。写真には入っていません)
 さて、問題はカミさんの料理の腕前である。 さっそく電話で、姉から妹へのコーチングが始まった。
「ねぇ、ニシンはどうやって煮るの? そうか、筍と一緒に煮てもいいんだ」
「お袋さんが作ってくれたニシンの煮物は旨かったなぁ。鯉こくも絶品だった。お袋の味、っていうやつだな。でも、それを受け継ぐのも姉さんで終わりかな」
 九州の人は本当の山菜の美味しさを知らないとおもう。深い雪の下から出てくる新芽はほのかな甘味があって、自然のエネルギーが詰まっている。
「山菜は山に行って、採るのがおもしろいもんな。さぁ、山菜料理をいただいて、元気になって、絶対に新潟に行かなくちゃ」
「そうよ。元気になってね」
 雪国の山菜はこの短い時期だけの貴重な美味なのに、食べるのはカミさんとぼくのふたりきり。テーブルに並んだ数々の食材を見ながら、その向こう側にあった大家族のにぎやかな食卓の光景がなつかしい。

約束のボールを遠くに投げた2026年04月24日 17時40分

 出かけるときは、「本当に大丈夫か。事故ったら大変だぞ」と不安だったが、ハンドルを握っているうちに、これがふつうの人たちのやっている暮らしなのだとだんだん落ち着いて来た。
 11時、予定より30分も遅れて、2年前に亡くなったMoさんのご自宅に到着。3回忌を控えて、ひとりでご焼香に伺った。奥さんと約束はしていたものの、直前まで、行こうか、止めようか、迷いに迷った。しゃんと立っていられなかったのである。
 不安な気持ちのまま外に出て、赤信号、青信号、タクシー、路線バス、いろんな人たちが動いている娑婆(しゃば)の空気を吸ったら、「よし、大丈夫だ」とこころのエンジンがかかった。こんなほんのわずかなことで、ぼくのなかで、今日がいい日か、そうでないかが変わる。
 1年ぶりに会った奥さんはお元気だった。Moさんが健在だったころ、よく押しかけて、台所で一杯やった間柄なので、ハゲ頭と杖の老人になり果てたが、いまさら恰好をつけることもない。
「癌が再発して、こんなになってしまいました。杖がないと歩くのが危ないんですよ」
「△△さんがいちばん若くて、いちばん元気だったのにねぇ。まさかねぇ」
 ちいさな仏壇の笑顔の写真に手を合わせる。なんで死んでしまったのか、いまも悔しくてたまらない。ぼくの事務所で、ふたりでさんざん飲んだけど、もっともっと一緒に飲みたかった。
 どれだけ窮地を救ってもらったことか。あんなおおきな器の人物になりたかったが、とても手が届かなかった。そんなことばっかり、である。
 奥さんは、いまでも朝と夕方の2回、毎日欠かさずに芋焼酎『白波』のお湯割りを仏壇に上げているという。
 ここにも独り暮らしの年寄りがいる。これからの生活のこと、終活などの「内輪の話」も聞いた。歳をとるにつれて、人には言えない話が積み上がっていく。だが、言えない話ほど、その人の貴重な体験や知恵として伝える価値があるようにおもう。
 きついから10分で帰ろうと思っていたが、辞去したのはおよそ1時間後。
「たぶん、そう簡単には死なないでしょうから、また来ます」
 そう約束した。約束のボールを遠くに投げた。約束は守らなくてはいけない。
 帰宅してすぐ、高校時代の同級生で、近くにいるSa君にメールした。
 今年、彼との花見はできなかった。お茶に誘われても、からだに自信がなくて断り続けていた。
 Sa君はこのブログを読んでくれている。つい昨夜のこと、横浜組から薦められた本を自分も買って、読みたいという彼からのメールを受けとったばかりだった。
 無事にMoさんのところから戻って、少し自信がついた。Sa君とも近々、会う約束をした。
 ぼくにとっての会う約束とは、その日まで長生きすることである。

■安売りの石焼き芋器を見つけたので、カミさんはよろこんで買った。写真のアルミ紙の下に、丸くて、平べったい小石がたくさん入っている。芋の種類は紅はるか。茨木県のブランド「紅天使」も焼いた。蒸すよりも、だんぜん美味しかった。去年からよく芋を食べている。

