「自民党をぶっ壊す」を読む-1 ― 2021年03月15日 10時57分

昨今の政治家や高級官僚たちの言動に愛想をつかして、政治不信になっている人も多いのではあるまいか。若い人たちが政治への関心をなくす気持ちもわかる。
その理由のひとつに、小選挙区制の導入によって、派閥による権力闘争の熾烈なドラマがなくなったことも関係しているのでは、とおもう。
総理の椅子をめぐって、火花を散らすような攻防戦が起きない。民主党が政権を獲得したときの高揚感もひと昔前のこと。早い話、政治がおもしろくない。
権力者たちのやることも、「忖度」、「カケモリ」、「桜を見る会」、「公文書偽造」、「女房の選挙違反の手伝い」、「接待漬け」など、実にこざかしい限り。
そこで、思い出すままに、自民党戦国時代と言われたころの政治権力をめぐるドラマの一端を書いてみよう。主人公は田中角栄で、これから先は、ぼくの気ままな独り言である。
いささか旧聞に属するが、小泉純一郎が自民党の総裁選に立候補したときの選挙スローガンの「自民党をぶっ壊す」。続いて、彼が総理になったときの「郵政改革」。
この二つの言葉を耳にしたとき、「あの問題がこんなふうに爆発するのか」とおもった。それには以下のいきさつがあったからである。そして、「あの問題」はまわりまわって、いまのぼくたちの暮らしにも密接にかかわっている。
週刊誌の記者時代のぼくには「政治の師」がいた。仮にDさんとしておく。政界の動きに通じた知慮の人である。ある日、Dさんから、こんなことを言われた。
「立花さんが書いた田中角栄の金脈問題よりも、もっと大きなカクさんの金脈がある。財政投融資ですよ。ぼくも協力するから、やってみませんか」
ちょうど月刊文春に「田中角栄の研究」(1974年11月号)を発表した立花隆さんが脚光を浴びていたころである。政界は「三角大福中」(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赴夫、中曽根康弘)が割拠していた。「金権政治」、「構造汚職」という言葉も飛び交い、「目白の闇将軍」とも呼ばれていた田中は、常に注目のマトだった。
Dさんのいう財政投融資と金脈の関係とは、おおよそ次のような仕組みである。
ここに3枚のカードがある。これを使って、どんなことができるか、という視点で説明しよう。
最初のカードは、田中角栄は39歳の若さで郵政大臣になったこと。以来、郵政省は田中派の影響力が強いと言われていた。
2枚目のカードは建設省。田中派の牙城と言われていた。
3枚目は大蔵省。田中は約3年間、大蔵大臣の座にあった。
尋常高等小学校卒ながら、頭が抜群に切れて、「コンピューター付きブルトーザー」(これはわがデスクが命名した)と言われた田中は、この3枚のカードの使い方を熟知していた。政界随一の達人だったと言っていい。
では、これらのカードとそれにくっついているカネの流れの全体図を見て行こう。
まず、郵便局は郵便貯金や簡易保険の契約金を集めている。人々からの膨大な預貯金は、Dさんが指摘した財政投融資の原資になる。
その権限を持つのは大蔵省。財政投融資は「第二の予算」とされ、政治家たちの我田引水(公共事業)の「つかみ金」とも言われていた。また公共事業費、出資金及び貸付金の財源として、大蔵省は建設国債も発行している。
次に、この莫大なカネを公共事業費として振り分けるのは建設省で、最後に行きつくのは建設業界、という構図である。そして、その一部始終に、ただひとり3枚のカードを握っている田中角栄の息がかかっている。Dさんはそう言いたかったのだ。
では、何のために?
最大派閥を率いていた田中の信条は「数は力」。もとより「数」とは派閥の人数だけではない。その前に選挙に勝たねばならない。だから「数」の本質は「選挙の票数」にほかならない。
大量の票を期待できるひとつが建設業界。そこは自民党、とりわけ公共事業の誘致に強い田中派の大票田だった。いわゆる「土建政治」である。
ぼく自身も田中派の有力代議士の地盤に取材に入った途端、それまでの片側1車線の道路が、田園地帯のなかをまっすぐに伸びる、立派な歩道つきの幅の広い道路に変わって、驚いたことがあった。天と地ほどインフラ整備が違うのだ。
田中が「日本列島改造論」を出版した直後から、日本の建設業者は全国各地で爆発的に増えていった。建設業界から田中の政治団体への献金がいかに派手なものであったかは、立花隆さんチームが調べあげている。
Dさんは、そのころ社会の関心が高かった「金脈」という言葉を使って、以上のカラクリを明らかにした上で、国民の預貯金が一部の政治家の権力拡大に使われ、日本の政治をゆがめている、そう言いたかったに違いない。
疑獄事件は古代の曽我氏のころから綿々と続いている。当時のぼくは勉強不足と政治感覚の未熟さもあって、Dさんのホームラン級の企画を編集会議で通すだけの力がなかった。
以上は、あくまでも推測に基づいたロジックである。しかし、政治の取材を重ねて、先の筋書きを自分の頭で理解したとき、それまでの霧が晴れるように、ぼくの胸にはストンと落ちたのである。
念のために、建設国債も公共事業も国会の審議を経て、承認されていることを付け加えておく。