タケノコをいただく2026年04月20日 18時27分

 昨日は、タケノコの大当たりの日だった。
 以下は、ここ数日のぼくたち夫婦の会話である。
「お隣さん、もうそろそろ持って来てもいいになぁ」
「そうよ。すぐ手渡せるように、お礼のお菓子も用意しているのにねぇ」
「ちょいと声をかけてみるか。あのう、ずっと冷蔵庫のすき間を空けて、待っているんですけど。ぜんぜん迷惑じゃないですよって」
 一昨年も、昨年も、お隣さんから立派なタケノコを5個も、6個もいただいた。それも申しわけなさそうにくれたのだ。品質がよくないわけではない。朝方に掘って、きれいに茹でてあって、やわらかくて形のいいものばかりである。
「田舎にいる娘がいっぱい持って来て。うちはふたりだから、とても食べきれなくて。ごめんなさいね。よかったら、もらってくださる」
 玄関先で何度も頭を下げながら、旬の味覚の山盛りを差し出してくれたのだ。二度あることは三度ある。ぼくたち夫婦は今年もその再現をおおいに期待していて、返礼のお菓子まで準備して、タケノコの到来を強く願っていたのだ。
 だが、いまだにお隣さんの動きに、その気配、みじんも無し。
 ところが、「願えば叶う」で、事態は急転した。昨日の午後4時、前町内会長のUさんから電話があった。
「さっきね、タケノコ掘りから帰って来たんよ。いっぱい採って来たけん、持って行ってやろうかと思って。要る?」
「要る、要る。ありがと。うれしいなぁ」
 Uさんはビニール袋に入れて、大小のタケノコを3個も持って来てくれた。
 カミさんが「わたし、タケノコ、大好き。冷凍するわ」と言ったら、自宅に引き返して、またおおきなサイズを1個追加でくれた。
 さっそく茶色の皮をはいで、米ぬかを入れたお湯で茹でた。カミさんがやわらかくて、香りのいいタケノコの煮物に仕立てくれて、昨夜も晩酌を楽しんだ。これまでお店で何度も買って食べたが、やはり掘ったばかりのものは味も香りも格段に違う。
 日本酒の冷(ひや)をやりながら、カミさんを相手に、新潟のタケノコ(ネマガリダケ)のことから、残雪が白く輝く山々、雪解け水の魚野川、新緑のブナ林、山菜採り、熊の出現の話になった。これも田舎の旬の食材の効用か。
 今日は抗がん剤の点滴の日だった。もう9回も打った。1週間後の来週月曜日はCT検査がある。昨年12月22日以来で、あのときは腹部に癌の転移が見つかった。
 横浜のKa君は、築地にある国立がん研究センター中央病院の先端医療科に行ったという。
 こうして一日が終わる。それぞれの生かされている環境をおもう。

実生活は狂態で充満している2026年04月16日 19時03分

「不謹慎なやつ」とお叱りを受けるかもしれないが、つい笑ってしまった。
 ニュースを見ていたら、あのトランプ大統領がイエス・キリストに化けて、男性病人の額に右手を添えている絵が出てきた。トランプさんには光り輝く後光がさしている。
 この人は、戦争反対の立場から自分を公然と批判しているローマ教皇のレオ14世に対して、よほど頭にきているらしい。とうとうこのような「我こそがキリスト」の愚挙に出た。
 さすがに支持基盤の福音派からも「冒涜(ぼうとく)だ」と非難されて、このAIで描かれた画像はあっさり削除された。だが、これぐらいのことで反省して、懲りるようなお方ではない。今度はキリストからやさしく肩を抱かれている絵を投稿した。
 トランプという男、どこかバカみたいに幼稚なところがある。
 キリストに化けた絵もそうで、過去にも映画のヒーローになった自分の姿を投稿したり、「ぼく、ノーベル賞がほしんだもん」と駄々をこねたり、そうなったときの彼はまるで幼い子ども並みのレベルである。
 もしかしたら、79歳のジイさんになっても、いまだにそんな幻想の世界を夢みているのだろうか。酒も飲まない老人が素面(しらふ)のままで、よくもまぁ、やれるものだ。
 狡猾でしたたかなプーチンや習近平の方が一枚上に見えるのは、こうした脇の甘い点があるからだろう。
 だが、こんな男が絶対的な権力を握ったらどうなるか。すでに多くの国や人々がさんざんな目に遭っている。トランプ流のやり方を冷静に分析する学者たちの見識はそれとして、ぼくらは彼ひとりの壮大なる独り芝居に付き合わされているのかもしれない。だんだんそんな気がしてきた。
 そのトランプに対して、「世界の平和に貢献できるのはドナルドだけ」とびっくり仰天の発言をしたのは、いまの日本の政治家で一番人気の高市首相である。この意味や理由について、子どもたちにどう説明をしていいのか、お困りの人は多いのでは。
 こんなとき先人の教えが役に立つ。
 あの小林秀雄はこう書き残している。もう一度、頭を整理するために彼の言葉を書き留めておく。
 ―作家は,観照の世界という全く不自然な心的態度のうちに棲むのだ。この世界にいると、実生活は狂態で充満していると見えるのが当たり前なのである―
 わかりやすく書き直すとこうなる。
 ―いま目の前で起きているさまざまな事柄の本質をよく観ると、私たちの生活はとても正気とは思われない態度やふるまいで充満している―。
 うーむ、小林秀雄の目の鋭いこと、まったくその通りだとおもう。トランプもそうだし、高市の発言もとても正気の沙汰とは思われない。もっと突き放して言えば、人気の高い高市も、すでに狂態の一員なのである。
 さて、昨夜遅く、Ka君は無事に高山から横浜の自宅に帰って来た。疲れ知らずで、元気がよさそう。安心した。
 さぁ、これから国際関係の勉強会が始まる予定。やる気満々の後輩君たち。彼らのやる気とスピードに、錆びついたこんなふらふら頭で、どこまでついて行けるかなぁ。