ここまでが独り言の前半部。小泉純一郎が主役に登場する話の続きは、また後ほど。 (敬称脈)
その理由のひとつに、小選挙区制の導入によって、派閥による権力闘争の熾烈なドラマがなくなったことも関係しているのでは、とおもう。
総理の椅子をめぐって、火花を散らすような攻防戦が起きない。民主党が政権を獲得したときの高揚感もひと昔前のこと。早い話、政治がおもしろくない。
権力者たちのやることも、「忖度」、「カケモリ」、「桜を見る会」、「公文書偽造」、「女房の選挙違反の手伝い」、「接待漬け」など、実にこざかしい限り。
そこで、思い出すままに、自民党戦国時代と言われたころの政治権力をめぐるドラマの一端を書いてみよう。主人公は田中角栄で、これから先は、ぼくの気ままな独り言である。
いささか旧聞に属するが、小泉純一郎が自民党の総裁選に立候補したときの選挙スローガンの「自民党をぶっ壊す」。続いて、彼が総理になったときの「郵政改革」。
この二つの言葉を耳にしたとき、「あの問題がこんなふうに爆発するのか」とおもった。それには以下のいきさつがあったからである。そして、「あの問題」はまわりまわって、いまのぼくたちの暮らしにも密接にかかわっている。
週刊誌の記者時代のぼくには「政治の師」がいた。仮にDさんとしておく。政界の動きに通じた知慮の人である。ある日、Dさんから、こんなことを言われた。
「立花さんが書いた田中角栄の金脈問題よりも、もっと大きなカクさんの金脈がある。財政投融資ですよ。ぼくも協力するから、やってみませんか」
ちょうど月刊文春に「田中角栄の研究」(1974年11月号)を発表した立花隆さんが脚光を浴びていたころである。政界は「三角大福中」(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赴夫、中曽根康弘)が割拠していた。「金権政治」、「構造汚職」という言葉も飛び交い、「目白の闇将軍」とも呼ばれていた田中は、常に注目のマトだった。
Dさんのいう財政投融資と金脈の関係とは、おおよそ次のような仕組みである。
ここに3枚のカードがある。これを使って、どんなことができるか、という視点で説明しよう。
最初のカードは、田中角栄は39歳の若さで郵政大臣になったこと。以来、郵政省は田中派の影響力が強いと言われていた。
2枚目のカードは建設省。田中派の牙城と言われていた。
3枚目は大蔵省。田中は約3年間、大蔵大臣の座にあった。
尋常高等小学校卒ながら、頭が抜群に切れて、「コンピューター付きブルトーザー」(これはわがデスクが命名した)と言われた田中は、この3枚のカードの使い方を熟知していた。政界随一の達人だったと言っていい。
では、これらのカードとそれにくっついているカネの流れの全体図を見て行こう。
まず、郵便局は郵便貯金や簡易保険の契約金を集めている。人々からの膨大な預貯金は、Dさんが指摘した財政投融資の原資になる。
その権限を持つのは大蔵省。財政投融資は「第二の予算」とされ、政治家たちの我田引水(公共事業)の「つかみ金」とも言われていた。また公共事業費、出資金及び貸付金の財源として、大蔵省は建設国債も発行している。
次に、この莫大なカネを公共事業費として振り分けるのは建設省で、最後に行きつくのは建設業界、という構図である。そして、その一部始終に、ただひとり3枚のカードを握っている田中角栄の息がかかっている。Dさんはそう言いたかったのだ。
では、何のために?
最大派閥を率いていた田中の信条は「数は力」。もとより「数」とは派閥の人数だけではない。その前に選挙に勝たねばならない。だから「数」の本質は「選挙の票数」にほかならない。
大量の票を期待できるひとつが建設業界。そこは自民党、とりわけ公共事業の誘致に強い田中派の大票田だった。いわゆる「土建政治」である。
ぼく自身も田中派の有力代議士の地盤に取材に入った途端、それまでの片側1車線の道路が、田園地帯のなかをまっすぐに伸びる、立派な歩道つきの幅の広い道路に変わって、驚いたことがあった。天と地ほどインフラ整備が違うのだ。
田中が「日本列島改造論」を出版した直後から、日本の建設業者は全国各地で爆発的に増えていった。建設業界から田中の政治団体への献金がいかに派手なものであったかは、立花隆さんチームが調べあげている。
Dさんは、そのころ社会の関心が高かった「金脈」という言葉を使って、以上のカラクリを明らかにした上で、国民の預貯金が一部の政治家の権力拡大に使われ、日本の政治をゆがめている、そう言いたかったに違いない。
疑獄事件は古代の曽我氏のころから綿々と続いている。当時のぼくは勉強不足と政治感覚の未熟さもあって、Dさんのホームラン級の企画を編集会議で通すだけの力がなかった。
以上は、あくまでも推測に基づいたロジックである。しかし、政治の取材を重ねて、先の筋書きを自分の頭で理解したとき、それまでの霧が晴れるように、ぼくの胸にはストンと落ちたのである。
念のために、建設国債も公共事業も国会の審議を経て、承認されていることを付け加えておく。
ここまでが独り言の前半部。小泉純一郎が主役に登場する話の続きは、また後ほど。 (敬称脈)
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